第四章 前編 「予兆」
崖の上にそびえ立つ古城。
その主塔にある一室にて、白髪の男性が立っている。
白を基調とした室内には、同じく白く輝く調度品が多数飾られている。申し訳程度に、金銀の装飾も施されているが、ほぼ白に支配されたその部屋は、やや質素とも思えた。
「何用だ?」
そんな部屋に、全く似つかわしくない声。
「来たか...ジャカン」
バルコニーに立ち、星空を見上げていた白髪の男が、太い声に反応して振り返る。
重い足音が、一歩、また一歩と響く。
月明かりに照らされた先。
そこには、やはり部屋の雰囲気には全く合わない、筋肉の塊のような男が立っていた。
歳の頃はおそらく5、60歳。顔に刻まれた皺から、老齢なのは間違いない。しかし、その首から下は、顔からは想像もできないほどに鍛え上げられている。
黒い武道着から覗く胸元は、いかなる剣さえ通さないように分厚く、強固に見えた。
破れた袖から伸びる腕も、大木のような太さを持ち、脚もまた同様だった。
ただ、その身長は極端に低い。浅黒い肌と大きな耳から察するに、大地の種族ドワーフだと思えた。
「お前に、「聖女」の身柄確保を頼みたい」
「「聖女」…だと?」
ジャカンと呼ばれた男が、その太い眉の片方を大きく上げる。
明らかに不服そうな様子だ。
「そんな些事のために、ワシを呼んだのか?」
「些事とはご挨拶だな」
対する白髪の男性は、極めて穏やかな声で話す。
見た目も雰囲気も全くの正反対の2人だが、そこには奇妙な親しみのようなものがあった。
「我らの悲願のために、「聖女」は必要不可欠であろう?」
「然り…されど、たかが小娘1人…如何様にもなろう」
「そうとも言えないのだよ」
白髪の男性は、小さくため息をつき、ジャカンと呼ばれた男の前に立つ。
長身故に、2人が並ぶとその身長差は大きく、まるで親子ほどもある。
「「聖女」と共にいるのは、「巨人討伐者」と呼ばれる冒険者…そして何より…」
「魔族を向かわせても、ほぼ無力ということ…か」
白髪の男性が言わんとしていることを察し、ジャカンが言葉を重ねる。
「ふん…承知した」
それだけ言うと踵を返し、ジャカンは部屋から出ていく。
そして去り際に首だけ振り返り、肩越しに一言だけ放った。
「戻ったら酒を所望するぞ…ジークハルト」
「ふっ…吉報を期待しているぞ」
どれほど道を極めた戦士といえど、やはりドワーフだなと、ジークハルトと呼ばれた男性は小さく笑った。
が、その顔は一瞬で鋭く険しいものへと変わる。
『必ずや…「聖女」を捕らえるのだ…』
二重に響く声。
そして、月明かりに浮かび上がるジークハルトの影が、禍々しい形に変わっていった──。
鋭い速度で放たれる拳。それがゴブリンの顎を容易く砕く。
返す刀のごとく、後ろ蹴りが背後に迫っていたもう1匹の腹部を打つ。汚液を吐きながら、緑色の小人は悶絶した。
「さすがだな、アルバ!」
赤いマントが翻る。
黒髪の剣士──マークの振るう2本の剣が、瞬く間に2体のゴブリンを屠った。
「…ふっ」
言葉はなく、ただ小さく鼻で笑って返す、角を生やした青年。
赤黒い魔力を纏った掌底が、親玉らしき一回り体格の大きなゴブリンの胸元を打ち、遥か遠くまで跳ね飛ばしてしまった。
あの貴族の館での戦いから1週間が過ぎていた。
半魔族の青年アルバを新たに加えたマークたち一行は、前回のいざこざで報酬が得られなかったこともあり、差し当たりの日銭を稼ぐべく、手頃な害獣駆除の仕事を請け負っていた。
王都といえど、少し郊外に出ればゴブリンが棲みつきそうな場所はいくらでもある。いったいどこから湧いてくるのか知らないが、この手の依頼は毎日のように掲示板に出されている。
気がつけば、この1週間で退治したゴブリンの数は、50体を超えるほどになっていた。
「これで全部?」
「あぁ、今日も楽勝だったな」
逃げたゴブリンを一矢で倒し、エルフの少女アスリィが周囲を見渡す。側には赤毛の少年セイザンが、剣についた血を拭いながら立っていた。
「みんな、お疲れ様…」
真っ赤なローブを纏う、黄金色の髪の少女──レイナが穏やかな笑みで仲間を労った。
しかし、その顔にはどこか翳りがあるように、マークには思えた。
1週間前の戦いで彼女が見せた謎の光。
魔族ミルズが言っていた「聖女」と呼ばれる力がいったい何なのか、結局マークたちにはわからず仕舞いだった。
丸1日の昏睡状態から目覚めたレイナも、ほとんど何も覚えていない様子であり、王都にある大図書館で調べたものの、何も収穫は得られなかったのだ。
不安こそ残っていたが、しかし何より彼女が無事に目覚めてくれたことで、マークをはじめとした一行はひとまず安堵していた。
「このところは平和なもんだねぇ」
白い歯を見せながら、バンダナを巻いた青年──ケーベストが何かを調べている。どうやら、ゴブリンたちが多少の金品を隠していたようで、それを物色しているらしい。
パーティを結成して半年以上。
マークたちは「巨人討伐者」の一行としてそれなりに名が通るようになっていた。
マーク自身が、隣街で開かれた剣術大会で優勝を飾ったのも相まって、その名声は確かに上がってきた感がある。
「あぁ、調子が上がってきた…そんな気がするな!」
黒髪の剣士が、その剣を高く掲げる。
一抹の不安こそあったが、彼らは確かに隆盛の時を迎えていた──。
数日後。
一行の姿は、王都の北に聳えるマウタイン山脈の中にあった。
鬱蒼と茂る木々の間から、刺すような強い日差しが降り注いでいる。
「森の中って何か落ち着くわぁ…エルフの血かしらね」
「お前は街育ちだけどな」
守銭奴コンビが口喧嘩を始める。もはや慣れた光景のようで、誰一人としてそれを止める者はいない。
ケーベストがゴブリンの巣から見つけた、古い巻物。
おそらくは、ゴブリンたちが旅人から強奪した「戦利品」だったのだろう。かなり朽ちていたが、中身はギリギリで判別できるものだった。レイナの「立体映像」の魔術によって、それを正確に再現・表示し、具体的な内容を知ることができた。
巻物の中身は、100年ほど前のとある鉱山の記録だった。
まだ王国が今の形ではなく、複数の小国が群雄割拠していた時代のもので、現在ではすでに閉山している鉱山である。
しかし、その記録によれば、戦時の混乱の中で閉山したに過ぎず、鉱山の中にはまだ貴重な鉱物が眠っている可能性が記されていた。
「その、「竜銀」って、そんなに貴重なものなのか?」
人が通らなくなって久しいのだろう。ほとんど草で埋め尽くされた獣道を歩きながら、マークが尋ねる。
「あぁ、何せ「竜」って言葉が付いた鉱物…しかも銀だぜ?」
この手の話に詳しいのは、やはりケーベストである。巻物内に書かれた「竜銀」という単語に、一際早く反応したのも彼だった。
「噂によればだが、それ自体が魔力を帯びてるって話で、昔の戦争ではそれで作った武具が活躍して、高値で取引されたらしい」
「要するに、お宝ってわけだな!」
いつの間にか口喧嘩が終わったらしい。赤毛の少年が上機嫌で話に乗ってきた。その足取りも、テンションに合わせてかなり軽い。
「私も何かで読んだことがあるけど、とても綺麗な鉱物みたい」
杖の先に巻物の映像を出し、行き先を確認していたレイナが付け足した。今回はいわゆる洞窟探索になりそうなため、命のやり取りはない。そう思うと、争いを好まない彼女の表情は心なしか明るかった。
「魔力を帯びた武具か…」
マークが腰に下げた2本の長剣の片方に手を掛ける。
以前にとある遺跡内で発見した剣で、やはり魔力を帯びていた。しかし、これは作製後に魔術師の手によって人為的に魔力が込められた品で、素材自体はごく一般的な鋼である。
竜銀なるもので作られた武具。いかなるものになるのか、彼の興味は尽きなかった──。
その夜。
森の中に開けた場所を発見した一行は、そこで野営することにした。幸い、少し離れた場所に川も流れていたため、水にも困らない。
深い森の中。木々に阻まれ、月明かりもろくに届かない、真なる暗闇。一行が囲む焚き火だけが、その場を照らす光だった。
「眠れないのか、レイナ?」
火の番を兼ねて見張りをしていたマークが気配を察し、毛布に包まっていた黄金色の髪の少女に声をかける。果たして、そこから顔を出したレイナの表情は、少し暗かった。
「…うん」
もぞもぞと毛布から出てくると、レイナはマークの隣に腰掛ける。今にも肩が触れそうなほどの距離。マークは鼓動が高鳴るのを、表情を固くしながら隠した。
「何か、嫌な予感がして…」
焚き火に照らされた、憂いを帯びた表情。いつもは可憐な印象のあるレイナだが、そこにはどこか艶やかさが感じられた。マークの視線は、彼女の横顔から離れることができない。
「この前の件か?」
「…たぶん、違う」
1週間前の件かと思ったが、予想は外れた。
「何か分からないけど、良くないことが起こる…そんな気がする…」
膝を抱えながら、レイナがその金色の瞳を伏せる。不安の色を隠せない彼女の様子に、マークはどんな声をかければいいのか、すぐには思いつかなかった。
「え…と…ほら、ここ最近、楽な依頼ばかりで平和だろ?」
しどろもどろになりながら、何とか言葉を選ぶ。周囲から聴こえる虫の声が、心臓の音でかき消されている。
「そ、そういう時は逆に不安になるとかって、前に師匠が言ってたぜ」
故郷にいる銀髪の元傭兵を思い出しつつ、マークは言葉を絞り出した。実際、そんなことを言われた記憶がある。安定している時というのは、それがいつか崩れるかもしれないと思い込み、穏やかではいられなくなるものだと。
「うん…そうなら、いいね…」
伏せた目を開き、小さく笑顔を浮かべるレイナ。しかし、その表情はまだ暗いまま。
マークは、こうなったら言葉ではなく、行動で彼女を安心させるしかないと、その手をゆっくり伸ばす。
向かう先は、彼女の肩。
「…っ」
不自然な沈黙。マークの耳には、自分自身の鼓動だけが、けたたましく鳴り響く。
彼女の肩に手を置き、少しだけ引き寄せる。たったそれだけのことのはずなのに、身体は上手く動いてくれない。
あと、数センチ…。
「よぉ、レイナちゃん、起きたのかい」
軽快な声が聞こえた瞬間、マークの手はとてつもなく速く引っ込んだ。安心したような、残念なような。何とも言えない気持ちが彼の中に残る。
「あ、ケーベスト…うん、ちょっとね」
暗闇の中から、バンダナを巻いた青年が顔を出す。
今はマークとケーベストの2人が見張り番であった。斥候らしく夜目の効く彼が、周囲を見回りに行っていたのだ。
「ま、とりあえず周囲は大丈夫そうだぜ」
さすがに夜は冷える。ケーベストは両手を擦り合わせながら、焚き火の前に座った。
「とりあえずは…な」
「…? 何かあったのか?」
何か含みのある言い方をした青年に、マークは怪訝な表情を浮かべた。
「いや、なんでもない。それより…」
大袈裟なくらい手を振った後、ケーベストは話題を変えるように切り出す。
「邪魔して悪かったな、青少年」
「っ…う、うるせぇ…!」
「…?」
ニヤニヤと笑みを浮かべるケーベスト。
耳まで真っ赤にするマーク。
状況が理解できないレイナ。
そんな3人の様子を、寝ていたはずの残り3人がこっそり、毛布から顔を出して眺めていた──。
ケーベストには1つだけ、不可解なことがあった。
ずっと自分たちを尾けていた2人組の中年男性。その気配が、今朝辺りからパタリと消えてなくなっていたのだ。
その確認も兼ねて、周囲の見回りに行ったのだが、やはり、例の2人の姿は影も形もなかった。
突然、なぜ?
その答えは、彼には出すことができない。
不安を押し殺しながら戻ってみれば、黒髪の少年が、その手を幼馴染の肩に回そうとしているではないか。
まったく、青春しているなと、笑いを噛み殺すのに必死になった。
若者たちに、不安な思いをさせるわけにはいかない。
最年長の青年は、それだけを心に決めていた──。
月明かりさえ届かない、深い森の暗闇の中。
その闇のように黒い道着に身を包む人影が1つ、大木の枝に乗っていた。
「しばし様子を見るか…」
視線の先に、小さく見える焚き火の灯り。
その火と同じように真っ赤な髪を逆立て、ジャカンは鋭い目を向けていた。
王都に辿り着き、マークたち一行の動きを探っている中、彼は別の2人組の存在に気がついた。
その正体が「奴ら」であると察した彼は、人里を十分に離れた頃を見計らい、すぐさま2人を《《消した》》。
「彼奴等も「聖女」を狙うか…面白い」
自分が求める「闘争」を存分に味わえる時は近い。
ジャカンは口元を大きく歪めると、夜の闇の中に、その身を溶け込ませた。
しばらく後。静まり返っていた虫たちが、再びその声を上げ始めた──。




