第5話 新たな隠居生活の始まり
遠ざかっていく蹄の音を聞きながら、俺は深い溜息を吐き出した。
荒れ果てた庭には、馬車の残骸や兵士たちの装備が、夕陽を反射して虚しくキラキラと輝いている。
「……さて。どうしたものかな、これは」
俺が独り言ちると、背後から二つの視線を感じた。
振り返ると、そこには地べたに座り込む二振りの武器(精霊体)がいた。
少し気まずそうに俯くリリィと、泥だらけのドレスの裾を握りしめ、オルタは捨てられた子犬のような瞳で俺を上目遣いに見つめている。
「……お兄様。私、本当に反省しているわ。勝手に帰ってきて……」
俺はオルタの言葉に静かに耳を傾けた。
「でも、でもね! あんな冷たい石造りの部屋に閉じ込められるなんて、耐えられなかったの! あんな……ただの『飾り物』として生きていくなんて……!」
オルタは両手をぎゅっと握りしめ、必死に言葉を紡ぐ。
その声は、伝説の聖剣としての威厳など微塵もなく、ただ一人の少女としての切実な叫びだった。
「……ふん。そんなしおらしいこと言っちゃってさ」
リリィが毒づくが、その声には先ほどまでの刺々しさはない。
むしろ、同じ「意志を持つ道具」として、帰る場所を失う恐怖を知る彼女なりの、不器用な同情が混じっているように聞こえた。
「ふぅ……」
俺は空を仰いだ。
鳥のさえずりで静かに目覚め、畑を耕し、夜は独りで読書に耽る――。
それが長年戦い続けてきた俺の、ささやかながら夢にまで見た隠居生活だ。
「……オルタ」
名前を呼ぶと、彼女の肩がビクリと跳ねた。
「……この狭い家には、お前を飾っておくような豪華な台座も、称えてくれる民衆もいない。あるのは、泥だらけの畑と、小うるさい妹分と、そして……隠居した不愛想な男だけだぞ」
オルタの瞳に、一気に光が戻る。
「そ、それって……」
だが、ここまで関わってしまった彼女を、ただの「道具」としてどこかへ押し付けることは、もはや俺にはできなかった。
「ここに居たいなら勝手にしろ。ただし……」
俺は一歩近づき、彼女の頭にぽんと手を置いた。
「次に喧嘩して家を壊したら、二人とも外に放り出すからな」
道具が、自分自身の幸せを願う。
それは本来、あってはならない事態だが、同時に、これほど愛おしい「不具合」も他にないだろう。
「――お兄様っ!!」
投げやりな俺の言葉が終わるか終わらないかのうちに、オルタは弾かれるように抱きついてきた。
「私っ、掃除でも洗濯でも、何でも手伝うわ! 豪華な台座も、騎士たちの礼賛もいらない。私が欲しいのは、お兄様がくれるその温度だけだから……っ!」
嬉しそうなオルタを横目に、リリィは頬を膨らませていた。
「もう、お兄ちゃんは甘いんだから……」
そう文句を言いながらも、その声色にはどこか安堵の響きが混じっていた。
「リリィももう少し素直になったらどうだ? 本当はオルタのことを認めているんだろ」
「え……?」
俺の言葉にリリィがキョトンとする。
「さっき言ってたじゃないか。私と違ってお姉ちゃんは立派で綺麗だって」
「わーーーっ、わーーーーっ!! もう、お兄ちゃんってば、余計なこと言わなくていいから!!」
リリィが顔を真っ赤にして俺の言葉を遮る。
一緒に住むのだから二人にも仲良くして欲しいところだ。
「ちぇ、せっかくお兄ちゃんと二人きりになれると思ったのに……。言っとくけど、メインウェポンの座は私なんだからね」
「……ふふふ」
するとオルタは俺の腕の中で勝ち誇るようにニヤリと笑った。
「な、なによ」
オルタの予想外の反応にリリィがたじろぐ。
「そういえば……さっき、あの騎士さん『保護役』って言ってたたわよね? ってことは、実質的に私がお兄様の『パートナー(お嫁さん)』として、国が正式に認めたってことじゃない?」
「はああああっ!? 違うわよ! お姉ちゃんのは、ただの『飼い主』と『駄犬』の関係でしょ! っていうか、いつまでお兄ちゃんと抱き合ってるの!? いい加減に離れなさいよ!!」
デコピンの痛みもどこへやら、二振りの武器は俺を挟んで再び火花を散らし始めていた。
(……やれやれ、賑やかを通り越して、騒々しい家になりそうだな)
理想の静寂は失われた。
代わりに手にしたのは、二振りの厄介な武器と、騒がしすぎる「日常」の始まり。
俺は諦めに似た覚悟を決め、騒がしい彼女たちを引き連れて、これから「家族」となる場所の扉を、静かに押し開けた。
夕闇に包まれた丸太小屋に、灯りがともる。
かつての英雄アリウスの物語はとうに終わり、一人の「苦労人な主」と、彼を愛しすぎる「厄介な家族」たちの物語が、いま幕を開けたのだった――
最後までお読みいただきありがとうございました!
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