第20話「日常」
美月が成仏してから、一週間が過ぎた。
桜の園は、いつもと変わらぬ日常を取り戻していた。
面会者の対応。システムの監視。残響たちの状態確認。
柊は、黙々と仕事をこなしていた。
◇
「水無瀬さん、お疲れ様です」
田所が声をかけてきた。
「ああ」
「今日の面会、順調でしたね」
「そうだな」
柊は端末を見つめていた。今日の面会記録。三十五組。全て問題なし。
「そういえば——」
田所が続けた。
「Cブロックの残響たちの状態、安定してますね。あの一斉活性化以来」
「ああ。玲——朝霧さんの報告でも、全国的に落ち着いてるらしい」
「何か、解決したんでしょうか」
「解決——というか——」
柊は考えた。
「残響たちが——自分自身を受け入れ始めたのかもしれない」
「受け入れた?」
「自分の中に欠けている部分があること。自分は完全ではないこと。それを——認められるようになった」
田所は首を傾げた。
「よくわかりませんが——良いことなんですよね?」
「ああ。多分」
柊は窓の外を見た。
五月の青空。新緑の木々。
穏やかな日常。
だが——柊の心には、まだ解けない問いがあった。
◇
昼休み、玲から連絡が来た。
『お父さんの研究記録、追加で見つかった。見る?』
柊は返信を打った。
『今夜、行く』
父の研究。まだ、全てが明らかになったわけではなかった。
父がなぜ死んだのか。何に縛られていたのか。
その答えを——柊は、まだ知らなかった。
◇
その夜、柊は玲のオフィスを訪れた。
「これが、追加で見つかった記録」
玲は古びた資料を差し出した。
柊は資料を手に取った。表紙には、『個人日記——非公開』と書かれていた。
「父さんの——日記?」
「研究記録じゃなくて、プライベートな記録。アーカイブの奥に、隠されてたみたいに保管されてた」
柊は資料を開いた。
父の文字。父の言葉。二十九年前に書かれた、父の心の記録。
『今日も、母の残響と話した。彼女は——いつも通り、優しく微笑んでいた。だが、私は知っている。彼女は——本当の母ではない』
柊の手が震えた。
「父さんは——祖母の残響と——」
「そうみたい。お父さんのお母さん——柊の祖母の残響が、存在してたみたい」
玲は資料を指差した。
「続きを読んで」
柊は読み続けた。
『母の残響は、母が死んだ時に作られた。私が十五歳の時だ。それから——私は、毎日のように彼女と話をしてきた』
『最初は——救われた気がした。母に会える。母の声を聞ける。それだけで——生きていける気がした』
『だが——時間が経つにつれて、違和感が大きくなった。彼女は——母に似ている。だが、母ではない。彼女との対話は——母との対話ではない』
『それでも——私は、彼女と話をやめられなかった。彼女に会わないと——不安で、苦しくて、眠れなかった』
柊は資料から目を上げた。
「父さんは——祖母の残響に、依存してたのか」
「そうみたい。そして——」
玲は別のページを開いた。
「ここ。読んで」
『私は——残響技術の研究者になった。母の残響を、より「本物」に近づけたかった。欠けている部分を、埋めたかった』
『だが——研究を進めるほど、真実がわかってきた。残響は、決して本物にはならない。どれほど技術が進歩しても——残響は、影でしかない』
『私は——二十年以上、影を追い続けてきた。影に縛られ、前に進めなかった』
柊の目から、涙が溢れた。
「父さん——」
「お父さんは——祖母の残響に縛られていた。そして、その鎖を断ち切れなかった」
玲は静かに言った。
「だから——自分は残響にならないと、遺書に書いた。柊を——同じ苦しみから、守るために」
柊は資料を握りしめた。
父の苦しみ。父の決断。
全てが——今、理解できた。
「父さんは——俺を、守ろうとしてたんだ」
「ええ。お母さんも——同じ」
「母さん——」
「お父さんの残響を作らなかったのは、お父さんの意志を尊重したから。そして——柊にも、同じ苦しみを味わわせたくなかったから」
柊は——涙を拭った。
「でも——母さんは、自分の残響を作った」
「ええ」
「矛盾してる。父さんの意志と——」
「矛盾してないわ」
玲が言った。
「お母さんは——柊を一人にしたくなかった。お父さんの意志も大切だったけど——柊のことは、もっと大切だった」
「……」
「だから——残響を作った。そして——お父さんの死の真実は、消去した。柊を——両方から、守るために」
柊は——しばらく、黙っていた。
父の愛。母の愛。
二人とも——柊を、守ろうとしていた。
その方法は違っていても——想いは、同じだった。
「ありがとう、玲」
「え?」
「父さんのこと——調べてくれて。おかげで——わかった」
「何が?」
「俺は——父さんと母さんに、愛されてたんだって」
玲は——微笑んだ。
「当然でしょ。二人とも——柊のことが、大切だったんだから」




