第105話 寄り道
部屋へ戻ると、ルークが戸へ鍵を掛けた。
エルナは外套を脱ぎ、鞄の上へ畳む。髪布をほどいて腕輪と一緒に机へ置くと、彼も剣を外していた。
「さっきの野菜、甘かったですね」
「うん。肉と一緒に食べると、おいしかった」
エルナは窓に近い寝台へ腰を下ろした。
薄く切った野菜が、肉の下で焼けていた。端には少し焦げ目がついていて、匙で寄せると、肉から出た汁も一緒になった。
「家でも、やってみたいです」
「俺も食べたい」
「まだ、作っていませんよ」
「うん。作ったら」
ルークがこちらへ来て、隣へ座った。
肩が触れ、エルナは少し彼の方へ寄る。膝に置いていたエルナの手へ、ルークの手が重なったので、指を絡めた。
「同じように焼けるでしょうか」
「少し違っても、エルナの作るの、俺は好きだよ」
顔を向けると、彼もこちらを見た。
「……じゃあ、出来たら食べてください」
「うん」
ルークが笑った。
エルナも口元を緩め、彼の肩へ頬を寄せた。繋いだ手は、そのまま膝の上にあった。
しばらくしてから髪を梳き、櫛を鞄へ戻した。
ルークはもう一方の寝台で毛布を広げていた。エルナも靴を脱ぎ、寝台へ脚を上げる。
「明かり、落としていい?」
「はい」
部屋が暗くなった。
窓の布の端から、通りの明かりが細く入っている。エルナは横になり、肩まで毛布を引いた。
すぐそばで、寝台の布が擦れる音がした。
「おやすみ、エルナ」
「おやすみなさい」
顔を向けても、彼の表情までは見えなかった。それでも、近くに聞こえた声が嬉しくて、エルナは口元を緩めたまま目を閉じた。
*
翌朝は髪布と腕輪を戻し、ルークと食堂へ下りた。朝食を済ませ、出かける前に主人へもう一泊頼む。
ギルドには、マリエラからの伝言が届いていた。
今日の午後、役所の担当者と市場を訪ねる予定があり、都合が合えば同行してほしいという。村への食料の手配を見せてもらいながら、先日の話の続きもしたいとあった。
エルナはルークを見た。
「私は、行きたいです」
「俺も。返事、お願いしようか」
二人で窓口へ伝え、約束の時刻と、役所で落ち合うことを確かめた。
昼食を済ませて役所へ行くと、入口の職員が二人の名を確かめ、廊下の先へ案内してくれた。
部屋にはマリエラと、書類を手にした男がいた。戸口のそばには、先日も彼女についていた護衛の二人が控えている。
「お越しくださって、ありがとうございます」
マリエラが立ち上がった。
「私たちも、お話を聞きたかったので」
エルナは会釈を返した。ルークも隣で頭を下げる。
「市場へは、こちらの方に案内していただきます。村への食料の手配を進めてくださっている方です」
紹介された役人が、二人へ挨拶した。
「店主には、もう話してあります。荷を用意するところも、ご覧いただけます」
「お願いします」
マリエラは答えてから、エルナたちへ顔を向けた。
「村では、食料を買うお金があっても、運ぶ車が出せないと伺いました。荷を届けるために、どこで助けが必要なのか、こちらでも見ておきたくて」
「私も、見せていただきたいです」
エルナが答えると、マリエラは頷いた。
「研究所の方とは、その後、お話しできましたか」
「はい。昨日、ヘルマンさんから聞かせてもらいました。国外の水場でも、流れが細くなったという記録があったそうです」
「周りの畑の様子も、わかったのですか」
「そこまでは、詳しく残っていなかったそうです。水が減り始めた時期も、はっきりとはわからなくて」
マリエラは頷いた。
「先日教えていただいた葉や莢のことは、役所にも伝えました。畑の様子を、改めて確かめてもらっています」
「そうなんですね」
エルナは、そばの役人にも顔を向けてから、続きを尋ねた。
「お話しされていた村では、何を育てていたんでしょうか。買い足しているのも、同じものなんですか」
「麦や豆です」
役人が答えた。
「残してある分では足りず、買って補っていると聞きました。水を回せるところまで、畑を小さくしている家もあるそうです」
エルナは、柵を直すのを手伝った村を思い出した。
井戸から運んだ水を、根元へ回していた畑。あそこでも、食べ物を買い足していると聞いている。
役人が、手元の書類を揃えた。
「今日は、その村へ送る分を確認します。よろしければ、参りましょうか」
*
役所を出ると、役人が先に立って歩いた。
マリエラが通ると、近くの店の人が手を止め、頭を下げる。彼女も会釈を返していた。
エルナは外套の前を少し直し、ルークと並んでついていった。
市場へ向かう角には、街の衛兵が立っていた。役人へ会釈し、一行が通りを渡る間、荷車へ声をかけてくれる。
市場の中ほどで、小さな門をくぐった。
四方を店に囲まれた中庭だった。袋や木箱を運ぶ人はいるが、表の通りほど人は多くない。
門の脇にも衛兵が立っていた。護衛の一人はそちらに残り、もう一人はマリエラのそばについた。
奥の店から、男が迎えに出てきた。
「殿下。お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」
「お忙しいところ、ありがとうございます」
マリエラが挨拶を返す。
エルナたちも店へ入った。庇の下から奥へ、大きな袋が並んでいる。台の向こうでは、若い店員が秤へ豆を移していた。
「こちらは、エルナさんとルークさんです。先日、街道沿いの村で見聞きしたことを教えてくださいました」
マリエラの紹介へ、店主は会釈した。
役人が台へ書類を置き、店主も帳面を開く。
「村からの注文は、こちらに写してあります。品物は、揃えられそうですか」
「はい。こちらの分なら。ただ、受け取りに来られる日は、まだ決まっておりませんので」
「村の方へは、こちらからも確かめています。先日お話しした、街道での受け渡しについては、いかがでしょう」
店主が別の紙を取り、筆で線を引いた。
街道と、そこから分かれる道。
「この分かれ道までは、うちの便も通ります。村の方へ曲がると、その先の届け物に間に合いませんが、ここで引き取っていただければ、運べます」
役人が頷き、書類へ書き添えた。
ルークも紙へ身を寄せる。
「そこで、どのくらい待てますか。村の車が、道中で遅れることもあると思うので」
「長くは待てません。次の届け先もありますので、こちらが着く頃には来ていただけると助かります」
「では、時刻の目安も添えて、村へ知らせます」
役人が答えた。
候補になる便の日と、載せられる量、運賃を順に確かめていく。店主は帳面と照らし、紙へ数字を書き入れた。
エルナは、紙の上の分かれ道を見た。
村の荷車を、セレドまで往復させずに済むかもしれない。水運びへ戻れるまでの時間も、変わるだろうか。
「食料を受け取りに出るのは、水を運んでいた方と同じなのでしょうか」
マリエラが尋ねた。
「同じ方が出ることもあると聞いています。どの便に合わせられるか、村側の都合も確かめているところです」
役人が答える。マリエラは紙から顔を上げた。
「村でお話を聞いた時、水を汲む人が戻るまで、食事の支度を待っていると伺いました」
エルナも彼女を見た。
「食料を受け取りに出るために、水の方が遅れることもあるのですね」
「ええ。その間の水をどうするかも、合わせて相談する必要があります」
役人の返事を受け、マリエラが尋ねた。
「今回の荷が届いたあとも、同じように受け取れそうか、教えていただけますか。何度も車を出せるとも限りませんから」
「承知しました。誰が、どれだけの時間、車を使うのかも聞いてきます」
役人が書き足す間、マリエラは待っていた。
奥では、店員が豆の袋を持ち上げていた。台へ下ろすと、底が鈍い音を立てた。
エルナは、その袋へ顔を向ける。
「この豆は、この辺りで採れたものですか」
「近くから入るものもありますが、こちらは別の町から運んだものです。村から頼まれた分には、これを回せます」
店主が袋を示した。
別の土地で採れたものが、ここへ届いて、また運ばれていく。その途中で車を出す人も、村で水を運ぶ人も必要だった。
役人は書き終えたところを店主と確かめ、書類を袋へ収めた。
「村へ連絡して、受け取りに出られる日を確認します。荷をまとめていただくまでには、お返事しますので」
「はい。お待ちしております」
マリエラも、店主へ礼を言った。
「お話を聞かせてくださって、ありがとうございました」
エルナたちも頭を下げ、店を出た。
中庭へ戻ると、庇から吊るされた草の束が目に入った。家で乾かすものによく似た、細い葉がある。
「少し、見てもいいですか」
エルナが尋ねると、マリエラもそちらへ顔を向けた。
そばの護衛へ目を向け、短く言葉を交わす。護衛は店先と門の方を確かめ、小さく頷いた。
「ええ。こちらの庭でしたら、少し。わたくしも、ご一緒してよろしいでしょうか」
「はい」
店先へ近づくと、乾いた葉の匂いがした。
エルナが束を見上げていると、店の女性が会釈し、小さな皿を出してくれた。葉を少し載せ、こちらへ寄せる。
「料理に使うものをお探しですか」
「これ、家の近くで採るものと似ているので。肉にも使えますか」
「使えますよ。豆の煮込みにも。少しで香りがつきますから、初めは控えめになさるといいです」
エルナは皿の葉を一枚つまんだ。端を指先で軽く折ると、ぱりと砕ける。よく乾いていた。
葉を皿へ戻し、顔を近づける。
山で採るものより、香りが少し強かった。隣へ皿を寄せると、ルークも顔を近づけて確かめた。
マリエラも、皿のそばへ寄った。
「乾かしてあっても、形でおわかりになるんですね」
「よく採るものなら、見覚えがあるので。全部は、わからないです」
エルナは吊るされた束へ目を戻した。
「家でも、こんなふうに吊るして乾かすんです。葉を広げることもありますけど」
「干している間は、お部屋にも香りがしそうですね」
ルークが隣で頷いた。
「家へ入ると、すぐわかります」
エルナも頷いた。
「季節によって、吊るすものも少しずつ変わるんです」
話しながら、エルナは自分の家の棚を思い浮かべた。出かける前に片づけた束と、乾かして残してきた葉がある。
帰ったら、今日選んだものも並べてみたい。
「これを、少しお願いします。帰るまで持ち歩くので、栓のある小瓶に入れてもらえますか」
店の女性は頷いて棚から小さな瓶を取り、葉を量って詰めた。口に栓をして、台へ置く。
エルナは代金を払い、小瓶を受け取った。栓を確かめてから布で包み、鞄へ収める。
三人で庇の下を歩き出す。役人は門のそばで、衛兵と言葉を交わしていた。
「セレドで、どこか気に入ったお店はありましたか」
マリエラが尋ねた。
「昨日入ったお店は、おいしかったです。宿へ戻る道の、角にあって。店先で肉を焼いていたんです」
「外から、いい匂いがしたんです」
ルークが言い添えた。
マリエラは少し笑った。
「通りを歩いていると、気になりますね」
「はい。二人で、見に行きました」
エルナも笑ってから、彼女へ顔を向けた。
「どういうものがお好きなんですか」
「焼きたてのパンが好きです。特に、端のよく焼けたところが」
「固いところも、ですか」
「ええ。香ばしくて。端が多くなるので、小さなものを選ぶこともあります」
エルナは、小さな丸いパンを思い浮かべた。
「私は、柔らかい中のところを、先に食べてしまいます」
「そうなのですか」
マリエラがこちらを見る。
「俺も、外側が好きです」
ルークが言った。
「大きいパンを分けるなら、好きなところを選べそうですね」
「では、ルークさんとわたくしが、端をいただくことになりますね」
マリエラが答えた。
エルナは二人の顔を見て、小さく笑った。
「私は、中をいただけますね」
ルークも笑う。マリエラの口元も緩んでいた。
門の手前で、店の人が盆を台へ出した。
小さな焼き菓子が並んでいる。丸く厚みのあるものと、輪の形をしたもの。
マリエラの視線が、少しそちらへ留まった。
エルナも足を緩めた。
「……こちらも、少し見ていきませんか」
声をかけると、彼女がこちらへ顔を向けた。
「ええ。ぜひ」
ルークも頷き、三人で店先へ寄った。
盆の上では、輪の菓子の端に、濃い焼き色がついていた。マリエラがそちらを見ていたので、エルナも目を向ける。
「よく、焼けていますね」
「はい。こちらを一つ、お願いします」
マリエラは頷き、店の人へ輪の菓子を示した。
エルナは、その隣の丸い菓子を示す。
「こっちは、中が柔らかいんですか」
「はい。外は少し固いですが、中は柔らかいですよ」
「じゃあ、これを一つ」
「俺も、輪のを一つください」
ルークも言い添えた。
店の人が紙を取り、それぞれの菓子を包んでくれた。
代金を払い、エルナは自分の分を受け取る。隣でも、マリエラが小さな包みを手にしていた。
彼女が包みの口を少しこちらへ向けた。輪の端が、こんがりと焼けている。
エルナも、自分の選んだ丸い菓子を少し持ち上げた。
目が合うと、マリエラが笑った。
エルナも、その顔を見て笑い返した。




