第106話 会ってみたい人たち
包みの口を折り戻すと、丸い菓子の端が紙の内側へ隠れた。
門のそばへ戻ると、役人が衛兵との話を終え、こちらへ会釈した。マリエラはそちらを見てから、エルナたちへ向き直る。
「このあと、少しお時間はおありですか」
「はい」
「役所へ戻って、お茶をいただこうと思っています。よろしければ、ご一緒しませんか」
エルナが隣へ目を向けると、ルークもこちらを見ていた。彼が頷いたので、マリエラへ顔を戻す。
「では、少し。ありがとうございます」
門のそばにいた護衛も加わり、来た道を戻った。
歩くたび、片手に持った包みが小さく鳴る。鞄の中には、香草を詰めてもらった小瓶も入っていた。
役所へ着くと、役人は書類を持って廊下の先へ向かった。マリエラが職員と言葉を交わし、エルナたちは奥の部屋へ案内される。
窓辺に卓があり、椅子が並んでいた。
エルナはルークと隣り合って座り、鞄を足元へ置いた。フードを後ろへ下ろす。向かいで、マリエラも菓子の包みを卓へ置いた。
職員が三人分の茶を運び、器を並べてくれた。退出して戸が閉まると、廊下に控える護衛の声も遠くなった。
「どうぞ、召し上がってください」
勧められ、エルナは包みを開いた。
丸い菓子を小さく割る。外側の薄い皮の下は柔らかく、一口食べると、ほろりと崩れて甘さが残った。
隣で、小さな音がした。
ルークが輪の菓子を割っていた。マリエラも自分の分へ指を添え、紙へ落ちた欠片を寄せる。
「おいしいです」
エルナが言うと、彼女も口元を緩めた。
「ええ。寄ってみてよかったですね」
茶を一口飲む。
通りを歩いていた時よりも、肩が少し楽になった。
「ラーデンへお戻りになる日は、もうお決まりですか」
マリエラが尋ねた。
エルナは器を置き、首を横に振る。
「まだなんです。帰りに乗れる馬車のことは、ギルドで教えてもらったんですけど」
「出る日が決まってから、空きを確かめることになっています」
ルークが言い添えた。
「いつ出るかも、二人で相談してから決めようと思っています」
エルナが続けると、マリエラは頷いた。
「お帰りになったら、また山でのお仕事を?」
「はい。水場や薬草の様子も、もう一度見ておきたいです。この前見た時、小さな株が多かったところがあって」
採らずに残してきた葉と、乾いた土が浮かんだ。
戻る頃には、少し育っているだろうか。水が溜まるまで待った、あの場所の流れも、確かめたい。
窓の外で、荷車の車輪が鳴った。
ここまで来る道では、ラーデンを離れても魔力の違和感があった。木々の間で妙に濃く感じたところや、少し進むと気にならなくなったところ。
あの時、ロザリーならどう感じるだろうと思った。
自分の山へ戻って確かめることはできる。ほかの土地で、同じように何かを感じている人がいるのかも、知りたかった。
エルナは茶の器へ指を添えた。
「……ほかの魔女の方にも、会ってみたいと思っているんです」
マリエラが、菓子の包みから顔を上げた。
「ほかの魔女の方と?」
「はい。私は山で暮らしていたので。違う土地で暮らしている方が、どんなことを見て、何に気づいているのか、聞いてみたいです」
ルークは、黙って隣にいた。
夜番の火のそばで、この話を聞いてくれた。自分が尋ねるだけでなく、向こうにも聞きたいことがあるかもしれないと言ってくれた。
「私の住んでいるところの話も、できたらと思っています。同じところも、違うところもあるでしょうし」
マリエラは膝の上で手を重ねた。
「どなたか、お心当たりがおありなのでしょうか」
「いいえ。まだ、どこにいらっしゃるのかも分からないんです」
隠して暮らしている人なら、名前や居場所を簡単に聞けるとも思えなかった。
自分も、今こうして髪を包み、腕輪をつけている。会いたいと思ったからといって、相手も話してよいと思ってくれるかは、分からない。
マリエラは少しの間、エルナを見ていた。
「お会いになるために、その方の暮らす土地へ向かわれることも、お考えなのですか」
「はい。お話ししてもいいと思ってくださるなら、行ってみたいです」
マリエラの唇が開きかけ、閉じた。
エルナが待っていると、彼女は膝で重ねていた手をほどいた。
「……ヴァルディスに、魔女の方々がいらっしゃいます」
エルナは、器へ添えていた指を離した。
「王宮で、暮らしていらっしゃる方々です」
「王宮に……」
「ええ。隣国の王宮です。お一人は、雨の魔女と呼ばれる、イネスという方です」
井戸から運んだ水を、畑の根元へ回していた女性の手が浮かんだ。
あの畝へ雨が落ちるところを、一瞬思い描く。
「畑で水が足りなくなった時にも、力を貸しているんでしょうか」
「はい。日照りで困っている土地で、雨を降らせてくださることがあると伺っています」
エルナは、少し身を寄せた。
どれほどの力を使うのだろう。雨が降らなかった時の畑を見て、イネスは何を感じているのだろうか。
マリエラは茶の器へ手を添え、続けた。
「もうお一人、薬の魔女ヴィオラという方もいらっしゃいます」
薬草を採り、乾かす仕事なら、自分もしている。その呼び名が指す力は、どんなものなのだろう。
「その方のお薬も、薬草から作るものなんでしょうか」
「詳しい作り方までは、わたくしも存じ上げないのです。重い病に苦しむ方のために、お薬を頼まれることもあると聞いています」
「そうですか。私も薬草を扱っているので、どんなものを使うのか、聞いてみたくて」
マリエラが頷いた。
自分の知っている草を使うのだろうか。違う土地で育つ、知らないものもあるかもしれない。
イネスと、ヴィオラ。
知らなかった二人の名を、心の中でもう一度繰り返す。
雨を降らせる人と、薬を作る人。その人たちが暮らしている土地では、水や草木はどうなっているのだろう。日々の中で、魔力をどんなふうに感じているのだろうか。
エルナは背を戻し、マリエラを見た。
「その方たちは、ご自分で王宮で暮らすことを決めたんですか」
「ええ。お二人とも、ご自身で選ばれたと伺っています」
エルナは、卓の上の自分の手を見た。
自分は、山の家での暮らしを続けたいと答えた。イネスとヴィオラには、王宮で暮らしたいと思った理由があるのだろう。
どんな場所で育ち、何を大切にしている人たちなのかも、まだ知らない。
「お二人のお話は、ヴァルディスの王太子ユリウス殿下から伺いました」
マリエラが言った。
「わたくしの婚約者です」
エルナは、彼女へ顔を上げた。
マリエラは言葉を続けた。
「魔女の方々の保護を進めていらっしゃいます」
マリエラは、エルナの言葉を待っていた。
「……その方たちと、お話しできることもあるんでしょうか」
「お会いになりたいのでしたら、わたくしから先方へお尋ねすることはできます。魔女の方々のご都合もありますから、お返事をいただいてからになりますけれど」
エルナはルークを見た。彼もこちらを向いていた。
「もし、お願いするとしたら、こちらへご連絡すればよいでしょうか」
ルークが尋ねた。
「ええ。こちらの役所へ、お二人のお名前でお伝えいただければ、わたくしへ届くようにいたします」
「ありがとうございます」
ルークが礼を言う。
エルナも、マリエラへ顔を戻した。
会ってみたいと話した自分に、彼女は尋ねる先を教えてくれた。相手へ希望を伝えることまで、引き受けてくれようとしている。
エルナは彼女へ笑いかけた。
「教えてくださって、ありがとうございます。ルークと話してから、お返事させてください」
「ええ。決まりましたら、お知らせください」
マリエラはそう答え、菓子の包みへ手を戻した。
エルナも、紙の上に残っていた一片を口へ運んだ。甘さが残る間にも、聞いたばかりの二人のことを考えていた。
自分が言葉にできずにいるものを、その人たちはどう話すのだろう。
茶を飲み終えてから、エルナは包みの紙を畳んだ。
「お話を聞かせてくださって、ありがとうございました」
「こちらこそ。ご一緒できて、嬉しかったです」
マリエラが立ち上がった。
エルナも鞄を取り、ルークと席を立つ。部屋を出る前にフードを戻すと、戸口の外にいた護衛が、脇へ退いてくれた。
*
役所を出ると、通りには荷を運ぶ人や、買い物の包みを手にした人が行き交っていた。
エルナはルークと通りの端を歩きながら、隣へ顔を向けた。
「……会ってみたいです」
ルークがこちらを見た。
「ルークは、どう思いましたか」
「俺も、もっと聞いてみたい。ここまででも、村の畑も、道に出てくる魔獣も、思ってたのと違ったから。ほかの土地の水や森がどうなってるのかも、知りたいと思ってる」
熊の出た道で、ルークたちは荷馬車へ迫る身体を止めようとしていた。そのあとも、彼は歩きながら林へ目を向け、夜には道の音を聞いていた。
自分が気になっていたものを話す時、彼にも、見ていたものがあった。
「一緒に、調べてみませんか」
言うと、ルークが頷いた。
「うん。行き方も、どのくらいかかるかも、聞いてみよう。それから、どうするか考えようか」
「はい」
イネスと、ヴィオラ。
顔も声も、まだ知らない。それでも、その人たちの暮らす場所へ行くにはどうすればよいか、ルークと一緒に調べることはできる。
エルナはルークの手を取り、彼と並んで通りを進んだ。




