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雪の魔女は二度恋をする  作者: 冬灯
第7章 それぞれの魔女
113/128

第113話 誰もいないはずの村


 リゼルを出た日は、夕方までに次の宿場へ着いた。

 その先の便を確かめ、食べるものを買い足しながら、街道を進んだ。


 数日後、教わっていた石橋を渡ると、道の脇に細い道が分かれていた。

 ルークが足を止め、先を見た。


「ここだな。橋を渡ったら、左って言ってた」


 エルナも、草の伸びた道へ目を向けた。

 木々の向こうに、屋根の端が見える。


 今朝出た宿場で、この先に村の跡があると教わった。

 住む人はいなくなったが、屋根の残っている家を旅人が使うことはあるという。寝具も食べ物も、自分たちで用意するようにと言われた。

 その次の宿まで歩けば、着く頃には暗くなる。今日は村跡で休むつもりで、朝に水袋を満たし、食料も確かめてきた。


 昼をとうに過ぎ、日が西へ傾いていた。

 街道を外れると、足元の草が靴へ触れた。

 道の真ん中には土の見えるところもあり、古い車輪の跡が残っている。少し進むと、木々の間から家が幾つか現れた。


 戸が片方だけ残っている家。

 屋根の端が落ち、壁際に板の積もった家。

 その間を通る道にも、草が伸びていた。

 向こうの畑らしいところには、低い畝が残っている。何を育てていたのかは、もう分からなかった。


 ルークが、近くの家の入口へ顔を向けた。


「誰か、いますか」


 返事はなかった。

 窓の向こうでも、何も動かなかった。


 二人で道を少し進むと、入口の開いた家があった。

 屋根は残っている。壁の下の方も、さっきの家ほど崩れていなかった。

 ルークが中を覗き、入口から声を掛ける。


「こっちは、使えそうだよ」


 エルナもそばへ寄った。

 部屋の奥に炉があり、手前には、床板の残っている場所がある。土の出たところには灰が残り、燃えさしの枝が寄せられていた。


「ここで、火を使ったんでしょうか」


「うん。前に泊まった人かな」


 ルークは奥へ入り、床を踏んで確かめた。

 エルナも続いた。壁際には枯れ葉が吹き込んでいるが、床は乾いていた。

 窓には戸板がなく、その下に低い台が残っている。外は、隣の家との間の細い通路だった。


「こっちへ敷けば、二人分、広げられそうです」


 エルナが壁際を示すと、ルークも頷いた。


「俺、外も見てくる。すぐ戻るよ」


「はい。私は、ここを少し片づけますね」


 鞄を戸口の内側へ下ろした。

 外へ括っていた寝具の紐をほどき、敷布と毛布を巻いた束を、その隣へ置く。

 ルークも荷を下ろしてから外へ出た。


 エルナは床の枝を拾い、枯れ葉を入口の方へ掃き寄せた。

 手で払ったところへ掌をつく。細かな砂は残っているが、大きな石や、尖った木片はなくなった。


「ルーク、先に少し食べませんか」


 入口の方から、ルークの返事があった。


「うん。薪になりそうな枝を寄せたら、戻る」


 エルナは鞄を開き、パンの包みを取り出した。

 台の上を布で拭いてから、包みを載せる。水袋も出そうと、もう一度鞄へ手を伸ばした。


 窓の方で、布の擦れる音がした。


 顔を上げると、包みの端が窓枠の向こうへ引かれていた。

 小さな手が見え、すぐに消えた。


「……あ」


 エルナは立ち上がった。

 窓の外を、小さな背中が通り過ぎる。台の上には、拭く時に使った布だけが残っていた。


 取られたのだと分かると、胸のあたりがざわついた。

 これから二人で食べるつもりで、ついさっき取り出したものだった。


「ルーク、パンが……」


 戸口へ出ると、ルークも家の脇へ顔を向けていた。

 隣家との間から、明るい金髪の男の子が飛び出してきた。細い腕に、パンの包みを抱えている。


「ちょっと待って」


 ルークが声を掛けると、男の子の肩が跳ねた。

 けれど足は緩めず、通りを横切っていく。


 ルークは戸口の脇で足を止めた。

 エルナもそばへ寄る。鞄と寝具は、開いた入口のすぐ内側にある。


 男の子が向かう先には、家と家の間に細い通路があった。

 その入口の陰から、別の男の子が顔を出した。パンを抱えた子を見ると、通路の奥へ振り返る。


「ロイ!」


 通路の奥から、長い棒を持った男の子が出てきた。黒髪は短く、不揃いに切られている。

 ロイと呼ばれたその子は、太い眉を寄せて通路の前へ進み出ると、ルークに向けて棒を構えた。先が細く削られている。


「こっち来るな!」


 パンを抱えた子は、ロイの脇をすり抜けた。


「トビ、行け!」


 ロイが叫んだ。

 トビはそのまま通路の奥へ走り、家の角を曲がって見えなくなった。

 ルークは戸口のそばに立ったまま、追わなかった。


「分かった。こっちからは行かない」


 ルークがそう答えても、ロイは棒を下ろさなかった。

 最初にロイを呼んだ子も、家の陰から出てきた。青みを帯びた黒い髪がまっすぐに垂れ、眉に掛かっている。

 手に短い枝を持ち、ロイの斜め後ろへ立つ。トビが逃げていった通路を一度振り返ってから、ルークへ目を戻した。


 エルナは戸口の脇へ少し下がった。

 ロイの構えた棒の先が揺れている。近づけば身体へ届く高さにあり、肩へ力が入った。

 けれど、ロイは通路の前に立ったまま、二人の方へは近づいてこなかった。

 ルークの手は、身体の横に下りたままだった。腰の剣には触れていない。


「俺はルーク。こっちは、エルナ」


 ロイは何も言わなかった。


「王都へ向かってる途中なんだ。今夜は、この村で休もうと思って」


「誰に聞いた」


「今朝出た宿の人に。屋根の残った家で、旅人が泊まることがあるって」


 ロイは、入口の内側へ置いた荷を見た。


「勝手に入んな」


「誰も住んでいないと聞いてたんだ」


「俺たちがいるだろ!」


 声が、家の壁へ当たった。

 ロイは棒を握り、二人の前に立っている。


「ここは、俺たちの村だ」


 ルークは、すぐには答えなかった。

 それから小さく頷いた。


「……そうか。君たちが、ここで暮らしてるんだな」


「そうだよ」


 エルナは、先ほど通ってきた道を見た。

 戸の外れた家も、草の伸びた畑も、誰も使っていないと思っていた。

 その家々の間へ、パンを抱えたトビは迷わず走っていった。ロイたちも、奥へ続く通路の前を離れようとしなかった。


 ロイの服の袖は、手首より短かった。

 片方の肘には別の布が当てられている。棒を握る手には土がつき、指の節が白くなっていた。


「今夜、あの家を使わせてもらってもいいか」


 ルークが尋ねた。

 ロイはすぐには答えず、二人と、戸口の内側にある荷を見比べていた。

 隣の子も短い枝を握ったまま、ルークを見ている。


「……何日いるんだよ」


「今夜一晩。明日の朝には出るつもりだ」


 ロイは隣の子へ顔を寄せ、小さく言葉を交わした。声を落としていて、内容までは分からなかった。

 やがてロイが棒の先を下げ、開いた入口を示した。


「そこだけだぞ」


「分かった」


「奥の家には、入るなよ」


「うん。勝手には入らない」


 エルナも頷いた。


「ありがとうございます。今夜、お借りします」


 ロイはまだ棒を両手に持ち、二人を見ていた。

 隣の子がロイの袖を引く。ロイは足を少し引き、家の間の通路へ下がった。


「ノア、行くぞ」


 枝を持った子が頷いた。

 二人の姿も、やがて建物の陰へ隠れた。


 ルークが戸口へ戻ってきた。

 エルナも部屋へ入り、窓の下の台を見た。

 拭く時に使った布だけが、その上に残っている。


「……パンは」


 ルークが足を止めた。


「うん。あのままで、いい?」


 エルナは、窓から引っ込んだ小さな手を思い出した。

 包みを抱えて走っていた腕も、細かった。


「はい。まだ、こちらにもありますから」


 エルナは鞄の脇へ座り、残っている食料の包みを取り出した。

 ルークも隣へ腰を下ろし、自分の鞄を開く。


「前にも、ああいう子たちに会ったことがあるんですか」


 エルナが尋ねると、ルークは顔を上げた。


「あるよ。傭兵の頃も、冒険者になってからも。仕事で行った町で」


 出しかけていた包みを膝へ置く。


「俺のいた孤児院では、毎日、飯を出してもらえたから。食べ物を探して回ったことはなかった」


 エルナは、一緒に訪ねた建物を思い出した。

 庭で遊ぶ子供たちがいて、部屋には寝台が並んでいた。夕飯の支度をしているところだと、パンを受け取ったイダが話していた。


「でも、外へ出てからは見たよ。食べるものがなくて、動けなくなった子も。病気で、そのまま死んだ子もいた」


 ルークは短く言って、膝の包みを開いた。

 二人の間へ置かれた食べ物に、エルナは目を落とした。

 朝、包みを開いて確かめた時には、今日どれを食べるか、次の宿場まで足りるかを考えていた。

 今は、家々の向こうへ運ばれた分のことも気になっている。


「あのパンも、すぐになくなってしまいますね」


「うん。何人で食べるかも、分からないしな」


 エルナは頷いた。

 三人の男の子がいた。そのうちの二人は、パンを持った子を逃がすために、ここへ残った。

 奥の家へ入るなと言ったロイの顔を思い出す。あの奥には、ほかの子供たちや、一緒に暮らす大人もいるのだろうか。


「明日の朝、出る前に、もう一度声を掛けてみませんか」


「うん。会えたら、少し話してみよう」


「はい」


 さっきは、何と声を掛ければいいのか分からなかった。

 こちらへ向いた棒を見て、エルナも身構えた。ロイたちも、二人が何をするつもりか、ずっと見ていた。

 今は家の間に、誰の姿もない。


 エルナは干し肉を少し切り分け、半分をルークへ渡した。

 彼が食べ始めてから、自分も口へ入れる。水を一口飲み、水袋をルークへ渡した。

 戸口からは、村へ入ってきた道が見えた。

 風が窓から入り、台に置いた布の端を揺らした。


 食べ終えると、エルナは残りを包み直し、水袋と一緒に鞄へ戻した。

 ルークが立ち上がる。


「暗くなる前に、寝るところを用意しておこうか」


「はい」


 ルークが集めてきた枝を炉へ寄せる間に、エルナは寝具を広げた。

 窓から入る光が薄くなった頃、ルークが小さく火を起こした。


 家々の向こうから、何かを置くような音がした。

 エルナは顔を上げたが、戸口から見える道には誰もいなかった。


 やがて外が暗くなり、炉の火が寝具の端を照らすようになった。

 エルナは炉のそばへ座り、毛布を膝へ掛けた。


 あの子たちの眠るところにも、火はあるのだろうか。


 戸口の向こうへ目を向ける。

 ロイたちの消えた通路は、もう暗がりに紛れていた。




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