第4話 アリウスの実力
森の境界から一糸乱れぬ足取りで現れたのは、王国の紋章を胸に刻んだ精鋭騎士、近衛兵団だった。
その数、およそ五十。最新の魔導銀で補強された全身鎧を纏い、手には対魔術師用の結界槍を携えている。
ザザザッ――
彼らはアリウスの姿を捉えるなり、流れるような動作で半円状の包囲陣を敷いた。
オルタとリリィが騒がしく言い合っている声を背後に聞きながら、アリウスは静かに前に出た。
「随分な出迎えだな。……田舎の隠居人を訪ねるには、いささか物騒すぎないか?」
その問いかけに、包囲陣の中央から進み出たのは、若き小隊長だった。
彼はアリウスの数メートル手前で足を止めると、右拳を胸に当てて深く、敬意に満ちた礼を捧げた。その動作には一点の曇りもない。
「……元Sランク冒険者、アリウス・レオンハート殿。我々は貴公と争うことを望みません」
小隊長の言葉は本心だろう。
だが、その声は微かに震えていた。
「貴殿のこれまでの功績には、王国全土が深い敬意を抱いております。魔王戦線でのアリウス殿の戦いぶりは、我ら騎士の理想そのものでした」
包囲している他の兵士たちも、握りしめた槍の柄が震え、カチカチと鎧の触れ合う音を漏らしている。
彼らにとって、目の前に立っている男はただの引退冒険者ではない。
かつて、一太刀で万の魔軍を斬り裂いた、生ける伝説そのものなのだ。
「……敬辞はいい。本題を言え」
そう言ってアリウスが静かに視線を向けるだけで、前列の兵士たちが一斉に半歩、後ずさった。
「はっ……。我々の任務は二点。王宮から脱走した国宝『聖剣オルタ』の即時奪還。および、重要参考人としてのアリウス殿の身柄確保です」
「なに……?」
前者はともかく、後者は予測していなかった。
「俺に王都へ来い、と。隠居した身には少しばかり堪えるな」
小隊長は喉を鳴らし、決死の覚悟を絞り出すように続けた。
「……重ねて申し上げます。我々は貴殿と争うことを望みません。ですが、これは王命です。もし、従っていただけぬ場合は……」
彼は一度言葉を区切ると、震える手で腰の剣を僅かに抜いた。
「大変失礼ながら、実力行使を持って任務を遂行いたします。たとえ、相手が伝説の英雄であろうとも……!」
その宣言と共に、周囲の兵士たちが一斉に槍を水平に構え、対人封印用の魔導結界を展開し始める。
青白い光の壁がアリウスの周囲を囲い込み、空気が重く澱んでいく。
「やれやれ……」
うんざりしたようにアリウスが小さく頭を振った。
「お願いです……!! おとなしく両手を挙げて下さい……ッ!!」
兵士たちは知っている。
目の前の男が、かつてたった一人で戦局を覆し、魔王を塵に帰した「生ける伝説」であることを。
王宮の命令とはいえ、虎の尾を踏むようなこの任務に、彼らの心臓は早鐘を打っていた。
だが同時に、自分たちが持つ「国家の力」を信じようともしていた。
数十名の精鋭と最新の装備があれば、隠居した英雄の一人や二人、どうにかなるはずだと。
「――ちょっと待ってくれ」
するとアリウスが片手を向けて兵たちを制した。
「その前に、片付けておきたいことがある」
そう、アリウスの背後では、伝説の姉妹剣による、あまりにも次元の低い泥仕合が加速していた。
「だいたい、お姉ちゃんは重すぎるのよ! そんなゴテゴテした装飾ばっかりで、お兄ちゃんの細い腰に負担をかけるつもり? 私みたいに軽くて小回りが利く方が、夜の……あ、間違えた、隠居生活のパートナーには最適なんだから!」
「この重さは、選ばれた英雄しか使いこなせない『格』の証なの! ていうか、なによ、あんたのその安っぽい振動。さっきからうるさいのよ! 蜂なの? 羽虫なの? 貴女なんて、お兄様の安眠を妨げる害虫でしょ!」
オルタとリリィの言い争いは、もはや「どちらが武器として優れているか」という次元をとうに通り越し、泥沼の低レベルな口喧嘩へと発展していた。
「っ……痛いわね! 離しなさいよ!!」
「お姉ちゃんこそっ!!」
精霊体の二人は、オルタがリリィの頬をつねり、リリィがオルタの長い髪をぐいぐいと引っ張り回す。
それは、伝説の武具にあるまじき、子供のような掴み合いだった。
「オルタ、リリィいい加減にしろ」
アリウスの静かな声は、頭に血が上った二人の耳には届かない。
「もう刃先(頭)にきたわ! 妹だからって容赦しないからッ!!」
「それはこっちの台詞よ!!」
そして、火花を散らす二振りの口論は徐々にエスカレートしていき、もはや喧嘩というより魔力の殴り合いとなっていく。
「お兄様の傍らに立つのは、王国が認めた最高傑作であるこの私なのよ!!」
オルタが精霊体のまま虚空から巨大な光の剣を召喚し、リリィはリリィで残像を残しながら庭中を飛び回る。
「最高傑作(笑)。熨斗付けて送り返された自覚はある? お兄ちゃんが求めてるのは、あんたみたいな図体のデカい置物じゃなくて、私みたいな便利で可愛いパートナーなのッッ!!」
オルタが激昂して聖なる光を膨らませれば、リリィは負けじと空間を削り取るような高周波を放つ。
二振りが衝突するたびに、激しい衝撃波が周囲を襲い、二人の魔力が激突した余波は、近衛兵たちを直撃する。
「うわああぁぁぁっ!!」
「ひ、ひぃぃ……! 助けてくれ!」
突風が吹き荒れ、数人の近衛兵が木の葉のように森の奥へと吹き飛んでいった。
だが、アリウスにとっての問題はそこではない。
――ガシャーン
衝突の余波で、アリウス手作りのテラコッタ鉢が粉々に砕けた。
丹精込めて配合した土が四散する。
「ああぁ……っ!!」
さらにはオルタの放った光弾が、大切に育てていたトマトの苗を直撃し、リリィの放った衝撃波が、時間をかけて手入れしたばかりの生垣を、無残な虎刈りへと変えてしまう。
「お、俺の……庭が…………っ」
姉妹喧嘩の余波は、アリウスのささやかな平穏を容赦なく破壊していった。
「見てなさい! 私の浄化の光で、その根性を焼き直して……」
「無駄だよ。あんたの光なんて、私の振動でバラバラに――」
そして、二人が究極の一撃を放とうとした、その瞬間、
「………………おい」
低く、地這うような声が響いた。
その瞬間、まるで世界の時間が止まったかのような錯覚がその場を支配した。
「「っ…………!?!」」
喧嘩に夢中だったオルタとリリィが、蛇に睨まれた蛙のように硬直する。
吹き飛ばされずに残っていた数少ない騎士たちも、心臓を直接冷たい手で握られたような圧迫感に、声もなくその場で固まった。
「オルタ……リリィ……」
アリウスが静かに、一歩、踏み出す。
彼から溢れ出した濃密な魔力は、ただの「威圧」を超え、物理的な質量となって大気を押し潰していた。
「……俺の庭を散らかし、大切にしていた鉢植えを割り、人の話を聞かずに騒ぎ続ける。……武器の仕事は、主を助けることではなかったか……?」
アリウスの瞳に、かつて魔王軍を震撼させた「戦神」の冷徹な光が宿る。
オルタとリリィは精霊体の姿のまま震え上がり、抱き合うようにして縮こまった。
「おっ……おお、お兄様……!? これはその、教育的指導というか……!!」
「お、お兄ちゃん、待って、先に手を出したのはお姉ちゃんの方で……っ!」
アリウスは二人の目の前まで歩み寄ると、無造作に指を曲げた。
――ピンッ、ピンッ。
空気を弾くような、軽やかな音が二回。
それは、子供をあやすかのような、ごく軽いデコピンだった。
「ひゃうんっ!?」
「あぅっ!?」
しかし、放たれた瞬間にオルタとリリィの身体から魔力が霧散し、芝生の上をごろごろと転がる。
二人の魔力が霧散したことで、周囲に停滞していた熱が一掃され、荒れ狂っていた風がピタリと止んだ。
アリウスの指先に込められていたのは、彼女たちの魔導神経を一時的に沈静化させる魔力制御術式。
それは、魔力で具現化する精霊体にとって、どんな極大魔法の直撃よりも重く、絶対的な一撃だった。
「あうう……っ」
「……いたぁい」
その衝撃に、二人はすっかり毒気を抜かれて涙目になっている。
「喧嘩をするなとは言わん。だが、俺の庭を戦場にするのは二度と許さん。……わかったな」
「「……はい……」」
消え入るような返事を確認し、アリウスはようやく殺気を収めた。
あんなに激しく争っていた二人が、今は揃って借りてきた猫のように大人しく主人を見上げている。
「……な、なんだ、今のは……」
「で、伝説の聖剣を、デコピン一発で……」
それを見ていた兵士たちの間に戦慄が走る。
「聖剣の……あの鉄壁の魔力障壁を、指先一つで無力化したというのか……?」
どれだけ魔導技術の粋を集めた拘束具を使っても、彼らは王宮で暴れる聖剣オルタの影を踏むことすらできなかったのだ。
それを、この男は「しつけ」感覚で、まるで近所の悪ガキを叱るような軽さで制圧したのである。
「……待たせたな」
アリウスが視線を兵士たちへ向けると、最前列にいた百戦錬磨の小隊長が、ひっと喉を鳴らして三歩後ずさった。
「ひ、ひぃ……」
本能が警報を最大音量で鳴らしている。
そして彼らは理解した。
目の前にいるのは「落ちぶれた引退者」などではない。
この男は、隠居した今もなお、この世界の理の外側にいる怪物なのだということを。
「……さて、話の続きだが。どうする、オルタと俺を無理に連れて行くか?」
アリウスが淡々と問いかけた。
「い、いや! とんでもない!」
小隊長は首がもげそうなほど激しく左右に振った。
「聖剣様があれほど……その、慕っていらっしゃるのであれば、我ら如きが出しゃばるなど不敬の極み! 幸い、アリウス殿の実力は王宮も熟知しております。陛下には、アリウス殿こそが聖剣の暴走を抑えられる唯一の『保護役』であると、私から強く進言しておきましょう!」
「……は?」
アリウスの口から間の抜けた声が漏れる。
(保護役……? 俺が、このトラブルの火種を……?)
「では! 急ぎ報告せねばなりませんので、これにて失敬!」
「待て、勝手に決めるな。俺は隠居――」
アリウスの制止も虚しく、騎士たちは蜘蛛の子を散らすような速さで馬車に飛び乗り、猛スピードで森の彼方へと逃げ去っていった。
その撤退ぶりは、魔王軍を相手にした時よりも鮮やかであった。
「……何が『保護役』だ。面倒事を丸投げして逃げやがったな……」
アリウスは、去っていった馬車の砂埃を見つめながら、深いため息をついた。
朝露と共に目覚め、土をいじり、月を見ながら眠る――そんな理想のスケジュール帳に、今、「メンヘラ聖剣の保護係」という、全人類が匙を投げたくなるような重責が無理やり書き込まれたのだった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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