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雪の魔女は二度恋をする  作者: 冬灯
第6章 広がる世界
101/128

第101話 保護の申し出


「……エルナといいます」


 名を伝えてから、エルナはもう一度、マリエラを見た。


 片耳の飾りが、陽の下で小さく光っている。後ろに控えた二人も、研究所の戸口に立つ男も、王女の言葉を待っていた。


「私に、どんなお話があるんでしょうか」


「ラーデンで起きたことについて、お聞きしたいのです。少し、お時間をいただけませんか」


 ラーデンで起きたこと。


 荷台に積んだ保存筒へ、目が向きそうになった。あの猪についてなら、ニーナやグレンにも聞けるはずだった。


 けれど、彼女は自分を待っていたと言った。


「殿下。俺たちは、まだ荷を引き渡している途中でして」


 グレンが口を開いた。


「研究所に試料を渡したあと、役所へ書類を届けることになっています」


「ええ。まずは、お仕事を済ませてください。お食事も、まだなのでしょう?」


 マリエラは一行を見渡し、エルナへ視線を戻した。


「そのあとで、研究所へお越しいただけますか。部屋をお借りできるか、相談しておきます。わたくしも、中の方と確認することがありますので」


 すぐに連れていかれるわけではないらしい。


 エルナは、隣に立つルークを見た。


「ルークにも、一緒にいてもらっていいですか」


「もちろんです」


 返事を聞いてから、彼へ向き直る。


「一緒に、来てもらえますか」


「うん。俺も聞くよ」


 ルークが答えた。その声に、少しだけ息をつきやすくなる。


 何を聞かれるのかは、まだわからなかった。なぜ自分を知っているのかも、確かめておきたい。


「では、食事を済ませたら、また来ます」


「ありがとうございます。入口の方へ、声を掛けてください」


 マリエラが会釈を返す。エルナも頭を下げると、彼女は護衛の二人とともに建物へ戻っていった。


 戸口で道を譲っていた男が、こちらへ来る。


「お待たせしました。担当が参りますので、試料は奥の部屋へお願いします」


 ニーナが荷台の覆いへ手を掛けた。


「移す先の容器は、用意されていますか。筒を開ける前に、見せてもらいたいのですが」


「はい。ご案内します」


 彼女は頷き、バルドへ顔を向けた。


「大きい方、お願いできる?」


「おう」


 エルナも鞄を肩へ掛け直した。ニーナの後ろについて、研究所へ入る。


 頭の中には、まだ、先ほどの言葉が残っていた。


     *


「遠いところを、よく運んでくれた」


 奥の部屋で待っていた男は、荷台から運び込まれた筒へ目を向けた。


「魔獣の調査をしている、ヘルマンだ」


 ニーナが名乗り、三本の筒について説明する。ヘルマンは保存に使っている仕組みと、途中で状態に変化がなかったかを尋ねた。


 ニーナは答えながら、用意された容器を確かめている。


「これなら、移せます。先に、小さい方から」


 蓋が外され、研究員の手へ試料が渡った。


 皮と肉片。それぞれが別の容器へ収められたあと、バルドが大きな筒を作業台へ置く。


 中から現れた黒い牙を見て、エルナは足を止めた。


 あの猪の口元にあったものだった。


 身体から離され、台の上へ置かれても大きい。窓から入る光を受けて、黒い表面が鈍く光った。


 ヘルマンが身を寄せる。脇に控えていた研究員も、手元の紙へ何かを書きつけた。


「これが、報告にあった牙か」


「ええ。採った時の様子は、この記録に」


 ニーナが紙を広げた。


 ヘルマンは牙と記録を見比べてから、顔を上げる。


「実際に、こいつを見た者はいるか。動いているところを」


「私も、見ました」


 エルナが答えると、彼の視線が向いた。


「身体のどこから、火が出ていた?」


「肩と、背中です。首の付け根にも、出ていました」


 あの時の姿を思い浮かべる。


 黒い毛の間で揺れる炎。動くたびに、火の粉が飛んでいた。


「身体全部が燃えていたわけでは、ありません。火が出ているところと、そうでないところがありました」


「近づこうとすると、火に阻まれました」


 ルークも口を開いた。


「風で横へ飛んだ火が、草に移るのも見ています。猪が通ったところだけじゃなかった」


 ヘルマンの手が動いた。


「離れたところへも、飛んだんだな」


「はい。火が弱くなって、ようやく剣が届くところまで入れました」


 ヘルマンは紙へ書き足してから、牙の方を見た。


「こいつ自身を倒しても、周りの火は残る。そこも、討伐に出る者へ伝えておかないとな」


 エルナは頷いた。


 魔獣が倒れたあとも、人々は走っていた。水を運び、火の残っている場所を探していた。


「あの猪のような魔獣は、ほかでも出ているんですよね」


「ああ。報告を聞いたか」


「はい。出発前に、グレンさんから聞きました」


「今は、ひとまず《焔獣》という呼び名で記録をまとめている。身体から火や異常な熱を出す個体の報告を、比べられるようにな」


「焔獣……」


 声にしてみると、炎を噴く肩が、また頭に浮かんだ。


「同じ原因で変わったのかは、まだわからない。牙のことも、これから調べる」


 ヘルマンは、黒い牙のそばへ記録を置いた。


 エルナは少し迷ってから、尋ねた。


「魔獣が出た場所で、水や草木に変わったことがなかったかも、わかりますか」


「水や草木?」


「はい。ここへ来る途中で、井戸の水が減った村や、葉に斑点が出ている畑を見たんです。ほかの土地でも、同じようなことが起きているのか、知りたくて」


 ヘルマンは、手元の紙へ目を落とした。


「魔獣の報告には、出た場所の様子が書かれていることもある。ただ、畑のことまで調べた記録となると、ほかの者にも聞かないとわからんな」


「あとで、そういう話を聞かせてもらうことはできますか」


「ああ。まずは、どこに何があるか確かめよう。今日、ここへ届いたものも整理したい。時間が取れるようになったら、ギルドへ伝言をしておく。それでいいか」


「はい。お願いします」


 エルナとルークは、連絡を受けるために名を伝えた。


 ヘルマンが書き留めるのを見て、エルナは一度、台の上の牙へ目を戻す。


 運んできたものを、調べてくれる人がいる。


 すぐに答えが出るわけではなくても、尋ねたいことを話せたのが嬉しかった。


 ニーナは空になった三本の筒を受け取り、内側や蓋を確かめてから、ケースへ戻していた。


 グレンが受領の確認を受け取る。エルナたちは礼を言い、外で馬を見ていたフィンのところへ戻った。


     *


 役所への届け物は、研究所でのやり取りよりも短く済んだ。


 グレンがラーデンからの被害報告書と救援物資の要請書を渡す。受け取った担当者が宛先と書類を確認し、受領を証明する紙を返してくれた。


 その足でギルドへ寄り、研究所の分と合わせて窓口へ出す。


「これで、今回の依頼は終わりだ」


 戻ってきたグレンの言葉に、ニーナが息をついた。


「無事に渡せて、よかったわ」


「じゃあ、飯だな」


 フィンが言った。


「ああ。さっき、食べるところを見てたんだろ」


「見てた。馬車を置けそうなところも、あったぞ」


 フィンが顎で通りの先を示した。


 少しして、六人は食堂の卓を囲んでいた。


 運ばれてきた皿から、温かい匂いがする。エルナはパンをちぎり、一口食べた。


 噛んでいるうちに、自分もお腹が空いていたのだとわかった。


 向かいでは、ニーナが水を飲み、椅子の背へ軽く寄りかかっていた。


「あの部品の店、あとで戻ってもいいかしら」


「さっき、通ったところか」


 グレンが聞く。


「ええ。気になるものがいくつかあったの」


「わかった。俺は少し休んでる。荷は見ておくから、行ってこい」


「ありがとう。あまり遅くならないようにするわ」


 ニーナは答えてから、エルナを見た。


「二人は、このあと研究所ね」


「はい。お話を聞いてきます」


 口にすると、先ほどの少女の顔が浮かんだ。


 自分より年下に見えた。けれど、彼女が名乗っただけで、周りの人たちの姿勢が変わった。


 何を知っていて、何を尋ねようとしているのだろう。


 エルナは手元のパンへ目を落とした。


「話が済んだら、ギルドへ来てくれ」


 グレンが言った。


「馬と荷は、こっちで見ておく」


「ありがとうございます」


「俺たちも、その辺を歩いてるかもしれないけどな。戻る場所が決まってれば、探し回らずに済む」


 フィンが言い、ルークも頷いた。


「ああ。ギルドへ戻るよ」


 バルドは空いた皿を少し寄せて、店の人へ声を掛けた。パンを追加で頼むのを見て、ニーナが笑う。


「まだ食べるの?」


「歩く前に、食っときたい」


「俺にも一つくれ」


 フィンが言い添えた。


 エルナも小さく笑って、残りのパンを口へ運んだ。


 食事を終える頃には、卓の上の皿はどれも空になっていた。


 エルナは鞄を持ち、ルークと一緒に席を立つ。


「じゃあ、またあとで」


 ニーナの声へ頷いてから、二人で通りへ出た。


 店から離れると、人の声がまた近くなった。荷車を避けて道の端へ寄り、研究所へ向かう角を曲がる。


「少し、緊張しますね」


「うん。俺も」


 ルークは建物の並びを見てから、エルナへ顔を向けた。


「でも、何の話かは、聞いておきたいな」


「はい」


 自分の知らないところで、何かが伝わっている。


 それが気になったまま、この街で過ごすのは落ち着かなかった。


 ルークと並び、研究所の入口へ戻った。


     *


 案内されたのは、廊下の奥にある部屋だった。


 卓を挟んで椅子が並び、窓際には棚が置かれている。マリエラは二人が入ると立ち上がり、向かいの席を勧めた。


「来てくださって、ありがとうございます」


「お待たせしました」


 エルナは椅子の脇へ鞄を置く。ルークも名を伝えてから、隣へ座った。


 案内の男が退き、扉が閉まる。


 護衛の二人は、外に残っていた。


 エルナは膝の上で手を重ねた。外套の袖が少しずれ、腕輪の縁が見える。指で布を直し、マリエラへ目を向けた。


「ラーデンの火災について、報告を受けています」


 静かな声で、彼女が切り出した。


「魔獣が倒されたあとも火が広がり、その中で、火を鎮めた女性がいたと聞きました。《雪の魔女》と、呼ばれているそうですね」


 膝の上の指が、強張った。


 フードの内側で、髪布が額に触れている。


 マリエラの視線は、まっすぐ自分へ向いていた。


「その方は倒れて、若い剣士に運ばれたと。その剣士が、今回、グレンさん方とセレドへ向かうことになったと伺いました」


 エルナは、隣へ目を向けた。


 ルークも、マリエラを見ていた。卓のそばに置いた手を、わずかに動かす。


「一行には、若い女性も同行していると聞いています」


 そこまで話してから、マリエラは口を閉じた。


 窓の向こうで、荷車の車輪が鳴っていた。その音が通り過ぎるのを聞きながら、エルナは彼女へ目を戻す。


「エルナさん。あなたが、《雪の魔女》と呼ばれている方でしょうか」


 喉が狭くなったようだった。


 今も、髪は隠している。腕輪もつけていた。


 それでも、ラーデンで起きたことや、一緒にいる人のことまで、知られている。


 どこから、どれだけの話を聞いたのだろう。


 エルナは息を吸った。すぐには、頷けなかった。


「……なぜ、その魔女を捜していたんですか」


 マリエラは、少し顎を引いた。


「わたくしは今、各地の水や、暮らしの状況を確かめています。井戸の水が減り、畑を続けることが難しくなった村も見てきました。その途中で、ラーデンの報告が届いたのです」


 エルナは、黙って聞いた。


「どのようなことが起きたのか、知りたいと思いました。そして、その方が倒れるまで力を使ったと聞いて、ご本人のことも気にかかっていました」


 マリエラの目が、一度、エルナの手元へ下りた。


「魔女がいるという噂は、街を離れても伝わります。何ができるかも知らないまま、その力を頼りにしようとする者が現れるかもしれません。害そうとする者も、いないとは言えません」


 害そうとする者。


 その言葉は、よくわかった。


 髪を隠すたび、誰かと初めて会うたび、考えずに済んだわけではなかった。目の前で自分を見る顔が変わることも、知っている。


「あなたを、お守りしたいと考えています」


 マリエラは言った。


「王宮へ、いらっしゃいませんか。王家の庇護のもとで、お住まいと、生活に必要なものをご用意いたします」


「……王宮で、暮らすんですか」


「ええ。周りにいる者にも、あなたを守るよう命じられます。噂を聞いた者が、容易に近づくことも防げるでしょう」


 思っていたよりも、大きな話だった。


 火事の時のことを、詳しく尋ねられるのかもしれない。何ができるのか、見せてほしいと言われるのかもしれない。


 ここへ来るまでに考えていたこととは、違っていた。


「その代わりに、魔法を使っていただくというお話ではありません」


 マリエラが続ける。


「ラーデンで人を助けた方が、そのために危険な目に遭うことを、そのままにしておきたくないのです」


 エルナは、彼女の顔を見た。


 言葉は落ち着いていた。こちらが答えるのを待つ間も、視線を逸らさない。


 髪布の下に収めた髪を、見せるようには言われていない。けれど、魔女であると認めるのも、隠していたものを一つ外すことには違いなかった。


 まだ、相手のことをほとんど知らない。自分の力も、身体のことも、すべてを話せるわけではなかった。


 あの火事で、力を使ったこと。


 まずは、そのことだけを伝えようと決めた。


「ラーデンで、火を消すために力を使ったのは、私です」


 声は、思っていたより小さくなった。


 マリエラが、ゆっくりと頷く。


「お話しくださって、ありがとうございます」


 相手の顔から、目を離さないようにする。


 魔女だと知っても、マリエラの表情は変わらなかった。それに少し息がつけてから、先ほどの申し出を考えた。


 王宮に、住む。


 自分を守る人がいて、暮らしに困らないようにしてもらえる。何かを買う時も、街を歩く時も、誰に気づかれるだろうと考えることは、今より減るのかもしれない。


 差し出されたものが、どれほど大きいかはわかった。


 それでも、そこで暮らす自分を思い浮かべようとすると、ほかのものが先に浮かんだ。


 家の棚に残してきた薬草。


 採取に出かける、歩き慣れた道。


 ルークに会いに、街へ下りた時のこと。


 この旅に出たいと伝えた、ギルドの卓。


 何かを知りたくて出かけ、道の途中で、知らなかった人たちと話をした。今日も、研究所で聞きたいことを尋ねたばかりだった。


 隣には、ルークがいる。


 エルナは彼の横顔を見た。こちらへ顔を向けた彼と目が合い、また、マリエラへ向き直る。


 王宮なら安全なのだとしても、そこへ移って暮らしたいとは思わなかった。


「私を心配してくださって、ありがとうございます」


 エルナは言った。


 声を整えようとすると、少し間が空いた。マリエラは、その先を待っていた。


「でも、王宮へ移って暮らすことは、考えていません」


 マリエラは口を開きかけ、少しだけ間を置いた。


 エルナは膝の上で手をほどき、彼女の返事を待った。




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