第四章 中編 「鬼神」
「ここか…!」
マークが感嘆の声を上げた。
巻物に書かれていた鉱山跡は、思い他あっさりと見つかった。道なき道を進んだ先に、廃墟と化した採掘遺構が唐突に現れたのだ。とはいえ、地図がなければその発見は困難だったかもしれない。
かつては大勢の人々がここで採掘に勤しんでいたのだろう。半ば崩れた家屋がいくつも並んでいる。
微妙な生活感を残した遺構は、どこか物悲しさを感じさせた。
「あれが入口だな」
太い角材で補強された、大きな穴がぽっかりと、岩肌に口を開けていた。
鉄格子が嵌められ、施錠もされているようだったが、そんなものは熟練の斥候にかかればお手のもの。ものの数秒で封印は解かれてしまった。
「ただの鉱山跡地だから、罠の類はないと思うが…念の為、慎重にな」
ケーベストの言葉に、全員が無言で頷く。普段はだらしないが、こういう時の彼には従うのがベストだと、もう分かりきっていた。
隊列はケーベストを先頭に、次いでマークとセイザンが並び、その後ろにレイナとアスリィ、そして殿をアルバが担当した。
古びた鉱山の内部。ところどころが木枠で補強されてはいるが、崩れている箇所も少なくない。
レイナの杖の先に灯った魔力による光と、ケーベストが持つランタンの灯り。2つの光源が、延々と続く岩肌の壁を照らし出していた。
「こういう洞窟探索も久しぶりだな」
「罠もなさそうだし、魔獣もいないんでしょ? 楽勝ね」
「あんまり気を抜いちゃダメだと思うけど…」
セイザン、アスリィ、そしてレイナ。それぞれが思い思いに言葉を紡ぐ。
張り合いがない、というと語弊があるが、障害らしい障害のない鉱山内部の探索で、一行はいつもより緩い雰囲気になっていた。
「…穴に落ちるぞ」
「え?」
不意に、最後尾のアルバが口を開いた。寡黙で、普段はほとんど何も話さない彼の言葉に、アスリィは振り返りながら目を丸くした。
瞬間、彼女の足元が崩れた。
「きゃあっ!?」
「アスリィ!?」
咄嗟に手を伸ばすセイザン。果たして、その手はエルフの少女の手首をしっかりと握りしめた。
「だ、大丈夫!?」
「あ、あぶねぇ…」
レイナが真っ青な顔をして叫び、マークは急に開いた竪穴を覗き込んだ。真っ暗な深淵が口を開け、何もかも飲み込みそうであった。
「あ、ありがとう…」
セイザン、そしてマークの手を借りて、アスリィはなんとか穴から救出された。その顔はレイナ以上に血の気がなく、唇まで真っ青である。長い耳も、大きく垂れ下がっていた。
「…だから言っただろう」
「も、もっと早く言いなさいよ!」
ため息混じりに呟くアルバに、エルフの少女の甲高い声が響く。
「元から開いてた穴が、崩落した岩や塵なんかで埋まってた感じか…」
ケーベストが穴に小石を放りながら言う。それはカツンカツンと岩肌に当たる音を響かせながら、闇に飲み込まれていく。
かなり間を置いてから、底にたどり着いた音が聴こえた。
「くそっ…俺としたことが、気が付かなかった…」
ケーベストも決して油断していたわけではない。むしろ、このような状況ではもっとも警戒を強める性分である。
彼が穴の存在を見落とした理由。それは、《《別なものを警戒していたからだ》》。
例の2人組の気配が消えたことで、彼は逆に背後への注意を強めていた。
もしかしたら、2人組はいなくなったのではなく、《《何か》》に消されたのではないか。その考えが頭から離れなかった。
そのため、今朝からずっと、これまで以上に背後から何かが追ってきているのではないかと、意識を向けていた。
彼の予想は当たっていた。
察知できるかどうかギリギリのところで、ほんのわずかな気配を感じた。ともすれば見逃しそうな、路肩の石のような気配。
しかし微かに感じるその気配には、ケーベストが冷や汗をかいてしまうほどの、言いようのない圧力のようなものがあった。
気配を探ることなら、アルバも得意ではあったが、専業の斥候であるケーベストには及ばない。
この気配から気を逸らすわけにはいかない。
ケーベストはそう考え、ずっと背後に意識を集中していた。
「…何かあったか?」
旧友のわずかな違和感を、アルバは当然見逃さなかった。
マークたちが穴を覗き込んでいるのをよそに、そっと小声で話しかける。
「…お前らしくない」
「ちょっとな…」
若者たちならともかく、旧知であるアルバは誤魔化せない。
ケーベストは、簡潔に状況を説明した。
一時期からある2人組に監視されていたこと。それが急に消えたこと。そして、背後から迫る何か。
アルバはいつも通りの無表情だったが、話を聞いてからずっと背後の通路に目を向けていた。
「話は分かった…」
それだけ言うと、彼はゆっくりと元来た道を引き返していく。
「アルバ? どこ行くんだ?」
それに気づいたマークが声をかけたが、アルバは答えない。
「あー…あいつな、実はこういう暗くて狭いところは苦手なんだよ、うん」
「え、なんだそれ、初耳だな…」
咄嗟にケーベストが放った言葉に怪訝な表情を浮かべるも、マークは鉱山の奥に眠るかもしれない「竜銀」が気になり、特に追求はしなかった。
「頼んだぞ、アルバ…」
だから、ケーベストのその呟きも、そして彼の真に迫った表情にも、気付くことができなかった──。
竪穴の一件があったことで、マークたちの気の緩みは一気になくなった。
人為的な罠こそないものの、代わりに天然自然の罠が、殺意もなく待ち構えていることがある。その事実だけでも、気を引き締めるには十分すぎた。
口数も少なく、周囲に気を配りながら足を進める。
途中、崩落が起きていたせいで塞がっている通路があり、巻物の記録を頼りに迂回すること数回。先刻と同じような竪穴に遭遇すること数回。
それほどの距離を歩いたわけではなかったが、かなり時間がかかっているような、そんな感覚になった。
「記録によると、この辺りみたいだけど…」
レイナがそう口にした直後、 ようやく最奥に辿り着いた。
そこは少しひらけた空間で、天井がわずかに崩れ、隙間から空が見える場所だった。
「へぇ…」
「綺麗…」
そこには守銭奴コンビがそんな声を漏らすほどの、美しい光景があった。
天井からのわずかな明かりで、精一杯に成長しようと生える少量の草の中。
陽の光に照らされ、眩いほどの輝きを見せる物体。
「あれが…」
反射した光に目を細めながら、マークはそれをじっと見つめていた。
物体は、噂に聞く「竜銀」に間違いなかった。
「ほ、本当にあったんだ…」
レイナも驚きの様子を隠せない。
大きさは、せいぜい握り拳程度の原石。
しかし、そこから放たれる輝きに、青白い魔力の光が宿っていることを、レイナの魔術師としての感覚が捉えていた。
「収穫なしってのも覚悟していたが…嬉しい誤算だったぜ」
ケーベストがじっくりとその原石を眺めながら言う。その表情には、いつものニヤけた様子がなかったが、若者たちは気が付かない。
それだけ、「竜銀」の美しさに目を奪われていた。
「これ…売ったらどれくらいになるのかな…?」
「サイズは大したことないが、魔力が宿ってると考えたら、結構な額になるんじゃないか?」
いつもの調子が出てきたか、緑の瞳を持つコンビがそんな話を始めた。実に情緒のない会話だが、現実的であるとも言える。
「とにかく、とっとと持ち帰るか」
ケーベストがダガーと小さな金槌を用いて、原石を慎重に岩肌から剥がした。それを麻袋に入れ、荷物の中にしまいこんだ。
「よし、じゃあ早く戻ろうぜ。アルバのやつが待ちぼうけしてるだろうからな」
来た道を戻るだけなら、今度こそ警戒する必要は薄い。そう思ったマークは、すぐにツカツカと歩き始める。
こうと思ったら即行動。いつも通りの彼の姿に、若者たちは苦笑いしながら付き従った。
ただ1人、ケーベストだけは神妙な面持ちで、旧友の無事を祈っていた──。
鉱山の入口に立ったアルバは、その意識を周囲に張り巡らせていた。
静まり返った採掘遺構。聴こえるのは、自らの心臓の鼓動の音のみ。
あまりに、静か過ぎた。
廃墟の立ち並ぶ地とはいえ、ここは深い森に囲まれた山中。虫や鳥の鳴き声すら聴こえないのは、異常だといえた。
青空は広がっているが、その匂いから、もうじき雨が降ることを、アルバは予見していた。
「…見つけた」
全神経を研ぎ澄ませ、ようやく、「それ」の存在を察することができた。素直に、旧友の気配察知の技量に感心する。
鉱山を取り囲む木々の中の1つ。そこに向けて、アルバは全力で殺気を解き放った。
息を潜めていた鳥たちが、一斉に空に向けて飛び立つ。
しばらくして、アルバは自分の背中に冷や汗が流れてくるのを感じた。
深く暗い木々の中から、ゆっくりとした足取りで、1つの人影が姿を現した。
背丈は小さく、子供程度しかない。しかし、遠くからそれを眺めるアルバには、自らよりも遥かに巨大な人物に見えてしまった。
人影は、笑っていた。
真っ赤な髪は天を衝くように逆立ち、太い手足がその力強さを主張するように盛り上がる。
真っ黒な胴着に包まれたその肉体は浅黒く、耳も大きい。ドワーフ族の戦士だと、一眼で分かった。
その相手が、犬歯のような歯を見せながら、笑みを浮かべていた。
「っ…!」
アルバもゆっくりとした歩みで、廃墟の中の開けた場所に足を向ける。その場から動くのに抵抗があるほど、相手の圧力は強かった。しかし、気圧されるわけにはいかない。
青白い肌を持つ痩躯の男と、浅黒い肌で筋骨隆々の男。
対照的な両者が、10メートルほどの距離で対峙した。
「…何者だ?」
一言だけ、アルバが発する。
見覚えはまったくない。そんな相手から、強烈なまでの戦意を感じる。まるで、獲物を見つけた野獣のような、ギラギラとした攻撃の意志。
「ワシは、道を求める者…ジャカン」
太く、そして重さのある声が、アルバの耳に届く。
「目的はお主ではない…が」
ジャカンと名乗るドワーフが、その身を低くして、拳を構えた。
「見過ごせるものでもない」
純粋。
アルバはそんな言葉を思い浮かべた。
相手から殺意は感じない。敵意すらない。あるのは、ただ「闘争」だけを求める澱みのない欲望。
これほどまで、闘いというものに真摯になれる人間がいるとは、想像もしていなかった。
「…アルバだ」
名乗りには名乗りで返す。
最低限の礼儀を見せ、アルバもまた身構えた。
相手の目的は不明。状況もまた不明。
しかし、降りかかる火の粉は払わねばならない。
それが、孤独な幼少期に彼が悟った1つの真理。
2人の男が、距離を一瞬にして詰めた──。
ジャカンが身体を回旋させ、両脚による連続回し蹴りを放つ。
アルバは咄嗟に屈み、それを回避。
身体を引き起こす反動を利用し、体重を乗せた右のアッパーを放つ。
拳は虚しく空を斬った。
今度はジャカンが、回旋した勢いのまま体を落とし、流れるような足払いを放つ。
剛の者といった外見からは想像もできない、流水のような動き。意表を突かれたアルバは、足下を掬われる。
「くっ...」
片手を地面につき、転倒を免れる。そのまま、ついた腕を起点に回転しながら体勢を立て直した。
この一瞬だけで、アルバは相手が相当の手練れだと確信する。纏っている雰囲気は、伊達ではない。
「魔力散弾!」
素早く詠唱し、両手から赤黒い魔力の散弾を放つ。
躱すか、防ぐか。いずれにしろ、相手の動きを牽制するには十分な魔術。
しかし、ジャカンはそのどちらも《《選択しなかった》》。
「な...に...?」
魔力の雨に晒されながら、構わずに前進。
ダメージがないわけがない。しかし、そのダメージは彼の脚を止めるには及ばなかった。
「むぅん!」
「っ...!」
鋭く放たれる突き。
それは速く、それでいて重い。
両腕を固めて防いだものの、アルバの身体は数メートル吹き飛ばされた。
「児戯にも劣るわ」
先程の魔術に対しての言葉か。ジャカンの表情は固く険しいものになっている。
そして、来るならば拳だけで来いと言わんばかりに、自らの両拳を激しく打ち付けた。
「魔力付与...!」
それに応えたわけではないが、アルバは自らの拳に魔力の力を込め、間合いを一気に詰める。
彼はレイナほど、多様な言語魔術を修めているわけではない。ほとんど、戦闘向けのものばかりを習得していた。
どの道、搦め手など効く相手ではない。
真っ向からの殴り合いを演じる他なかった。
「それでいい...!」
再び、ジャカンの顔には笑みが浮かぶ。
アルバの放つ拳を捌き、返礼とばかりに自らの拳を放つ。アルバもまた、それをギリギリのところで躱し、今度は蹴りを放つ。
打撃の応酬。まさに命のやり取り。
それでいて、ジャカンの攻撃にはいまだに殺意はなかった。
ただ、この一瞬一瞬を楽しみたいという、純粋な想いが感じられた。
戦闘狂。
そんな言葉が良く似合うと思いながらも、アルバもまた、この闘いの空気に徐々に惹かれているのを感じていた。
敵意のない闘い。そこにはまるで、スポーツのような一体感があった。
しかし、その高揚感に慣れていない彼の心には、どうやっても隙が生じてしまう。
「甘いわ!」
「ごっ...!」
強烈な掌底。
それがアルバの顎を捉え、その身体を高く打ち上げる。
「ぬぅんっ!」
ジャカンが右手を大きく引く。
そして、浮き上がったアルバの身体に向けて、引いた手を一気に突き出す。
「がっ!」
胸部への痛烈な一撃。
肺の空気を強制的に吐き出され、アルバの身体は大きく跳ね飛ばされる。
廃墟の壁に激突。脆くなっていたとはいえ、石造りの壁は容易く突き破られた。
呼吸ができない。
酸素を取り込めないアルバの意識は、今にも闇に落ちかけていた。
立ち上がろうにも、身体はピクリとも動かない。
痛みすら感じない。
「仕舞いか」
もはや勝敗は決したと判断し、ジャカンは大きく息を吐き出し、その目を鉱山の入口へと向けた。
そこには、驚愕した様子をした、5人の冒険者たちの姿があった──。




