第35話「冬」
十二月。東京にも冬が来た。
桜の園は、葉を落とした木々と、冷たい空気に包まれていた。
◇
松田の成仏は、十二月十五日に決まった。
柊は——その日まで、何度も松田を訪ねた。
「また来たか」
「約束しましたから」
二人は縁側で、茶を飲んだ。
「最近——どうだ」
「仕事は順調です。玲とも——うまくいってます」
「そうか。よかった」
松田は庭を見つめた。
「母親の残響は?」
「元気です。俺と玲を——応援してくれてます」
「そうか——」
松田は微笑んだ。
「お前さんの母親は——いい人だな」
「はい」
「だからこそ——いつか、送り出してやれ」
「……」
「俺みたいに——長く居座るな。適切な時に——終わりを迎えさせてやれ」
柊は頷いた。
「わかってます」
「本当にわかってるか?」
松田は柊を見た。
「頭ではわかっていても——実行するのは、難しい。俺は——三十年以上、できなかった」
「……」
「だから——お前さんには、俺の轍を踏んでほしくない」
柊は——松田を見つめた。
「どうすれば——適切な時が、わかるんですか」
「わからん。俺にも、わからなかった」
松田は首を振った。
「でも——一つだけ、言えることがある」
「何ですか」
「母親の残響が——『行きたい』と言った時。その時が——適切な時だ」
「母さんが——言った時」
「ああ。残響自身が——終わりを望んだ時。それを——見逃すな」
柊は——深く頷いた。
◇
十二月十五日。
松田の成仏の日が来た。
朝から雪が降っていた。東京では珍しい、本格的な雪だった。
柊と玲は、松田の専用VR空間を訪れた。
松田の遺族——息子と娘、そしてその家族も、面会に来ていた。
「みんな——来てくれたか」
松田は縁側に座っていた。
いつもの着物姿。だが、どこか——晴れやかな表情だった。
「父さん——本当に、いいの?」
息子が尋ねた。
「ああ。もう——十分だ」
松田は微笑んだ。
「俺は——三十年以上、ここにいた。お前たちの成長を見届けた。孫の顔も見られた」
「……」
「これ以上——何を望む」
松田は家族を見回した。
「お前たちは——俺がいなくても、大丈夫だ。立派に生きていける」
「父さん——」
「泣くな。俺は——幸せだ」
松田は立ち上がった。
「さあ——始めてくれ」
柊は端末を操作した。
成仏プロトコル——実行。
松田の体が——光り始めた。
雪の結晶のように。冬の風のように。
松田の姿が——少しずつ、透明になっていく。
「みんな——ありがとう」
松田の声が、遠くなっていく。
「幸せに——生きろ」
そして——松田は、光の粒子になって、消えていった。
縁側には——誰もいなくなった。
雪だけが——静かに、降り続けていた。
◇
成仏が終わった後、柊は管理棟に戻った。
窓の外では、雪が降り続けていた。
「大丈夫?」
玲が声をかけた。
「ああ——」
柊は窓の外を見つめた。
「松田さんは——幸せそうだった」
「ええ」
「三十年以上——ここにいて。でも、最後は——自分で、終わりを選んだ」
「……」
「俺も——いつか、同じことをしなきゃいけない」
「同じこと?」
「母さんの残響を——送り出すこと」
玲は柊の隣に立った。
「まだ——その時じゃないよ」
「わかってる。でも——」
「いつか、その時が来たら——私も、一緒にいる」
玲は柊の手を取った。
「一人じゃない。それだけは——覚えておいて」
「ありがとう——」
柊は玲を見た。
「玲がいてくれて——本当に、よかった」
「私も——柊がいてくれて、よかった」
二人は——手を繋いだまま、雪が降る庭を眺めていた。




