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伝説の聖剣(喋る・うるさい・メンヘラ)を拾ってしまった。俺の静かな隠居生活を返せ  作者: 古沢樹


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第6話 賢くて傲慢な魔導書グリモ

 眩い陽光が瞼を突き刺し、俺はゆっくりと意識を浮上させた。


 窓の外では小鳥が囀り、森の瑞々しい空気が丸太小屋を包み込んでいる。


 一人で静かに白湯を沸かし、庭の様子を眺める平穏な時間。


 これこそが、俺が渇望した静寂の朝――



「ん、んぅ……お兄様……そんな強引に……私たちは……武器と人間なのに……」



 ……はずだった。


 右腕に伝わる、柔らかくも温かな重み。


 視線を落とせば、プラチナブロンドの髪を乱したオルタが、俺の胸元に顔を埋めて精霊体のまま微睡んでいた。


 彼女の「聖剣」という鋭利な本質をどこへいったのか、今はただの、体温の高い甘えん坊の少女と化している。



「おい、起きろ」



 物騒な寝言を呟いているオルタを揺すると、彼女はゆっくりと瞼を開いた。



「むにゃ……あ、お兄様……おはようございます……」


「……おはよう」


「……あと五分……。いえ……あと五十年だけこうさせてください……」


「……とりあえず、腕を離してくれないか。痺れてきた」


「嫌です……。お兄様の鼓動を聞いていないと、私の魔導回路が冷え切ってしまいます……。あ、そこ、もう少し撫でてください……」



 俺が溜息をつきながら、彼女を軽く押し退けようとすると、今度は布団の反対側から「もぞり」と小さな塊が這い出してきた。



「んぅ……おはよ、お兄ちゃん……。オルタお姉ちゃん、朝からうるさい……」



 目を擦りながら現れたのは、短剣のリリィだ。


 彼女は俺の腰のあたりに抱きついたまま、まだ夢心地といった様子でふにゃふにゃと身体を預けてくる。



「……まったく」



 寝る前に、剣の姿に戻っていろと言ったはずだが、二人は当然のように俺のベッドに潜り込んでいた。


 気持ち良さそうに二度寝する二人を、俺は振り解くことができず、結局寝坊することになってしまった。




 ◇ ◇ ◇




 三人の……いや、正確には一人と二振りの、奇妙な共同生活が始まって数日。


 これまでなら、朝起きて最初にするのは、静まり返った小屋で白湯を沸かすことだった。


 ゆっくりと身体を暖めながら、今日の庭仕事の段取りを考える。それが俺の愛した平穏。


 だが、今は違う。



「お兄様! 私が聖なる炎でパンを完璧な狐色に焼いてあげるわ!」


「じゃあ、小回りがきく私は切る担当ね!」



 台所に立てば、これまでは俺一人が立てる音しかしなかった空間が、一気に戦場と化した。


 オルタが火を熾そうとして加減を間違え、竃から聖なる火柱を上げれば、リリィはリリィで「バラバラになっちゃえ!」と、目にも止まらぬ速さで食材と一緒にまな板まで切り刻む。


 賑やかすぎる。いや、うるさい。


 これまでの平穏が、まるで遠い前世の記憶のように感じられるほどだ。


 俺は苦笑しながら、パンの炭化した部分をナイフで丁寧に削ぎ落とした。



「いいさ、これくらい。……オルタ、火は俺が使う。お前はテーブルを拭いておいてくれ。リリィ、お前は野菜を洗ってくれ」


「「はーーいっ!」」



 指示を出すと、二人は嬉々として動き出した。


 ようやく出来上がった三人分の朝食をテーブルに並べ椅子に腰を下ろす。


 食卓に並ぶのは、ごく普通の朝食。


 だが、椅子が三つ並び、温かな湯気が三つ分立ち上っている光景は、数日前までの俺には想像もできないものだった。



「よし、食べよう。いただきます」



 俺の言葉に、二人の精霊が満面の笑みで応える。



「「いただきまーす!」」



 一人でいた時よりも手間は増え、朝の静寂は失われた。


 俺の理想としていた「何もない隠居生活」は、もう二度と戻ってこないだろう。



 だが、窓から差し込む陽光に照らされた彼女たちの笑顔を見て、俺は不思議と悪くない気分だった。




 ◇ ◇ ◇




 昼下がり、俺は愛用の道具箱から、柔らかいネル布と、数種類の魔導オイルを並べた。


 使い込まれた道具を慈しむ時間は、現役時代から欠かさない俺の習慣であり、今ではこの丸太小屋に住まう「家族」たちとの大切な交流となっていた。


 机の上では、一振りの美しい聖剣と、鋭利な短剣が、その手入れを今か今かと待ちわびている。



「さあ、まずはオルタからだ。おいで」



 俺が呼びかけると、抜き身の聖剣が待っていましたと言わんばかりに飛び込んできた。


 オルタはその本質である刀身を俺の手元に差し出しつつ、精霊体として実体化すると、プラチナブロンドの髪を揺らしながら俺の膝に座り、顔をじっと見上げてきた。


 その瞳は期待に潤み、頬はすでに微かに上気していた。



「あぁ……お兄様の手、温かいわ。この瞬間をどれだけ待ちわびたことか……」



 彼女の刃は、純白の輝きを放つ「剛」の剣である。


 俺はオイルを染み込ませた布で、その美しい平地ひらじをゆっくりと、しかし確かな圧をかけて撫で上げていく。


 ただ汚れを落とすのではない。


 俺の魔力を指先から微量に流し込み、剣身の隅々にまで浸透させるように。


 魔力回路の澱みを押し流すイメージで、一定のリズムを刻みながら磨いていく。



「ふぁ……ん……お兄様の魔力が、奥まで……」



 オルタが精霊体の身体をわずかに震わせ、俺の肩に頭を預けてきた。


 聖剣という格式高い器に、俺の魔力が隙間なく満たされていく感覚に、全幅の信頼を寄せて身を委ねている。


 それは冷え切った身体が温かい湯に溶けていくような、至福の充足感に近い。



「ああ、身体の芯が熱くて、とっても気持ちいい……。私の魔導回路がとろけてしまいそう……」



 かつて現役時代の俺が身につけた最大の特技が、この「メンテナンス」だった。


 破壊よりも「修復」や「調律」において、俺の魔力は異常なまでの適合率を示す。


 道具の状態を完璧に把握し、その魔力回路の隅々までを支配して同調する技術。


 硬直した刀身の緊張を解きほぐしていくと、オルタは恍惚とした表情で、俺の胸元に顔を埋めてくる。


 彼女の美しい髪がさらさらと俺の腕を撫でるが、俺は構わず、剣の鍔元――神経が集中する繊細な部分に指を滑り込ませた。



「ひゃうんっ!? あ、あぁっ! すごっ、すごいわ、お兄様! そこ、自分じゃ届かない、一番痒いところに……っ!」



 オルタの身体が弓なりに反り、純白のドレスが乱れる。


 彼女の歓喜に呼応するように、刀身からは清浄な光が溢れ出し、周囲の空気を浄化していく。


 世の冒険者たちの多くは、武器をただの「使い捨ての道具」か、あるいは「強大な力の源」としてしか見ていない。


 だが、こうして指先を通じて対話をすれば、彼女たちがどこで傷つき、何を求めているかが手に取るようにわかる。



「ああ……お兄様……。そんなに丁寧に、奥まで磨かれたら……私、もう、ただの剣には戻れなくなっちゃう……っ」



 それが意思を持つ彼女たちにとって、抗いようのない「快楽」に直結していることを知ったのは数日前のことだ。


 頬を朱に染め、瞳を潤ませるオルタの姿は、およそ伝説の聖剣とは思えないほどに無防備だった。


 そんな彼女を横目に、机の上の短剣が焦れるように振動した。



「ねえ、お兄ちゃん! お姉ちゃんばっかりずるいよ! リリィも、リリィも早く磨いて!」



 待ちきれないといった様子で、短剣のリリィが精霊体となって俺の膝に割り込んできた。


 俺はオルタの刀身に防錆の香油を薄く塗り広げると、次はリリィの小さな柄を手に取った。



「わっ……きた、きたぁ……っ!」



 彼女の好む手入れは、オルタとは違う。


 彼女特有の超振動に合わせ、俺の魔力を「共振」させるようにして、刀身に溜まった微細な魔力の澱みを弾き飛ばしていくのだ。



「あはっ、あははっ! くすぐったいよぉ! お兄ちゃんの指が、私の回路を直接弄ってるみたい……!」



 リリィの回路が心地よく震える「ツボ」を探り当てるように、螺旋を描きながら、細かく、丁寧に――。


 神経の末端をリズミカルに刺激していくと、リリィは抗いようのない心地よさに翻弄され、俺の腕に甘えるように絡み付いてくる。



「あ、あぁ……すご、い……これ……っ! 脳みそまで、ビリビリしちゃう……! 震えが止まらないの……っ」



 リリィは陶酔しきった表情で俺の首筋に鼻を擦り寄せ、喉の奥で小さく鳴いた。


 彼女たちの俺に対する執着は、この「極上の手入れ」を知ってしまった身体の飢えにも起因しているのだろう。


 俺の指先がもたらす完璧な調律――。


 それを一度でも味わえば、他の誰かに握られることなど、彼女たちにとっては耐え難い苦痛でしかないのだ。



「ああ……。お兄様の手入れがない人生なんて、もう考えられないわ……」


「おにい、ちゃん……大好きぃ……」



 幸せそうに呟くオルタと、収まらない多幸感に痙攣し続けるリリィ。


 そして、俺の手入れによって彼女たちの輝きが戻るたび、俺自身の心もまた、静かに満たされていくのを感じていた。


 蕩けた表情を浮かべる二振りに、俺は苦笑して道具を片付けようとした。



 カラン、カラン――



 だが、そんな穏やかな時間を破るように、玄関の方から来客を知らせる鐘の音が響いてきた。




 ◇ ◇ ◇




 俺が庭先へ向かうと、既に誰もおらず、そこには幾重もの銀の鎖で拘束された木箱が、宛名もなしに置かれていた。


 添えられていた書簡には、簡潔にこう記されている。



『前略。英雄アリウス・レオンハート殿。貴殿を聖剣オルタの正式な「保護役」に任命する。ついては、聖剣のメンテナンスおよび魔力管理を補助するため、王国魔導省の管理下にあった「特定資産」を譲渡する。有効に活用されたし。なお、返品は受け付けない。以上』



「……」



 正直、嫌な予感しかしない。


 王国がわざわざ「譲渡」などという言葉を使う時は、大抵の場合、手に負えなくなった面倒を押し付ける時だからだ。


 さらには返品不可ときた。


 それは、オルタをここに置いておく許可を出す代わりに、厄介な「おまけ」を引き取れと言っているのは明白だった。



「お兄様……この箱、なんだか凄く嫌な魔力を感じるわ……」


「……これ、開けない方がいい気がする」



 オルタとリリィが、それぞれ俺の背中や腰のあたりから不安げに箱を覗き込む。



「そうしたいところだがな……」



 しかし、王国からの贈答品を放置するわけにもいかない。


 俺は溜息を吐き、木箱に巻き付けられた厳重な銀の鎖を、リリィの鋭い刃で断ち切った。



「これは……?」



 箱の底に収まっていたのは、一冊の重厚な魔導書だった。


 表紙は深い紺色の革で覆われ、中央には金細工で縁取られた「巨大な一つ目」の紋章が鎮座している。


 その瞳は、まるでこちらの魂の価値を値踏みしているかのように、怪しい光を放っていた。



「なに、この不気味な本……」



 そう言ってリリィが魔導書に手を伸ばそうとした刹那、



「――触るな――」



 本の中から、凛とした、しかしどこか傲慢な響きを持つ女の声が上がった。


 次の瞬間、魔導書から深淵を思わせる漆黒の魔力が溢れ出し、ページが勝手にパラパラと音を立ててめくれていく。



「な……」



 俺たちが呆然と見つめる中、溢れ出した濃密な魔力は急速に熱を持ち、一人の女性の形へと収束していく。



「――はぁ。ようやく空気の澱んだ箱の中から出られましたわね」



 現れたのは、知性を人の形に凝縮したような美少女だった。



「暗いし狭いし、私の頭脳が腐るかと思いましたわ」



 顎のラインで切りそろえられた、夜空のような深い紺色のボブカット。


 彼女の理知的な顔立ちには、銀縁のモノクル(片眼鏡)が掛けられ、その奥にある瞳は、冷徹な青色を宿している。


 スリットの深く入ったシックなローブを纏ったその美少女は、顕現するなり優雅に空中で足を組むと、不機嫌そうに辺りを見回した。



「それにしても……なんですの、この知性の欠片もない丸太小屋は? このわたくし、『賢魔導書グリモ・アルマデル』をこんな泥臭い場所へ運び込むなんて。王国魔導省の連中も、ついに狂いましたの?」



 そしてグリモはモノクルを指先でクイと押し上げると、俺をジロリと一瞥した。



「……それで貴方が、私の新しい『所有者』ですの?」



 その視線は、まるで出来の悪い教え子を見る教師のそれだった。



「見たところ、腕力だけが自慢の野蛮な冒険者にしか見えませんが……。あ、私に触れる時は事前に許可を取りなさい。知を解さぬ者の指先など、不愉快極まりありませんから」



 挨拶代わりの辛辣な言葉に、俺はため息と共に天を仰いだ。



(……やっぱり、こうなるのか)



 オルタとリリィにすら手を焼いているというのに、今度は見るからにプライドの高そうな「知の怪物」である。


 俺の隠居所にまた一つ、意思を持つ禁書――賢魔導書グリモという面倒な火種が運び込まれたのだった。

最後までお読みいただきありがとうございました!


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