第122話 薬草を広げる卓
「このあと、薬を作るの。よければ、今からいらっしゃい」
ヴィオラが言った。
エルナは、隣のルークと顔を見合わせてから頷いた。
「ぜひ、お願いします」
「では、私とは明日ですね。朝から出かける予定なんですが、大丈夫ですか」
イネスに尋ねられ、二人で答える。
「はい」
「出発のことは、あとで宿へお知らせしますね」
席を立ち、エルナは卓の端に置いていた布を取った。髪を包み、左手首に腕輪を戻す。
フードをかぶってから、鞄を肩に掛けた。
イネスと別れ、ヴィオラについて廊下を歩く。
案内された部屋の戸が開いた時、乾いた葉の匂いがした。
窓のそばに、広い卓があった。
棚には蓋付きの壺や布袋が並び、卓の一角には、秤と石の鉢、木の匙が置かれている。奥の小さな炉では、鍋が温められていた。
「ここでは、髪を出していても平気よ。誰か来る時は、戸を叩いてもらうから」
「ありがとうございます」
エルナはフードを下ろし、布をほどいた。
髪を後ろへまとめ直して、布と腕輪を鞄に収める。
ヴィオラも黒い髪を上げ、壁に掛けてあった前掛けを取った。腰の後ろで紐を結ぶと、棚から布袋を二つ下ろす。
三人で手を洗い、卓を囲んだ。
「この葉は、あなたも使うかしら」
広げられたものを見て、エルナは頷いた。
細長い葉が、茎に沿って何枚もついている。指先で裏を向けると、薄い毛が残っていた。
「はい。私の山にも生えています。石の多いところに、よくまとまっていて」
「どのくらい育ったものを採るの?」
「花が開く前です。上の柔らかいところを、少しずつ。乾かす時は、あまり重ならないように広げます」
「私は、こうして届いたものを使うことが多いの。生えている時の話を聞けると、面白いわね」
ヴィオラは別の袋も開いた。
同じ葉だったが、こちらは幾分小さい。
「この頃、小さい葉が混じることが増えてね。採れる量も減ったと聞いているわ」
エルナは二つの袋を見比べた。
山で見つけた小さな株のことを思い出す。葉の大きさだけで、同じことが起きているとは分からない。それでも、生えているところを見てみたくなった。
「今日は、葉の方を使うの。この太い茎を外してもらえる?」
ヴィオラが一本を持ち、葉を外して見せた。
ルークも、卓のそばの椅子へ腰を下ろす。
「これなら、俺にもできます」
「助かるわ。葉はこちらの器へお願い」
エルナも隣へ座り、束を分けた。
指で茎を押さえて葉を外すと、乾いた音がする。ルークの手元でも、少し遅れて同じ音がした。
「乾いてると、力を入れすぎると崩れるな」
ルークは茎を持つ位置を変え、次の葉を外した。
ヴィオラが、その器を引き寄せて中を確かめる。
「ええ、それでいいわ」
エルナも自分の分を器へ入れた。
前掛けの肩紐を直したヴィオラが、上げた髪の端を耳の後ろへ収める。その姿を見て、尋ねた。
「街を歩く時も、髪は隠さないんですか」
「ええ。隠してはいないわ。私は、顔も髪も、ずっと隠して歩くのは嫌なの」
ヴィオラは、エルナが下ろしたフードへ目を向けた。
「あなたは、外している方が気になる?」
「外では、少し。人がこちらを見ているのかとか、気になってしまうので」
「そう。それだと、歩いていても疲れるわね」
ヴィオラは頷き、葉を量り始めた。
エルナも、残りの束へ手を伸ばす。
「今日は、傷の薬を作るの」
秤の上の葉を加減しながら、ヴィオラが言った。
「手に負った傷が、なかなか治らない人でね。夜も、痛みで目が覚めるそうなの。昨日会った時も、眠れないのがつらいと言っていたわ」
「眠れないと、昼間もつらいでしょうね」
「ええ。夕方には届けてもらうつもりよ。今夜は、少し休めるといいのだけれど」
ヴィオラは量った葉を石の鉢へ移し、棚から小さな壺を取った。
蓋を開けて取り出したのは、丸みのある厚い葉だった。それを同じ鉢へ加えるのを見て、エルナは手を止めた。
「それも、傷の薬に使うんですか」
「あなたは、別のものに使っている?」
「はい。私は、煎じることが多いです。この葉と混ぜて使ったことは、ありませんでした」
「その人の傷に触れた時に、浮かんだ組み合わせなの」
エルナは、ヴィオラへ顔を向けた。
「薬草が、浮かぶんですか」
「ええ。患者に触れて、その人の中の魔力を感じるの。治したいと思っていると、薬草が頭に浮かぶ。それを使って、魔法で薬を作るのよ」
ヴィオラは鉢の中を見せた。
エルナも知っている二種類の葉が、重なっている。
「病気の名前が分からない時でも、その人を治すための草は浮かぶわ。ただ、魔法で薬を作るには、その病気の人や傷に、一度は触れていないといけないの」
エルナは、鉢の中の二種類の葉を見比べた。
自分の作る軟膏とは、合わせる草が違う。どの順に、どう扱っていくのかも見てみたかった。
ヴィオラが鉢を手元へ寄せ、葉を砕き始めた。
エルナは自分の器に残った葉を確かめ、細い茎を取り除いた。
ヴィオラが砕いた葉を鍋へ入れると、温められた油の中に、濃い緑が広がった。
匙が鍋の底をゆっくりなぞる。エルナも自分で軟膏を作る時にする作業だった。
葉を取り出したあと、ヴィオラは鍋を手元へ寄せた。
「ここからは、私がやるわね」
エルナたちは手を空け、そばで見ていた。
混ぜる手つきは、それまでと大きく変わらない。
けれど、ヴィオラから薬へ、魔力が使われるのを感じた。鍋の中の薬がどう変わっているのかまでは分からないが、力が動いていることは分かる。
ヴィオラはしばらく薬を混ぜ、やがて匙を置いた。
鍋を火から離れた台へ移す。エルナが感じていた魔力の動きも、そこで収まった。
「あとは、少し冷ましてから器へ分けるわ」
ヴィオラは卓の隅の紙を引き寄せ、使った薬草と分量を書き留め始めた。
エルナは書かれていく分量を目で追い、先ほどの手順を思い返した。魔法を使っている間も、ヴィオラは匙を動かしていた。
「同じ手順で作って、魔法だけ使わなかったら、効き目はどうなるんですか」
「薬として使えるわ。ただ、効き目は変わるの。魔法で作ったものの、よくても半分くらいね。それでも、同じ病気や怪我で困っている人に使えるから、こうして残しておくの」
ヴィオラは分量の横へ、葉を加える順を書き足した。
エルナも、その先まで目で追った。自分が普段作る薬では使わない組み合わせを、もう一度確かめる。
「少し休みましょう。お茶も、まだあるから」
部屋の隅の小卓へ移り、三人で腰を下ろした。
ヴィオラが茶を注ぎ、エルナの前にもカップを置く。
葉に触れていた指先を見てから、エルナは顔を上げた。
「ヴィオラさん。魔法を使う時のことで、お聞きしてもいいですか」
「ええ。何かしら」
「私の魔法は、熱を動かすものなんです。冷やしたり、温めたりする時には、力を使っていくのが分かります。でも、それとは別の手応えがすることがあって」
ヴィオラが、カップを持つ手を止めた。
「別の手応え?」
「火で沸かしたお湯の温かさや、井戸水の冷たさを、そのまま残せたことがありました。あとで仲間に見てもらった時には、靴の底を、地面から離れないようにもできたんです」
「足を上げようとしても、靴の底だけが離れなくて」
ルークが続けた。
「身体や、もう片方の足は普通に動いていました。しばらくすると、何もしなくても離れるようになりました」
「その時の状態を保っているのかもしれないと、友人と話したんです。ニーナという錬金術師なんですが、定着と呼んでみようって」
「その力を使ったあと、魔力は減った?」
エルナは首を横に振った。
「熱を動かす時のように、使っていく感じはありません。何かを押さえたような手応えが、少しあるだけで」
「命紋は、確かめたの?」
「はい。温度を保ったり、靴を留めたりしたあとに。以前に見た時と比べましたが、線は増えていませんでした」
ヴィオラは、すぐには答えなかった。
カップを受け皿へ置き、エルナを見た。
「少し、見せてもらってもいいかしら。その、定着というのを」
「はい。温かさを残すことなら、できると思うのですが……」
エルナは、目の前のカップへ目を落とした。
それでは、普通に冷めていくものと比べながら待つことになる。
靴底と、地面。
このカップと、中のお茶ではどうだろう。
「お茶を、この中に留められるかもしれません」
「こぼれないように?」
ルークに尋ねられ、エルナは頷いた。
「はい。靴の時のようにできれば、器を傾けても、中身は動かないのではないかと。これは、まだ試したことがないんですけど」
カップは受け皿に載っていた。
エルナは中のお茶を見つめた。
この器に対して、同じところに留まるように。
そう意識すると、小さな手応えがあった。
エルナはカップを持ち上げ、受け皿の上で、ゆっくりと傾けた。
褐色の水面が、器と一緒に傾いた。
もう少し手首を倒しても、下になった縁へお茶が流れていかない。
「……こぼれません」
自分で言いながら、エルナはカップの内側を覗いた。
普段ならお茶が出てしまうほど傾けても、中身はそのままだった。
「俺も、持ってみていい?」
「はい」
ルークがカップを受け取り、傾けてみる。
横から中を見て、それから、もう一度手首を動かした。
「本当だ。器だけ動かしても、一緒についてくる」
ヴィオラも身を寄せ、中を見ていた。
「今も、留め続けようとしているの?」
「いいえ。そう思ったのは、最初だけです」
ルークからカップを返され、エルナは卓へ置いた。
ヴィオラは、しばらくその中を見ていた。
「……私は、あの薬を作るのにも、命を使っているのよね」
ヴィオラは、冷ましている鍋へ目を向けた。
エルナもその横顔を見た。ヴィオラはすぐには言葉を続けず、それからカップの方へ顔を戻した。
「魔女の残したものも、ずいぶん探したのよ。書かれたものや、人から聞いた話も。でも、命を使わずに魔法を扱った人は、見つからなかったわ」
ヴィオラは、エルナへ目を戻した。
「同じ代償を払わずに、これだけのことができるのなら……私たちの魔法とは、別の力なのかもしれないわね」
「魔法とは、別の……」
熱を動かす時とは違うと、エルナも感じていた。
その違いを、同じ魔女であるヴィオラも、そう受け取ったのだ。
エルナは、カップの縁へ指を添えた。
どうしてそんな力が使えるのかは、まだ分からない。それでも、ここへ来て、話してみてよかったと思った。
「何の力なのかまでは、私にも分からないわ」
ヴィオラが言った。
「ただ、あなたの言う手応えの違いは、気のせいではなさそうね」
エルナは、小さく頷いた。
ヴィオラが自分の茶を一口飲む。
つられるようにカップを持ち上げ、エルナも口元へ運んだ。
「……あ」
傾けても、お茶が出てこなかった。
ルークが、手元を見た。
「まだ、留まってる?」
「はい」
エルナはカップを戻した。
中のお茶は、器の内側に収まっている。
「飲むのも、待たないといけないのね」
ヴィオラの口元が緩んだ。
エルナも、少し笑った。
「こぼれないのは、助かるんですけど」
「飲みたい時には、出てきてほしいよな」
「はい。靴を留めた時は、しばらくすると戻りました。これも、少し待ってみます」
使いたい間だけ、保てたら。
そうできるようになれば、もう少し使いやすいだろう。
ヴィオラが席を立ち、冷ましていた薬を確かめた。
「そろそろ、分けられそう。そこの器を取ってもらえる?」
エルナも立ち上がり、棚の小さな器を卓へ運んだ。
ルークは空いた袋を畳み、残った葉を片づけていく。
薬が器へ移されるそばで、ヴィオラが先ほどの紙を読み返した。
そこに書かれた葉を、エルナも指先で取り上げる。
ヴィオラが、その葉へ目を留めた。
「この葉を乾かす時は、裏返したりもするの?」
「はい。下になった方が、まだ湿っていることがあるので。何枚か持ってみて、確かめます」
「そう。届くまでの扱いも、もう少し聞いてみようかしら」
ヴィオラは器の縁を拭き、並べた薬を見た。
「今夜は、眠れるといいわね」
エルナも、薬の入った器へ目を向けた。
会ったことのないその人が、夜に手の痛みで起きずに済めばいいと思った。
片づけの途中でカップを寄せると、中のお茶が揺れた。
エルナは、そっと傾けてみた。今度は水面が動き、縁へ近づいてくる。
「もう、飲めそうです」
ルークがこちらを見て、カップの中を確かめた。
エルナは席に戻り、ようやくお茶を飲んだ。
少しぬるくなった茶の向こうで、ヴィオラがまた、薬草の袋を開いていた。




