↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雪の魔女は二度恋をする  作者: 冬灯
第7章 それぞれの魔女
112/128

第112話 峠の向こう


 最初の駅へ着くと、御者が客車の戸を開けた。


「ここで馬を替える。休むなら降りていいが、遠くへは行かないでくれ」


 ルークに続いて地面へ降りた。

 鞄を肩へ掛け直し、エルナは少し膝を伸ばす。客車の前では、厩から出てきた人が馬の手綱を受け取っていた。

 御者が引き具を外す間も、馬はその場に立っている。一本ずつ革の帯が外され、脇へ寄せられた。


「こっちへ寄ろうか」


 ルークと道を空けると、馬が二人の前を通っていった。

 背中には汗の跡がある。厩の方へ顔を向け、手綱を持つ人について歩いていく。


「もう、ご飯でしょうか」


「どうかな。水は、もらえるんじゃないか」


 厩の戸の向こうへ姿が消えた。

 ほどなく、別の馬が引かれてくる。御者が首の辺りへ手を当て、位置を直してから引き具を掛け始めた。

 エルナは、今来た道へ目を向けた。

 ここまで引いてきた馬は休み、次の馬が、この先を進む。


「昨日の馬も、こうして替わるんですね」


「うん。次の駅にも、待ってるんだろうな」


 建物の脇には、水を使える場所があった。

 二人で手を洗い、持ってきたパンを少し食べた。向こうでは護衛の一人が鞍の荷を直し、もう一人が御者と話している。

 声を掛けられて戻る頃には、新しい馬が客車の前に並んでいた。


     *


 その夜は、便の行程で決まっている宿場へ泊まった。

 翌朝も、食事を済ませると客車へ戻る。

 乗り合わせた人と挨拶を交わし、鞄を座席の下へ収めた。


 道は、次第に上りが多くなった。

 車輪が石を踏むたび、座席から身体へ揺れが伝わる。ルークの肩へぶつかりそうになって手をつくと、彼も座り直した。


「大丈夫?」


「はい。今のは、少し大きかったですね」


 窓の外では、先を行く護衛が曲がり角へ入っていく。

 客車から見えなくなってしばらくすると、道の上手に、その姿がまた現れた。


 その日も宿場で一夜を過ごし、三日目の朝を迎えた。

 御者は、今日は峠の関所を通ると教えてくれた。


 馬車が上っていくにつれ、木々の向こうに、空が広く見えるようになった。

 幹の間を埋めていた緑が途切れ、灰色の岩が露出している。低い草の生えた斜面を、細い影が流れていった。

 エルナは窓へ顔を向けたまま、少し身を起こした。


「ルーク、あそこ……」


 彼も窓の方へ寄った。

 道が曲がると、斜面の下に、細く続く道が見えた。その先は木々に隠れ、さらに遠くには、色の薄い山が重なっている。


「ずいぶん、上がってきたな」


「さっきまで通っていた道が、あんな下に見えるんですね」


 車体が揺れ、見えていた道が窓の下へ隠れた。

 エルナは座席へ背を戻した。それでも、顔はしばらく外へ向けていた。


 やがて馬車は、道の脇の広くなった場所で止まった。

 石を積んだ低い囲いの向こうに、水が引かれている。御者から休憩だと聞き、エルナも鞄を持って降りた。


 地面へ立つと、風が頬へ当たった。

 外套の裾を押さえ、ルークと、馬車の通る場所から離れる。道端の平らなところまで行くと、上ってきた道が、今度はゆっくり見られた。

 木々の間から現れ、岩の陰へ消え、また少し下に続いている。


「私の山では、こんなに遠くまで見える場所は、あまりなかったです」


「木が多いものな」


「はい。歩いていると、次の木や、足元のものばかり見ていました」


 採る草や、折れた枝。雨のあとに水の溜まる窪み。

 ここから見えている斜面には、足を踏み入れたことがない。岩の向こうへ続く道も、まだ知らなかった。


「向こうへ下りたら、ここも見上げるんでしょうか」


 ルークが山の先へ目を向けた。


「見えるところがあるかもしれないな」


「その時、分かるといいですね」


「うん。あそこを通ったって」


 エルナは頷き、もう一度道をたどってから、水場へ向かった。


 石の間から流れ込む水が、浅い槽へ溜まっていた。

 溢れた分は端の溝へ流れ、すぐ下の土を濡らしている。エルナは水へ手を浸し、指の間を通る冷たさに、手首までつけ直した。

 溝に沿って、青い草が細く続いていた。乾いた土の見えていた斜面とは違い、ここには小さな葉が幾つも重なっている。

 その緑を眺めているうちに、少し眉を寄せた。


「……エルナ?」


 そばに来たルークへ顔を上げた。

 ほかの客は、少し離れた建物の前で食べ物を広げていた。水場には、二人だけだった。


「ここでも、少し感じます。魔力のことです」


 声を落として伝えると、彼も近くへ寄った。


「前に言ってたのと、同じ?」


「はい。でも、ラーデンを出てから通った森で、濃く感じたところよりは、薄いです」


 ルークも、溝のそばの草へ目を向けた。


「ここは、青いな」


「はい。よく育っているように見えるんですけど……」


 水から手を上げ、布で拭いた。

 草の様子と、この感覚に関わりがあるのかは分からなかった。ただ、ここでも、あの森で気になったものを感じる。


「場所によって、違うんですね」


 ルークは頷き、水場から周りの斜面へ目を移した。

 エルナもその先を見てから、手元の布を畳んだ。


 御者の声がした。

 エルナは布をしまい、ルークと馬車へ戻った。


     *


 峠の関所には、先に二台の馬車が止まっていた。

 道の脇に石造りの建物があり、その前で、槍を持った人が御者と話している。

 荷台の後ろでは、布をめくって中を見せている人もいた。


 客車が止まり、前から御者が声を掛けた。


「証を出せるようにしておいてくれ。順が来たら呼ぶ」


 向かいの男が、上着の内側から小さな袋を取り出した。

 エルナも鞄を膝へ載せ、冒険者証を出す。配達の書付をその下へ重ねた。

 ルークも自分の証を用意していた。


 前の馬車が動き、二人の乗る客車も少し進んだ。

 御者が係の人へ紙を渡し、問いかけに答えている。やがて戸が開き、乗客も降りるように言われた。


 鞄を持って地面へ降りた。

 先に確認を受ける人の後ろで待っていると、ルークがこちらへ少し顔を寄せた。


「書付、出せた?」


「はい。これです」


 重ねた紙を少し持ち上げたところで、係の人に呼ばれた。

 二人で前へ進み、冒険者証を差し出す。


「行き先は?」


「まずリゼルへ。そのあとは、王都へ向かいます」


 ルークが答えた。

 証へ目を落としていた係の人が、二人を見た。


「用向きは」


「知人の紹介で、会いに行く方がいます。それと、リゼルのギルドへ、手紙を届ける仕事を受けています」


 エルナは書付を差し出した。

 係の人は、届け先と期限を確かめてから、鞄へ目を向けた。


「配達物を見せてくれ」


「はい」


 鞄の口を開き、布の包みを取り出した。

 示された台へ載せて紐をほどくと、封をした五通が重なっている。

 係の人は書付と表書きを見比べ、頷いた。


「戻していい」


 手紙を包み直した。

 受け取った書付を出しやすいところへ戻し、鞄を閉じる。冒険者証も返され、エルナはしまう前に、自分のものを確かめた。


 確認を終えた客から、馬車へ戻っていった。

 エルナも乗り込み、ルークの隣へ座る。

 外では係の人が道を空け、先に護衛が進み始めた。


 車輪が動いた。

 窓のそばを石の建物が通り過ぎ、その向こうに、また山の道が続いている。


「……もう、ヴァルディスなんですね」


「うん」


 ルークも外を見ていた。

 岩の間に草が生え、道の端には車輪の跡が残っている。すぐ向こうの曲がり角へ、人が荷車を引いていくのが見えた。


「向こうから来る人も、あそこで確かめるんですね」


「そうだな。俺たちも、帰りに通るかもしれない」


 エルナは、後ろへ遠ざかった建物の方を見た。

 それから前へ向き直り、膝に載せていた鞄を座席の下へ戻した。


     *


 峠を下る道でも、客車は何度も曲がった。

 窓の下に見えていた木々が、いつしか道のすぐ脇へ並ぶようになった。

 宿場で夜を過ごし、翌朝、また馬車へ乗る。


 四日目の午後、畑の向こうに家々が見え始めた。

 道を行く人が増え、車輪の音に、店先からの声が重なる。

 御者がリゼルへ着いたと告げた時、エルナは鞄を足元から引き寄せた。


 乗場へ止まると、膝に包みを抱えていた男が、先に戸から降りていった。

 ルークも外へ出て、振り返る。エルナは鞄を肩へ掛け、段へ足を下ろした。


 脚を伸ばすと、膝の裏が張った。

 少し足を動かしてから、馬のそばへ戻っていた御者へ声を掛ける。


「すみません。ギルドは、どちらでしょうか」


「あの通りをまっすぐ行って、二つ目の角を右だ。看板が出てる」


 示された方を確かめ、二人で礼を言った。

 ルークが自分の鞄を掛け直す。


「先に、届けようか」


「はい」


 教わった通りには、布を広げた店や、籠を並べた店があった。

 エルナは角を数えながら歩いた。右へ曲がった先に看板を見つけ、ルークと戸をくぐる。


 窓口へ寄り、ベルネから手紙を預かってきたと伝えた。

 書付を渡すと、職員が受け取り、棚から帳面を持ってくる。


「こちらでお預かりします。手紙を、お願いします」


 エルナは包みを出した。

 職員と五通を数え、表書きを確かめる。最後の一通が卓へ置かれると、職員は書付へ受領を書き入れた。


「確かに受け取りました。ここから先は、こちらで手配します」


 その言葉を聞いてから、エルナは肩を少し下ろした。

 ルークも、卓に並んだ手紙からこちらへ目を向けた。


「間に合ったな」


「はい。よかったです」


 報酬を受け取り、二人で額を確かめた。

 エルナは硬貨をしまい、手紙を入れていたところの布を畳み直した。鞄の口を結び、肩へ掛け直す。


 続けて、王都へ向かう道について尋ねた。

 職員が地図を広げ、街道と、途中にある宿場を示してくれる。

 次の宿場までは、朝に出れば徒歩でその日のうちに着けるという。そこから先へ向かう便もあるが、この町から乗り継げる次の便は、数日待つことになる。


 ルークが、宿場までの道と、水を足せる場所を確かめた。

 エルナも横から地図を見て、分かれ道の目印を覚える。

 今夜泊まれる宿も教えてもらい、礼を言って窓口を離れた。


     *


 宿の部屋へ入ると、エルナは寝台の脇へ鞄を置いた。

 外へ括っていた敷布と毛布の束も下ろし、壁際へ寄せる。

 ルークも寝具を括った鞄を下ろし、戸へ鍵を掛けた。


 窓の布を引いてから、外套を脱いだ。

 髪布と腕輪を外し、靴を脱いで腰を下ろす。脚を伸ばすと、馬車の中では縮めていた足首まで、ゆっくり動かせた。


 つま先を上げたり下げたりしてから、両足を床へ戻した。

 向かいの寝台では、ルークも靴を脱いでいた。脚を伸ばしてひと息つき、鞄へ手を伸ばす。


「明日は、歩いてみようか」


「次の宿場まで、ですね」


「うん。朝に出れば、明るいうちに着けるって言ってたし。そこで、先の便も聞ける」


「パンは、朝に買い足したいです。残りが、もう少ないので」


「俺も。それと、水だな」


 エルナは自分の鞄を開いた。

 食べ物を包む布を出し、残った干し肉を確かめた。


「久しぶりに、一日歩きますね」


「足、痛くなってない?」


「今は、大丈夫です。座っていたので、少し伸ばしたいくらいです」


 ルークも頷き、取り出した食べ物を包み直した。


「俺も。明日は、途中でちゃんと休もう」


「はい」


 荷を整え、エルナは髪を布へ収め直した。腕輪を戻し、外套を着てフードをかぶってから、二人で夕食へ下りた。

 宿代と食事代には、受け取った報酬の一部を充てられた。エルナは温かい器へ手を添え、卓の下で足の位置を変えた。

 向かいのルークも、ゆっくり椅子へ座り直している。


「……関所、思っていたより、人がいました」


「荷馬車も待ってたな」


「はい。私たちの後ろにも、来ていましたね」


 順を待っていた車輪と、荷を見せるために持ち上げられた布を思い出した。

 あの道を行く人も、戻っていく人もいる。自分たちも、あそこで証を見せて、山のこちら側へ下りてきた。


「上から見た道、あんなに曲がってたんですね」


「乗ってると、次が見えないものな」


「馬車だと、見ているうちに通り過ぎてしまいますね」


「うん。もう少し見たくても、止まれないしな」


「明日は、気になったところで足を止められますね」


 ルークは匙を置き、こちらを見た。


「何か見つけたら、教えて。俺も見たい」


「はい」


 エルナは頷いた。

 馬車の窓から見ていた草も、明日は近くで見られる。道端に知っているものがあったら、ルークにも見せたいと思った。


 食べ終わったら、今夜は早く休もうと話した。

 明日の朝は、水を汲み、パンを買ってから町を出る。

 エルナは器を引き寄せ、もうひと口、温かいうちに食べた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。