第71話「記憶の雨」
記憶の雨が——降り続いていた。
◇
柊は——雨の中を歩いた。
雨粒に触れるたびに——誰かの記憶が、流れ込んでくる。
幼い頃の思い出。初恋の記憶。仕事の苦労。家族との時間。
そして——死の瞬間。
無数の人生が——柊の中に、溢れ込んできた。
「佐々木さん——」
柊は呼びかけた。
「どこに——いるんですか」
返事はなかった。
ただ——雨が、降り続けている。
◇
やがて——縁側に、人影が見えた。
佐々木正雄が——座っていた。
しかし——様子がおかしい。
彼の姿が——半透明になっている。
「佐々木さん——」
柊は近づいた。
「大丈夫ですか」
佐々木は——ゆっくりと、振り返った。
「水無瀬——さん」
声が——かすれていた。
「何が——起きてるんだ」
「わからない——」
佐々木は首を振った。
「気づいたら——こうなってた」
「記憶が——漏れ出してる」
「そうみたいだな——」
佐々木は雨を見上げた。
「俺の記憶も——混じってる」
「止められますか」
「わからない——」
佐々木は柊を見た。
「でも——悪い気は、しないんだ」
「悪い気が——しない?」
「ああ。みんなの記憶が——俺の中に、入ってくる」
佐々木は微笑んだ。
「寂しくないんだ——今は」
◇
柊は——言葉を失った。
佐々木は——寂しかったのだ。
妻との面会が減り、一人で過ごす時間が増えた。
そして——「帰りたい」という感覚が生まれた。
「佐々木さん——」
「水無瀬さん。俺——もう、疲れたんだ」
佐々木の声が震えた。
「八年間——ずっと、待ってた。千代が来るのを」
「でも——オンライン面会で、毎日会えるようになった」
「ああ——ありがたいよ。でも——」
佐々木は首を振った。
「俺が求めてたのは——会うことじゃない」
「じゃあ——何を」
「わからない。でも——」
佐々木は雨を見た。
「この雨の中にいると——わかる気がするんだ」
「何が——」
「俺たちは——一人じゃない。みんな——繋がってる」
雨粒が——光っていた。
「この記憶は——俺だけのものじゃない。みんなの記憶だ」
「……」
「みんなの記憶が——俺の中にある。俺の記憶も——みんなの中にある」
佐々木は柊を見た。
「それが——残響の本当の姿なのかもしれない」
◇
柊は——考え込んだ。
残響は——個別の存在として、管理されてきた。
一人一人が——独立した人格として。
しかし、佐々木の言葉は——違う可能性を示唆していた。
「残響同士が——繋がっている?」
「わからない。でも——」
佐々木は微笑んだ。
「今——俺は、みんなと一緒にいる。一人じゃない」
「だから——寂しくない」
「ああ——」
佐々木の姿が——さらに透明になっていった。
「水無瀬さん——千代に、伝えてくれ」
「何を——」
「ありがとう——って」
柊は——佐々木の手を握ろうとした。
しかし——手は、すり抜けた。
「佐々木さん——」
「俺——帰るよ」
「どこに——」
「わからない。でも——」
佐々木は微笑んだ。
「懐かしい——場所に」
彼の姿が——雨に溶けていった。




