第107話 長い旅
ギルドの掲示板の前には、依頼を見ている人たちがいた。
ルークと手を離し、エルナは空いている窓口へ向かった。
「少し、道のことを教えていただけますか。ヴァルディスの王都へ行くには、どこを通るんでしょうか」
「王都アルヴェンですね。少々お待ちください」
職員が奥から地図を持ってきた。卓へ広げられると、エルナも身を寄せる。
町の名があり、その間を道が結んでいた。職員の指が、セレドを示す。
「ここから東へ進み、まずはベルネという町へ向かいます。五日ほどが目安です」
エルナは、指の先にある名を読んだ。
ベルネ。その先には、山の形がいくつも描かれている。
「この山を越えるんですか」
「ええ。クレスタ峠の関所を通ります。ベルネから、ヴァルディス側のリゼルまで四日ほど。王都は、その先です」
指が山を越え、さらに道をたどっていく。
「リゼルからアルヴェンまでは、八日ほどかかります」
エルナは、示された王都からセレドへ目を戻した。
六日かけて、ラーデンからここまで来た。道の途中で眠り、井戸へ寄り、知らない村の畑を見た。その日々よりも、まだ長い道が続いている。
「休みながら行くと、もっとかかりますね」
「そうですね。便を待つ日もありますから、ここから三週間ほどは見ておいた方がよいかと。天気や道の状態でも変わります」
「途中で乗れる馬車は、町ごとに確かめる形ですか」
ルークが尋ねた。
「はい。ベルネ方面の便はこちらでもご案内できます。その先は、着いた町で確かめていただくことになります」
「東へ向かう護衛や、配達の依頼についても聞きたいんですが」
職員が掲示板の方を示す。行き先と日付を見て、合いそうなものがあれば窓口で詳しい条件を聞けるという。
「配達の荷物は、持って歩けるくらいのものもあるんでしょうか」
エルナが尋ねると、職員は頷いた。
「依頼によりますが、小荷物もあります。量や受け渡し先も、受ける前にお確かめください」
ルークは馬車の運賃を聞き、エルナも、途中の宿や食事にどのくらい見込めばよいかを尋ねた。
職員が、町の名と日数、費用の目安を紙へ書いてくれる。
エルナは礼を言い、その紙を受け取った。
地図が畳まれる前に、もう一度、山の向こうの道を見る。そこにも町があり、さらに先にも、人の暮らす場所が続いていた。
*
宿の部屋へ戻ると、ルークが戸を閉め、鍵を掛けた。
エルナはフードを下ろし、髪布をほどいた。腕輪と一緒に卓の端へ置いてから、鞄の中の財布を取り出す。
ルークも向かいへ座り、自分の財布を出した。
間に、先ほどの紙を広げる。
それぞれの手持ちを確かめ、聞いてきた費用と比べた。馬車に乗る分、宿へ泊まる分、食事に使う分。帰りの道と、王都で過ごす日も考える。
「もう少しあれば、待つ日が増えてもよさそうですね」
エルナは、紙に記された宿代の目安を見た。
「うん。向こうに何日いるかも、まだ分からないからな」
手持ちで賄える分は多い。けれど、便が合わなかったり、滞在が長くなったりすれば、少し心もとなくなりそうだった。
「行き先の合う配達を受ければ、進みながら補えますよね。護衛も、向かう方角が同じなら」
「ああ。日付も合うものを選べればいいと思う。少しずつ足していけば、余裕を持てる」
「途中の町でも、依頼を探してみたいです」
「うん。俺も探すよ」
エルナは自分のお金を財布へ戻した。ルークも紙を見直してから、硬貨を収める。
「行くなら、出る前に食べ物を用意して、水を汲めるところも確かめておこう」
「はい。水袋も、ちゃんと満たしておきたいですね」
鞄の脇にある水袋へ目を向ける。
あの村の井戸水は、冷たかった。二つの器を並べた時、自分の分には、汲んだばかりのような冷たさが長く残った。
「……あの井戸水みたいに、冷たさを残せたらいいですね」
ルークも水袋を見た。
「水袋でも、出来るかな」
「まだ、器の水でしか試していませんけど。旅の間にも、もう少し使ってみたいです。湯の温かさを残した時みたいに」
「あれも、長く温かかったな」
「はい。飲みたい時まで残ってくれたら、嬉しいです」
暑い道を歩いたあとに、冷たい水が飲める。夜、話している間にも、湯が温かく残っている。
そういう時に、あの手応えをもう少し確かめてみたかった。
「冷たい水は、俺も飲みたい」
ルークが言った。
エルナは笑って頷いた。
「じゃあ、飲んでもらえるように、試してみますね」
財布を鞄へ収め、卓の紙へ目を戻す。
三週間。
家からラーデンへ出て、そこからセレドへ来た日も合わせれば、片道でひと月ほどになる。王都で過ごし、また同じだけの道を戻る頃には、家を空けてから何か月もたっているかもしれない。
山の家を離れたまま、そんなに長く過ごしたことはなかった。
「……帰るのが、ずっと先になりますね」
窓から入る光が、紙の端を照らしていた。
山の家では、乾かした薬草を布へ包んで棚へ収めた。長く置きにくい食材は使い、貸主にも留守を伝えてある。
それでも、採らずに残した株や、水の細くなった場所は気になった。帰ったら見ようと思っていた山へ、すぐには戻らなくなる。
「山の様子は、気になります。でも……やっぱり、お二人に会ってみたいです」
エルナは、ルークへ顔を上げた。
「こんなに遠くなるとは、思っていませんでしたけど」
「うん。俺も、もう少し近いかと思ってた」
「ルークは、何か月も家を空けたことがあるんですか」
「傭兵の頃はあったよ。遠くでの任務だと、何か月も戻れないことがあったから」
「冒険者に戻ってからも?」
「戻ってからは、長くてもひと月はかかってない。長く離れるのは久しぶりだな。でも、外で過ごす時の支度なら、知ってることもある。出る前に、一緒に見ておこう」
「はい。今日も、馬車のことを聞いてくれて、助かりました」
「俺も乗るからね」
彼が少し笑ったので、エルナも口元を緩めた。
ルークはエルナを見て、続けた。
「エルナと一緒に行きたいんだ。何かあった時、手を貸せるところにいたい」
「……はい。私も、ルークと行きたいです」
声にすると、遠い道を思う気持ちが少し変わった。
馬車を探すことも、食べるものを用意することも、この先の町で泊まるところを選ぶことも、彼と話して決められる。
役所を出た時には、ほかの土地の水や森も知りたいと話してくれた。
「ルークは、前から、雨や畑のことを気にしていたんですか」
「依頼を見て、雨が少ないのかなとか、今月は獣がよく下りてくるのかなとは思ってたよ」
ルークは、卓の上の紙へ目を落とした。
「井戸の縄を足したって聞いた時、ああ、ここまで下がるのかと思った。畑で育ってないものを見たのも、気になったし」
「薬草のことも、話しましたね」
「うん。前なら採れてたところで、少なくなってるって」
あの時、彼は自分の話を聞いてくれていた。
山で何を採り、どう暮らしているかを尋ね、水場まで一緒に歩いた。ここへ来る道でも、井戸の桶を下ろし、畑のそばで話を聞いていた。
「エルナに聞いてから、道を歩く時も、水のあるところが気になるようになった」
ルークが顔を上げる。
「火を出した魔獣と、エルナが感じた魔力のことも、何か関わってるのかもしれない。まだ分からないけど……ほかの土地でも、どうなってるのか見てみたいんだ」
「私も、お二人が向こうの魔力に、何か普段と違うものを感じていないか、聞いてみたいです。水や草木、魔獣の様子も。私が山や道中で見てきたことも、お話ししたいです」
ここで聞いたことを持って帰るだけでなく、その先の道で、自分たちが見つけるものもあるのだろう。
エルナは、紙にある王都の名を見た。
アルヴェン。
「ラーデンへ帰る前に、ヴァルディスへ行ってみたいです」
「うん。俺も行きたい」
「マリエラに、お願いしてみましょうか。会いたいということを、お伝えいただけるように」
「そうしよう。もう一度、話す時間ももらえるか聞こうか」
「はい」
エルナは紙を畳んだ。
「長く留守にすることは、ラーデンにも知らせたいですね」
「俺も、部屋のことは知らせておきたい。出るまでに、手紙を送れるか聞いてみよう」
「私も、家のことを伝えたいです」
貸主には、戻る日が決まっていないと話してきた。それでも、さらに遠くへ向かうなら、知らせておきたかった。
エルナは立ち上がり、髪をまとめて髪布へ収めた。腕輪を戻し、畳んだ紙を鞄へ入れる。鞄を肩へ掛け、フードをかぶった。
ルークも財布をしまい、鞄を肩へ掛けた。
*
役所の入口には、まだ出入りする人がいた。
エルナはフードを戻したまま、ルークと窓口へ向かった。
「エルナと、ルークです。マリエラ様へ、伝言をお願いできますか」
「はい。承ります」
職員が紙と筆を用意した。
「先ほどお話しいただいた、ご紹介のことをお願いしたくて。改めてお話しする時間をいただけますかと、お伝えください」
職員は頷き、書き留めた。
「お返事は、ギルドへ二人の名前で届けていただけますか」
ルークが言い添える。
「承知しました。お伝えいたします」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
エルナは礼を言い、隣のルークと一緒に窓口を離れた。
外へ出ると、通りを横切る荷車の影が長く伸びていた。
「宿へ戻ろうか」
「はい。戻ったら、荷物も見ておきたいです」
「一緒に見よう」
エルナは頷き、ルークと宿へ向かった。部屋に戻って荷物を広げるのが、少し楽しみになっていた。




