第120話 三人の魔女
Side:ルーク
翌日の午後、教えられた王宮の入口で書付を見せると、係の人は二人の名を確かめた。
「お待ちしておりました。ご案内いたしますので、こちらへ」
返された紙を、エルナが鞄へ収める。
ルークも彼女と並び、案内の人について歩き始めた。
通された廊下の窓からは、庭が見えた。
低く刈り揃えられた木の向こうに、小道が続いている。通りのような呼び声はなく、前を行く人の靴音がよく聞こえた。
エルナも、窓の方へ顔を向けていた。
やがて廊下の先へ目を戻し、肩の鞄を掛け直す。
イネスとヴィオラの顔も声も、まだ知らない。
どんな人なのか。どんな土地で、何を見てきたのか。
エルナと話したことを思い返しているうちに、案内の人が一つの戸の前で止まった。
戸が叩かれ、中から返事があった。
「どうぞ」
開かれた戸の向こうに、卓と椅子が見えた。
そのそばにいた二人の女が、こちらへ身体を向けた。
窓に近い方の女は、淡い灰金色の髪を低い位置でまとめていた。ゆるく波打つ髪の下で、青緑の瞳が柔らかく細まる。
生成りの袖に添えられた水色の刺繍が、腕の動きに合わせて見えた。
「イネスです。遠くから、よくいらしてくださいました」
もう一人は、艶のある黒い髪を背へ流していた。
墨黒のドレスは肩から腰に沿って美しく仕立てられ、浅く開いた襟元には、鎖骨が少し見えている。こちらを見る琥珀色の瞳には、笑みがあった。
「ヴィオラよ。道中は、大変だったでしょう」
ルークは挨拶を返すまでに、わずかに間が空いた。
二人とも、思わず顔を見てしまうほど美しかった。
隣でエルナが頭を下げ、ルークもそれに続いた。
「今日は、お時間をいただいてありがとうございます」
「ルークです。よろしくお願いします」
「こちらこそ。お会いできるのを楽しみにしていました」
イネスが答えた。
案内してくれた人が、卓に並べられた茶器へ茶を注いでいく。イネスが短く礼を言うと、その人は二人にも一礼し、部屋を出ていった。
戸が閉じてから、エルナが口を開いた。
「このお部屋では、四人でお話しできますか」
「ええ。用事があれば、外から声を掛けてもらいますから」
その返事を聞き、エルナがフードへ手を掛けた。
頭から下ろし、髪を包んでいた布もほどいていく。
押さえられていた白銀の髪が、肩から背へ落ちた。
布を畳んだあと、左手首の腕輪も外す。二つを卓の端へ置いてから、二人へ向き直った。
「エルナです。お会いできて、うれしいです」
ルークのそばに立っているのは、いつもの旅の服を着た彼女だった。
ほどいた髪を軽く整えただけで、飾りもない。
目の前には、髪も衣服も美しく整えた二人がいる。
魔女たちは、こうして人の目を引くものなのか。
三人が同じ場所にいるのを見て、ルークは初めてそう思った。
その二人と向き合っても、エルナの顔立ちはひときわ際立っていた。
こちらへ少し顔を向けた彼女と、目が合う。
昨日、屋台のパンの具をこぼしかけて、一緒に笑った時と同じ顔だった。
ヴィオラが、エルナの髪へ目を留めた。
「白銀なのね。綺麗な色」
「ありがとうございます」
「その布で、いつも包んでいるの?」
「はい。外を歩く時は」
「長い髪をまとめて歩くのも、大変でしょう」
エルナが自分の髪へ触れ、少し頷いた。
「風があると、ほどけていないか気になります」
「そうね。私も出かける時は、結んでしまうことが多いわ」
ヴィオラは背へ流していた髪を、肩の後ろへ払った。
イネスが椅子へ手を向ける。
「どうぞ、お掛けください。ルークさんも」
「ありがとうございます」
鞄を椅子のそばへ下ろし、ルークはエルナの隣へ座った。
向かいへ二人も腰を下ろす。卓の上には、四人分のお茶があった。
「宿では、休めましたか」
イネスに尋ねられ、エルナが答えた。
「はい。昨日は、街も見て回れました」
「あら。もう、何か気になるものは見つかった?」
ヴィオラが茶器を手に取った。
「お店が多くて、まだ見ていないところばかりです。道具を並べたお店と、髪飾りのお店を見ました」
「帰る道で、一つ角を間違えましたけど」
ルークが添えると、エルナがこちらを見た。
「二人とも、合っていると思って歩いていました」
「うん。もう少し行けば分かるだろうと思ってた」
「それで、引き返して?」
ヴィオラが尋ねる。
「はい。小刀を見せてもらった店を、エルナが見つけてくれたので」
ルークがエルナへ顔を向けると、彼女も頷いた。
「そこまで戻ったら、分かりました」
「じゃあ、お店と道を一緒に覚えていかないとね」
「しばらくは、そうなりそうです」
ルークが答えると、ヴィオラが笑った。
イネスも口元を緩め、茶器へ手を添えている。
ルークも茶を飲んだ。
顔を上げた時、エルナはもう、向かいのヴィオラへ目を向けていた。
「ヴィオラさんは、薬を作っていらっしゃると聞きました。薬草も、お使いになるんですか」
「ええ。エルナも、薬草の仕事をしているの?」
「はい。採って、乾かして、町へ持っていきます。切り傷に使う軟膏なども、少し作ります」
「採るところから、自分で?」
「山に住んでいるので。家から、もう少し上がったところにも生えています」
「それなら、生えている時の様子から見られるのね」
「はい。ただ、この頃は、前と同じところへ行っても、採れる量が少なくなっています」
「前から、採っていた場所で?」
「そうです。株が少なくなっていて、見つけても、小さいものが多くて」
エルナは続けた。
「山の水も、前より減っています。ここへ来る途中でも、井戸の水が減ったと聞いた村がありました」
ルークも、茶器を卓へ置いた。
井戸へ桶を下ろした時のことを覚えている。前に通ったことのあるフィンが、水面までの深さを気にしていた。
「その村でも、水が減っていたんですね」
イネスが言った。
「はい。畑の葉にも、気になる様子がありました。それから、魔力の感じも、場所によって違っていて……」
エルナは続けた。
「普段より濃くて、淀んでいるように感じるところがありました。お二人にも、そういうことがあるのか、お聞きしたかったんです」
「私にも、思い当たることがあります」
イネスが答えた。
「雨を頼まれて伺う土地では、魔力が淀んでいるように感じるんです。強く感じるところも、それほどではないところもありますが」
エルナは、すぐには次を尋ねなかった。イネスを見たまま一度頷き、口元を少し緩める。
ほかの魔女にも会ってみたい。
夜番の時に聞いた彼女の言葉を、ルークは思い出した。
「畑のそばで、感じるんですか」
「ええ。畑のそばだけでなく、その周り一帯でも感じます」
エルナが、少し身を乗り出した。
「雨を降らせたあとは、どうなるんですか」
「降らせる前より、ずいぶん和らぎます。仕事の前に気になっていたところも、あとで歩くと、違って感じるんです」
「淀みは、全部なくなるんですか」
「いいえ。和らいでも、まだ残るところはあります」
ルークには、その違いは分からない。
峠で休んだ時も、水のそばには青い草が育っていた。エルナが気にしているものは、目に見える草や水だけではなかった。
「前に行った場所へ、また雨を頼まれることもあるんですか」
ルークが尋ねた。
「ええ。同じ土地へ何度も伺います。近頃は、以前より早く、また雨を頼まれる土地もあるんです」
「俺たちが寄った村では、井戸の縄が継ぎ足されていました」
イネスがこちらを見た。
「縄を長くしたんですか」
「はい。ラーデンからセレドへ向かう途中の村です。前の長さでは水に届かなくなったそうで、桶を下ろすと、継いだところまで井戸の中へ入っていきました」
「畑の水も、その井戸から?」
「はい。馬にやる水を汲ませてもらっていたら、そばにいた人が、畑へ運ぶと言っていました」
ルークは、エルナへ顔を向けた。
「その畑だったよな。葉を見ていたのは」
「はい。猪に壊されたところの、少し向こうです」
エルナが、ヴィオラへ向き直った。
「豆の畑だったんですが、葉に小さな斑点があって、裏にも広がっていました。色が変わって、枯れている葉もあって……」
「実の方は、どうだった?」
ヴィオラが尋ねた。
「豆の莢も、小さいまま黒く傷んでいました。水を回しても、傷むのが止まらない株があると、畑の方が話していました」
「山で採っていた薬草にも、同じ斑点はあったの?」
「いいえ。私が見たものには、ありませんでした」
「私も、伺う先で、薬草の採れる量や獣のことを尋ねてきました」
イネスが言った。
「水のことだけではないのかもしれないと、ヴィオラとも話していたんです」
「お二人も、前から調べていらっしゃったんですか」
エルナが尋ねると、ヴィオラが頷いた。
「ええ。イネスから話を聞いて、昔の魔女が何か書き残していないかと思って。ユリウス殿下に相談して、禁書庫に残っていた書物を読ませていただいたの」
「そこに、魔力のことが書かれていたんですか」
「日記が一冊あってね。巡る力と、その土地に生きるものについて、書いてあるの。星の魔女、と呼ばれていた人のものよ」
「どんなことが、書かれていたんですか」
「『ひとたび淀めば、その地の命、やがて常の姿を失う』。そういう一節があるの」
ルークの頭に、炎を撒いて暴れていた猪の姿が浮かんだ。




