第30話「他者の記憶」
翌日、柊と玲はDブロックの残響たちと面会した。
三体のうち、最初に話を聞いたのは——若い女性の残響だった。
名前は、高橋美和。二十五歳で交通事故で亡くなり、先月残響になったばかりだ。
◇
美和の専用VR空間は——小さなアパートの一室だった。生前、一人暮らしをしていた部屋を再現したのだろう。
「体調は——いかがですか」
柊が尋ねた。
「少し——楽になりました」
美和は答えた。だが、表情は暗かった。
「頭の中——まだ、混乱してます」
「記憶の流入——まだ続いてますか」
「いえ——流入は止まった感じがします。でも——」
美和は頭を押さえた。
「入ってきた記憶が——消えないんです」
「どんな記憶ですか」
「知らない人の——人生の断片。子どもの頃の思い出。結婚式。誰かの死。全部——私のものじゃない」
美和の目から、涙が溢れた。
「私——自分が誰なのか、わからなくなりそうです」
柊は——何と言えばいいか、わからなかった。
「他人の記憶を持つこと——辛いですよね」
「辛い——というか、怖いです」
「怖い?」
「私の記憶と——他人の記憶が、混ざり始めてる気がするんです」
美和は柊を見た。
「このままだと——私は、私じゃなくなるんじゃないかって」
◇
面会を終えた後、柊と玲は会議室で話し合った。
「深刻だな——」
「ええ。アイデンティティの危機。これは——予想より、重い問題かもしれない」
玲は考え込んだ。
「流入した記憶を——消去できればいいんだけど」
「できないのか?」
「技術的には——可能かもしれない。でも——」
「でも?」
「どの記憶が本人のもので、どの記憶が流入したものか——区別するのが難しい」
柊は頷いた。
「間違って——本人の記憶を消してしまう可能性がある」
「そう。下手をすると——残響のアイデンティティを、完全に破壊してしまう」
沈黙が流れた。
「別の方法を——考えるしかないな」
「ええ。でも——何があるかしら」
柊は考えた。
美月のことを思い出した。八歳の少女。成仏する前に——自分の存在を受け入れていた。
松田のことを思い出した。三十年以上、残響として存在してきた長老。「俺は俺だ」と言っていた。
「受け入れる——しかないのかもしれない」
「受け入れる?」
「流入した記憶を——自分の一部として」
玲は眉をひそめた。
「でも——他人の記憶を、自分のものとして受け入れるなんて」
「母さんの残響も——欠損を受け入れた。欠けている部分があると知って——それでも、自分は自分だと」
柊は玲を見た。
「逆に——追加された部分があっても、自分は自分だと思えれば——」
「アイデンティティを保てる?」
「可能性はある」
玲は考え込んだ。
「試す価値は——あるかもしれない」
「ああ。残響たちに——話をしてみよう」
◇
柊は再び、美和の残響と面会した。
「高橋さん——一つ、提案があります」
「提案?」
「流入した記憶を——消すことはできません。技術的に」
美和の表情が曇った。
「じゃあ——私は、どうすれば」
「受け入れてください」
「受け入れる?」
「流入した記憶を——自分の一部として」
美和は困惑した表情を浮かべた。
「他人の記憶を——自分のもの、として?」
「違います。他人の記憶を——自分の中に『ある』ものとして」
柊は説明した。
「高橋さんは——高橋さんです。それは変わらない。でも今、高橋さんの中には——他の人の記憶もある」
「……」
「それは——高橋さんが望んだことじゃない。でも、起きてしまった」
柊は美和を見つめた。
「大切なのは——その事実を、どう受け止めるか」
「どう受け止めれば——いいんですか」
「他人の記憶があっても——高橋さんは高橋さんだと、信じてください」
長い沈黙が流れた。
美和は——考え込んでいた。
「難しい——です」
「わかります」
「でも——やってみます」
美和は微笑んだ。弱々しい笑顔だったが——希望が見えた。
「他に——方法がないなら。受け入れるしかないですよね」
「一人じゃないですよ」
柊は言った。
「俺も——玲も。サポートします。いつでも」
「ありがとうございます——」
美和の目から、また涙が溢れた。
だが今度は——悲しみだけではなかった。




