第三章 後編 「露見」
再び、時間を少し遡る。
セイザンとアスリィの2人は、サイレスの私室の扉をゆっくりと開けた。
今は深夜である。サイレスはおそらく貴族らしく、大きな寝具に体を横たえて寝ている。そう思っていた。
「な…に…?」
セイザンが目を見開く。
そこには、ソファの上で踏ん反り変えりながら、ニヤニヤとした笑みを浮かべた人物がいたから。
イズナー卿から聞いていた通りの、やや肥満体質の30絡みの男性──サイレスに間違いなかった。
さらに、そのそばには涼しげな顔をして立つ、やけに色白な青年の姿があった。
「よう、お出ましかい」
「ど、どういうこと…?」
ゆっくり立ち上がるサイレス。《《まるで自分たちが来ることを知っていたかのような》》物言いに、アスリィは恐怖にも似た感覚を覚える。
彼女を庇うように、セイザンは剣を構えて前に立った。
「あんた、サイレス卿…だよな? 俺たちが来るのを知ってたのか?」
「あぁ、知っていたとも」
サイレスは傍に立つ謎の青年の隣に立つ。
そして、唐突にその身体から力が抜けたように倒れた。
「えっ…?」
セイザンも、そしてアスリィも、目の前の状況が分からない。
サイレスは意識を失ったように、横たわったまま動かない。呼吸はしているようだったから、生きてはいるらしい。
「もう、彼は用済みなので、眠ってもらいました」
穏やかな声。
色白の青年は、その真紅の瞳で足元に倒れる男性を見下ろす。
長い黒髪と、同じく黒の装束に身を包んだ、20代と思われる風貌。しかし、その異様なまでに白い肌と、そこにうっすら浮かぶ青い血管のような筋。
それらに、セイザンもアスリィも見覚えがあった。
「ま、まさか…あんた、魔族か…?」
「…あぁ、そうですよ」
セイザンの質問にあっさりと答えると、青年はその目の色を変える。赤黒く変化した眼球が、ゆっくりと揺らめく炎のように変化した。それは、あの遺跡で見た魔族と同じもの。
さらに、額を内側から突き破るように、大きな捻れた角が姿を現す。肉を裂くような音を立てて生えてくるその様子に、アスリィは嫌悪感と嘔吐感を覚えた。
「初めまして、冒険者さん。私は魔族…ミルズと申します」
おぞましい外見に変化しながら、その口調は丁寧なままだ。それが余計に、恐怖心を煽り立ててくる。
優雅に、それこそ貴族のような所作で一礼する姿もまた、どこか禍々しく感じられた。
「ある目的のため、貴方たちをここに招待させていただきました」
「ある…目的?」
ジリジリと、セイザンとアスリィは後退りする。このまま部屋の中にいるのは不味いと、本能的に感じ取っていた。せめて廊下に出て、1階に降りるための導線を確保しなければ。言葉を交わさずとも、2人は同じ考えを抱いていた。
「ですが、残念ながら、貴方たち2人には用はありません…」
ゆっくりと、ミルズと名乗った魔族はその右手を挙げる。
そして、穏やかな笑みを浮かべていたその口角を、裂けそうなほどに広げた。
もとい、その口は左右に大きく裂けていた。
「逃げるぞ!」
「賛成!」
瞬間、2人が部屋から飛び出る。ミルズが何をしようとしているかは分からなかったが、近くにいるのは危険。とにかくそう判断し、全力でその場から走った。
しかし、《《部屋からは出られなかった》》。
まるで風船のような何か。空気の壁に遮られたように、2人の身体は弾力のある何かに弾かれた。
「う、嘘でしょ...」
アスリィが手を伸ばしてみると、確かに見えない壁のような何かを感じる。
完全に閉じ込められた形だ。
「用はありませんが...生かしておく理由もまた、ありません」
ビキビキと音を立て、ミルズの両手の爪が伸びる。ちょっとした短剣ほどの長さになった、赤黒い爪。
「出会ったばかりで恐縮ですが...さようなら!」
裂けた口から青白い舌を垂らし、端正だったはずの面影など一切なくなった姿で、ミルズは跳躍。
その爪が、セイザンを肩口から切り裂く。
...ことはなかった。
ガキィッ!
「むっ...!」
「やるしかないってなら...やってやるさ...」
円形の盾が、その爪の一撃を防ぐ。かつてオーガ に砕かれたものとは違う。上質な鋼鉄で補強されたそれは、魔族の攻撃にも耐える強度を見せてくれた。
「俺たちでやるぞ、アスリィ!」
「しょうがないわ...ねぇ!」
アスリィが横に飛びながら、素早く矢を放つ。セイザンを注視していたミルズは反応が遅れ、矢は側頭部に命中。
しかし、魔力のこもった攻撃でなければ、魔族の身体にはほとんど傷は付かない。
「こんなもの、効きませんよ?」
ミルズの言葉に、アスリィは顔を歪める。吐き気を催すような顔から、涼しげな声が聞こえるというギャップ。生理的嫌悪感が湧き出してくる。
「知ってるよ!」
矢は注意を少しでも逸らすためのもの。僅かにできた間隙で、セイザンは精霊魔術を発動。
雷を纏った剣が、ミルズに叩きつけられた。
ギィンッ!
「人間にしては、やりますね...」
鉤爪で攻撃を防ぎ、ミルズがやや後退。そして防いだはずの爪に、ほんの微かだがヒビが入っていることに気づき、口調を一段階落とした。
「いつもアイツばかりに、いいカッコさせられないからな!」
距離を取ったミルズを、セイザンは休まず追撃する。覚えたての風の精霊魔術「飛翔」を発動し、一瞬で間合いを詰める。
「なるほど...これは...!」
この半年で、着実に彼も成長していた。「飛翔」のスピードを乗せた一撃は、魔族相手にも十分に通用する重さと速さを持っている。たかが人間と侮っていたミルズは、驚きを隠せなかった。
「伏せて!」
「...っ!?」
アスリィの声と同時に、ミルズの視界にいた赤毛の少年の姿が消える。そう思った瞬間、顔面に衝撃。
神聖魔術の「気弾」による一撃が、魔族の視界を一瞬だが奪い取る。その隙にセイザンの斬撃が閃く。
「がはっ!」
肩口を切り裂かれ、ミルズは青白い血を吐きながら後退する。セイザンとアスリィによる息の合った連携は、魔族を確実に追い詰めるほどの力を見せていた。
「ど、どうだ...!」
魔術を多重に使った上に剣を振るっていたセイザンは、さすがに肩で息をするほどに消耗していた。しかしアスリィはそんな彼に、すぐさま「疲労回復」の魔術をかける。
「もう、魔族にだってそうそう負けないぞ...」
ある程度体力を回復できたセイザンは、改めて雷を纏った剣を魔族へと向ける。
「お前の目的ってやつを教えてもらう」
わざわざ自分たちを招待するような理由が、セイザンには見当がつかなかった。それを知ることが、おそらくはこれからの旅で重要な要素になる。漠然とだが、彼はそう考えていた。
「さぁ、話してもらうぞ!」
ミルズは肩口を押さえたまま動かない。
傷口からは青白いものが流れている。それが魔族の血ということだろうか。
「...死んでる...わけじゃないよね?」
「それはさすがにないはずだ...」
傍らに立つアスリィがおそるおそる尋ねる。この程度で倒せるほど、魔族は容易い相手ではない。あの遺跡での戦いは、これまで何度も頭の中で繰り返してきた。
魔族の生命力は、人のそれとは比べ物にならない。
「...ふっ...ふふ...」
小さく、ミルズから声が漏れた。
それは間違いなく、この状況を楽しむ笑み。
「いやはや、思ったよりお強い...素直に驚きましたよ」
肩口から手を離すと、そこにはもう傷はなかった。
そして、魔族の姿が、徐々に肥大化していく。
「くっ...」
セイザンは戦慄した。
《《ミルズが本気ではないこと》》は薄々勘付いていた。頭部の角や、赤黒い炎の目など、異形な部分は確かにある。しかし、それでも遺跡調査の時に出会った魔族と比べたら、まだ《《人らしい姿》》と言える。さらなる本性、さらなる姿を隠しているのではと、内心で思っていた。
「探し物ついでのお遊びのつもりでしたが、さすが高名な冒険者というわけですね」
セイザンとアスリィ、2人の視線が上がっていく。
そこには、端正な顔立ちをした色白の青年の面影などなかった。
貴族の屋敷の、高い天井に届きそうなくらいの巨体を持つ、白い肌の怪物が立っていた。
「モウ容赦ハ...シナァイッ!」
「うわぁっ!」
ガシャァァァンッ!
解き放たれた咆哮。それは物理的な衝撃波となって、2人を襲った。
カーテンが閉ざされた窓。吹き飛ばされた2人はそこを突き破り、階下に広がる庭園へと投げ出される。
「くっ...飛翔!」
割れた窓ガラスで全身に切り傷を負いながら、セイザンは空中で飛行魔術を発動。共に投げ出されたアスリィを抱え、なんとか庭へと着地した。
「あ、ありがと...セイザン」
アスリィもまた、全身に傷を負っていた。自分とセイザン、2人に同時に「治癒」を発動し、回復を図る。
そこに、あの青白い巨体が降りてくる。
マークたちが見たのは、ちょうどこの光景だった。
現れた巨体、そして傷を負っている親友の姿に、マークはすぐに窓を蹴破り庭へと飛び出す。
「セイザン!」
「ま、マークか...!」
マークに続いて、レイナ、そしてケーベストが駆けつける。まだ状況を飲み込めていないアルバのみ、廊下から様子を窺っていた。
「こ、こいつは...まさか...!?」
「えぇ...サイレスを操っていた魔族よ」
青白い巨体は、確かに以前見た魔族によく似ていた。違うのは、角の捻れ方と、鉤爪が伸びていることくらいか。
「っ...!」
レイナは、その姿を見て「自分の中の何か」が警告しているのを感じていた。
身体の中が熱い。言いようのない何かが溢れてきそうな感覚に、戸惑いと苦しさを覚えた。
「ハァッ! 貴方! 貴方デスネェッ!」
青白い巨人──ミルズが、黄金色の髪を持つ少女に目を向けた。その声は上ずり、狂喜とも言える色を持っていた。
「な、何だ...何を言ってる!?」
マークが大小2本の剣を構え、レイナの前に立つ。魔族が言っていることの意味が、彼には全く分からない。
「や、ヤツは、ある目的のために俺たちを招待したって言ってた…」
「でも、アタシたち2人には用がないって...」
限られた情報から、セイザンは推測を立てる。自分たち2人に用はなく、しかしこのパーティをわざわざ貴族まで操っておびき寄せた。そして、レイナに対する発言。
「狙いはレイナ...なのか...?」
なぜ魔族が彼女に狙いを定めるのか、それはセイザンにも予想ができない。ただ、それが分かればやることは1つだ。
「マーク! レイナを守るぞ!」
「そんなの...当たり前だ!」
事情は分からないながらも、マークとセイザンは共に剣を構える。ケーベストは、レイナの傍らに守るように立った。
「俺の後ろに隠れてなよ...」
長身の斥候はそう声をかけたが、来ると思っていた返事は聞こえなかった。
「...レイナちゃん?」
ふと振り返り、ケーベストは我が目を疑った。
レイナの身体から、金色の光が少しずつ漏れ出していた。
マークの剣が閃く。つい先日、古代の遺跡から見つけた、魔力のこもった長剣。うっすらと青白く輝く刀身が、魔族の皮膚を確実に切り裂く。
セイザンも、雷の宿った剣を振るい、それに続いた。
「モウ、貴方タチニ構ッテル暇ハナイノデス!」
ミルズが両腕を大きく振る。鉤爪から赤黒い光が飛び出し、それがいくつにも分裂し、マークとセイザンに襲いかかった。
「ぐおぉっ!」
「うあっ!」
マークは剣で、セイザンは盾で、それぞれなんとか防ぐ。吹き飛ばされた赤黒い光が、周辺の草花を焦がした。
「サァ、ドイテ下サイ!」
次いで振るわれる鉤爪の一撃に、2人は防御ごと跳ね飛ばされる。なんとか体勢は立て直すが、疲労も重なり、膝をついてしまう。
「私ト共ニ来テモライマスヨ!」
「レイナっ!」
マークが叫んだ。
青白い巨体が、レイナの前へと迫る。
しかし、そこで足が止まった。
「ムッ...コ、コレハ...」
見れば、レイナの身体から金色の光が溢れていた。それはみるみるうちに全身を覆い、やがて1つの形を作っていく。
「れ、レイナ...?」
マークは見た。黄金色の髪の少女に、巨大な金のシルエットが重なるのを。
それは大きな翼と角、そして長い尾を持つ姿。
「あれは、まさか...竜...?」
アスリィが言葉を漏らす。その姿は、1000年前に魔王を封印したと伝えられる、竜の姿に似ていると思えた。
『邪悪なる者、魔族...』
レイナの口から、彼女のものではない声が放たれる。それに、レイナ自身もまた驚いていた。
魔族を見た瞬間、遺跡調査の時の光景が脳裏に蘇った。また、仲間たちが傷付けられてしまう。彼女にとって、それは耐え難いことだった。
みんなを守りたい──。
そう思った時、レイナの身体から「力」が湧き上がってきたのだ。
『消えなさい...!』
再び、レイナではない言葉が紡がれる。そして、彼女の意志ではない別な力によって、その腕が大きく振るわれた。
その腕には、巨大な竜の爪が重なって見えた。
「ガッ...アァァァッ!」
光が降り注ぎ、それを浴びたミルズが悶え苦しみ出す。その身体からは、まるで何かな焼かれたような音が響き渡っていた。
「ハ...ハハハッ...間違イナイ...貴方ハ...!」
しかし、苦しんだのは一瞬。
ミルズは歓喜の声を上げながら、その手をレイナへと伸ばす。
「やらせるかぁっ!」
一閃。
マークの渾身の剣が、伸ばされたその腕を切り落としていた。
「見ツケタ...見ツケタ...「聖女」ダッ!」
「せ、せいじょ...?」
聞き慣れない単語を聞き、セイザンは眉をしかめる。それが、奴の言っていた「目的」なのか。
「見ツケマシタヨ...魔王サマ...!」
ミルズの身体が、徐々に薄くなっていく。
その光景は、アルバも含めその場にいた者全員の目を釘付けにしていた。
「コレデ...貴方サマノ...封印ガッ...!」
再び、レイナの腕が振るわれる。
黄金色の巨大な竜の爪が、魔族の身体を鷲掴みにした。
「アァァァァァ...!」
光が溢れ、そして魔族の姿は消えていった。
まるで、最初からそこにいなかったかのように。
全ては、最初からミルズが仕組んだことだった。
サイレスだけではない。彼の兄イズナー卿ですら、魔族に操られ、マークたちをおびき寄せるために利用されていたのだ。
騒ぎの翌日。正気を取り戻したイズナー卿、そしてサイレスさえも、ここしばらくの記憶を失っていた。
サイレスの身辺調査という、依頼そのものも忘れてしまい、逆にマークらが不審がられることになってしまった。
止むを得ず、一行はそそくさと引き下がるしかなかった。
レイナは、ミルズが消えた直後、意識を失い倒れてしまった。
あの金色の竜は何だったのか、誰もそれに答えを出せないまま、宿に戻ることになった。
「あの時、ヤツは「聖女」って言ってたが...」
「それは一体何なんだ...?」
丸1日が経っても、レイナは目覚めない。アスリィが「覚醒」の魔術を使ったが、効果はなかった。
レイナを覗くマークたち《《5人》》は、宿の食堂でひたすら頭を捻るばかり。
と、そこでマークが1人を睨みつける。
「って、何でアンタもここにいるんだよ!」
そこには、フードを目深に被った色白の青年──アルバの姿があった。
いざこざの後、気がつけば一行と共に宿にまで付いてきた彼は、その指摘を受けても涼しい顔を浮かべている。
「...行くアテがなくなったからな」
サイレスの記憶が消えたせいで、彼を雇ったということまで忘れてしまった。半魔である彼は、せっかく見つけた働き口を失ったことになる。
「ケーベストには貸しもある...お前たちに付いていかせてもらおう」
「マジで言ってるのかよ...?」
落ち着いた口調で言い放つその言葉に、特に含みは感じられない。
「ま、まぁ、コイツは強いし、仲間が増えるのは良いじゃないか」
肝心のケーベストはどこか落ち着かない様子だ。アルバの言う「貸し」が何かは知らないが、よほどのものなのだろう。
「俺は構わないけどな」
「アタシも、いいと思うわ」
セイザンとアスリィはあっさりアルバを受け入れた。角を持つ半魔という存在には驚いたものだが、ケーベストの旧知ということもあり、警戒心は最初から薄かった。
「はぁぁぁ...」
マークは大きく息を吐いた。彼としても、アルバに対しての敵意はもうない。一度は敵として剣と拳を交えた相手ということもあって、警戒してしまったに過ぎない。
「分かったよ...アルバ、だったな...よろしくな」
「あぁ...」
マークとアルバが握手を交わす。
新たな仲間の加入に、一行の空気は喜びと期待に溢れていた。
しかしそれは、不安を隠すための欺瞞でしかないことを、全員が自覚していた。
「聖女」とは一体何か...。
その謎は、程なくして明かされることとなる。
しかしその時、彼らの運命が大きく動き、激しい渦となっていくとは、誰も予想できなかった。
「塔」の最上階に位置する「四聖賢の間」。
そこに、1人の少女が立っていた。
長い黒髪に、白い巫女のような服を纏った少女。
見た目は10代前半程度だろうか。だというのに、やけに露出度の高い服を着ていることが、妖しい雰囲気を醸し出していた。
「「聖女様」を、見つけたのじゃな...?」
少女の氷のように冷たい視線を受ける者が1人。屈強な肉体に数多くの傷跡を付けた壮年の男性──アルベルトだ。
彼は、少女の前に跪いていた。
「...はい...ファルミナス様...」
その表情は険しく、額には冷や汗が流れている。小柄な少女の前だというのに、アルベルトは完全に萎縮していた。
「なぜ、すぐに儂に報告しなかった?」
「そ、それは...本当に「聖女」かどうか、確信が持てず...」
ファルミナスと呼ばれた少女は、アルベルトの返答に僅かに目を細めると、身を翻し背を向けた。
「...もう良い、お主はすぐに「聖女様」をお迎えにあがれ」
「は...はっ!」
その言葉を聞き、アルベルトはすぐにその場を辞した。
残されたファルミナスは、「怒り」とも「哀しみ」ともとれる表情を浮かべていた。
「ついに...ついに見つけましたぞ...姉様...」
その時の彼女の目には、少女の外見には不釣り合いな、深き皺が刻まれていた...。




