第115話 大人たちが去ったあと
最後の器を洗い終えると、ミラが軒下へ並べた。
ピアも小さな器を一つ運び、置いてから、濡れた指を服で拭こうとした。
「こっち」
ミラが布を差し出す。
ピアは両手で受け取り、指の間まで挟んで拭いた。
エルナも手を拭き、肉を置いた板のそばへ戻った。
ルークは火の両側へ支えの枝を立て、横木を一本ずつ渡すところだった。ロイが二本目の横木を支えている。
「このくらいの高さで、いい?」
「はい。肉は、もっと薄くしますね」
エルナは切り分けてあった肉を取り、細く刃を入れた。
小さな一切れを指先で持ち上げ、厚さを確かめる。
「小さくしておけば、使う時にも取り出しやすいです。これくらいなら、一晩ほどで乾かせると思います」
ルークが覗き込み、頷いた。
エルナは切った分を細い串へ通した。ルークが受け取り、串の両端を二本の横木へ載せた。
「葉っぱ、見に行けるよ」
ラルフが家の角を指した。
「あっちから上がるんだ。石のある坂」
「では、お願いしてもいいですか」
エルナが手を洗っていると、ロイがラルフへ顔を向けた。
「どこまで行くんだ」
「坂の上。さっき言ったとこだよ」
「そこだけで戻れよ」
ラルフが頷いた。
エルナも立ち上がり、ロイへ顔を向ける。
「葉を確かめたら、戻ってきますね」
ロイは答えず、ルークの支える横木へ手を戻した。
*
坂は、家の裏を回った先にあった。
土から頭を出した石を踏み、ラルフが先に上がっていく。
「ここ。ほら、いっぱいある」
大きな木の根元に、葉が重なっていた。
エルナはそばへ屈み、一枚をそっと裏返した。裏は白っぽく、縁には丸い切れ込みがある。
指で葉の厚みも確かめてから、ラルフを見た。
「はい。これです」
「な。あっただろ」
「よく覚えていましたね」
ラルフは木の反対側を覗いた。
「こっちにもある。大きいの、取る?」
「包めるものを、少し集めましょう」
二人で葉を選んだ。
ラルフは一枚採るたびに重ね、エルナが持ってきた布の上へ載せていく。
坂を下り始めると、家々の屋根が見えた。
その手前には、草に埋もれかけた畝が並んでいる。昨日、村へ入る時にも見た畑だった。
「前は、あそこでも作ってたんだよ」
エルナが目を向けていると、ラルフが言った。
「食べるもの、ですか」
「うん。今は、何もないけど」
彼は畑を一度見てから、石を避けて坂を下りた。
エルナも葉の包みを抱え直し、その後を追った。
*
家の前へ戻ると、火の上には肉を通した串が並んでいた。
トビが、ロイに渡された枝を火のそばへ寄せている。ノアは低い台に座り、布を巻いた膝へ手を置いていた。
「あったよ」
ラルフが包みを開き、ミラへ見せた。
エルナは葉を洗い、布の上へ広げていく。
「これも食べるの?」
ピアが一枚を指した。
「これは、肉を包むための葉です。今は、水を切っておきましょう」
ピアは頷き、重なっていた葉を一枚ずつ離してくれた。
「いつもは、どんなものを採っているんですか」
エルナが尋ねると、ラルフがすぐに顔を上げた。
「実とか。根っこも掘るよ。場所、幾つか知ってる」
「水は、もう少し上」
ノアが坂の向こうへ顎を向けた。
ミラも葉を広げながら言う。
「採りに行っても、あんまりない時もある」
「肉は、なかなか捕れないしな」
ラルフは火の上を見た。
「ここ、人が泊まることもあるんだ。パンとか、持ってるから」
ロイが顔を上げた。
ラルフはそちらを見て、口を閉じる。
エルナは、昨日トビが抱えて走っていた包みを思い出した。
坂で教わった畑へ、もう一度目を向ける。
「あの畑では、もう作らないんですか」
「前に、枯れたんだよ」
ロイが答えた。
手にした枝の先を折り、使える方を薪のそばへ置く。
「全部。食えるもの、ほとんどなくなった」
「畑へ行っても、採れなかった」
ラルフが小さく付け足した。
「それで、大人が山へ行くようになって。獣を捕りに」
ロイが続けた。
「怪我して帰ってくるのもいた。そのうち、病気になるやつも出てきた」
ルークが顔を上げた。
肉の位置を直してから、ロイへ目を向ける。
「その人たちは、今は?」
「出てったよ」
「村から?」
「うん。病気がうつるから、ここにいたら駄目だって」
ロイは、折った枝の端を見ていた。
「荷物まとめて、道の方へ歩いてった」
エルナは戸口へ目を向けた。
乾かしてある小さなズボンが、その脇で揺れている。
「皆さんは、一緒には……」
ロイがエルナを見た。
「俺たち、親いなかったから。連れていくやつ、いなかった」
「……その後も、誰も戻らなかったんですか」
「戻ってない。大人が出てったのは、一年半くらい前だよ」
エルナは六人を見た。
ピアが、ミラのそばへ少し寄っている。
「それから、六人で暮らしてきたのか」
ルークの問いに、ロイは首を振った。
「初めは、八人いた」
ミラの手が止まった。
広げかけた葉の端が、指の下で折れている。
「二人、死んだんだ」
ロイが言った。
誰もすぐには話さなかった。
ラルフも火のそばにしゃがんだまま、土へ目を落としていた。
「残って、最初の頃。まだ、食べるもののある場所も、今ほど分かんなくて」
ロイの声は短く切れた。
「二人とも、どんどん痩せた。だんだん、動けなくなって……最後は、寝たままだった」
何か月も経たないうちだったと、ロイは言った。
それ以上は話さなかった。
エルナは、昨日のルークの話を思い出した。
食べるものがなく、動けなくなった子。
病気で亡くなった子。
顔を上げると、ノアは布を巻いた脚を前へ伸ばしていた。
その隣にトビが立ち、ミラのそばにはピアがいる。
何か返そうとしても、すぐには言葉にならなかった。
エルナは膝の上で手を重ねた。
火の中で、枝の端が小さく崩れた。
しばらくして、ミラが指の下の葉を伸ばした。
布の上へ置き直してから、エルナの手元に残った分を見る。
「これも、広げとく?」
「……はい。お願いします」
エルナは包みを開いた。
ミラが受け取り、ピアと二人で並べ始める。
ロイは薪を一本、火へ足した。
ルークも串の位置を変え、熱の届き方を確かめていた。
*
エルナは手を洗い、残った肉を薄く切り始めた。
隣へ座ったミラが、切れた分を串に通していく。
ルークが水の桶のそばへ来た時、エルナも鞄を置いた方へ少し寄った。
「ルーク」
「うん?」
声を落とすと、彼もこちらへ身体を向けた。
「もう少し、ここで手を貸していけませんか」
ルークはエルナを見てから、火のそばへ目を向けた。
「皆さんが採りに行くところを、一緒に歩いてみたいんです。私の知っているものがあれば、教えられますし」
「俺も、罠なら教えられるよ。今日みたいに、追って捕ろうとしなくてもいいやり方がある。小さい獣用だけど」
「皆さんにも、使えそうですか」
「使えると思うよ。場所は、あの子たちの方が詳しいだろうしな。あと二晩いれば、教えたあとで、自分たちでも試してもらえる」
エルナは、戸口のそばに置いた鞄へ目を落とした。
括りつけた毛布は、今朝巻いたままになっている。
「王都へ着くのは、少し遅くなりますね」
「そうだな。でも、俺も、もう少し残っていきたい」
ルークが答えた。
エルナも顔を上げ、小さく頷いた。
「ロイに、聞いてみようか」
「はい」
二人で火のそばへ戻ると、ロイがこちらを見た。
「今、少しいいか」
「何だよ」
「あと二晩、昨日の家を使わせてもらってもいいか」
ロイの眉が寄った。
「今日、出るんじゃなかったのか」
「そのつもりだった。でも、肉を乾かすところまで手伝いたいし、山で採れるものや、罠のやり方も、一緒に試せたらと思って」
エルナもそばへ立った。
「皆さんの知っている場所を、教えてもらえませんか。私も、山で食べられるものを探して暮らしていましたから」
ロイは二人を見た。
それから、布の上へ広げた葉へ目を下ろす。
「罠って、何するんだ」
ルークが答えた。
「獣の通る場所を探して、仕掛けておくんだ。今日の午後に一緒にやって、明日の朝、確かめに行こう。そのあとは君たちで仕掛けてみて、明後日の朝にもう一度見に行ける」
ラルフが立ち上がった。
「俺もやる」
ロイはそちらを一度見てから、ルークへ目を戻した。
「……明後日の朝には、出るんだな」
「明後日の朝に出るよ」
「寝るのは、昨日の家だけだぞ」
「分かった」
「山は、俺たちが案内する」
「頼むよ」
ルークが答えた。
エルナも頷いて、肉を置いた板のそばへ戻った。
*
「ルーク」
ラルフが、少し離れたところから呼んだ。
手には、まっすぐな木の棒があった。
「さっきの、ちょっとだけ、今やれる?」
ルークは火の上を確かめ、それからエルナを見た。
「こっち、少し頼んでもいい?」
「はい。見ています」
彼が立ち上がると、ラルフは家の前の空いた場所へ走っていった。
トビもそちらへ顔を向ける。
「トビ、おいで。見るんだろ」
ルークに呼ばれ、トビが近づいた。
ラルフの棒へ目を向けてから、小さく尋ねる。
「俺も、持っていい?」
「いいよ。まっすぐなやつを、一本選んでみて」
トビが壁際へ向かった。
何本かを見比べてから一本取り、両手で握って戻ってくる。
ルークは二人の間を少し空けさせ、自分も棒を持った。
「振る前に、足を置くところからな」
ラルフは彼の足元を見て、両足を大きく開いた。
ルークが手で幅を示すと、少し戻す。
トビも自分の足を見下ろし、片方を引き直した。
ロイはノアのいる台のそばへ屈み、ルークたちを見ていた。
エルナは火へ顔を戻した。
串の端を持ち、肉の位置を少しずつずらす。
「こう?」
ラルフの声がした。
顔を上げると、トビも隣でルークの構えを真似していた。
ミラが、肉を通した串を差し出した。
エルナは受け取り、横木の間へ並べた。




