第40話「もう一つの別れ」
高橋美和の成仏は、三月末に行われた。
桜が咲き始めた日だった。
◇
美和の専用VR空間——小さなアパートの一室。
美和の遺族——両親と弟が、面会に来ていた。
柊と玲も、立ち会った。
「美和——本当に、いいの?」
母親が涙声で尋ねた。
「うん。もう——決めたの」
美和は微笑んでいた。
「お母さん、お父さん、弘樹——今まで、ありがとう」
「美和——」
「残響になって——みんなと、また話せた。それだけで——幸せだった」
美和は窓の外を見た。VR空間の窓からは——桜が見えた。
「桜——きれい」
「美和の好きな——桜だね」
父親が言った。
「うん。だから——今日にした。桜が咲く日に——」
美和は家族を見回した。
「みんな——幸せになってね。私の分も」
「美和——」
「泣かないで、お母さん」
美和は母親の手を取った。
「私——幸せだったよ。残響として、もう一度——みんなに会えて」
「美和——」
「だから——笑って。最後は——笑って、見送って」
母親は——泣きながら、笑おうとした。
「そう——それでいいの」
美和は柊を見た。
「水無瀬さん——お願いします」
柊は頷いた。
端末を操作する。
成仏プロトコル——実行。
美和の体が——光り始めた。
桜の花びらのように。春の風のように。
「みんな——さようなら」
美和の声が、遠くなっていく。
「ありがとう——」
そして——美和は、光の粒子になって、消えていった。
部屋には——誰もいなくなった。
窓の外では——桜が、静かに咲いていた。
◇
成仏が終わった後、柊は管理棟に戻った。
玲が隣にいた。
「高橋さん——笑ってたね。最後まで」
「ああ——」
「強い人だった」
「強い——のかな」
柊は窓の外を見た。
「半年間——他人の記憶と戦い続けて。最後は——自分で、終わりを選んだ」
「……」
「それは——強さなのか、弱さなのか」
「どっちでもいいんじゃない?」
玲が言った。
「え?」
「強いとか、弱いとか——関係ない。彼女は——自分で、自分の終わりを選んだ」
「……」
「それだけで——十分だと思う」
柊は——玲を見た。
「そうか——」
「うん」
「玲は——強いな」
「私?」
「こういう時——いつも、的確な言葉をくれる」
玲は少し照れた。
「研究者だから——冷静に見れるだけ」
「冷静に見れることも——強さだと思う」
「……」
「ありがとう。いつも」
玲は微笑んだ。
「こちらこそ。柊といると——私も、色々考えさせられる」
二人は——しばらく、桜を眺めていた。
◇
その夜、柊は母の残響と対話した。
「今日——高橋さんが、成仏した」
「そう——」
母の声は、静かだった。
「記憶の混線が起きた——あの女性?」
「ああ。半年間、頑張ったけど——最後は、自分で終わりを選んだ」
「そう——」
母は桜を見上げた。
「桜の季節ね」
「ああ。去年——母さんが『私はここにいない』と言った季節」
「そうだったわね」
母は柊を見た。
「あれから——一年」
「ああ」
「色々——あったわね」
「あった」
沈黙が流れた。
「柊——」
「なあに」
「私——ずっと、考えてたことがあるの」
柊の心臓が跳ねた。
「何を——」
「いつ——言おうか、迷ってた。でも——」
母は柊を見つめた。
「桜が咲く今が——いいかもしれない」
「母さん——何を——」
「私——」
母は深呼吸をした。
「そろそろ——行こうと思うの」
柊の世界が——止まった。




