閑話⑨ 「惑うブルーパラディン」
第二章終了後の時系列
青の聖騎士ロアのその後の変化を描くエピソードです
「あなたは、何をそんなに怖がってるんですか...?」
何度、その言葉が脳内を巡っただろうか。もはや数える気すら起きない。
「塔」の麓。都市部に建てられた修練場にて、青い髪の騎士──ロアは1人、ただ無心で剣を振っていた。
竜の装飾が施された片手半剣。空を斬る度に、刀身を走る赤いラインが軌跡を残す。
ふと、何者かが修練場に入ってきた気配を感じた。
「何かあったの?」
声がかけられる。振り向かずとも、相手が誰かは分かった。淡い色のショートヘアと長い耳を持つ女性。ハーティという名のエルフだ。
「このところ、ずっとここに来てるみたいだけど」
彼女は腕を組み、緑の瞳を持つ切れ長の目で、じっと見つめてくる。エルフは端正な顔立ちの者が多く、ハーティも例外ではない。初対面の男性は、ほとんどの場合彼女の美貌に目を奪われる。
「…何もない」
それだけ言い放つと、ロアは剣を鞘に収めた。傍に置いていた布で、額に浮かぶ汗を拭う。
「この前の「聖女」捜索の時からよね?」
「……」
ハーティは修練場の出入り口に立っている。出ようにも出られず、ロアは光のない瞳でじっと彼女の目を見た。そこのわずかながら苛立ちの感情が見えた気がして、ハーティとしては面白くなった。
「「聖女」様に、何か言われたのかしら?」
その言葉を受け、ロアの眉がかすかに動いたのを、ハーティは見逃さない。彼とはもう10年来の付き合いになる。よく見ていれば、わずかながらの感情を察することができた。
「図星か」
「…何が言いたい?」
ロアとしても、このエルフの女性には昔から苦手意識を抱いていた。人の心に踏み込んでくるような物言いが、どうにも気に入らなかった。
「なんでもないわ。ただ…」
少しの間を置いて、ハーティは口角を上げた。
「他人に興味を抱いてくれたなら、私としては少し嬉しいと思ってね」
何も知らない者が聞いたら、まるで口説いているようにも聞こえる口調。しかしロアは、その言葉に対してほんのわずかながらのため息を返すばかり。
同時に、「他人への興味」という言葉から、不意に脳裏に浮かんだのは、黒髪のあの少年の顔だった。
愚直で澱みのない眼差しを持った、若い剣士。
「何があっても、オレが守ってみせる...!」
自信に満ちた声で、力強くそう言い放っていた彼の姿を思い起こす。
どうしてあの時、自分はあの少年に声をかけてしまったのか。
なぜ、忘れていたはずの「怒り」のような感情が、あの言葉を聞いてこみ上げてきたのか。
「ちょっと、本当に大丈夫?」
怪訝な表情でハーティが覗き込んでくる。ロアは一瞬でも呆けていたことを恥じた。
「…なんでもない…退いてくれるか」
そう言って、ロアは無理矢理ハーティの脇を通り抜け、その場を後にした。
「ちょっ…まったく…」
口調こそ困った風だったが、エルフの女性が浮かべる表情はどこか優しげで、そして寂しげだった。
空には星々が煌めいていた。
修練場を出て、「塔」にある私室に戻ったロアは、小さなバルコニーにて夜空を見ていた。わずかな風が吹き、さきほどまでの修練で熱った身体を冷やす。
青髪の騎士は、動かない表情の中に、困惑の色が浮かんでいくのを自覚していた。
《《10年前に捨てたはず》》の様々な感情が、心の片隅から顔を覗かせてくる。その感覚に、戸惑っていることを隠しきれない。
全てはあの2人が原因だと、ロアは分かってはいた。
マーク、そしてレイナという名の2人。それぞれが発した言葉が、彼に何らかの変化を及ぼしていたのは明白である。
「あなたは、何をそんなに怖がってるんですか...?」
またあの言葉が浮かぶ。
あの夜、黄金色の髪の少女に言われた、初めての言葉。
怖れている? 自分が? 何に?
そんな疑問が、ロアの中に湧き上がる。
しかしあの時「何も怖れてなどいない」という言葉を口にすることができなかった。
ではいったい何を怖れているのか、自分でもよく分からない。
自問自答を繰り返し、ロアの心は平穏を保つのに精一杯だった。そんな雑念を断ち切るために、修練場で剣を振っていた。
「何があっても、オレが守ってみせる...!」
今度は黒髪の少年の言葉がまた浮かぶ。
「守ること」と「怖れること」。
ふと、その2つから導き出される、1つの答えがあったことを思い出す。
「…そうか」
ロアはそっと、額に付けている青い宝石の嵌ったサークレットを外し、それをじっと眺めた。
「まだ…お前を忘れることができないのだな…」
一瞬、彼の瞳に明確な「光」が宿っていた。そこには無感情で冷徹な騎士の姿はない。まるで少年のような、清流のように澄んだ眼差しで、ロアはサークレットを見つめていた。
しばらくして、彼は再びサークレットを額に付ける。その顔は、元の感情のないものに戻っていた。
「マーク…レイナ…」
2人とは、また出会うことになるだろう。その時、自分が思い描いたことの「答え合わせ」ができるかもしれない。
その時が来るのを、ほんの少しだけ「楽しみ」と思いながら、ロアは部屋に戻った。
片隅に置かれた剣。それに施された竜の双眸が、主の姿をじっと見つめていた。




