第二十三章「現行犯(本命の告白)」
生放送は、まだ続いていた。
氷室が連行され、スタジオは、騒然としていた。榊がフロアの隅で、モニターを見つめていた。その顔は、青ざめていた。作りものの恋を売り続けてきた女の番組で、今、本物の事件が、剥き出しの姿を見せていた。榊がいちばん、嫌う形式で。だが、その視聴率は、番組史上、最高を記録していた。皮肉なことに、本物の一撃こそが、いちばん数字を持っていた。
俺はまだ、スタジオの中央に立っていた。
やるべきことは、終わったはずだった。事件は、解けた。氷室は捕まった。澪の弟は、信じる側へ歩いてきた。あとは、俺がこの箱を去るだけ。
だが、俺の足は、動かなかった。
まだ一つ、供述が、残っていた。いちばん、大事な、供述が。
◇
「澪」
俺は彼女の名を呼んだ。
澪が涙に濡れた顔を上げた。弟が無事に信じる側へ来たことに泣いていた。俺が彼女を信じ抜いたことに泣いていた。
この番組は、告白を供述と、呼ぶ。俺はそれをずっと嫌ってきた。愛の告白に、刑事の言葉を当てるな、と。だが、今なら、分かった。この二つは、案外、似ていた。供述も、告白も、自分のいちばん奥にある、隠していたものを外へ差し出す行為だ。
供述するとき、人は、自分を丸裸にする。もう隠せない。もう逃げられない。ぜんぶ、話す。その瞬間、人は、いちばん無防備になる。告白も、同じだった。好きだと言うことは、相手に、自分の急所を差し出すことだ。断られるかもしれない。笑われるかもしれない。それでも、言う。その無防備さこそが、告白だった。二年間、俺は無防備になることをいちばん恐れてきた。無防備でいれば、また、裏切られる。だから、鎧を脱がなかった。
だが今、俺は脱ごうとしていた。カメラの前で。この国じゅうの前で。いちばん、無防備な姿を澪に差し出そうとしていた。それは、二年前の俺には、死んでも、できないことだった。今の俺には、できた。恐怖より、この女を想う気持ちのほうが、大きかったから。
俺は生まれて初めて、告白をしようとしていた。裏の取れない、告白を。
「一つだけ、聞いてくれ」
俺は言った。カメラが、回っていた。この国じゅうが、見ていた。だが、そんなことは、もうどうでもよかった。
「俺は、二年間、誰のことも、信じられなかった。証拠がなきゃ、隣に、誰も、置けなかった。裏を取らなきゃ、一歩も、動けなかった。──そういう男だ。今も、たぶん、そういう男だ」
澪は静かに聞いていた。
「でも、あんたに会って分かった。信じるって、証明することじゃない。証明できないものをそれでも信じると、決めることだって。──あんたが、教えてくれた」
俺は一歩、彼女に近づいた。今度は、澪は後ずさらなかった。
「だから、俺は決めた。──君のことだけは、一生、裏を取らない」
スタジオが、静まり返った。
言った瞬間、俺の心臓は、これまでの人生で、いちばん速く打っていた。凶悪犯と向き合っても、これほどではなかった。銃口を突きつけられても、これほどではなかった。たった一言、好きだと伝えるのが、俺の人生で、いちばん恐ろしかった。掌に、汗が、にじんでいた。声が、震えないように、俺は腹の底に力を込めた。
「好きだ、とか、幸せにする、とか、そういう言葉は、俺には、うまく、言えない。嘘が、下手だからな。だが、これだけは、言える。俺は二度と、君を洗わない。疑わない。裏を取らない。──君が、何を言っても、俺は証拠を探さない。ただ信じる。それが、俺にできる、精一杯の愛し方だ」
疑うことを職業にした男のいちばんの愛の証明。それは、疑わないと、決めること。裏を取らないと、誓うこと。この世で、俺だけが、できる、告白だった。他の男なら、花束を渡し、甘い言葉を並べるだろう。だが、俺には、それができない。俺にできるのは、たった一つ。この女だけは、一生、捜査しないと、誓うこと。それが、俺のありったけだった。
◇
澪の目から、また、涙が、こぼれた。
だが、それは、恐怖の涙でも、悲しみの涙でも、なかった。
「ずるい人」
彼女は笑いながら、泣いていた。
「そんな、告白、聞いたこと、ない。──裏を取らない、が、告白だなんて」
「刑事にしか、言えない、告白だ」
「ふふ」
澪は涙を拭った。それから、まっすぐ俺を見た。あのいちばん最初に、俺を読んだ目で。
「わたしも、決めました。あなたのことだけは、探らない。あなたが、自分に嘘をついてても、もうそれを暴かない。ただそばで、待ちます。あなたが、あなたの本当を話してくれるまで」
その言葉に、俺は胸の奥が、熱くなった。二年間、誰も、俺の隣に座らなかった。俺が誰も、座らせなかった。空いたままのあの椅子。相棒のいなくなった、あの席。その隣に、今、一人の女が、証拠も求めず、裏も取らず、ただ座ろうとしていた。待つ、と言って。俺が自分の本当を話せるようになるまで。
こんな日が、来るとは、思わなかった。二年前、すべてを失ったと思った、あの夜には。人を信じることは、二度と、できないと思っていた。なのに今、俺は信じ、信じられていた。裏の取れないもので。証明できないもので。それでも、これ以上、確かなものを俺は知らなかった。
俺たちは、証拠のない、約束を交わした。裏の取れない、二つの供述を。付き合おう、とも、結婚しよう、とも、言わなかった。俺たちが、交わしたのは、もっと、深い、約束だった。互いに裏を取らない、という約束。互いを証明の外側で信じる、という約束。
考えてみれば、恋人になる、というのは、ただのラベルだった。付き合う、結ばれる、そういう言葉は、関係に、名前をつけるだけだ。だが、名前は、中身を保証しない。世の中には、恋人という名前を持ちながら、互いを探り合い、疑い合う二人が、いくらでもいる。俺と澪が、交わしたのは、名前ではなかった。行為だった。裏を取らない、という、具体的な、行為。信じる、という、動詞。ラベルではなく、生き方の約束だった。
それは、俺という人間に、いちばんふさわしい、愛の形だった。刑事は、裏を取る。それが、仕事だ。その俺が、たった一人にだけは、一生、裏を取らないと、誓う。俺の職業のすべてをその一人の前で返上する。それ以上の愛の証明を俺は知らなかった。
スタジオが、割れんばかりの拍手に包まれた。
作りものだらけのあの箱で生まれた、たった一つの本物の恋だった。編集も、演出も、されていない。裏の取れない、けれど、まぎれもない、本物。この国じゅうが、それを見ていた。榊がモニターの前で、呆然と、立ち尽くしていた。本物なんて、退屈だと、言っていた女が。今、その本物に言葉を失っていた。
◇
だが、俺には、まだもう一つ、残していた、供述が、あった。
誰にも、言っていない、最後の一つ。
俺は上着の内ポケットから、あのくたびれた黒い手帳を取り出した。裏の取れた事実だけを書いてきた、俺の一冊。この二年間、確かめたことしか、書かなかった。曖昧なものは、一行も、残さなかった。
俺はその手帳を開いた。最後のページに、俺がずっと、書けずにいたものが、あった。
この手帳は、俺の心の形だった。裏の取れた事実だけを書く。確かめたことしか、載せない。二年間、俺はこの規律を一度も、破らなかった。破れば、また、間違えると、思ったから。曖昧なものを書けば、いつか、それに、足元をすくわれると。
だが、いちばん大事なものは、たいてい、裏が取れない。信じるに足るものほど、証明できない。この二年間、俺はいちばん大事なものを手帳に書けずにきた。書く資格が、ないと、思っていた。裏の取れないものを書く、勇気が、なかった。
俺はペンを握った。指先が、少しだけ、震えていた。だが、それは、恐怖の震えでは、なかった。
書くべきか、迷っていた。それは、俺のいちばん最後の供述だった。裏の取れない、たった一行の。




