第103話 またラーデンで
ギルドの前へ戻ると、荷馬車のそばでフィンが手を上げた。
「おかえり」
「お待たせしました」
「こっちも、さっき戻ったとこだよ」
ニーナが、小さな袋を持ち上げてみせた。昼に話していた店で、気になるものを買えたらしい。
グレンとバルドも、中から出てきた。
「話は済んだか」
「ああ」
ルークが答えた。
「あとで、少し話すよ」
グレンは頷き、馬車へ目を向けた。
「じゃあ、先に宿を決めよう。馬も休ませたい」
馬車を預けられる宿を探し、六人で部屋を取った。
荷を下ろしてから、グレンたちの部屋へ集まる。最後に入ったフィンが扉を閉めるのを待ち、エルナは口を開いた。
「ラーデンで火を消したのは、私かと聞かれました」
ニーナが、手にしていた袋を机へ置いた。
「ルークが今回の仕事に加わっていることも、知っていて。それで、私のことも確かめたかったそうです」
「答えたのか」
グレンに聞かれ、頷く。
「はい。その時に力を使ったのは、私だと」
口にする前には、ずいぶん迷った。
今も、髪は布の中に収めている。腕輪もつけたままだ。それでも、話したことまで隠し直せるわけではなかった。
「それで、何の話だったんだ?」
フィンが尋ねた。
「王宮で、保護したいと言われました。住むところや、暮らしに必要なものを用意すると」
「王宮に?」
ニーナの声が、少し上がった。
「はい。王宮の外の家でもいいと。薬草の仕事を続けられるようにすることや、ルークも一緒に来ていいというお話もありました」
隣で、ルークが頷く。
「でも、移って暮らすつもりはないと、お伝えしました」
「断ったら、どうだった?」
グレンは、エルナの顔を見ていた。
「わかりました、と言ってくださいました。住まいの話は、そこで終わりになっています」
「そうか」
グレンが短く息を吐いた。
エルナは机へ目を落とす。ニーナの買ってきた袋の口から、小さな金具が覗いていた。
「そのあと、村のことを聞かせてもらいました。王女様も、井戸の水が減った村を見て回っていたそうなので」
水を運ぶ荷車と、食料を運ぶ便の話。
道中で見た葉や豆の莢について話したことも、簡単に伝えた。
「また、お話を聞かせてもらう約束をしました」
ニーナが頷いた。
「研究所の方も、これからなのよね」
「はい。どこにどんな記録があるか、確かめてから連絡してくださるそうです」
グレンが、机のそばの椅子へ腰を下ろした。
「帰りは、明日の朝に出ようと思ってる。荷も渡せたし、借りた馬車も返さないとな」
「明日の朝、ですか」
エルナは、四人の顔を見た。
帰りも皆と馬車に乗り、あの宿へ寄るところを思い浮かべていた。ニーナと、また髪を洗い合う話もした。
けれど、研究所で聞きたかった話は、まだ聞けていない。
あの魔獣が出た土地でも、水が減っていたのか。草木には何が起きていたのか。報告にどんなことが書かれているか聞ければ、その場でもう少し尋ねられるかもしれない。
連絡が来るのはいつになるのか、まだわからなかった。明日の朝までに、とは頼めない。
エルナはグレンへ顔を上げた。
「私、研究所からの連絡を待って、お話を聞いてから帰りたいです」
そう伝えてから、隣のルークへ向き直った。
「ルークは、どうしたいですか」
「俺も、話を聞いてから戻りたい。ほかの土地で起きてることも、気になるし」
「じゃあ、二人で待っていきましょうか」
「うん」
ルークが頷いた。
「わかった。なら、俺たちは先に戻るよ」
グレンが言った。
「帰りの便は、ギルドで確かめておく」
ルークが答えた。
今度は、自分たちの帰る日を決め、自分たちで足を探すことになる。
「何かわかったら、私にも聞かせてね」
ニーナが言った。
「葉のことも、あの魔獣のことも」
「はい。聞いてもらいたいです」
フィンが窓の外へ目を向けた。
エルナも、そちらを見る。裏の囲いに、馬の背が少しだけ見えた。
明日、あの馬車には乗らない。
「それ、何を買ったんですか」
机へ視線を戻し、ニーナへ尋ねた。
「金具よ。見せましょうか」
彼女は袋を開け、小さな輪と、細い板を取り出した。
「これが使えれば、点検具を少し小さくできそうなの。持ち歩く時に、もう少し収まりがよくならないかと思っていたから」
ニーナの指が、輪の端をつまんだ。
細かな作りだった。エルナには、これをどこへ使うのかまではわからない。それでも、彼女が指先で向きを変えながら眺める顔を見ていると、帰って試すのを楽しみにしているのだとわかった。
「出来たら、見せてもらえますか」
「もちろん。うまくいったら、次に会う時に持っていくわ」
「楽しみにしています」
ニーナは笑い、金具を袋へ戻した。
その晩は、宿の食堂で六人一緒に夕食を取った。
帰りの道や、どこで休むかという話を聞きながら、皿を回す。フィンがニーナの買い物の話を持ち出し、バルドは、あの小さな袋にいくら使ったのかと聞いていた。
部屋へ戻り、寝台に入る頃にも、廊下から皆の声が聞こえた。
*
翌朝、食事を済ませて裏へ回ると、バルドが保存筒のケースを荷台へ載せていた。
ニーナが置き場所を示し、ルークも反対側へ手を添える。
「もう少し、奥へ」
「ここ?」
「ええ。ありがとう」
三本とも空になって戻ってきた筒だった。ニーナは蓋の留め金を確かめ、ケースへ掛けた布を直した。
エルナも、ニーナから預かった敷布の束を荷台へ渡す。
自分とルークの荷は、部屋に置いたままだった。
昨日まで座っていた荷台の端に、まだ隙間がある。エルナは縁についた手を離し、次の荷へ向き直った。
「それも、こっちへ頼む」
グレンが、自分の足元にある荷袋へ目を向けた。右手を伸ばす前に、エルナはそちらへ寄る。
「持ちますね」
「ああ、ありがとう」
両手で持ち上げ、バルドへ渡した。
振り返ると、グレンが左の袖口を直していた。
「腕、まだ痛みますか」
「重いものを持とうとすると、少しな。帰りも荷は任せるよ」
「おう。今日は、あの牙が入ってねえからな」
バルドが荷台から言った。
ニーナが、その足元へ顔を向ける。
「筒はあるから、足で押さないでね」
「わかってる」
バルドは足をずらし、荷袋を引き寄せた。
エルナも最後の包みを渡してから、グレンへ目を戻す。
「帰りも、気をつけてくださいね」
「ああ。そっちも、何かわかったら聞かせてくれ」
「はい。ラーデンへ戻ったら、お話ししたいです」
「ギルドへ顔を出してくれれば、誰かしらいるよ」
グレンが笑った。
使わずに済む方法も、一緒に考えよう。
魔女だと打ち明けた夜、そう言ってくれた声を思い出した。力を使うかどうか迷った時には、この人にも相談していいのだと思えた。
今も、また会うことを当たり前のように話してくれる。
「はい。また、顔を出しますね」
エルナも笑って頷いた。
馬のそばでは、フィンが革帯を確かめていた。ルークも荷台へ回り、縄の端を引いている。
「昼には、あの宿の辺りか」
フィンが顔を上げた。
「ああ。昼の休憩には、ちょうどいいだろう」
「湯の時間が合うといいわね」
ニーナが言った。
エルナは彼女へ向き直る。
「寄ってみるんですね」
「ええ。空いていたら、使わせてもらおうと思って。せっかく、通るんだもの」
「俺も入りてえな」
バルドが言い添えた。
「まずは行ってからだ」
グレンはそう返したが、口元は少し緩んでいた。
エルナも笑った。
狭かったと話していたフィンたちの顔が浮かぶ。ルークのいない帰りは、少し広く使えるのだろうか。
隣に座っていたニーナの顔も浮かんだ。
まだ上がりたくないと言って、二人でもう少しだけ浸かった。髪を洗ってもらい、自分も彼女の髪へ湯をかけた。
その帰り道には、一緒にいない。
「……また、ニーナと入りたいです」
言うと、彼女がこちらを見た。
「ええ。私も」
ニーナは、エルナの手へ軽く触れた。
「次も、洗ってもらおうかしら」
「はい。私も、お願いします」
「もちろんよ」
重なった手を、エルナも少し握り返した。
次がいつになるのかは、まだわからない。それでも、また一緒に入る話が出来たことが嬉しかった。
ニーナが荷台へ鞄を渡し、エルナもその隣にあった包みを持ち上げる。
バルドが、片手で受け取ってくれた。
「バルドさんは、帰ったらハンスのところへ行くんですか」
「おう。パンを捏ねるところ、見せてもらえねえか聞いてみる」
やはり、覚えていたらしい。
エルナの口元が緩む。
「毎日やるなら、あれも相当、腕を使うはずだからな」
「パンも買ってやってくれよ」
ルークが、縄から手を離して言った。
「買うぞ。食える分はな」
「それなら、ハンスも喜ぶよ」
ルークが笑う。バルドも笑って、荷袋の口を結び直した。
帰ったあとにも、皆にしたいことがある。
ニーナは金具を試すのだろう。バルドは、パン屋の奥を覗いてみたいのかもしれない。
今まで聞いていたラーデンでの話が、四人の帰っていく先になっていた。
「ルークも、戻ったら飲もうぜ」
フィンの声がした。
「ああ。今度は、もう少し早く切り上げる時にな」
「お前、そういう時だけ付き合い悪いよな」
「帰るって言ってから長いんだよ」
ニーナが小さく笑った。エルナも、荷台のそばで二人の声を聞いていた。
「今度は、お前が酒場を探せよ。俺が誘う方ばっかりだったろ」
「自分が行きたいところへ、俺を連れてってただけだろ」
「ついてきたのは、お前だよ。初めて娼館に連れてった時だって――」
「フィン」
ルークの声で、言葉が止まった。
エルナは顔を上げる。
ルークがこちらを見ていた。フィンもその視線を追い、目が合う。
「あ」
短い声がした。
娼館。
先ほどまで聞いていた、パンや酒の話の中に、その言葉が残った。
ニーナが鞄の紐を荷台へ押し込む。
「そろそろ乗るわよ、フィン」
「……おう」
フィンはルークへもう一度目を向け、少し眉を下げて片手を上げた。
ルークは、呆れたように小さく首を振った。
フィンは御者席へ上がり、手綱を取った。
グレンが忘れ物はないかと声をかける。バルドが一度荷台を見回し、ニーナも自分の鞄へ手を置いた。
エルナは、彼女へ顔を向けた。
「皆さんと来られて、楽しかったです」
「私もよ」
ニーナが答えた。
「次に会う時には、こっちで見たもの、聞かせてね」
「はい。ニーナのお話も、聞かせてください」
ニーナが笑って頷く。
グレンが御者席へ上がり、フィンの隣へ座った。
「じゃあ、二人とも。またな」
「またラーデンで」
ルークが言った。
エルナも頷く。
「はい。また、ラーデンで」
フィンが片手を上げた。バルドは荷台の縁へ腰を落ち着け、こちらへ大きく頷く。
馬が歩き始めた。
車輪が回り、馬車が囲いを抜けていく。エルナとルークも、表の通りまでついていった。
「またね、エルナ」
荷台から、ニーナが手を振っていた。
エルナも手を上げる。
道の凹凸を越え、荷台が少し揺れた。ニーナが縁へ手をつき直し、それでもこちらを見て、もう一度手を振った。
エルナも、もう一度手を振った。
馬車が通りの先へ進む。荷を積んだ別の車が目の前を横切り、それが過ぎると、四人の姿はさっきより遠くなっていた。
角を曲がるまで見送り、エルナはようやく手を下ろした。
*
通りでは、店の戸を開ける音がしていた。
荷を運ぶ人が、声を掛け合いながら二人の前を通る。エルナは道の端へ少し寄った。
隣にいるのは、ルークだけだった。
またな、と言ったグレンの声が、まだ耳に残っている。
フィンとルークのやり取りを聞くのも、いつの間にか楽しみになっていた。バルドの大きな笑い声につられて、隣のニーナと顔を見合わせ、自分も笑った。
今朝のやり取りを思い返すうちに、途中で止まったフィンの言葉まで浮かんできた。
「……ルーク」
「ん?」
彼がこちらへ顔を向けた。
「さっきの、娼館の話なんですけど」
ルークは、馬車が曲がった先へ一度目を向けた。それから、こちらへ視線を戻す。
「フィンと、行ったんですか」
「うん。行ったことはあるよ」
はっきりと返ってきた。
そうなのだろうとは、思っていた。
それでも、本人から聞くと、少し違った。
「そうですか」
エルナは、外套の端へ指を添えた。
どういう場所かは、知っている。そこへ行ったルークを思い浮かべようとすると、知らない女性の姿まで、ぼんやりと浮かびかけた。
顔も、声もわからない。
自分がまだルークに会っていなかった頃のことだ。
「……そこで、その」
言いかけて、口を閉じた。
ルークは先を待っていたが、エルナが黙っていると、少し顔を近づけた。
「聞きたい?」
エルナは彼を見て、それから首を横に振った。
「……やっぱり、いいです」
詳しく聞けば、もっと想像してしまいそうだった。
ルークが、何も言わずにこちらを見ている。
「昔のことだって、わかっています」
「うん」
「でも、今、少し面白くないです」
言ってから、目を落とした。
彼が悪いという話ではない。それでも、その気持ちまで、なかったことには出来なかった。
ルークの手が、指先へ触れた。
エルナはその手を見て、彼へ目を戻す。
口元が少し緩んでいた。けれど、笑い声は上げなかった。
「俺、エルナが好きだよ」
「……それは、知っています」
「うん」
彼の指が、こちらの指へ重なる。
エルナはその手を取った。
何度も握った手だった。剣を握るところも、荷を運ぶところも、食事の皿を渡してくれるところも知っている。
今は、自分の手を握っていた。
「知っていますけど」
小さく付け足すと、ルークは頷いた。
「うん」
同じ返事だった。
エルナは少しだけ彼の手を強く握り、隣へ寄った。
通りを、別の馬車が通っていく。車輪の音を聞きながら、四人の帰り道を思った。
昼には、あの宿へ着くのだろうか。
また湯に入れたら、次に会う時、ニーナが話してくれるかもしれない。
「宿へ、戻りましょうか」
ルークを見る。
「うん。戻ろう」
繋いだ手が、少し持ち上がった。
エルナも歩き出す。
朝の通りを、二人で宿へ戻っていった。




