第117話 持ち帰ったもの
「これ、洗ってもいい?」
ミラが、布の上の根を持ち上げた。
エルナは頷き、葉のつけ根を指で押さえる。
「はい。ここの間にも土が入っていますから、少し分けて洗いましょう」
ミラは水を入れた器を引き寄せた。
ピアも、トビに見せていた株を布へ戻す。
「私も」
「じゃあ、こっち。土、落として」
ミラが一株を渡した。
ピアは両手で受け取り、根を水へ浸した。
洗い終えたものから、エルナが葉を落とし、根を切り分けていく。
布の上では束になっていたが、鍋へ入れると底の方へ収まった。エルナは大きな一片を取り出し、もう半分に切った。
ルークが、火の上の串を端へ寄せた。
「肉も、ここから取っていいか」
「はい。少し入れると、おいしくなると思います」
乾かしている途中の肉を、串から幾つか外す。
エルナが小さく切って鍋へ加えると、ルークは空けた場所へ鍋を据えた。
「さっきの木のとこ、まだ残ってたよ」
ラルフが、鍋の中を覗き込んだ。
「小さいのは、採らなかったんだ」
「それ、大きくなるの?」
ピアが顔を上げる。
「なると思う。エルナが、残しとこうって」
ラルフは足元の葉を一枚拾い、切り落としたものと重ねた。
エルナは最後の根を鍋へ入れ、水を足した。
日が低くなるにつれ、家の前にも影が長く延びてきた。
肉の位置を直しながら待っていると、鍋の縁から湯気が上がり始めた。
*
「もう、食べられる?」
ラルフが三度目に尋ねた時、エルナは根の一片へ木の匙を当てた。
押すと、端がほろりと崩れた。
「はい。煮えましたよ」
器が、火のそばへ集まった。
ノアも台の上で脚を引き寄せ、差し出された器を受け取る。青みのある黒い髪が頬へ落ち、彼は手の甲でよけた。
エルナは鍋の底からすくい、それぞれへ根と肉を分けた。
自分の器を持って腰を下ろすと、隣ではピアが匙の上へ息を吹きかけていた。
「熱いから、ゆっくりな」
ルークが言った。
ラルフは口へ運びかけた匙を止め、ピアと同じように吹いた。
エルナも一口含んだ。
肉の味が移った根は、舌で押すと柔らかくほどけた。森の家では、もう少し大きくなったものを煮ることもあった。
「……これ、好き」
ピアが、器の中を覗いた。
「まだある?」
ミラが自分の匙で、ピアの器の底を示した。
小さな一片が、肉の下へ隠れていた。
「あった」
ピアはそれをすくい、今度はよく冷ましてから食べた。
「ただの草だと思ってたんだよ」
ラルフが言うと、トビが器から顔を上げた。
「俺も」
「いつも、あそこ通ってたのにな」
ロイは器を傾け、残った汁を飲んだ。
置いてから、ルークへ目を向ける。
「明日、いつ行く?」
「朝、支度ができたら。肉の様子を見てから行こうか」
「罠?」
ノアが短く尋ねた。
ラルフは頷き、家の裏の方を指した。
「水の道から、ちょっと入ったとこ。平たい石の向こうと、二つに分かれた木の下」
ルークも器を置いた。
「今は仕掛けてあるから、近くを通る時は気をつけてな」
ミラが頷き、ピアにも顔を向けた。
ピアは匙を口から離し、そちらを見て頷き返した。
*
器を洗い終える頃には、空の明るさも薄れていた。
エルナが布で手を拭いていると、ミラが小さな布包みを開いた。中から針と糸を出し、そばへ来たピアの腕を取る。
「ここ、また出てる」
袖口から、糸が一本伸びていた。
ピアはそれを引っ張ろうとしたが、ミラが先に指で押さえた。
「引っ張らないで。もっとほどける」
ピアは手を戻し、腕を差し出した。
ミラは袖の端をつまみ、小さく針を動かす。
火の向こうでは、ラルフが木の棒を持っていた。
昼に習ったように足を置き、振ろうとしたところで、ロイが脇へ置いた薪を指した。ラルフは足元を見て、一歩横へずれた。
ピアがそちらへ身体を向けた。
「まだ」
ミラが袖を引き留める。
「見てただけ」
「腕も動いてる」
ピアは正面へ戻った。
しばらく袖口を見ていたが、やがて顎を少し上げ、また火の向こうを見た。今度は腕を動かさなかった。
エルナは洗った器を重ね、軒下へ置いた。
ミラが糸を切ると、ピアは腕を引き、袖口を裏返して眺めた。
「もういい?」
「いいよ」
ピアは立ち上がり、ラルフの方へ歩いていった。
ミラは針を布へ刺し、包みを畳み始める。
エルナはそのそばへ腰を下ろした。
「ミラ。少し、お話ししてもいいですか」
菫色の目が上がった。
「何?」
「二人で、お話ししたいことがあるんです」
ミラはエルナを見た。
布包みの端を折り込んでから、家の角へ目を向ける。
「あそこなら」
エルナは頷いた。
二人が立つと、ロイが顔を上げた。
「どこ行くんだ」
「そこ。すぐ戻る」
ミラが家の角を指した。
ロイはその先を見てから、二人へ目を戻した。
エルナは鞄を火のそばへ置き、ミラと並んで歩いた。
*
壁の脇には、腰を下ろせる低い石があった。
そこへ座ると、火のそばにいる子供たちが斜め向こうに見えた。ラルフの声も聞こえるが、少し声を落とせば、こちらの話までは届かない。
ミラは布包みを膝へ置いた。
エルナは隣へ座り、彼女へ身体を向けた。
「魔女という言葉を、聞いたことはありますか」
「……魔法を使う人?」
「はい」
ミラは瞬きをした。
エルナは、その目を見たまま続けた。
「私も、魔女なんです」
「エルナも?」
「はい。私を育ててくれた人も、魔女でした」
ミラの視線が、エルナの顔から、髪を覆う布へ動いた。
それから、もう一度目が合った。
「ミラも、私たちと同じ魔女なんです」
布包みを押さえていた指が止まった。
「私が?」
エルナは頷いた。
ミラは膝の上を見たあと、顔を上げた。
「でも、魔法なんて使えないよ。一度も」
「まだ目覚めていないんですね。私も、初めは使えませんでした」
ミラは手元へ目を落とした。
指を少し開き、何も持っていない掌を見ている。
「じゃあ……これから、使えるようになるの?」
「はい。ただ、どんな魔法かは、今の私にも分かりません」
エルナは少し待ち、言葉を継いだ。
「でも、その前に、知っておいてほしいことがあるんです」
ミラが顔を向けた。
「魔法を使う時には、自分の命も使います」
「命?」
「生きられる時間を、使うということです」
ミラの指が、布包みの端をつまんだ。
「……短くなるの?」
「はい」
エルナは頷いた。
ミラは何も言わず、火の方を見た。
ラルフが何か言い、トビが首を横へ振っていた。
ミラの視線が戻るまで、エルナは待った。
「休んでも?」
「魔法を動かす力は、休めば戻ります。魔力というんです。でも、使った命は、休んでも戻りません」
ミラは包みの端を指でならした。
折り込んであった布が、少しずつ平らになる。
「魔法が目覚めると、ここに紋様が現れます」
エルナは服の上から、自分の左胸へ手を添えた。
「命紋といいます。残された命と一緒に、変わっていくものです。年を取ることでも、魔法を使うことでも、この紋様は進んでいきます」
ミラも、自分の胸元へ触れた。
「今は、ないよ」
「まだ魔法が目覚めていないからです。私にも、初めて使ったあとに現れました」
ミラは胸元を押さえたまま、少し黙っていた。
エルナも手を下ろし、膝の上へ重ねた。
「……じゃあ、使わない方がいいの?」
小さな声だった。
エルナはすぐには答えず、ミラの方へ顔を向け直した。
「使うかどうかは、ミラが決めていいことです。ただ、何を使っているのか、知らないままではいてほしくなくて」
ミラの目が、エルナを見た。
「誰かに頼まれた時も、必ず使わなければいけないわけではありません。使いたくない時には、断っていいんです」
ミラはしばらくこちらを見ていた。
それから、胸元の手を膝へ戻した。
エルナは一度、火のそばへ目を向けた。
ルークが串を直している。ロイはその隣に立っていた。
「もう一つだけ、覚えておいてください」
ミラが頷いた。
「魔女を嫌う人もいます。皆がそうではありません。でも、魔法を使えることを、誰にでも話したり、見せたりするのは、気をつけてほしいんです」
ミラは火の方を見た。
ピアがラルフの棒へ手を伸ばし、彼が持つところを教えている。
「皆には?」
「私からは、話しません」
ミラがこちらへ顔を戻した。
「話すかどうかも、いつ話すかも、ミラが決めてください」
布包みを押さえていた手が、少し緩んだ。
ミラは膝の上で包みを持ち直した。
「ルークは、私が魔女だと知っています。そのうえで、一緒に旅をしてくれているんです」
エルナは火のそばの彼を見てから、ミラへ向き直った。
「ルークにも、ミラのことを伝えていいですか」
ミラは、串を置き直しているルークを見た。
彼がロイへ何か尋ね、ロイが薪のそばを指す。
少しして、ミラが小さく頷いた。
「……ルークには、いいよ」
「分かりました」
エルナは答えた。
ミラは布包みを両手で挟み、しばらく膝の上を見ていた。
「今、聞いておきたいことはありますか」
ミラは首を横へ振った。
エルナは頷き、石から立った。
「あとで何か聞きたくなったら、また声を掛けてください。明日も、ここにいますから」
ミラも立ち上がった。
二人で壁の角を回ると、ピアが顔を向けた。
「ミラ、ここ」
袖口を持ち上げ、縫ってもらったところを指す。
「糸、出てない」
ミラはそばへ寄り、袖をつまんだ。
「引っ張らなかったら、出ないよ」
ピアは袖から手を離した。
ミラも指を離し、持っていた包みを軒下へ置いた。
*
子供たちが家へ入る前に、ルークが火へ太い薪を寄せた。
ロイと二人で肉の位置を確かめ、空いていた串を一本、端へ移す。
「夜は、俺が見に来るよ。寝る前と、夜中にも」
ロイは火を見てから、ルークを見上げた。
「昨日の家に、いるんだな」
「そこにいるよ」
ロイは頷いた。
ノアが台から立ち上がり、トビと一緒に戸口へ向かう。エルナは六人が家へ入るのを見てから、ルークと道へ出た。
泊まる家へ戻ると、ルークが炉へ小さな火を起こした。
エルナはそのそばへ鞄を下ろした。ルークも剣を手の届くところへ置き、毛布を広げる。
「ルーク。さっき、ミラと話していたことなんですが」
彼が顔を上げた。
エルナは毛布のそばへ座った。
「ミラは、魔女なんです」
ルークの手が止まった。
エルナへ目を向け、それから隣へ腰を下ろす。
「本人は、知ってた?」
「いいえ。魔法も、まだ使ったことがないそうです。今日、私から伝えました。魔法を使うと命も使うことを」
エルナは膝の上へ手を置いた。
「ルークには話していいと、ミラが言ってくれました。他の皆さんに話すかどうかは、ミラ自身が決めます」
「分かった。俺からも、皆には言わないよ」
ルークは答えた。
エルナは頷き、少し息をついた。
「何から話せばいいのか、迷いました」
ミラが胸元を押さえた手を思い出す。
まだ何も現れていないという、その場所。
「私には、ロザリーが教えてくれました。でも、ミラには……魔女のことを教えてくれる人が、いなかったんですね」
ルークは、エルナの言葉を聞いていた。
やがて、低く答える。
「使えるようになる前に、聞けてよかったと思う。あとから知ったら、自分で決めることもできないから」
エルナは頷いた。
「明日もいるし、聞きたいことができたら、また話せるよ」
「はい」
毛布の端に置かれたルークの手へ、エルナは指を添えた。
彼の指が動き、こちらの手を包んだ。
少しの間、そのままでいた。
「朝は、肉を下ろせそうですね」
「乾き具合を見てから、罠だな。そのあとは、あの子たちに仕掛けてもらおう」
「出る前に、もう一度、一緒に見られますね」
「明後日の朝にな」
エルナは頷き、握っていた手へ指を重ね直した。
「今日は、いろいろありました」
「そうだな。休もうか」
ルークが毛布を引き寄せた。
エルナも手をほどき、隣へ身体を横たえた。
*
翌朝、子供たちの家へ向かうと、ロイが火の前にしゃがんでいた。
串の上の肉は、昨日よりずっと小さく、色も濃くなっている。
エルナは一本を取り、薄い一切れを外した。
端を折って裂けたところを確かめる。中まで湿り気が抜けていた。
「はい。乾いています」
ルークもそばから見て、頷いた。
二人で串を下ろすと、ミラが洗ってあった葉を持ってきた。
「これで包む?」
「熱が取れてからにしましょう。罠から戻ったら、一緒にやりませんか」
ミラは頷き、葉を重ねて置いた。
エルナが洗った板を出すと、そちらを支えてくれる。串から外した肉を、重ならないように広げた。
朝の分を少しずつ分け、水と一緒に口へ入れた。
ピアは肉の端を両手で持ち、少しずつ噛み切っている。
ノアは台に座り、布を巻いた膝を伸ばしていた。
ロイがそばへ屈む。
「歩けそうか」
ノアは脚を少し動かした。
「動かすと、痛い」
「じゃあ、ミラたちと、ここな」
ノアが頷いた。
エルナは残る三人へ行ってきますと声を掛け、ルークとロイたちに続いた。
*
朝の山道には、まだ日陰が多かった。
ラルフは昨日と同じ曲がり角で顔を上げ、その先へ進む。
平たい石が見えると、ロイが足を止めた。
トビもそばへ寄り、道の脇を覗き込む。
細い枝は、昨日しならせた形のままだった。
輪の向こうに、獣の姿はない。
「……いないな」
ラルフが言った。
ルークは屈み、紐と、その下の土を確かめた。
「仕掛けも、動いてないな」
「ここ、通らなかったのかな」
「その跡も、見てみよう」
ルークは子供たちと一緒に、少し離れた土も見た。
エルナも道から覗いたが、重なった落ち葉の間には、小さな窪みが幾つもあった。
「跡はあるけど、昨夜のものかは分からないな」
ルークが立ち、もう一つの罠の方へ顔を向けた。
「次も、確かめようか」
子供たちが歩き出した。
エルナも石を回り込み、その後へ続く。
二つに分かれた木の幹が見えたところで、ラルフの足が止まった。
「あれ」
彼が枝の向こうを指す。
「上がってる」
エルナも目を向けた。
昨日は低く引いてあった枝が、斜め上へ戻っている。その先から下がった紐の下に、灰褐色の毛が見えた。
「かかってる」
トビが、小さく言った。
ロイが半歩前へ出ると、ルークもその横を抜けた。
「そこで待っててな」
子供たちが止まった。
ルークは獲物のそばへ屈み、手を伸ばした。
兎だった。
長い耳が片方、身体に沿って垂れている。もう動いてはいなかった。
ルークは状態を確かめてから、枝を押さえた。
紐を緩め、兎を外す。戻ろうとする枝をゆっくり離すと、葉の間が小さく揺れた。
「ほんとに、かかった!」
ラルフの声が弾んだ。
そばかすの散った顔に笑みが広がり、ルークの持つ兎へ身を寄せる。
トビもそばへ来て、兎を覗き込んだ。
「これ、昨日、俺たちがやった方だ」
トビはそばの木を見てから、ロイを振り返った。
ロイは足元の小枝と、緩められた輪を見比べて頷いた。
ルークは紐を指でたどり、擦れたところがないか確かめた。
「帰って捌こう。そのあと、もう一度仕掛けに来ようか」
「次、俺がやってみる」
ロイが言った。
「枝を留めるとこも」
「いいよ。そばで見てる」
ルークがまとめた紐を差し出すと、ロイは受け取った。
輪を少し引き、動くのを確かめてから、もう一度緩める。
「ミラたちにも、見せよう」
ラルフが兎を見た。
トビも頷き、来た道へ顔を向けた。
ロイは紐を片手へまとめ、道へ戻った。
ルークが獲物を持って続き、エルナも、木の間から差す朝の光の方へ歩き始めた。




