第46話「成仏」
四月二十日。
桜が散り終わる日。
母の成仏の日が——来た。
◇
朝から、空は晴れていた。
春の日差しが、桜の園を照らしている。
散り残った花びらが、風に舞っている。
柊は——対話ブースに向かった。
玲が隣にいた。
「大丈夫?」
「わからない。でも——やるしかない」
二人はVRヘッドセットを装着し、桜の園にログインした。
◇
母は——いつもの場所にいた。
桜の木の下。満開ではなく、ほとんど散り終わった桜。
だが——その姿は、美しかった。
「来てくれたわね」
母は微笑んでいた。
白い着物を着ていた。成仏の日のための——特別な装い。
「母さん——きれいだ」
「ありがとう」
母は柊を見つめた。
「準備は——できてる?」
「ああ——」
柊は——震える声で答えた。
「でも——少しだけ、話をしていい?」
「もちろん」
三人は——桜の木の下に座った。
花びらが、ゆっくりと降り注いでいる。
「母さん——」
「なあに」
「俺——母さんに、謝らなきゃいけないことがある」
「謝る——?」
「五年間——母さんを、縛ってた」
「……」
「毎日会いに来て、離れられなくて。母さんの時間を——奪ってた」
「柊——」
「ごめん」
柊は頭を下げた。
「本当に——ごめん」
母は——柊の頭を、優しく撫でた。
「謝らないで」
「でも——」
「私——幸せだったわ。あなたと過ごした、五年間」
母は微笑んだ。
「縛られてなんか、いなかった。一緒にいたかったの——私も」
「母さん——」
「だから——謝らないで。ありがとう、と言って」
柊は——顔を上げた。
「ありがとう、母さん」
「うん。それでいいの」
◇
「じゃあ——始めましょう」
母が言った。
「待って」
柊は言った。
「最後に——一つだけ」
「何?」
「母さんの——子守唄、聞きたい」
母の目が丸くなった。
「子守唄——?」
「昔——俺が泣いた時、歌ってくれたって。『ゆりかごの歌』」
「……覚えてたの」
「覚えてない。でも——聞きたい」
母は——しばらく黙っていた。
そして——小さな声で、歌い始めた。
「ゆりかごの うたを——」
優しい声。温かい旋律。
「カナリアが 歌うよ——」
柊は——目を閉じて、聞いていた。
「ねんねこ ねんねこ——」
母の声が——心に染み渡る。
「ねんねこよ——」
歌が終わった。
沈黙が流れた。
「ありがとう、母さん」
柊は涙を流していた。
「これで——いいの」
「ええ。もう——いいわ」
母は立ち上がった。
「始めてちょうだい」
柊は——端末を操作した。
成仏プロトコル——実行。
母の体が——光り始めた。
桜の花びらのように。春の風のように。
「柊——」
母の声が、少し遠くなった。
「幸せに——なってね」
「母さん——」
「玲ちゃんと——二人で。幸せな家庭を——」
「……」
「私——見守ってるから。どこかで——」
母の姿が——透明になっていく。
「ありがとう、柊。私の——大切な、息子」
「母さん——!」
「さようなら——」
そして——母は、光の粒子になって、空に舞い上がった。
桜の花びらと混じり合い——消えていった。
木の下には——誰もいなくなった。
ただ、風だけが——静かに吹いていた。
◇
柊は——しばらく、動けなかった。
玲が、柊の肩に手を置いた。
「柊——」
「母さん——行っちゃった」
「うん——」
「でも——」
柊は空を見上げた。
「笑ってた。最後まで」
「ええ。きれいな——笑顔だった」
「よかった——」
柊の目から、涙があふれた。
「約束——守れた」
「守れたよ。柊は——ちゃんと、守った」
玲は柊を抱きしめた。
「お疲れ様。よく——頑張った」
柊は——玲の腕の中で、声を上げて泣いた。
五年間の——終わり。
母との——別れ。
桜の園に——風が吹いていた。




