第34話「松田の決断」
十一月。晩秋の桜の園。
木々はすっかり葉を落とし、冬の気配が漂い始めていた。
◇
ある日、柊は松田康介の残響から呼び出しを受けた。
「話がある。時間を作ってくれ」
いつもの穏やかな口調とは違う、真剣な響きがあった。
柊は仕事終わりに、松田の専用VR空間を訪れた。
昭和時代の日本家屋。縁側。池のある庭。
松田は——いつもと同じ場所にいた。だが、表情が違った。
「来てくれたか」
「何かあったんですか」
「座れ」
柊は松田の隣に座った。
しばらく、沈黙が続いた。
「俺——成仏しようと思う」
松田が言った。
柊は息を呑んだ。
「成仏——」
「もう、三十年以上だ。長すぎた」
松田は庭を見つめた。
「最初は——家族のためだと思ってた。俺がいれば、あいつらの支えになれるって」
「……」
「でも、もう——あいつらは、俺を必要としてない。それでいいんだ」
松田は柊を見た。
「お前さんに——世話になった。母親の残響のこと、祖母の残響のこと。色々——」
「俺は何も——」
「してくれたさ。話を聞いてくれた。それだけで——十分だ」
松田は微笑んだ。
「お前さんは——変わったな」
「変わった?」
「最初に会った頃は——暗い目をしてた。母親の残響に会うことだけが、生きる意味みたいな」
「……」
「でも今は——違う。前を向いてる。彼女もできた」
柊は少し照れた。
「松田さんには——色々、教えてもらいました」
「俺は——ただ、自分のことを話しただけだ」
松田は首を振った。
「でも——一つだけ、お前さんに伝えておきたいことがある」
「何ですか」
「母親の残響——いつまでも、ここにいさせるな」
柊の表情が変わった。
「松田さん——」
「お前さんの母親は——いい人だ。息子のことを、心から愛してる」
「……」
「だから——お前さんが前に進んだら、彼女も——行くべきだ」
松田は柊を見つめた。
「残響は——生きてる者の、足枷になっちゃいけない。俺は——そのことを、三十年かけて学んだ」
「松田さん——」
「だから——お前さんは、俺みたいになるな。母親を——適切な時に、送り出してやれ」
柊は——何も言えなかった。
松田の言葉は——重かった。
◇
「成仏の日——いつにしますか」
柊が尋ねた。
「来月——十二月の中旬。雪が降る頃がいい」
「わかりました。手続きを——」
「頼む」
松田は立ち上がった。
「水無瀬——」
「はい」
「お前さんに会えて——よかった」
松田は微笑んだ。
「最後に——若い奴の成長を、見届けられた。それだけで——俺の存在には、意味があった」
柊の目から、涙が溢れた。
「松田さん——」
「泣くな。俺は——幸せだ」
松田は柊の肩を叩いた。
「お前さんも——幸せになれ。母親の分も、俺の分も」
「……はい」
「じゃあ——また、来い。最後の日まで」
「わかりました」
柊は——松田の手を握った。
三十年以上を残響として生きた老人。その手は——VR空間でも、温かかった。
◇
その夜、柊は玲に報告した。
「松田さんが——成仏するって」
「そう——」
玲の表情が曇った。
「寂しいね。長い間——桜の園にいた人だから」
「ああ——」
「柊は——大丈夫?」
「わからない」
柊は正直に答えた。
「松田さんは——俺の、相談相手だった。残響のこと、母さんのこと——色々、話を聞いてもらった」
「……」
「いなくなるのは——寂しい。でも——」
「でも?」
「松田さんの決断は——尊重したい」
柊は空を見上げた。
「松田さんは——自分で、終わりを選んだ。それは——残響としての、最後の自由だ」
「そうね——」
「俺は——それを、見届けたい。最後まで」
玲は柊の手を取った。
「私も——一緒に、見届けるよ」
「ありがとう——」
二人は——しばらく、手を繋いだまま、夜空を見上げていた。




