第四章「現場検証、開始」
「はじめまして。俺、氷室蓮司。よろしくね」
最初に立ち上がったのは、あのモデルのような男だった。名乗りながら、この場にいる全員と、正確に一秒ずつ目を合わせていく。最後にいちばん長く、女たちのほうを見た。計算された順序だ。誰に好かれれば、この場を制せるかを、この男はもう分かっている。
「仕事は、まあ、いろいろ。人と会うのが好きで」
いろいろ、という言葉のとき、氷室の左手が、一瞬だけポケットのスマホに触れた。無意識の仕草だ。話したくない何かに触れられそうになると、人は自分の持ち物に手をやる。俺はその手の動きを頭の隅に留めた。
次に立ったのは、髪を巻いた女だった。
「加賀美まりなでーす。よろしくお願いしまーす」
語尾を伸ばして、可愛く見えるように笑う。だが目だけは、この一ヶ月をどう勝ち抜くかをすでに計算している。恋を探しに来たのではない。ゲームを勝ちに来た女だ。
「大地っす! 熊沢大地! ジム通ってます! よろしくお願いしますっ!」
大柄な男が、勢いよく頭を下げた。この男の声だけが、部屋の空気を素直に揺らした。裏がない。策もない。ただここにいることが嬉しい。俺はこの男を、少しだけ好きになった。嘘のつけない人間は、この箱の中では貴重だ。
ギャルふうの女は、茜、と名乗った。派手な見た目のわりに、自己紹介はいちばん短かった。「茜でーす、以上!」と言って、さっさと座った。そのくせ、他の全員のことは、もう観察し終えている目をしていた。
寡黙な男は、透、とだけ言った。あとは何も語らず、俯いたままだった。他に、里佳と結衣という若い女が二人。緊張で声が上ずっていた。
そして、いちばん端の女が、立った。
「一ノ瀬澪です。花屋で働いています。……よろしくお願いします」
それだけだった。飾りも、狙いもない。他の九人が、カメラのために自分を大きく見せようとする中で、その女だけが、等身大のままそこに立っていた。
俺はまた、彼女を読もうとした。読めなかった。
俺のやっていることには、名前がある。プロファイリングという。もとは、過去の犯罪データや行動の癖から、まだ見ぬ犯人の人物像を割り出す捜査技術だ。俺はそれを犯人だけでなく、目の前の人間すべてに使う癖がついている。誰が何を隠し、何を欲しがっているか。行動の一つ一つが、そのデータになる。
九人のうち八人は、着席してから三十秒で、俺の中に人物像が組み上がった。氷室は他人を道具として扱う男。加賀美は場を支配したい女。熊沢は嘘を知らない男。──だが一ノ瀬澪という女だけは、いくら行動を積み上げても、人物像が結ばなかった。データが集まらないのではない。集めたデータが、どこにも矛盾を作らないのだ。矛盾のない人間など、いるはずがなかった。
◇
「では、相馬さん!」
ディレクターの声が飛んだ。
「今期の目玉、現役刑事の相馬さんです! 相馬さん、自己紹介をどうぞ!」
九人の視線が、いっせいに俺へ向いた。カメラのレンズも、ぐるりと首を回してこちらを向く。俺は立ち上がった。
「相馬迅。刑事です。以上」
沈黙が、落ちた。
ディレクターが、慌ててフォローを入れる。
「あ、相馬さん、もう少し、こう……趣味とか、恋愛観とか」
「趣味はない。恋愛観もない」
「え、えっと、じゃあ、どうしてこの番組に?」
「命令です」
また、沈黙。
──のはずだった。だが次の瞬間、部屋のあちこちで、噴き出す音がした。熊沢が腹を抱えて笑い出した。茜が「なにその人、正直すぎ!」と手を叩いた。加賀美でさえ、口元を押さえて笑っている。
俺には、何がおかしいのか分からなかった。俺はただ、本当のことを言っただけだ。命令で来た。趣味はない。恋愛観もない。全部、事実だ。
「相馬さん、最高です!」
ディレクターが、目を輝かせた。
「その調子でお願いします! いや、これは……画になる!」
俺は自分がなぜ受けているのか、まるで理解できなかった。
後で分かったことだが、この箱の中では、俺が最大の異物だった。全員が、少しでも自分を良く見せようと、必死に演技をしている。その中で、俺一人だけが、何一つ演じていなかった。演じられなかった、と言うほうが正しい。俺は昔から、嘘が下手だ。恋がある演技も、興味がある演技も、できない。
だがこの箱では、その「演技のできなさ」が、逆に、本物、と映るらしかった。
嘘を見抜く男は、嘘がつけない。そのことが、生まれて初めて、俺の役に立った。皮肉な話だった。
◇
第一回の企画は「現場検証」と名づけられていた。要するに、初対面の相手と一対一で話す、最初のデートだ。刑事がいるからと、わざわざ物々しい名前をつけている。
俺は女たちと順番に話した。里佳とは天気の話をして三分で終わった。結衣は緊張しきっていて、目も合わせられなかった。加賀美は俺の職業を利用しようとしていた。刑事という肩書きは、この番組では珍しい。彼女は俺を、自分を目立たせる道具として値踏みしていた。
「相馬さんって、人の嘘、見抜けるんですか?」
加賀美が上目づかいで聞いてきた。
「だいたいは」
「じゃあ、あたしのこと、どう見えます?」
俺は彼女の目を見た。
「今の質問で、三人分の視線を集めた。あんたは、俺の答えより、周りがそれをどう見てるかのほうを気にしてる」
加賀美の笑みが、ぴくりと固まった。
「……こわ」
彼女はそう言って、逃げるように席を立った。俺はまた一人、この箱の中に敵を作った。だが構わなかった。俺は恋を探しに来たんじゃない。
◇
最後の一人が、澪だった。
彼女は俺の向かいに座ると、こう切り出した。
「相馬さんは、みんなのことが、読めるんですね」
「まあ、仕事なので」
「じゃあ、当ててみてください。わたしのこと」
来たか、と思った。加賀美と同じだ。刑事を試して、リアクションを引き出そうとしている。俺はいつものように、彼女を読もうとした。
読めなかった。
いつもなら、一秒で見える。視線、呼吸、指先、声のわずかな揺れ。そこから、その人間が何を隠しているかが浮かび上がる。だがこの女からは、何も浮かんでこなかった。隠している、という気配すらない。まるで、隠すものが、初めから何もないみたいに。
そんな人間は、いない。誰にでも、裏はある。俺はそう知っている。
「……珍しいな」
思わず俺はそう漏らした。
「読めない?」
「読めない」
すると、澪は少しだけ笑った。今度は、俺にも読める笑い方だった。困っているような、それでいて、俺のことを気の毒がっているような。
「わたしのことより」
彼女は言った。
「相馬さんのほうが、よっぽど嘘つきに見えます」
俺は動きを止めた。
「あなた、ずっと自分に嘘をついてるでしょう」
俺の背中を、冷たいものが走った。
指摘そのものは、単純だった。だが、彼女がそれを言ったタイミングと、声の落とし方が、素人のものではなかった。相手のいちばん柔らかいところを、正確に突く言い方。俺が取調べでやる、あの詰め方によく似ていた。
いや──違う。取調べのそれとは、決定的に違うところが、一つあった。
俺の詰め方には、相手を追い込むという目的がある。だが澪の言葉には、目的が、なかった。俺を落として、何かを得ようとしているわけではない。ただ見えてしまったから、口にした。それだけだ。
蛍光灯とは違う、柔らかいスタジオの光の下で、彼女の目が、まっすぐ俺を捉えていた。まばたきをしない。逸らさない。俺の顔のどこを見ればいいか、迷いがない。
俺は思わず視線を落とした。手元の冷たい麦茶のグラスに水滴が伝っていた。その一粒を、俺は意味もなく指で拭った。落ち着かなかった。
人の嘘を見抜くのが、俺の仕事だ。なのに今、俺は生まれて初めて、他人に、自分の嘘を見抜かれていた。しかも、こちらは相手の嘘を、一つも見つけられないまま。
この女は、危険だ。俺は反射的にそう思った。だがそれが、刑事としての警戒なのか、それとも別の何かなのか、このときの俺には、まだ区別がつかなかった。




