第三章 中編 「半魔」
深夜。虫たちの声だけが小さく響く。
マークたち一行の姿は、王都の郊外、イズナー卿の弟──サイレスの屋敷を望む丘の上にあった。
イズナー卿からの依頼を受けてから2日後。準備を整えた5人は、ついに屋敷への潜入を開始することにした。
「なんでも、サイレスってやつは凄腕の用心棒を雇ってるらしいぞ」
セイザンの言葉に、マークは少し心を踊らせていた。
街で聞いた話では、サイレスは兄であるイズナー卿とはあまり仲も良くなく、屋敷の自室にこもっていることが多い、内向的な人物らしい。
他人に対する興味も薄いため、使用人も最低限しか雇わず、私兵と呼べるものもいない。それ故に、自衛のために用心棒を1人、雇っているということだった。
「凄腕か...こんな時じゃなければ、ぜひ剣を交えてみたいもんだぜ」
「残念、剣じゃなくて格闘技を使う用心棒って話だったな」
腰の剣に手を置き、ワクワクした様子の親友。セイザンはそれに軽口で返す。
「さて、じゃあ、手筈通り、3手に別れて行動開始だな」
潜入任務なら当然、斥候であるケーベストの専売である。各人のスキルを考慮し、彼は手分けしての屋敷潜入作戦を考案していた。
「まずは...音を消すぞ」
セイザンが新たに習得した、風の精霊魔術である「静音」を発動させる。空気の流れを操作し、音を外部に漏らさないようにする術だ。
「次は私...透明...!」
続いてレイナが、姿を見えなくする言語魔術を発動する。
5人の音を消え、姿も見えなくなった。これでよほどのことがなければ、潜入がバレることはない。
とはいえ、それぞれの魔術は一定時間で効果が切れる。素早く潜入して、短時間で調査を終え、迅速に脱出。まさにスピード勝負。
それ故に、イズナー卿から事前に受け取っていた、サイレス邸の間取り図をもとに、3箇所を同時に調べるという作戦を立てた。
内訳はマークとレイナ、セイザンとアスリィ、そしてケーベスト単独。
それぞれ担当するのは、1階の書庫、2階の私室、そして地下室となっている。
「よし、行くぞ...!」
マークの声と共に、冒険者たちは行動を開始した。
屋敷への潜入はやはり容易かった。
門扉、そして玄関の扉を、ケーベストがあっさりと解錠。その先のホールは、貴族らしい豪華な装飾に彩られ、真っ赤な絨毯が敷かれていた。サイレスは他者には興味がないと聞いていたが、自分のテリトリーは着飾りたい性分らしい。
ホールには人影もなく、5人はそこで、それぞれの担当場所へ向かうべく、散開することになった。
「魔術が切れたら、無理に長居せず脱出するんだぞ」
マークの言葉に、セイザンやケーベストが小さく応答した。
とにかく、潜入に気づかれないことが第一である。何かやましいことの証拠があれば良いが、本当にあるのかも分からないものを探すというのは、かなり骨が折れる。
魔術の効果が切れた後も、躍起になって探索を続けていては、見つかるリスクも上がるだろう。
そうして、セイザンとアスリィは2階へ、ケーベストは地下へと、それぞれ駆けていった。
マークとレイナは、1階の廊下を早足で、しかし慎重に進んでいた。
2人とも、もとより潜入や探索の心得などない。魔術による補助だけが頼みだ。
「マーク、こっち」
「おっと、そうだった」
屋敷の間取りは、レイナの頭の中に完璧に収まっている。マークの方はややうろ覚えだ。
2人が担当するのは書庫。証拠集めをする場としては、もっとも期待できなかったが、何か隠されている可能性は否定できない。
解読が必要な書物があった場合、それができるのはレイナだけだ。マークはその護衛という立場となっている。
ほどなくして、誰にも会うことなく、2人は書庫にたどり着いた。
セイザンとアスリィは2階に上がり、その奥にあるサイレスの私室兼寝室を目指していた。
屋敷の主は、ほとんどの時間そこにこもっていて、書物を読むばかりの自堕落な生活をしているらしい。典型的なダメ貴族というやつだ。
「おそらくサイレスも寝てる時間だろう」
「慎重に...場合によっては縛り上げちゃうか」
サイレス本人と接触する可能性が高いこともあり、最悪の場合は本人を捕らえて尋問するのも視野に入れている。それ故に、交渉事に慣れたこの2人が選ばれた。
「私室...ここね」
2階の最奥。
両開きの大きな扉の前で、2人は念の為にそれぞれの武器を手に取る。例の用心棒を控えさせている恐れもあった。
「よし...入るぞ」
鍵はかかっていない。セイザンはゆっくりとその扉を開いた。
ケーベストの姿は地下にあった。
もし、貴族が何かを隠すのであれば、もっとも可能性が高い場所である。
間取りを見る限り、それなりに広い空間がそこには広がっているようだった。探索にも時間がかかると判断し、もっとも効率よく動けるケーベストがここの担当となった。
「ここは...ワインセラーか?」
地下には棚に置かれた大量の酒瓶があった。どれもこれも、なかなかの年代物のワインと思われた。サイレスの数少ない趣味が酒だったため、この光景自体は予想通りでもあったが。
「ったく...良い酒ばかり集めやがって...」
こんな事態じゃなければ、何本かくすねてやったろうに。そんなことを考えながら、ケーベストは地下を念入りに調べていく。
壁や床。どこかに仕掛けがあって、隠し部屋が現れる。貴族の屋敷なら、それくらいあっても不思議ではない。
しかし、そのようなものは見つからなかった。思ったより時間をかけてしまい、魔術の効果も切れてしまった。
「ちっ、ハズレかよ」
魔術が切れた今、長居する訳にはいかない。
ケーベストは地下から出て、1階のホールまで戻ってくる。
その時、1階の奥から喧騒が聞こえてきた。
少し時間を遡る。
マークとレイナは早々に書庫にたどり着き、そこを調べていた。
しかし、めぼしいものは特に見当たらず、魔術の効果もほどなく消えると判断し、やむを得ず撤収することにした。
「やっぱり地下か、私室が当たりだったかもね」
「仕方ない、戻ろう」
書庫を出て、屋敷の外に出るべくホールに向かう2人。
しかしその時、マークは刺さるような気配を感じ、レイナを制止した。
「マーク?」
「...誰だ...?」
廊下の先。ホールに繋がる扉の前に、1つの人影が立っていた。窓から差し込む月明かりに照らされたその人物は、フードを目深に被っていて、表情は読み取れない。
ただ、胴体を覆う袖のない簡素な武道着は、その鍛え抜かれた肉体を惜しみなく晒していた。
両腕には、黒い鉄甲が装着されていて、明らかに剣などで戦うようには見えない。
「噂の用心棒の登場...ってわけか」
「で、でも、今は私たちの姿は見えないはずじゃ...」
確かに、まだレイナのかけた「透明」の効果中だ。しかし、目の前の人物の視線は、間違いなくマークたちに向けられている。
《《見えている》》としか思えなかった。
「...姿を消しても、気配までは消せん」
静かな、しかし確かな敵意が込められた声。
格闘家は、腰を落として構えを取る。
「...レイナ、透明の術を解除してくれ」
「え、でも...」
「アイツをどうにかしなけりゃ、脱出なんて無理だ」
戦うしかない。マークは2本の剣を抜いた。むしろ、彼にとっては願ったり叶ったりの状況だ。であれば、余計な術などない方が良い。
マークの言葉に、レイナはため息をつく。強そうな相手を前にすると、彼はいつもこうだ。きっと1人で戦うと言い出すに違いない。そしてそれを邪魔されることを極端に嫌がる。
いずれにせよ、相手を倒さない限りここから出られないのは明白。レイナはマークの声に従う他なかった。
透明化が解除され、剣を構えたマークの姿が月明かりの元に現れる。
対峙する二刀の剣士と格闘家。
しばらく後、2人は同時に跳躍した。
月明かりを反射しながら、マークの剣が閃く。
相手は鉄甲を身につけているが、それで彼の剣を受け止めるなど不可能。
そのはずだった。
「硬質化」
ガギッ!
「な...にぃ...?」
剣は、《《拳によって受け止められていた》》。
格闘家の放った「力ある言葉」により、現実が改変。両拳が強固となり、赤黒い光が宿った。
「げ、言語魔術!?」
レイナが戦慄する。
言語魔術は、他の魔術と比較しても難易度が飛躍的に高い。故に、戦士との兼業で習得するなど極めて困難であり、これまでの旅でもそんな人物には出会ったことがなかった。
そう、今この時までは。
「ふんっ!」
「ちぃっ!」
強烈な回し蹴り。マークは間一髪でそれを躱し、間合いを取りながら牽制として突きを放つ。
それは相手には届かなかったが、そのフードに引っかかり、ビリビリと音を立てて引き剥がしていた。
「お、お前...!?」
マークは目を見開いた。
フードが取れた相手の額から、2本の角が生えていたのだ。
赤黒い、光沢のある角。飾りなどではない、正真正銘、それは額から突き出していた。
「まさか、魔族...なのか」
「……」
相手は答えない。代わりに床を蹴り、壁を蹴り、3次元的な挙動でマークに襲いかかる。
「こ...の...!」
正拳、後ろ回し蹴り、裏拳、前蹴り。
流れるような攻撃の連続を、マークは防ぐのが精一杯だった。
格闘家と戦うこと自体、初めてのことだったが、魔術まで使うなど完全に想定外。どうしても対応が遅れる。
「...魔力散弾」
「...!?」
連撃が収まり、いざ反撃を仕掛けようとしたその時、格闘家が両手を腰だめに構え、呪文と共にそれを突き出す。
魔力の光が、放射状にマークに襲いかかった。
「ぐぁっ!」
細かい魔力の弾が、マークの全身を打つ。さほど大きなダメージではないが、体勢を崩すには十分。
赤黒い光を蓄えた渾身の突きが、マークの鳩尾を捉える。
「がっ...はっ...!」
咄嗟に後ろに跳んだことで衝撃を逃がした。致命的な一撃を受けずに済んだが、そうしてなければ、今頃は腹に穴が空いていたかもしれない。
「さすが魔族...ってところか...」
腹部をさすりながら、マークは改めて剣を構えた。
どういう理由で、魔族が貴族の用心棒をしているかは分からない。
しかし理由など関係ない。
魔族であるならば、この場で必ず仕留めておかねばならない。
遺跡調査の時の魔族。そしてゴブリン掃討作戦の時の巨大ゴーレム。
あの時のような、無様な戦いはもうしたくない。
黄金色の髪の少女が流す涙は、もう見たくない。
マークの裂帛の気合いが、視線を通して相手に伝わる。
思わず、格闘家は半歩だけその身を下げた。
だがその隙を、マークは見逃さない。
「そこだぁっ!」
相手が下がった分だけ前に出る。そしてそれ以上に踏み込み、相手の間合いを踏み倒す。
マークの剣が、格闘家の肩口に薄い切り傷を付けた。明らかに浅い。
「おぉらっ!」
「っ...!」
体勢を立て直し、反撃の一手を繰り出そうとした相手に、マークの蹴りが炸裂する。
彼の剣術は二刀流と蹴りを組み合わせた変則的なもの。初見で見切るのは不可能に近い。
顎を蹴り上げられ、格闘家の身体が宙を舞う。否、相手も後ろに跳び、その衝撃を和らげていた。見切ることはできないが、相手の対応力の高さは驚愕に値した。
再び、両者はそれぞれに構え、相手をじっと見据える。
そして、激しい剣と拳のぶつかり合いを演じ始めた。
2人の戦いを、レイナはじっと見守っていた。とてもじゃないが、割って入れる隙などない。結局、自分は何もできないのかと、悔しさを覚えていた。
そんな中、彼女は違和感を覚えた。
「...あの人...」
格闘家から生えた角。
それは紛れもなく、魔族の証だと思えた。
しかし、《《レイナの中の何かが、魔族の気配を感じていなかった》》。
あの遺跡で戦った巨体の魔族からは、人間への敵意と異質な気配を感じ、見た瞬間に《《どういう訳か》》魔族だと判断できた。
その時の感覚が、あの格闘家からは全く感じられなかったのだ。
「魔族...じゃない...?」
その疑問を口に出した瞬間、聞きなれた声がその場に響いた。
「2人とも待ったぁ!」
マークも、そして格闘家さえも、その声に動きを止めた。
見ればホールに繋がる扉から、バンダナ姿の斥候が姿を見せていた。
「ケーベスト?」
マークが怪訝な表情で、視線を一瞬だけそちらに向けた。
その時、格闘家は急に目を見開くと、扉から現れた人物を凝視していた。
「...ケーベスト...」
「えっ?」
格闘家の口から、仲間の名が呼ばれる。その事実に、マークもレイナも状況が読めずに困惑するばかりだった。
戦いは唐突に終わった。
ケーベストは慌てて、マークとレイナ、そして格闘家にも事情を説明した。
格闘家の名はアルバ。
かつてケーベストと行動を共にしていた、旧知の仕事仲間であった。
彼が持つ角。それはもちろん、人間ではない証。
しかし彼は、魔族でもなかった。
半魔と呼ばれる、人間と魔族の間に位置する異質な存在。その精神は人間であり、その肉体の強さは魔族に匹敵する。
エルフの先祖返りであるセイザンのように、アルバもまた、先祖に魔族と交わりのあった者がいたことで、突然変異的にその特性が発現した、と思われる。
「てなわけで、コイツは悪いやつじゃないんだ」
「悪いやつじゃないって...言われても...」
まだマークは剣を抜いたまま、警戒を解いてはいない。
レイナはしかし、ケーベストの言葉を信じることにした。アルバの素性を知り、彼が魔族ではないことが分かった。そして、彼自身が完全に戦意をなくしていることを察したからだ。
「大丈夫だよ、マーク」
優しい口調で宥められ、マークもようやく剣を鞘に収めた。
それでも、アルバに向けた視線はまだ険しかったが。
「なぁ、アルバよ、この場は引いてくれないか」
ケーベストの言葉に、アルバはしばし沈黙する。
雇い主が、怪しげな人物と会っていること自体は、彼も知っていた。しかし自分には関知することではないとして、敢えて知らぬフリをしていたのだ。
「...俺は用心棒として雇われた身だぞ?」
「分かってるが、そこを何とか...な?」
親しげに会話する2人に、マークもレイナも複雑な表情を浮かべるばかりだ。
思えば、このバンダナ姿の斥候の過去などほとんど知らない。どのような経緯で、角のある青年と知り合ったのか、皆目見当もつかなかった。
今はただ、そのやり取りを見ていることしかできない。
そう思っていた、その時...。
ガシャーン!
何かが割れるような盛大な音が鳴り響いた。
「な、なんだ!?」
マークが音のした方──窓の外の、屋敷の庭に目を向ける。
そこには、赤毛の親友の姿があった。
「セイザン...!?」
同時に、レイナは急に全身の肌が粟立つ感覚に襲われた。
これは、紛れもなく《《あの時と同じ感覚》》。
「あれは...!」
月明かりが照らす、貴族の邸宅の庭。
そこに、赤毛の少年と対峙する、《《大きな角を生やした巨人》》が見えた。




