第119話 はじめての王都
道を行く荷車が、少しずつ増えていた。
脇道から出てきた一台が、エルナたちの前へ入った。積まれた袋の上で、男が荷の縄を引き直している。その向こうにも幌のついた荷馬車があり、歩いていくうちに、車輪の音が幾つも重なってきた。
子供たちの村を発ってから、幾つかの宿場を過ぎた。
昨夜も街道沿いの宿に泊まり、今朝、朝食を済ませて出てきた。昼には道の脇で休み、残していたパンと干し肉を食べた。
歩き始めてしばらくすると、道はさらに広くなった。
エルナは前へ目を向けた。
「……あれでしょうか」
家並みの向こうに、長い石の壁が見えていた。
左右へ続くその壁の間に、大きな門が開いている。近づくにつれ、門の前に集まっている人や馬車の姿が分かるようになった。
「アルヴェンだな」
ルークも、そちらを見ていた。
「ルークは、来たことがあるんですか」
「ないよ。この国へ来たのも、今回が初めて」
門へ近づく馬車が、大きな城壁の下では小さく見えた。
「傭兵をしてた頃、国を越えた仕事もあったけど、そう何度もじゃないから。こっちまでは来なかったな」
「では、一緒に道を聞かないといけませんね」
「うん。まず、ギルドの場所からだな」
背後で蹄が鳴り、二人は道の端へ寄った。
通っていった馬車の扉には、金色の細工があった。窓には薄い布が掛かり、磨かれた車輪の縁が光を返す。御者席の男まで、襟元の整った服を着ていた。
エルナは馬車を目で追った。その後ろにも、馬に乗った男が二人続いていた。
門の下では、兵士が旅人の持つ書付を確かめていた。
揃った上着の上に身につけた防具は、胸元も肩も手入れされている。脇に立てた槍の穂先が、エルナの頭よりずっと高いところにあった。
門へ着いた時には、昼を少し過ぎていた。
二人も冒険者証を見せ、リゼルから来たことと、しばらく滞在するつもりだと伝えた。ルークがギルドへの道を尋ねると、兵士は門の内側へ手を向け、進む通りを教えてくれた。
門を抜けた先にも、人がいた。
荷を担いだ男が道を横切り、籠を抱えた女が、すれ違う相手へ声を掛ける。石敷きの通りには馬車が続き、その両側を大勢の人が歩いていた。
建物の壁には幾つも窓が並び、上の階から張り出した看板の下にも、別の店の入口があった。
戸の奥まで棚が続く道具屋があった。隣の店では、焼いたものを次々に籠へ移している。その前にも、買い物を待つ人が並んでいた。
人の肩越しに見えた服地には、細かな模様が織り込まれていた。近くに立つ女の首元で、小さな石の飾りが揺れる。
その先を、大きな盾を背負った冒険者が通り過ぎた。腰の剣にも鞘にも、手入れされた光沢があった。
「ルーク、あそこにも、お店が」
呼び声と車輪の音に、声が紛れた。
ルークが顔を寄せてきたので、エルナは二階の窓を指さした。開いた窓の内側に、色の違う服が何着も掛けられている。
「上です。あの窓のところ」
「本当だ。下ばかり見てた」
ルークも顔を上げた。
「さっきの道具屋も、面白そうだったな」
「はい。帰りに、また通りたいです」
二台の荷車が通り過ぎるのを待ち、並んで向こう側へ渡った。エルナはもう一度、服の見えた窓を振り返った。その隣の建物にも、まだよく見ていない看板が掛かっていた。
教わった通りを進むと、ギルドの建物が見えてきた。
入口の前だけでも、何組もの人が立っていた。
壁際では、槍を抱えた男と、荷のない馬車を寄せた商人が話している。
「傭兵なら、あと二人は欲しい。出るのは明日の朝だ」
男の声が聞こえた。
ルークが一度そちらへ目を向け、入口へ進む。
「ルークも、ああいう仕事をしていたんですか」
「ああ。人数と荷を見て、何日かかるか話して。折り合いがつけば、一緒に行く」
エルナも戸口へ入ってから、足を緩めた。
広かった。セレドのギルドも大きいと思ったが、ここはさらに奥へ続いていた。
窓口が幾つも並び、その前に列ができている。奥の壁にも横の壁にも依頼の紙があり、読んでいる人の後ろを、書類を抱えた職員が通り抜けていった。
奥には卓を並べた一角もあり、皿を運ぶ女が人の間を抜けていた。話し声が重なり、椅子を引く音や、硬貨を卓へ置く音が混じっている。
入口に近い窓口で、泊まる場所を相談した。
予算と、二人で数日使える部屋を探していることを伝えると、職員が近くの宿を教えてくれた。
「麦の穂亭なら、聞いてみるといいですよ。ここからも歩いて行けます」
宿への道を教えてもらい、エルナも尋ねた。
「ラーデンへ、手紙を送ることはできますか」
「はい。書類と一緒に回せます。届くまで、日数はかかりますが」
料金と返信の宛先を確かめ、礼を言って窓口を離れた。
「グレンさんたちに、着いたことを知らせたいです」
「うん。宿が決まったら、泊まる場所も知らせよう」
外へ出ると、さっきの馬車のそばでは、まだ男たちが話していた。
エルナはギルドの建物をもう一度見上げてから、ルークと教わった道へ進んだ。
*
麦の穂亭では、二階の部屋を借りることができた。
寝台が二つと、窓のそばに小さな机があった。
エルナは鞄を下ろし、外へ括っていた寝具の束もほどいた。壁際へ寄せてから腰を下ろすと、肩が軽くなった。
窓の向こうでは、向かいの建物の上の階に、洗った布が掛かっていた。
その下の通りを、荷を載せた車が通っていく。
「紹介状、今日のうちに届けようか」
ルークが水を飲んでから言った。
「はい。泊まる場所も、お伝えできますね」
少し休んでから、二人で階下へ下りた。
宿の女将に王宮への道を尋ね、返事が届くかもしれないと話しておく。
王宮へ向かう通りでは、馬車の横を歩く従者の姿が目についた。
高い塀が続き、門の前に立つ兵士の向こうには、手入れされた木々と大きな建物の一部が見えた。
教わった受付へ行き、エルナは鞄の内側から紹介状を出した。
セレドから持ってきた封書を、両手で差し出す。
「マリエラ様から、お預かりしてきました。エドガー様へ、お渡しいただけますか」
係の男は表書きと封を確かめ、二人の名と、泊まっている宿を書き留めた。
「こちらでお預かりします。お返事は、そちらへお届けできるようにいたします」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
エルナは頭を下げた。
受付を離れてから、紹介状を入れていたところへ一度目を落とす。
ここへ着いたら渡すと、何度も確かめてきた手紙だった。
あとは、返事を待つことになる。
「届いたな」
ルークが言った。
エルナは彼へ顔を向け、頷いた。
「はい。お会いできるといいですね」
宿へ戻る頃には、建物の影が通りへ長く伸びていた。
酒場の戸が開き、中から器を重ねる音がする。
その隣の建物では、薄い肩掛けを羽織った女が戸口に立ち、通りかかった男へ声を掛けていた。
別の女が窓辺から身を寄せ、立ち止まった男と笑っている。
「この辺りには、娼館もあるんですね」
「そうみたいだな」
ルークも、並んだ建物へ目を向けた。
その先の食事処からは、焼いた肉の匂いが流れてきた。戸口に出てきた男が、空いた席へ客を呼んでいる。
二人はそこで夕食を取り、宿へ戻った。
部屋へ入ると、エルナは窓の布を引き、髪布と腕輪を外した。
寝台へ腰を下ろしても、まだ通りの声が聞こえていた。
ルークは靴を脱ぎ、向かいの寝台へ座る。
「明日、少し見て回ろうか」
「はい。さっきも、気になるお店が幾つもありました」
「俺も。ギルドの近くに、道具を並べてるところがあっただろ。あそこも覗いてみたい」
エルナは頷いた。
窓の向こうで、誰かが店の名を呼んでいる。どんなものを売っていた店なのか、昼に見ただけでは、まだ覚えきれていなかった。
*
翌朝、女将に市場のある方を聞いた。
「大きな教会が見えるだろう。その手前を右へ行くと、店が続いてるよ。孤児院のある角まで行けば、分かる」
「孤児院も、近くにあるんですね」
「ああ。この辺り以外にも、王都には幾つかあるよ」
ルークも道を確かめ、二人で宿を出た。
昨日入った門とは違う方へ歩く。
通りの先には、周りの屋根より高い教会の建物が見えていた。教わった角の近くでは、門の内側に洗濯物が干され、その奥から子供の声が聞こえた。
エルナは一度そちらへ目を向け、ルークと店の並ぶ通りへ曲がった。
店先へ運び出された籠には、葉物や細長い根が並んでいる。
布を売る店の前では、客が広げてもらった生地へ手を当てていた。その隣には、留め金や小さな刃物、匙を並べた台があった。
ルークが足を止めた。
店の男へ断ってから、革の鞘に収まった小刀を手に取る。
「留めるところ、こうなってるんだな」
エルナも隣から覗いた。
鞘の口には、柄を押さえるように細い革帯が渡っていた。ルークは帯の端を金具から外し、柄を持ち上げてみてから収め直す。もう一度帯を留め、小刀が動かないか指で確かめた。
「使いやすそうですか」
「うん。歩いてる時も、抜け落ちにくそうだ」
小刀を男へ返すと、ルークは隣に並んだ、柄の短いものへ目を留めた。
「そっちも、見せてもらっていい?」
エルナも隣へ寄り、今度は初めから留め具のところを覗き込んだ。
ほかの道具も見せてもらい、礼を言って店を離れた。
今度はエルナが、髪飾りを並べた店の前で足を緩めた。
小さな葉をかたどった金具や、色の違う紐が並んでいた。
その中の一つへ目を留める。編んだ髪へ留めたら、葉の形が見えるだろうか。
「ニーナさんにも、似合いそうですね」
ルークも、エルナの見ていたものへ目を向けた。
「うん。髪を編む時につけられそうだな」
髪を少しずつ編んでくれたニーナの手を思い出す。
あの人の髪にも、何か選んでみたかった。
「帰る前に、お土産を買いたいです」
「うん。何を持っていくか、見ておこうか」
店の場所が分かるよう、エルナは隣に掛かった大きな布の看板も覚えておいた。
少し先では、焼き菓子を積んだ店の前に人が並んでいた。
薄い菓子を籠へ移すたびに、焼けた甘い匂いが届く。ルークがそちらを見てから、別の屋台へ顔を向けた。
「あれ、食べてみない?」
鉄板の上で、薄いパンが焼かれていた。
店の女が裏返すと、表面についた茶色い焼き目が見える。端へ白いチーズを載せ、その上に鍋からすくった具を重ねていた。
「中には、何が入っているんですか」
エルナが尋ねると、女は鍋を少し傾けて見せてくれた。
「白い茎のところを、細く刻んで煮てあるんだよ。甘くなるまでね。それに、香草を少し」
屋台の奥には、ネギに似た野菜が束ねてあった。白く太い茎から、細い緑の葉が伸びている。
鍋の中では、その白いところが透き通るほどに煮えていた。刻んだ香草の葉も混じっている。
「二つ、お願いします」
ルークが頼んだ。
焼けたパンが折られ、下半分を薄い紙で包んで渡される。エルナも受け取り、通りの端へ寄った。
端を少しかじると、薄い皮が軽く割れた。
中から柔らかなチーズと、甘く煮た野菜が出てくる。あとから、香草の匂いが鼻へ抜けた。
「……おいしいです」
隣を見ると、ルークも口へ運んだところだった。
飲み込んでから、手元のパンを見た。
「うん。これ、いいな。甘いのと、チーズが合う」
もう一口かじると、柔らかな具が端へ寄った。エルナは包みを持ち直し、はみ出しかけたところから食べる。
ルークも同じように、片側を少し持ち上げていた。
「おいしいけど、こぼしそうだな」
「私も、今、危なかったです」
目が合い、二人で少し笑った。
次は小さくかじる。具を包んでいたところは柔らかく、外の焼けたところは香ばしかった。
通りでは、籠を持った人が店から店へ移っていた。
荷を下ろす男の声がして、屋台の女が、次の客へ焼けたパンを渡す。
昼を少し過ぎ、二人は宿へ戻ることにした。
途中で一度角を間違えたが、ルークが小刀を見た店を、エルナが見つけた。そこまで戻って、通りの名を確かめる。
「こっちでしたね」
「うん。この角、覚えとこう」
ルークが看板を見上げた。
エルナもその形を覚え、今度は二人で曲がる角を確かめながら歩いた。
*
宿へ入ると、女将が奥から声を掛けた。
「お帰り。二人に、お届け物を預かってるよ」
差し出された封書の表には、エルナとルークの名があった。
王宮からの返事だと聞き、礼を言って受け取る。
部屋へ上がり、戸に鍵を掛けてから、エルナは封を開いた。
ルークもそばへ来て、一緒に読む。
明日の午後、イネスとヴィオラが時間を取ってくれる。
訪ねる時刻と入口、その時にこの書付を見せてほしいことが記されていた。末尾には、エドガーの名があった。
「……お会いできるんですね」
エルナが顔を上げると、ルークも頷いた。
「うん。明日の午後だな」
エルナは、もう一度二人の名を見た。
イネス。
ヴィオラ。
どんな声で話すのだろう。
こちらが山や道中で見たものを話したら、二人にも思い当たることがあるだろうか。向こうで見てきたものも、聞いてみたかった。
「明日、忘れないように入れておきましょう」
書付を畳み、鞄の内側へ収めた。
そのあと、窓の布を引いて、髪布と腕輪を外す。鞄から紙と筆を出し、机へ置いた。
「このことも、皆さんに知らせたいです」
「うん。明日会ってくるって、書いておこう」
エルナは椅子へ座った。
グレンの名を記し、ニーナ、フィン、バルドにも読んでほしいと添える。
『王都アルヴェンへ、無事に着きました。
二人とも元気にしています。』
続けて、泊まっている宿のことを書いた。
明日の午後、魔女の二人に会えることも伝える。
そこまで書いてから、エルナは少し筆を止めた。
「ギルドの大きさも、書きたいです」
「フィンにも見せたいな。あの依頼の数」
「皆さんと来たら、どこを見るんでしょうね」
ルークは机の上へ目を落とし、少し笑った。
「バルドなら、先に食堂を確かめるかも」
あの卓へ腰を下ろすバルドの姿が浮かび、エルナも笑った。
ギルドの賑わいを書き足し、今日食べたものも、短く記しておく。
「ニーナさんには、髪飾りのお店のことも」
「うん。エルナが見つけたって、書いたら?」
紙へ目を戻すと、伝えたいことが次々に浮かんだ。
全部を細かく書いたら、何枚あっても足りないかもしれない。
食べたものの味は、帰ったらまた話したい。
まだ見ていない通りも、これから知ることもある。
「ルークからも、何か書きますか」
「ああ。少し貸して」
エルナが筆を渡すと、ルークは机へ寄った。空いたところへ、ギルドで見た傭兵の話と、帰ったら旅の話をしようという言葉を書き添える。
筆を返してもらい、エルナは返信を受け取る宛先を、教わったとおりに記した。
二人で読み返し、最後へ名を並べた。
紙の上に、王都の名と、自分たちの名があった。
エルナはそれをもう一度見てから、丁寧に畳んで封をした。
もう一枚、紙を出した。
セレドの研究所にいるヘルマンにも、滞在先が決まったら改めて知らせるつもりでいた。王都へ着いたことと宿の名、返事を受け取る宛先を記す。
こちらも読み返して封をし、二通を重ねた。
外へ出る支度を整え、ルークとギルドへ向かった。
西へ傾いた日が、通りの片側を照らしていた。
入口のそばでは、昨日と違う荷馬車が止まっていた。
中へ入ると、依頼の前にも窓口にも人がいる。エルナは二通の手紙を持ち直し、ルークと列へ並んだ。
順番が来ると、それぞれの宛先を確かめてもらい、料金を払った。
「こちらでお預かりします」
「よろしくお願いします」
机の上へ置かれた手紙から、エルナは手を離した。
一通はラーデンのグレンたちへ、もう一通はセレドのヘルマンへ運ばれる。
外へ出ると、通りにはまだ大勢の人がいた。
エルナは人の間を歩きながら、前に見えてきた看板へ顔を向けた。あの角を曲がれば、麦の穂亭へ続く道になる。
「帰ったら、話すことがたくさんありますね」
「うん。まだ増えそうだな」
隣のルークが笑った。
エルナも頷き、その隣を歩いた。
明日は、二人の魔女に会いに行く。
窓口の多いギルドも、今日食べたものも、その人たちにとっては、よく知っている王都の一部なのだろう。
角を曲がる前に、焼けたものの匂いが届いた。
昼とは違う屋台に、人が集まり始めている。
エルナは少し足を緩めた。
「あそこも、少し見てみませんか」
ルークも屋台へ顔を向けた。
「うん。何を焼いてるんだろう」
二人で、匂いのする方へ歩いた。




