第37話「新居」
一月中旬。
柊と玲は——同棲を始めることを決めた。
◇
「この部屋、どう?」
不動産屋の担当者が、部屋を紹介した。
桜の園から徒歩十五分。2LDKのマンション。日当たりが良く、清潔な部屋だった。
「いいね」
玲が言った。
「広さも十分だし」
「俺も——気に入った」
柊は窓の外を見た。
遠くに——桜の園の緑が見える。
「ここにしよう」
「本当に?」
「ああ。ここなら——母さんの残響にも、すぐ会いに行ける」
玲は微笑んだ。
「じゃあ——決まりだね」
◇
二月。引っ越しが完了した。
柊の荷物は少なかった。寮にいた頃から——必要最低限のものしか持っていなかった。
「柊——物、少なすぎない?」
玲が段ボールを見て言った。
「これで全部だ」
「衣類と、本と——あと、何?」
「写真」
柊は一つの箱を開けた。
中には——古い写真が入っていた。
「これは——」
玲が覗き込んだ。
「母さんの写真。それと——父さんの」
柊は一枚の写真を取り出した。
若い男性。柊と同じような顔立ち。
「お父さん——柊に、似てるね」
「そう言われる」
「優しそうな目してる」
「……」
柊は写真を見つめた。
「この写真——母さんが、残してくれてた。父さんの死後も、ずっと」
「お母さん——お父さんのこと、愛してたんだね」
「ああ——」
柊は写真を棚に飾った。
「この部屋でも——一緒にいてもらおう」
「うん」
玲は柊の隣に立った。
「素敵な部屋になりそうだね」
「ああ——」
柊は玲を見た。
「ありがとう。一緒に住んでくれて」
「お礼なんて——いらないよ」
玲は柊の腕に、自分の腕を絡めた。
「私も——柊と一緒に住みたかったから」
◇
その夜、柊は母の残響と対話した。
「引っ越し——終わったよ」
「そう。よかったわね」
母は微笑んだ。
「玲ちゃんとの新生活——どう?」
「まだ——始まったばかりだけど。楽しいよ」
「そう——」
母の目が潤んだ。
「私——本当に、嬉しいの」
「母さん——」
「あなたが——自分の人生を、歩み始めてること」
母は柊を見つめた。
「私の残響と——毎日会うことが、あなたの全てだった。でも今は——」
「今は——玲がいる」
「ええ。そして——新しい家がある。新しい生活がある」
母は微笑んだ。
「あなたは——前に進んでる。私を——置いていって」
「置いていくなんて——」
「いいの。それでいいの」
母は首を振った。
「残響は——生きてる者の、足枷になっちゃいけない。松田さんも、そう言ってたでしょ?」
「……」
「あなたが——前に進んでくれれば。私は——それだけで、幸せ」
柊は——母を見つめた。
母は——柊の幸せを、願っている。
自分がいなくなることよりも——柊が幸せになることを。
「母さん——」
「なあに?」
「俺——まだ、母さんを送り出す準備はできてない」
「わかってるわ」
「でも——いつか、その時が来たら」
「ええ」
「約束——守るから」
母は——微笑んだ。
「ありがとう。それだけで——十分よ」
二人は——穏やかに、冬の夜を過ごした。




