第二十章「生放送・供述」
最終回は、生放送だった。
スタジオには、いつもの合宿所のセットが、組まれていた。だが、空気が、違った。カメラの数が、倍に増え、フロアには、生放送特有の張り詰めた緊張が、満ちていた。この放送は、編集できない。切り貼りできない。起きたことが、そのまま何百万人の目に届く。榊がいちばん、嫌う形式だった。作りものが、効かない場所。
俺はその場所を選んだ。氷室を追い詰めるなら、編集の効かない、生放送しか、なかった。
参加者が、勢ぞろいしていた。氷室。澪。加賀美。熊沢。茜。里佳。俺が戻ってきたことに、氷室は一瞬、目を細めた。だが、すぐに、王子様の笑顔に戻った。余裕の笑みだった。証拠もないくせに、と、その顔が、言っていた。
最終回の企画は、「本命の供述」だった。
供述、という言葉を俺はこの一ヶ月、ずっと嫌ってきた。愛の告白に、刑事の言葉を当てるな、と。だが今日だけは、この名前が、味方だった。供述とは、本来、真実を引き出す場のことだ。俺はこの場を本来の意味の供述の場に戻すつもりだった。
参加者が、一人ずつ、本命の相手に告白する。この番組の集大成。刑事がいるからと、告白を供述と呼ぶ。俺はその名前を逆手に取るつもりだった。供述。それは、俺のいちばんの得意分野だった。
◇
「では、氷室さんから、どうぞ」
司会に、促され、氷室が立ち上がった。澪の前に進み出る。
「澪ちゃん。俺、決めたよ。君を幸せにする。君の弟のことも、俺がなんとかする。だから、俺と──」
「氷室」
俺はその告白を遮った。
スタジオが、ざわめいた。カメラが、いっせいに、俺を向く。氷室が笑顔のまま、俺を見た。
「なんすか、相馬さん。人の告白の邪魔しないでくださいよ」
「一つ、聞きたい。──あんた、さっき、澪の弟のことをなんとかする、と言ったな。あんた、澪の弟の名前を知ってるのか」
氷室の笑みが、ほんの一瞬、止まった。だが、すぐに戻った。
「そりゃ、澪ちゃんから、聞いたからね」
「へえ。いつ、聞いた」
「……いつって。この一ヶ月のどこかでしょ」
「おかしいな」
俺は澪を見た。澪が静かに頷いた。約束どおり、彼女は俺を信じてくれていた。
「澪は、弟の名前を番組で、一度も、口にしてない。俺がずっと、確認してた。──なのに、あんたは、なんで知ってるんだ」
これが、供述崩しの第一歩だった。相手を告発しない。ただ小さな矛盾を一つ、置く。氷室がそれをどう、埋めるか。埋めようとして次の嘘を重ねる。嘘は、重ねるほど、崩れやすくなる。
取調べというのは、テレビで見るような、机を叩いて怒鳴る場面とは、まるで違う。優秀な刑事ほど、静かだ。相手を追い詰めない。追い詰めれば、人は、貝になる。口を閉ざした人間からは、何も、出てこない。だから、逆をやる。相手を気持ちよく、喋らせる。喋りたいように喋らせる。人は、喋れば喋るほど、辻褄を合わせなければ、ならなくなる。最初の嘘を次の嘘で支える。その次の嘘をまた次の嘘で支える。嘘の塔は、高くなるほど、自分の重みで崩れていく。
俺はこの一ヶ月、氷室の嘘を一つ残らず、記憶していた。仕事のこと。家族のこと。この番組に来た理由。すべて確かめようのない、身の上話だった。だが、生放送という場所は、確かめようのない話を確かめる場所に変える。ここで氷室が新しく口にする嘘は、この一ヶ月の嘘と、必ず、どこかでぶつかる。俺はそのぶつかる瞬間を待っていた。網を静かに張って。
「……澪ちゃんが、二人のときに話してくれたんすよ。ねえ、澪ちゃん」
氷室が澪に、水を向けた。
だが、澪は首を横に振った。
「わたし、あなたに、弟の名前、話してません」
スタジオが、どよめいた。氷室の顔から、笑みが、少しずつ、抜けていく。
「じゃあ、どこで、聞いたんすかね。俺の勘違いかな」
うまい、と、俺は思った。勘違い、で、逃げる。ここで、畳みかければ、氷室は口を閉ざす。だから、俺は泳がせた。
「そうか。勘違いか。──なら、いい。続けてくれ」
俺が引くと、氷室は少し、安心した顔をした。そして、その油断が、次の隙を生む。俺は待った。
◇
だが、氷室もただでは、やられなかった。
「相馬さん」
彼は逆に、こちらに切り込んできた。
「あんた、放送、見てないんすか。あんた、ストーカーだって、この国じゅうが、言ってますよ。澪ちゃんを監視して、手帳に書き込んで。──そんな人が、俺のこと、犯罪者だって? 嫉妬に狂ってるだけでしょ」
スタジオの空気が、また、揺れた。里佳が不安そうに、俺を見る。氷室の反撃は、的確だった。俺のいちばん弱いところを突いてきた。編集された、ストーカー刑事のイメージ。この国じゅうが、それを信じている。
「相馬さんは、澪ちゃんが、俺を選んだのが、悔しいだけだ。だから、こんな、めちゃくちゃな、言いがかりを──」
「そのとおりだ」
俺は言った。
氷室が止まった。
「俺は、澪があんたを選んだのが、悔しい。それは、本当だ。──俺は澪が、好きだからな」
スタジオが、静まり返った。俺は嘘をつかなかった。ここでも、つかなかった。氷室は俺の嫉妬を武器にしようとした。だから、俺はその武器を自分から、認めた。認めてしまえば、それは、もう武器ではなくなる。
「でも、それと、あんたが詐欺師だってことは、別の話だ」
俺は氷室をまっすぐ見た。
嫉妬を認めた瞬間、スタジオの空気が、変わったのが、分かった。氷室は俺を嫉妬に狂ったストーカーとして片づけようとした。だが、当の本人が、あっさり、それを認めてしまえば、その筋書きは、宙に浮く。人は、隠す者を疑う。認める者は、疑いにくい。二年間、嘘を見抜いてきた俺が、いちばんよく知っている、人の心の癖だった。氷室の得意技を俺は正直さ一つで無力化した。
「嫉妬してる男の言うことだから、信じるな。──いいだろう。なら、証拠を見せてやる。俺の言葉じゃない。あんた自身に喋ってもらう」
◇
そのときだった。
加賀美が立ち上がった。
「あたし、言うことがある」
彼女はカメラの前で、にやりと、笑った。あのヴィランの笑みだった。
「あたし、氷室くんに頼まれて、相馬さんの悪い噂、流してたの。相馬さんをストーカーに、仕立てるように。──氷室くんが、そうしろって、言ったから」
スタジオが、爆発したようにざわついた。
氷室の顔が、初めて、はっきりと、歪んだ。
加賀美は自分が、共犯だったと、生放送で告白した。自分の評判を犠牲にして。ヴィランとして、この国じゅうに、晒されることを引き受けて。俺を信じた、代償として。
俺は加賀美を見た。彼女は震えていた。当然だった。この告白は、彼女自身も、噂を流した加害者だったと、認めることだ。生放送で、全国に。もう後戻りは、できない。計算で生きてきた女が、生まれて初めて、計算に合わないことをやってのけた。俺が彼女を信じたから。信じられた人間は、その信頼に応えようとする。俺が二年間、忘れていた、人間のいちばん単純な仕組みだった。
昨日、俺は加賀美に、この役を頼んだ。危険な役だった。断ってもいい、と言った。だが、彼女はやると言った。あんたが、あたしを信じてくれたからね、と。信頼は、伝わる。一人を信じれば、その一人が、また、応える。俺のたった一人の帳場が、今、生放送のスタジオで、静かに力を持ち始めていた。
「加賀美さん、あんた、何を──」
氷室の声が、初めて上ずった。泳いでいた魚が、餌に食いつく、その瞬間だった。
「証拠は?」
氷室はそれでも、笑おうと、した。引きつった、笑みで。
「証拠は、あるんすか、刑事さん。加賀美さんの証言だけでしょ。この人、ヴィランだ。信用、できるわけない」
俺は静かに答えた。
「ああ。証拠は、まだない」
氷室の目に、勝利の色が、戻りかけた。
「──だが、あんたが、今から、俺たちに、それをくれる」




