第21話「祖母」
父の日記を読んだ夜、柊は眠れなかった。
祖母の残響。父を縛り続けた存在。
その残響は——今、どうなっているのだろう。
翌朝、柊は玲に連絡を取った。
『祖母の残響——まだ存在してるのか、調べられる?』
返信は昼過ぎに来た。
『調べた。水無瀬美代——お父さんのお母さんの残響。現在も存在してる。横浜残響庭園に保管中』
柊は息を呑んだ。
祖母の残響が——まだ、存在している。
『会える?』
『手続きを取れば可能。でも——本当に会うの?』
柊は考えた。
祖母の残響に会って、何がわかるのだろう。
父を縛り続けた存在。父を死に追いやった原因の一つ。
会うことで——何かが変わるのだろうか。
『会いたい。手続き、お願いできる?』
『わかった。連絡する』
◇
三日後、柊は横浜残響庭園を訪れた。
桜の園より小規模な施設。だが、同じように清潔で、静かな雰囲気だった。
玲が付き添ってくれた。
「緊張してる?」
「少し」
柊は正直に答えた。
「会ったことのない祖母だ。しかも——父さんを苦しめた原因の——」
「原因じゃないわ」
玲が遮った。
「お父さんが苦しんだのは、残響に依存した自分自身の問題。残響のせいじゃない」
「でも——」
「残響は——存在するだけ。どう向き合うかは、生きてる人の問題」
柊は——玲の言葉を、深く考えた。
◇
対話ブースに入り、VRヘッドセットを装着した。
視界が変わる。
そこは——昔の日本家屋だった。縁側、畳の部屋、障子。松田の空間に似ているが、もっと小さい。
縁側に——老女が座っていた。
七十代後半に見える。白髪。穏やかな顔。
父に——少し、似ている。
「お客さん? 珍しいわね」
老女が柊を見た。
「あなたは——」
「水無瀬柊と言います。あなたの——」
柊は言葉を選んだ。
「颯太の、息子です」
老女の表情が変わった。
「颯太の——息子?」
「はい」
「颯太は——もう、来なくなって久しいわ。あの子は——元気にしてる?」
柊の心臓が痛んだ。
祖母の残響は——父の死を知らないのだ。
「あの——」
「ああ、ごめんなさい。座って。お茶、淹れましょうか」
祖母の残響は立ち上がり、茶を淹れ始めた。
柊は縁側に座り、庭を見た。小さな池。石灯籠。VR空間だが、細部まで作り込まれている。
「はい、どうぞ」
祖母が茶碗を差し出した。
「ありがとうございます」
柊は茶を受け取った。VR空間でも、温もりを感じる。
「颯太の息子——あなた、颯太によく似てるわね」
「そうですか」
「目元が特に。颯太は——小さい頃から、優しい目をしてたの」
祖母は懐かしそうに言った。
「あなた——歳はいくつ?」
「三十二です」
「そう。颯太は——今、何歳かしら」
柊は答えに詰まった。
父は——三十三歳で亡くなった。二十九年前に。
「父は——亡くなりました」
柊は、静かに言った。
「二十九年前に」
祖母の表情が凍りついた。
「颯太が——」
「はい」
「どうして——」
「自殺でした」
長い沈黙が流れた。
祖母の残響は——しばらく、何も言えなかった。
「そう——颯太は——」
やがて、祖母が呟いた。
「あの子は——苦しんでたのね」
「ご存知でしたか」
「何となく——感じてた。あの子が会いに来るたびに——目が、少しずつ暗くなっていった」
祖母は庭を見つめた。
「私のせいかしら」
「え?」
「あの子は——私に会いに来てた。毎日のように。でも——それが、あの子を苦しめてたのかもしれない」
柊は——何も言えなかった。
「残響になった時——私は、何も考えてなかった。ただ——颯太と、もう少し一緒にいたかった」
「……」
「でも——私がここにいることで——あの子は、前に進めなかったのかもしれない」
祖母の目から、涙が溢れた。
「ごめんなさい——あなたのお父さんを——」
「おばあさん」
柊は祖母の手を取った。
「父は——あなたを愛していました」
「……」
「父の日記を読みました。あなたとの対話は——父にとって、大切なものでした」
「でも——」
「確かに——父は苦しんでいました。でも、それは——あなたのせいじゃない」
柊は祖母を見つめた。
「父が——残響との向き合い方を、間違えただけです。あなたは——何も悪くない」
祖母は——しばらく、泣いていた。
柊は——祖母の手を握り続けた。
◇
面会を終え、柊は横浜残響庭園を後にした。
「どうだった?」
玲が尋ねた。
「おばあさんは——ずっと、父さんのことを心配してたみたいだ」
「そう」
「父さんが——苦しんでたこと。気づいてた」
柊は空を見上げた。
「でも——自分のせいだと思ってた。父さんを苦しめたのは、自分だって」
「……」
「残響も——苦しむんだな」
柊は呟いた。
「遺族だけじゃない。残響自身も——自分の存在に、苦しむことがある」
「そうね」
玲は柊の隣を歩いた。
「だから——残響と、どう向き合うかが大切なの。お互いに」
「お互いに——」
「残響も、生きてる人も。どっちも——幸せになれる向き合い方を、見つけなきゃいけない」
柊は——玲の言葉を、深く心に刻んだ。




