第25話「変化」
祖母の成仏から、一ヶ月が過ぎた。
六月。梅雨の季節。
桜の園は、雨に濡れた緑に包まれていた。
◇
この一ヶ月で、いくつかの変化があった。
まず、Cブロックの残響たちの状態が、完全に安定した。
「私はここにいない」という発言は、もう聞かれなくなった。残響たちは——自分の存在を、受け入れ始めていた。
玲の報告によると、全国の残響庭園でも同様の傾向が見られるという。
「柊のお母さんが真実を知ったこと、そして、お祖母さんが成仏したこと——その二つが、何らかの形で影響を与えたみたい」
「影響?」
「残響たちの間で——『終わり方』の選択肢が、共有されたのかもしれない」
「終わり方——」
「成仏という選択肢。自分の意志で、終わりを選べること。それを——残響たちが、知ったんだと思う」
柊は考えた。
美月の成仏。祖母の成仏。
その二つが——残響たちに、何かを伝えたのかもしれない。
◇
もう一つの変化は、柊自身にあった。
母の残響との対話は、続いている。だが——その質が、変わった気がする。
以前は——母に会うことが、日常だった。毎日、当たり前のように会っていた。
だが今は——毎回の対話を、大切に感じるようになった。
いつか——終わりが来る。その日まで——一回一回を、大切にしたい。
「柊——最近、顔つきが変わったわね」
ある夜、母がそう言った。
「変わった?」
「穏やかになった。前より——肩の力が抜けてる感じ」
「そう——かもしれない」
柊は考えた。
「色々——わかったから」
「何が?」
「父さんのこと。おばあさんのこと。そして——俺自身のこと」
「自分自身?」
「俺は——父さんと同じ過ちを、繰り返すところだった」
柊は母を見つめた。
「母さんの残響に——依存してた。毎日会わないと、不安で。それが——生きる意味みたいになってた」
「柊——」
「でも——それは、違うってわかった。母さんの残響は——母さんの全てじゃない。母さんの一部」
柊は微笑んだ。
「その一部と、どう向き合うか。それを——俺が決めなきゃいけない」
母の目から、涙が溢れた。
「あなたは——本当に、成長したわね」
「母さんのおかげだよ」
「違うわ。あなた自身の力よ」
母は柊の手を取った。
「私——嬉しい。あなたが——前に進み始めてること」
「母さん——」
「でも——焦らないで。あなたのペースで、いいの」
「わかってる」
柊は母の手を握りしめた。
「約束は——守る。でも、今じゃない。もう少し——一緒にいたい」
「ええ。私も——もう少し、一緒にいたい」
二人は——穏やかに、夜の桜の園で過ごした。
◇
三つ目の変化は——玲との関係だった。
調査が終わっても、玲は桜の園を訪れるようになった。
仕事の打ち合わせという名目だったが——それだけではない気がした。
「最近、よく来るな」
ある日、柊が言った。
「調査は終わったんだろ」
「まあね。でも——フォローアップが必要だから」
玲はどこか気まずそうに答えた。
「フォローアップ——」
「残響たちの状態を、継続的に観察する必要がある。それに——」
「それに?」
「柊のことも——心配だから」
柊は少し驚いた。
「俺のこと?」
「お祖母さんの成仏。お母さんとの対話。色々——大変だったでしょ」
「まあ——」
「だから——様子を見に来てる。幼馴染として」
玲は柊を見た。
「迷惑?」
「いや——」
柊は首を振った。
「ありがとう。気にかけてくれて」
「当然でしょ」
玲は微笑んだ。
柊は——その笑顔を、眩しいと思った。
◇
六月の終わり。梅雨明け間近。
柊は、ある決断をした。
仕事終わりに、玲を呼び出した。
「話がある」
「何?」
「今度——一緒に、食事しない?」
玲の目が丸くなった。
「食事?」
「仕事の話じゃなくて。普通に——」
柊は言葉を探した。
「昔みたいに。幼馴染として」
玲は——しばらく黙っていた。
そして——微笑んだ。
「いいよ。いつにする?」
「週末——空いてる?」
「空いてる」
「じゃあ——土曜日」
「わかった」
約束が決まった。
柊は——少しだけ、心が軽くなった気がした。
母の残響との向き合い方。そして——自分自身の人生。
少しずつ——前に進み始めていた。




