第31話「夏の終わり」
八月の終わり。
Dブロックの残響たちは、少しずつ安定を取り戻していた。
流入した記憶を——完全に受け入れたわけではない。だが、共存できるようになりつつあった。
◇
「報告書、まとめたわ」
玲が柊にファイルを渡した。
「Dブロックの件——一応の解決として、本部に報告する」
「一応の、か」
「根本的な解決じゃないからね。残響同士の深層接続は——まだ、完全には理解できてない」
柊はファイルを受け取った。
「今後も——同じような事態が起きる可能性がある?」
「否定できない。だから——」
玲は真剣な表情だった。
「継続的な監視と研究が必要。私は——しばらく、ここに残ることにした」
「残る? 桜の園に?」
「ええ。本部には掛け合ってある。研究拠点として、ここを使わせてもらう」
柊は——少し、嬉しかった。
「そうか。なら——よろしく」
「こちらこそ」
玲は微笑んだ。
◇
その夜、柊は母の残響と対話した。
「色々——大変だったわね」
母が言った。
「ああ。でも——何とか落ち着いた」
「玲ちゃんが——残ってくれるって聞いたわ」
「誰から聞いた?」
「松田さんから」
母は微笑んだ。
「残響同士——情報は、すぐに広まるの」
「そうか——」
柊は苦笑した。
「でも——良かったわね。玲ちゃんがいてくれれば、安心」
「安心?」
「私がいなくなっても——あなたには、玲ちゃんがいるから」
柊の心臓が跳ねた。
「母さん——」
「冗談よ」
母は笑った。
「まだ——その話は、早いわ」
「ああ——」
「でも——いつか、その時が来たら。玲ちゃんを、大切にしてね」
柊は——何も言えなかった。
母は——柊の将来を、考えてくれている。
自分がいなくなった後の、柊の人生を。
「母さん——」
「なあに?」
「俺——玲のこと、好きかもしれない」
母の表情が、驚きに変わった。
「そうなの?」
「まだ——よくわからない。でも——一緒にいると、落ち着く。安心する」
「そう——」
母は微笑んだ。
「それは——良いことね」
「良いこと?」
「恋愛感情かどうかは——わからない。でも、大切な人がいるのは——良いことよ」
母は柊の手を取った。
「私は——あなたに、幸せになってほしい。誰かと——幸せな時間を、過ごしてほしい」
「母さん——」
「だから——玲ちゃんとの時間、大切にして。私との時間と同じくらい」
柊は——母を見つめた。
母は——柊の背中を押そうとしている。
前に進む方向に。
「わかった——」
柊は頷いた。
「大切にする」
「うん。約束よ」
二人は——穏やかに、夏の終わりの夜を過ごした。
◇
九月。秋の気配が漂い始めた。
柊は——玲との食事を、続けていた。週に一度から、週に二度に増えた。
「柊——」
ある夜、玲が言った。
「最近——楽しそうだね」
「そう見える?」
「うん。前より——表情が、柔らかくなった」
柊は少し照れた。
「玲のおかげかもしれない」
「私?」
「一緒にいると——落ち着くから」
玲の頬が、赤くなった。
「そう——」
「玲は——どう? 俺といて」
「私も——」
玲は目を伏せた。
「楽しい。柊といると」
沈黙が流れた。
二人は——何かを言おうとして、言えなかった。
「玲——」
「何?」
「今度——どこか、遊びに行かない?」
「遊びに?」
「仕事じゃなくて。普通に——デートみたいな」
玲の目が丸くなった。
「デート——」
「嫌なら——」
「嫌じゃない」
玲は急いで言った。
「行きたい。どこでも」
「じゃあ——来週の休み、空けといて」
「うん」
約束が決まった。
柊の心は——不思議と、軽かった。




