第109話 便りを託して
「明日の朝、ベルネへ向かう荷馬車が出るそうです」
役所を訪ねた翌朝、ギルドの窓口で、職員が一枚の紙を差し出した。
「商品を運ぶ商人の馬車ですが、お二人も乗せていただけると。こちらが、集合場所です」
エルナはルークと紙を覗いた。出発の時刻と、待ち合わせる場所が書かれている。
「この便で、行こうか」
「はい。今日中に、支度を済ませられますね」
ルークが職員へ返事を伝えると、小さな包みも差し出された。
「ベルネまでの運賃も、お預かりしています。お二人分です」
昨日、マリエラが餞別にと言ってくれたものだった。
受け取って中を確かめ、エルナは顔を上げた。
「ありがとうございます。マリエラ様にも、お礼をお伝えいただけますか」
「はい。承ります」
ルークも礼を言い、続けて尋ねた。
「ベルネへ向かう街道で、獣や魔獣の新しい目撃はありますか」
職員は手元の記録を開いた。
「あります。多いのは普通の獣ですが、人家や畑の近くへ出てきたという知らせが増えています。魔獣の目撃も、何件か届いていますよ」
報告のあった場所を、順に教えてもらう。
街道のどちら側なのか。村からどのくらい離れていたのか。ルークが尋ね、エルナも一緒に聞いた。
「火を出す個体については、どうですか」
「その方面から届いているものには、今のところありません」
「わかりました。ありがとうございます」
ルークが頷く。エルナも、教えられた場所をもう一度確かめた。
この先にも、畑のそばへ獣が出てくる村がある。そこを通って、ベルネへ向かうことになる。
「それから、手紙も送れますか。ラーデン方面へ、出したいんです」
エルナが尋ねると、職員は別の紙を手元へ寄せた。
「ギルド同士で書類や書物を送る便がありますから、一緒にお預かりできます」
「私の家主への分は、ラーデンから、もう一つ先の町になるんですが」
町の名と、道具屋の場所を伝えた。職員は取り次ぎ方を確かめ、宛先を詳しく書いてくれればよいと教えてくれた。
料金を聞き、明朝持ってくることにする。
ヘルマンへも、二人がヴァルディスへ向かうことを伝えてもらうよう頼んだ。便りを受け取れる滞在先が決まったら、改めて知らせる。
窓口を離れる時、ルークが出発の時刻を記した紙を畳んだ。
「食べ物と、手紙に使うものを買って帰ろうか」
「はい」
明日の朝には、この町を出る。
エルナは鞄の肩紐を直し、ルークと外へ出た。
*
干し肉と、日持ちするパンを買い足した。途中で買える分も考え、ベルネまで持っていく量を選ぶ。
紙と筆も買い、宿へ戻ると、主人へ明朝出発することを伝えた。
部屋では、買った包みを二人の鞄へ分けて収めた。
「こっちの包みは、上へ入れておきますね。休んだ時に出せるように」
「うん。残りは、俺の方へ入る」
ルークが鞄を寄せる。エルナは干し肉の包みを渡し、自分の鞄の口を結んだ。
持ち上げて、肩へ掛ける。紐の長さを少し直し、寝台の脇へ下ろした。
机の上には、まだ白い紙が重なっていた。
*
夕食のあと、部屋へ戻って鍵を掛けた。
窓の布を引き、髪布をほどく。腕輪も外してから、エルナは机へ向かった。
紙の上へ、グレンの名を書く。ニーナにも、フィンにも、バルドにも読んでもらう一通だった。
「研究所で聞けたことから、書きますね」
「うん」
ルークはそばへ来て、机へ手をついた。
エルナは、鹿の図を見せてもらったことを書き始めた。
細い脚と長い首。その脇に記されていた身体の大きさを思い出す。
「小鹿と聞いて、もっと小さい姿を思い浮かべていました。あんなに大きかったことも、伝えたいです」
「俺も驚いた。普通の鹿型魔獣より大きいのに、まだ育つ途中なんだもんな」
エルナは頷き、そのことを書き足した。
ニーナにあの図を見せられたら、今度は彼女が気づいたことも聞けたかもしれない。
「水場の記録も、グレンたちに知らせておきたいな」
ルークが言った。
「あの鹿が出た地方でも、流れが細くなってたって話」
「はい。それも、書いておきましょう」
鹿が下りてきた山そのものの記録ではなかった。水が減り始めた時期も、魔獣の出現と比べられないと聞いている。
そのことも添え、エルナは筆を動かした。
猪の牙は、話を聞いた時にはまだ調べている途中だった。山の水や薬草、道中で見た畑については、こちらからも話を残せた。
続けて、これからの行き先を記した。
『ラーデンへ戻る前に、ルークと二人でヴァルディスへ行ってみることにしました。向こうにいる魔女のお二人にも、水や草木、魔獣の様子を聞いてみたいです。』
王都までは、ここから三週間ほどかかると聞いた。その道のりについても書いておく。
「……フィンに、どこまで行くんだって言われそうだな」
ルークの声に、エルナは顔を上げた。
彼は、紙にある国の名を見ていた。口元が少し緩んでいる。
「最初は、セレドまでのつもりでしたね」
「うん。四人も、俺たちが戻るのは、そのあとだと思ってるだろうし」
帰りの馬車を見送った朝を思い出す。
またラーデンで、と言って別れた。その日が、思っていたより先になる。
エルナは紙へ目を戻し、筆を持ち直した。
次の行へ移ろうとして、ニーナが袋から取り出した、小さな輪と板が浮かんだ。
「ニーナの金具、うまく使えるといいですね」
「点検具を小さくするやつ?」
「はい。帰って試すのを、楽しみにしているみたいでしたから」
指先で輪の向きを変えていた顔を思い出す。何がどう変わるのか、エルナには分からなかった。それでも、出来たものは見せてもらいたかった。
「戻った時に、また見せてほしいって、書いておきます」
「俺にも見せてほしいって、書いといて」
エルナは笑い、もう一度筆を動かした。
そのあとへ、ゆっくりと言葉を継いでいく。
『二人とも元気にしています。
帰るのはまだ先になりそうですが、戻ったら、また皆さんとお話ししたいです。
落ち着いたら、また手紙を書きます。』
書き終えてから、最初の行へ目を戻した。
「読んでもらえますか」
「うん」
ルークへ紙を渡す。
彼が目を通している間、エルナは机の端へ寄せてあった髪布を畳み直した。
「俺からも、フィンに一言書いておこうかな」
ルークが顔を上げた。
「はい。お願いします」
エルナは笑って、筆を差し出した。
ルークは紙を机へ戻し、少し身をかがめた。エルナが書いた文章の下へ、短く書き添える。
『フィン、戻ったら飲もう。今度は俺が酒場を探す。』
筆を返してもらい、エルナはその下に自分の名を記した。
もう一度筆を差し出すと、ルークも隣へ名を書き添えた。
二つの名が並んだ紙を、エルナは机の端へ寄せた。
*
ルークへ椅子を譲り、次の紙を出した。
彼はグレタへ、帰りが先になることを書き始めた。今の部屋は、そのまま借りていたいと伝える。
エルナも、山の家の貸主へ送る便りを手元へ寄せた。
「孤児院にも、帰りが遅くなることは知らせておきたいな」
ルークが、筆を置いて言った。
「グレンに、マルタさんへ伝えてもらおうか。ハンスたちにも」
「はい。お願いしましょう」
エルナは、グレンたちへの手紙を取った。机の脇に立ち、空いた端へ紙を置く。
ルークが置いた筆を取り、署名の下へ伝言を書き添えながら、孤児院の庭を思い出す。帰る時、ダンがルークの袖を掴んでいた。そのそばへ、エミも来ていた。
エルナも、と尋ねられ、また来ると答えた。
「私も、また伺いたいです」
ルークを見ると、彼がこちらへ顔を向けた。
「うん。また一緒に行こう」
「ダンは、次は自分から投げるって言っていましたね」
「ああ。顔を見たら、すぐ球を持ってきそうだな」
ルークが笑った。
待ちきれずに手を伸ばしていた姿を思い出し、エルナも笑う。エミも、またそばへ来てくれるだろうか。
伝言を書き終え、筆を机へ戻した。
ルークが自分の手紙を読み返してから立つ。エルナも代わって椅子へ座り、貸主への便りを書いた。
セレドから、さらに遠い国へ向かうこと。帰るまでは長くかかるが、小屋は引き続き借りていたいこと。
宛先には町の名と、道具屋の場所を詳しく記した。
三通をそれぞれ畳み、封をする。
机の上を片づけてから、エルナは、手紙を鞄の取り出しやすいところへ収めた。
ルークは、もう一度出発の時刻を確かめていた。
「朝飯を食べて、ギルドへ寄っても、間に合うな」
「はい。私の方も、もう済みました」
彼が紙をしまい、寝台の端へ腰を下ろす。
エルナもそばへ行き、隣へ座った。肩へ寄ると、ルークの手が背中に添えられる。
しばらく、そのままでいた。
机の上で紙を動かす音も、もうしなかった。廊下の向こうで戸が閉まり、階段を下りる足音が遠ざかる。
ルークへ顔を向けると、彼もこちらを見た。
エルナは少し顔を近づけ、短く口づけた。離れたあとも、肩を預けたままでいた。
「そろそろ、寝ましょうか」
「うん。明日は早いからな」
エルナは彼の肩から身体を離し、自分の寝台へ戻った。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
横になると、少しして、向こうでも寝台の軋む音がした。
*
翌朝、食事を済ませ、水袋を満たした。
髪を布へ収め、腕輪を戻す。外套を着てフードを被ると、ルークも剣を腰へ下げ、荷を持ち上げた。
エルナは机と寝台の脇を見てから、鞄を肩へ掛けた。
鍵を返すと、主人が受け取って頷いた。
「気をつけてな」
「はい。お世話になりました」
宿を出て、ギルドへ向かう。
窓口へ三通の手紙を差し出し、料金を払った。職員が宛先を確かめ、ラーデンへ送るものと、その先へ取り次ぐものを分けて置く。
「次の便で、お送りします」
「よろしくお願いします」
机へ置かれた手紙を見る。
あの図の話も、水の記録も、戻ってから皆に話すつもりだった。こうして、会う前にも伝えておける。
行き先も、二人で元気にしていることも、一緒に届けてもらえる。
エルナは礼を言い、ルークと窓口を離れた。
*
集合場所では、荷を運ぶ男たちが、馬車のそばで声を掛け合っていた。
昨日聞いた商人を訪ね、名を伝える。
「ベルネまでの二人だな。こっちへ乗ってくれ」
荷台の一角を示された。
途中の泊まり方と、水を補給できる場所を確かめ、運賃を払う。商人は荷の縄を引き直し、こちらへ顔を向けた。
「鞄は足元へ置いていい。そこの包みは動かさないでくれよ」
「わかりました」
エルナは鞄を載せ、荷台の縁へ手を掛けた。
ルークが手を差し出してくれる。
その手を借りて上がり、示された場所へ荷を寄せた。ルークも続いて乗り、隣へ腰を落ち着ける。
商人が最後の荷を確かめ、御者席へ上がった。
手綱が動く。
車輪が回り始めると、エルナは荷台の縁へ手をついた。
通りに並ぶ店先が、ゆっくりと後ろへ流れていく。戸を開ける人がいて、空の籠を抱えた人が道を渡っていった。
初めてここへ来た時には、研究所へ届ける試料を積んでいた。
鞄の内側には、マリエラから受け取った紹介状が入っている。
町並みが途切れると、空が広く見えた。
道沿いの畑の向こうに、林が見えた。
馬車が少し揺れ、隣のルークと肩が触れた。エルナは彼へ顔を向ける。
「気になるものがあったら、教えてくださいね」
ルークがこちらを見る。
「うん。エルナも、何か見つけたら教えて」
「はい」
エルナは笑い、彼の手へ触れた。
開いた手に指を重ねると、握り返してくれた。
知らない町があり、そこで暮らしている人たちがいる。畑や水場を見せてもらえるところも、あるかもしれない。
今はまだ聞けていない話を、ルークと一緒に聞きに行く。
エルナは繋いだ手をそのままに、街道の先へ目を向けた。
セレドを離れた荷馬車が、街道を進んでいった。
第6章、ここまでありがとうございました!
仲間たちと過ごした時間や、新しい街での出会いを通して、エルナの世界も少しずつ広がってきました。
次章では、ルークと二人、さらに遠い土地へ向かいます。
第7章もお楽しみに!




