第110話 荷馬車の向かう先
「オットー、こっちへ入れてくれ」
店先にいた男が、戸を大きく開けた。
御者席の商人が手を上げ、馬車を道の脇へ寄せていく。前を歩いていた護衛の二人が脇へ寄り、馬車を通した。後ろからついてきた二人も、一人は馬のそばへ、もう一人は道の方へ立つ。
「ここで少し下ろす。二人とも、いったん下りてくれるか」
「はい」
エルナはルークと荷台を下り、店の軒先へ寄った。
オットーが、二人の座っていた場所の隣から包みを引き出す。出発前に、動かさないようにと言われたものだった。
紐をほどくと、畳まれた布が見えた。店の男が端を持ち上げ、指で厚みを確かめる。その隣へ、小さな包みも並べられた。
「針と糸は、こっちだ。頼まれた分は入ってる」
「助かるよ。もう残りが少なくてな」
男が品物を店の奥へ運び、代わりに、大きな袋を一つ持ってきた。
置いた拍子に、中の豆が乾いた音を立てる。
オットーは袋の口を開いて中を確かめた。それから、店の奥へ顔を向ける。
「もう一袋は?」
「今日は、これだけなんだ」
男は、置いた袋へ手を載せた。
「集まる分が減っててな。どこの家も、自分たちが食べる分は残さないといけない」
「そうか。二袋あると思って、場所を空けてきたんだが」
「悪いな」
「ある分だけでいい。次の村でも聞いてみるよ」
オットーは袋の口を結び直した。
布と日用品の代金を受け取り、豆の分を払う。店の男が帳面へ書きつけている間に、護衛の一人が袋を荷台へ運んだ。
「ここへ寄せとくぞ」
「ああ。次で買えれば、隣へ積む」
袋の脇には、もう一つ置けるだけの隙間があった。
オットーが財布をしまうのを待って、エルナは声を掛けた。
「今回だけ、少ないんですか」
「このところ、予定ほど買えないことが増えてな。一つの村で揃わなければ、寄るところを増やすこともある」
彼は、二人が座っていた辺りを見た。
「前は、その辺まで袋を積んでたんだよ」
エルナも荷台へ目を向けた。
自分の鞄を置き、ルークと並んで座っていた場所だった。
「前にも、私たちみたいに乗せたことがあるんですか」
「何度かな。空けたままより、運賃が入る方がいいからな。村へ届けるものはあるし、ベルネにも行く。道が合うなら、乗ってもらえばいい」
「次の村では、豆が揃いそうですか」
ルークが尋ねる。
「行ってみないとな。積む場所は空けとくが」
オットーは店の男と、次に来る頃の話をした。それが済むと、こちらへ振り向いた。
「待たせたな。そろそろ行こう」
エルナは荷台へ戻った。
前はここにも、豆の袋が積んであった。腰を下ろすと、膝の前には、足を動かせるだけの場所が残っている。
店で受け取った袋は、少し奥へ寄せてあった。その隣も、まだ空いていた。
薬草が思うほど採れず、別の斜面を見に回った日のことを思い出した。採れた分だけを籠へ入れ、町へ持っていく分を家で確かめた。
オットーも、揃わない分を次の村で探しながら、この便を続けている。
ルークがそばへ座る。御者席では、オットーが次の村までの道を護衛と話していた。
その日は、日が落ちる前に街道沿いの宿へ着いた。
夕食を済ませ、二人で借りた部屋へ荷を運ぶ。翌朝も早く出ると聞き、食べ物の包みを確かめてから、それぞれの寝台へ入った。
*
朝食のあと、宿の裏手で水を汲ませてもらった。
井戸から上げた水は冷たく、水袋へ注ぐ時、口を支えた指先がひやりとした。
エルナは栓をし、残りの荷を取りに部屋へ戻った。
ルークが戸を閉め、寝台の脇から鞄を取り上げる。
エルナは卓へ水袋を置き、両手を添えた。
今の冷たさが、あとまで残ってくれたら。
以前、器の水に試した時のことを思い出し、汲んだばかりの冷たさを保つように意識する。
何かをそっと押さえたような、淡い手応えがあった。
熱が流れていく感じはしない。
「今、やってみた?」
顔を上げると、ルークが手元を見ていた。
「はい。次に休む時、飲んでみましょう」
「じゃあ、俺にも分けて」
「もちろんです」
エルナは笑い、水袋を鞄の取り出しやすいところへ収めた。
忘れ物がないか確かめ、二人で部屋を出る。階下では、オットーが宿の主人と話していた。
*
日が高くなるにつれ、荷台の板も温まってきた。
風の止まるところでは、フードの中に熱がこもる。エルナは揺れに合わせて座り直し、道の先にある木陰を見ていた。
「ここで馬を休ませるぞ」
オットーの声がして、馬車が道の脇へ寄った。
エルナも地面へ下りる。膝を曲げ伸ばしすると、同じ姿勢でいた脚が少し楽になった。
護衛たちは馬のそばへ行き、荷の縄も確かめている。エルナは鞄を持って木陰へ入り、根を避けて腰を下ろした。
ルークも隣へ座り、脚を伸ばす。
朝の水袋を取り出した。
栓を外し、一口含んで、エルナは思わず袋へ目を落とした。
冷たい。
舌に触れ、喉を通っていく水には、汲んだばかりのような冷たさが残っていた。
「……まだ、冷たいです」
ルークへ顔を向け、水袋を差し出す。
「ルークも、どうぞ」
「うん」
彼も口をつけた。一口飲んでから、少し袋を離す。
「……ほんとだ。これ、今飲めるのはいいな」
エルナは頷いた。
木陰へ入っても、頬や首には、まだ暑さが残っている。もう一度飲みたくなり、戻ってきた袋へ口をつけた。
今度は、少し長く飲む。
「おいしいですね」
「うん。もう一口もらっていい?」
「はい」
ルークへ渡してから、エルナは干し肉の包みを開いた。隣では、彼がパンを二つに割っている。
半分を受け取り、膝の上へ置いた。
風が枝を揺らし、汗の残る頬を冷やした。木陰の外では、馬が首を下げて草を食んでいる。オットーも御者席から下り、護衛と食べ物を広げていた。
「次は、少し歩いてから乗ろうかな」
ルークが、伸ばした脚を見て言った。
「ずっと座ってると、脚が固まる」
「私も、少し歩きたいです」
「じゃあ、一緒に歩こう」
エルナは頷き、パンをかじった。
戻ってきた水袋は、二人の間へ置く。もう少し食べたら、また一口飲みたかった。
食べ物をしまい、鞄を荷台へ戻してから、エルナはオットーへ声を掛けた。
「少し、歩いてもいいですか」
「いいよ。乗りたくなったら言ってくれ」
オットーが御者席へ上がり、護衛たちも道へ戻る。
動き出した荷馬車の脇を、ルークと歩いた。土の上で脚を伸ばすと、膝の裏の強張りが少しずつほどけていった。
車輪が石を踏み、荷台が小さく揺れる。エルナはそこに置いた自分の鞄を見てから、前へ目を戻した。
「どう? 少し楽になった?」
「はい。ルークは?」
「俺も。もう少し歩いてようか」
エルナは頷き、隣に並んだ。
しばらく、口を開かずに歩いた。道の曲がり角を過ぎると家の屋根が見え始め、前の護衛が、店先にいる人へ手を上げた。
オットーが馬車を寄せる。エルナたちも足を止め、店の前へ入った。
「今日は、豆はあるか」
「少しならあるよ。持っていくかい」
「見せてくれ」
店の人が奥へ入り、護衛たちは下ろす荷の縄をほどき始めた。
エルナはルークと軒先へ寄った。昨日も、こうして布の包みが店へ運ばれていくのを見ていた。
今度は、そのあとに豆の袋が出てきた。
「買えそうだな」
ルークが小さな声で言った。
エルナも頷き、オットーが袋の中を確かめるのを見た。
店の人と値の話をし、代金を渡す。それが済むと、背の高い護衛が袋を持ち上げた。
「昨日、空けたところへ入れるぞ」
「ああ。明日下ろす包みは、手前へ寄せてくれ」
もう一人の護衛が包みを動かし、その奥へ豆の袋が収まった。
最初の村で空いていたところが、埋まっている。
オットーは荷台へ手をついて、積み直した荷を見た。
「これで少し足せたな」
次に下ろすものの場所を確かめ、縄を掛け直す。二人も呼ばれ、自分たちの場所へ戻った。
膝の前には、さっきまでなかった袋が見えた。エルナは鞄を引き寄せ、ルークと座る場所を整えた。
夕方、宿へ着いて荷台を下りる時にも、オットーたちは翌朝下ろす品物の話をしていた。
エルナは自分の鞄を受け取り、宿の中へ運んだ。食事の時に明朝の出発を確かめ、部屋では、昼に開いた食べ物の包みをまとめ直した。
*
翌朝に寄った村では、店の人が近くの井戸を教えてくれた。
昨日、手前へ寄せた包みが店へ運ばれていく間に、二人は教えられた井戸へ向かった。
井戸のそばには、桶を持った人が二人いた。エルナも後ろへ並び、水が桶へ移される音を聞きながら順番を待った。
その間に、ルークは護衛の一人と、畑へ続く道の方へ寄っていた。二人とも、足元へ目を向けている。
「どうぞ」
最後の一人が桶を抱え、井戸の前を空けてくれた。
エルナは礼を言い、水を汲んだ。
自分の水袋の栓をしているところへ、ルークが戻ってくる。
「あっちに猪の跡があった。夜になると、畑まで来るんだって」
彼は、さっき立っていた方を示した。
「さっきの護衛の人が、前に寄った時に店の人から聞いたんだって。柵も直したらしい」
エルナは道の向こうを見た。
畑の端を囲む柵には、一部分だけ、色の明るい横木が渡されていた。隣の木は雨や日にさらされた色をしていて、そこを替えたのだと分かる。
「あそこでしょうか」
「うん。見に行ったら、脇の草も踏まれてた」
柵の向こうには畝が続いていた。鍬を持っていた人が、端に置いた桶のところへ歩いていく。
エルナはその姿を見てから、水を汲む場所をルークへ譲った。
ルークも水袋へ水を注ぎ、栓をして鞄へ戻した。
店先では、オットーが受け取った品物を数えている。護衛に呼ばれ、二人も馬車の方へ戻った。
今度は、エルナも柵の脇へ目を向けた。草の倒れたところが、道に近い場所まで続いていた。
*
四日目は、緩い坂の続く道を通った。
朝のうちは荷馬車の脇を歩き、日が上がると荷台へ戻る。途中の坂で、エルナは山でも採っている薬草を見つけ、ルークへ示していた。小さな葉が、道の端に寄るように生えていた。
昼前、水を汲める場所へ寄った。
岩の間から流れ出した水が、浅い窪みへ落ちている。器を差し入れると、水はすぐに縁までたまった。
エルナは水袋を満たしてから、そばに生えている草へ目を留めた。
しゃがんで葉を見る。坂にあったものと同じ草だが、ここの株は葉が大きく広がっていた。
「何かあった?」
ルークが隣へ来て、鞄を下ろした。
「さっきの坂にもあった草です。ここのは、葉が大きいんです」
「同じやつ?」
彼も身をかがめる。エルナは葉の端へ指を添え、隠れていた下の葉も見えるように、少し持ち上げた。
「はい。あっちは、もっと小さかったですよね」
「うん。こっちの方が、背も高いな」
草の根元には湿った土が残っていた。少し離れたところには、葉の小さい株もある。エルナはそちらも見てから、指を離した。
「山でも、この草を採るの?」
「はい。家へ帰る道の途中にも、まとまって生えています。よく見る草なので、すぐに分かりました」
知らない道を進んできた先にも、家のそばで見ていた草があった。
水を汲んだら戻るつもりだったが、周りにも生えているのか、もう少し見たくなった。
エルナが目を向けた先を、ルークも見ていた。
「帰ったら、また一緒に採りに行こうか」
「はい。今度は、ほかの場所にも行ってみましょう」
前に一緒に歩いた斜面を思い出した。
あの時のルークは、杖を持ち、少し左脚を庇ってついてきた。今は、しゃがんだところから立ち上がり、鞄を肩へ戻している。
エルナも立ち上がり、自分の鞄を持った。
「戻りましょうか」
「うん」
水場を離れる途中、ルークが道の脇を指した。
「こっちにもある。これも、そうだよな」
「はい。それも同じ草です」
二人で足元へ目を向けながら、馬車の待つ道へ戻った。
その夕方に泊まった宿では、食事を終える頃、オットーが翌日の話をした。
「明日は、昼過ぎにはベルネへ入れるな」
エルナは顔を上げた。
朝、宿の前へ荷を運び、商いの間は馬車を下りて待つ。夕方には自分の鞄を受け取り、次の宿へ入る。この数日で、この便の一日の流れに馴染んできていた。
明日、荷を下ろせば、この便とはそこで別れる。
「ベルネへ着いたら、すぐに戻るんですか」
「向こうで仕入れるものもあるからな。何日かはいるよ」
隣の卓にいた、背の高い護衛が顔を向けた。
「明日の夕飯は、あの店で食うか」
「荷を渡してからな」
「それは分かってる」
別の護衛が笑った。オットーも笑い、食器を持って立ち上がる。
エルナはルークと部屋へ戻った。
荷を開くと、セレドで買った干し肉の包みは小さくなっていた。途中で買い足したパンをその隣へ入れ、残っている分をルークと確かめる。
朝食を済ませて水を汲んだら、また宿の前へ行く。明日の分を出しやすいところへ収め、エルナは鞄を閉じた。
*
セレドを出て五日目、道の先に家々が増えてきた。
空の荷車とすれ違い、こちらと同じ方へ進む馬車の後ろにつく。店先には袋や籠が並び、それを奥へ運ぶ人がいた。
「ベルネだ。あの店まで行ったら、そこで降りてくれ」
オットーが、通りの先を示した。
エルナは鞄を手元へ寄せ、荷台から店先を見た。大きく開けた戸の前で、荷を受け取る人たちが待っている。
馬車が止まると、一人が御者席へ声を掛けた。
「オットー、今日は豆もあるか」
「あるよ。今、下ろす」
護衛が荷の縄をほどき始める。
ルークが先に下り、エルナの鞄を受け取ってくれた。エルナも地面へ下り、自分の鞄を肩へ掛ける。
オットーは店の人と二言三言交わしてから、こちらへ来た。
「ここまでだな」
「はい。五日間、ありがとうございました」
エルナは頭を下げた。ルークも礼を言い、荷を下ろしている護衛たちへ顔を向ける。
「皆さんも、ありがとうございました」
「この先も、気をつけてな」
近くにいた一人が応じた。道の向こう側からも、こちらへ手が上がった。
エルナは会釈を返し、オットーへ尋ねる。
「この近くで、泊まれるところはありますか」
「この通りを行って、次の角を右だ。少し先に宿がある。食事も出るよ」
「ありがとうございます。行ってみます」
店の方から、袋を下ろす順を尋ねる声がした。
オットーが振り向き、荷台の奥を示す。
「先に、そっちの分を頼む。数はここに書いてある」
帳面を開く彼のそばを離れ、エルナはルークと通りへ出た。
「まず、宿を探そうか」
「はい。荷物を置いたら、ギルドにも寄ってみたいです」
「うん。リゼル行きの便も聞いておこう。行き先の合う依頼があるかも、見てみたいな」
「日にちも、一緒に確かめましょう」
前から荷車が来て、二人は道の端へ寄った。
背後では、オットーと店の人が、豆の袋を前に話している。
エルナは鞄の肩紐を直し、教えられた角へ目を向けた。
荷車が通り過ぎるのを待って、ルークと宿のある通りへ入った。




