第102話 用意できるもの
Side:マリエラ
マリエラは、開きかけた口を閉じた。
向かいの女性は、フードの下からこちらを見ていた。
王宮へ移って暮らすことは、考えていない。
返ってきた言葉を、もう一度思い返す。
知らない場所へ住まいを移すことになるのだ。話を聞いてすぐに頷けるとは限らない。まして、王宮での暮らしがどのようなものか、まだ何も説明していなかった。
マリエラは、エルナへ顔を向けた。
「お住まいを移すことで、何か気がかりなことがおありでしょうか」
フードの奥で、瞳がわずかに動いた。
「今も、暮らしている家があるんです」
エルナが口を開いた。
「薬草を採って、家で乾かしたりしていて。街へ売りに行くこともあります」
「薬草を、扱っていらっしゃるのですね」
「はい」
エルナは頷き、少し間を置いた。
「その暮らしを続けたいと思っています。王宮で暮らすことは、考えたことがなくて」
マリエラは聞きながら、卓へ添えていた手を重ねた。
こちらを見返す表情は、はっきりと捉えられる。片耳につけた小さな魔道具が、認識への干渉を退けていた。人の認識へ働きかける力から、身につけた者を守るための耳飾りだ。
前庭で彼女へ目を向けた時にも、干渉はあった。けれど、布の内側まで見えるわけではない。噂にある白銀の髪を、マリエラはまだ見ていなかった。
名前を知ったばかりの相手には、既に家があり、仕事もある。
守れる住まいを用意すると伝えるだけでは、その生活がどうなるかもわからない。こちらが何を用意できるのか、もっと具体的に話すべきだったのかもしれない。
「セレドへは、今回のお仕事で?」
「はい。でも、私から、一緒に行きたいとお願いしました」
その返事に、マリエラは少し顔を上げた。
「ご自分から?」
「ほかの土地でも、あの猪のように火を撒く魔獣が出たと聞いたので。何か、わかっていることがないか、聞いてみたかったんです」
エルナは隣へ目を向けた。ルークも一度頷き、それからこちらを見る。
「水や植物の様子も、前とは変わってきているところがあって。魔獣が出た土地ではどうだったのか、それも知りたいと思っています」
「それで、研究所へいらしたのですか」
「はい。先ほども、あとで記録や報告の話を聞かせてもらえないか、お願いしてきました」
マリエラが彼女を探す手掛かりにしたのは、先に届いたラーデンの知らせだった。
倒れた女性を運んだ若い剣士と、今回の護送任務。その一行には、保存筒を扱う錬金術師のほかにも、若い女性が同行する。それらの情報をつなぎ、東部の村々を回っていたところから、セレドへ先回りした。
火を消すために力を使った本人だと、先ほど、ようやく確かめられた。けれど、彼女が何を望んで任務に加わったのかは、今まで知らなかった。
マリエラは、部屋の閉じた扉へ一度目を向けた。
この建物には、各地から知らせが届く。実物を調べる者も、それまでの記録を探す者もいる。自分も、届いている情報を確かめるために足を運んだ。
彼女にも、ここで知りたいことがあったのだ。
「では、そのお話を聞いてから、この先のことをお考えなのですね」
「はい。まだ、聞けていないことも多いので」
それなら、今の用事を急いで切り上げてもらう必要はない。
調べたいことを確かめ、そのあとで落ち着ける場所へ移ってもらえればよい。仕事を続けたいのであれば、必要な場所や道具も整えられるだろう。
マリエラは、考えをまとめてから口を開いた。
「王宮の外に、お住まいを用意する形ではいかがでしょうか」
エルナの視線が戻る。
「王都の方に、静かに過ごしていただける別邸があります。薬草を扱う場所や、必要な道具についても、ご相談できます」
「別邸、ですか」
「ええ。セレドでのお調べが済んでからで構いません。お出かけも、ご自身の用事に合わせていただけます」
相手の顔を見ながら、言葉を続けた。
「今なさっていることを、できるだけ続けられるようにしたいのです」
王宮で大勢の人と接する暮らしを、望まない者もいる。静かな住まいで、自分の仕事を続けられるのであれば、気がかりなことを減らせるのではないだろうか。
王家の者が守るよう命じた相手へ、手を出そうとする者も減るはずだった。
少なくとも、ただ噂に任せておくよりは。
マリエラは、隣国の王太子であり、婚約者でもあるユリウスから聞いた話を思い出した。
魔女は、魔法を使うことで寿命を削る。
その話を聞くまで、知らなかった。
普通の人間にはできないことを、起こせる人たち。けれど、その力は、望まれるだけ使い続けられるものではなかった。
彼の国で、本人の意思で王家のもとに暮らしている魔女がいることも聞いている。
安全な住まいがあり、生活の心配を減らせれば、守れるものは多い。そのような形を、自分の国でも用意できるはずだった。
各地で水が減り、暮らしが苦しくなっている。
そんな時に届いた、火を鎮めた魔女の知らせだった。そこに希望を感じたことは、確かにある。どのようなことができるのか、知りたいとも思った。
だからこそ、その力を誰かが際限なく求める前に、本人を守れるようにしておきたかった。
噂の中では、火を消したことが繰り返し語られている。
倒れたことまで、同じ重さで伝わっているのだろうか。
マリエラは、向かいの女性を見た。
今は普通に座り、話をしている。あの時どれほどの負担がかかったのかは、外から眺めてもわからなかった。
エルナが、小さく息を吸った。
その視線が、また隣へ向く。
マリエラもルークを見た。
彼女が、自分から同席を望んだ相手だった。話の途中で目を向けても、彼は先に答えようとはしない。その言葉を聞いてから、こちらへ視線を戻している。
「ご一緒に過ごしたい方がいらっしゃるのでしたら、その方もお迎えできます」
マリエラは二人へ伝えた。
「ルークさんも、同行を望まれるのであれば」
ルークはエルナを見てから、口を開いた。
「ありがとうございます。俺も、しばらくはセレドで話を聞くつもりです。この先のことは、二人で相談して決めたいと思っています」
「そうですか」
マリエラは頷いた。
彼にも、ここへ来た理由がある。
自分たちの予定を相談して決めているのであれば、片方だけを遠い場所へ迎えようと言われても、頷きづらいだろう。
二人とも一緒に暮らせることが伝われば、また考えてもらえるかもしれない。
「そこまで考えてくださって、ありがとうございます」
エルナが言った。
マリエラは彼女へ顔を戻す。
「でも、王都へ移って暮らすつもりは、ないんです」
重ねていた指が、少し動いた。
先ほどは王宮だった。今度は、その外にも住まいを用意できると伝えた。仕事を続けることも、外へ出ることも、親しい相手と過ごすことも、できるだけ望みに合わせられる。
それでも、移って暮らすつもりはない。
もう一つ、何か気がかりなことがあるのだろうか。
思いかけて、エルナの顔を見た。
彼女は、答えを待っている。
危険について聞かなかったわけでも、申し出が伝わらなかったわけでもない。そのうえで、受けないと答えたのだ。
ここでさらに案を重ねれば、また同じ返答をさせることになる。
マリエラは、重ねた手を卓から下ろした。
「わかりました。お住まいを移すお話は、ここまでにいたします」
エルナが、短く息を吐いた。
「ありがとうございます」
その返事を聞いて、マリエラも小さく頷く。
住まいを変えれば、安全を増やせる。仕事も続けられるようにすれば、気がかりは減るだろう。そう思っていた。
けれど、用意できるものをどれだけ挙げても、彼女の返事は変わらなかった。
その理由を、まだ十分に理解できたとは思えない。
それでも、返ってきた言葉は聞いた。
部屋の中で、少しの間、話が途切れた。
エルナが椅子の脇の鞄へ目を落とす。それから顔を上げ、こちらを見た。
「……もう一つ、聞いてもいいですか」
「ええ。どうぞ」
「先ほどお話しされていた、村のことなんですが」
マリエラは、彼女へ向き直った。
「井戸の水が減って、畑を続けることが難しくなっていたと、おっしゃっていましたよね。村では、どうしていたんでしょうか」
問われた内容を確かめ、マリエラは自分が訪ねた村のことを思い浮かべた。
井戸のそばに、空の樽を積んだ荷車が止まっていた。別の水場へ汲みに行くためのものだと、村の者が話していた。
「わたくしが訪ねた村では、ほかの水場へ荷車を出していました。ただ、水を運ぶために、人も車も必要になります」
エルナは、黙って聞いていた。
「それまで町へ荷を運ぶ時に使っていた車を、水運びに回すこともあるそうです。食料を買うお金があっても、運ぶ便が合わなければ、必要な時に届かないこともあります」
「私たちが寄った村でも、足りない食料は、セレドへの便で頼んでいると言っていました」
「街道沿いの村でしょうか」
「はい。畑の柵が猪に壊されていて、皆さんが直すのを手伝ったところです」
エルナはルークを見た。彼も頷く。
「井戸の水位が下がって、縄を継ぎ足していました」
マリエラは、その言葉を聞いた。
水が減った、という短い報告だけでは、そうした手間までは見えてこない。以前の長さの縄では、桶が届かなくなっている。
その村でも、これまでどおりに暮らそうとして、足りないところを継ぎ足しているのだ。
「畑にも、水が足りていなかったのですか」
「水は、回していました。でも、葉に斑点が出ているところがあって」
エルナの言葉が、少しゆっくりになった。
「畑の方のお話では、初めは葉の表に小さな点が出るそうです。それが裏にも広がって、葉の色が変わっていくと」
「葉の裏にも?」
「はい。私が見た時には、茶色くなって乾いた葉や、もう枯れた葉がありました。隣の列では育っているのに、なかなか育たない株もあって」
マリエラは、村で見た畑を思い出そうとした。
育ちの悪いところはあった。土や葉の乾きにも目を向けた。けれど、葉の裏まで確かめたかと問われれば、していなかった。
「水を回しても、止まらないものがあると言っていました。豆も、まだ小さい莢の先が黒くなっていて。中が育ちきる前に、腐り始めているそうです」
エルナはそこで一度、口を閉じた。眉が、わずかに寄っていた。
「わたくしが見たものも、同じだったかは、確かめないとわかりませんね」
マリエラが答えると、エルナは頷いた。
「私も、畑の病気は詳しくないんです。似て見えても、違うこともあるでしょうし。だから、ほかの土地ではどうなのか、聞いてみたくて」
彼女は少し考え、続けた。
「水やりの話も、詳しく聞いておけばよかったと思います。あの時は、葉と莢の方が気になっていて」
マリエラは、エルナの顔を見た。
自分は、水をどこから運び、誰が運ぶのかを尋ねた。届く食料と足りないものを確かめ、荷車の使い方や便の調整について、役所へ相談している。
彼女は、その畑で、葉と莢を見ていた。
どちらの話も、村で暮らす人たちから聞いたものだった。それでも、聞いたことも、見ていたところも違う。
「次に確かめる時には、葉の様子も、もう少し聞いてみます」
マリエラは言った。
「水運びと食料の便については、今、役所でも調べてもらっています。お話しできることがまとまれば、お伝えできます」
エルナが顔を上げた。
「聞かせてもらえるんですか」
「ええ。あなたが見た村のことも、もう少し聞かせていただきたいです」
「……はい。私でよければ」
声が、先ほどより滑らかに続いた。
「どの辺りの村かも、あとで確かめておきます。途中で、グレンさんたちが聞いてくださっていたこともあるので」
「ありがとうございます」
マリエラは礼を言った。
彼女には、見てきたものがある。
力を使った時のことだけを尋ねていたら、今の話は聞けなかった。
王宮へ迎えられなくても、話せることはまだあった。
「セレドには、もうしばらくいらっしゃるのでしょうか」
「はい。研究所からのお話も、待っているので」
「それでしたら、改めて、お時間をいただけますか。わたくしが見聞きしたことも、もう少しお話しできるようにしておきます」
エルナがルークへ顔を向けた。
「俺も聞きたいです。あの村以外にも、同じようなところがあるなら」
ルークが言った。
「はい。私も、聞いてみたいです」
エルナもこちらへ向き直る。
マリエラは頷いた。
「ご連絡は、どちらへお届けすればよいでしょう」
「まだ、宿を決めていないんです」
エルナが答え、ルークが続けた。
「ギルドに、俺たちの名前で伝言をお願いできますか。研究所からの連絡も、そこで受けることになっています」
「わかりました。では、ギルドへ。ご都合を確かめてから、日時を決めましょう」
二人が頷く。
次に会えば、水の話を聞ける。畑の様子も、もう少し詳しく確かめられるかもしれない。
そう考えてから、マリエラは、もう一度エルナを見た。
保護の申し出は、受けてもらえなかった。
けれど、別の話をするために会う約束はできた。向こうからも、聞いてみたいと言ってもらえた。
「このあとは、お仲間のところへ?」
「はい。ギルドで合流することになっています」
ルークが答える。
「では、お引き留めしてしまいましたね」
マリエラが言うと、エルナは首を横に振った。
「お話を聞かせてくださって、ありがとうございました」
彼女が鞄を持ち、ルークも椅子から立ち上がる。
マリエラも席を立った。扉を開けると、外に控えていた護衛の一人が、脇へ退く。
二人は会釈し、廊下へ出ていった。
フードは、そのままだった。髪を収めた布も、外していない。
マリエラは二人を見送り、部屋へ戻った。
向かいに並んだ椅子が、空いている。
静かな住まいを用意できる。必要なものも整えられる。大切な人と離れて暮らす必要もない。
それでも、彼女は移り住むことを望まなかった。
何が足りないのだろう、と考えかける。
けれど、エルナは何かが足りないとは言っていなかった。
山に家があり、薬草を採って暮らしている。
その暮らしが、彼女にとってどんなものなのか。自分はまだ、ほとんど知らない。
マリエラは卓へ目を落とした。
次に畑を見る時には、葉の裏も確かめておこう。
エルナが見たという、まだ小さな豆の莢。その先が黒くなっていたという言葉も、忘れずに。
マリエラは扉の外へ声を掛け、紙と筆を頼んだ。




