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刑事が恋愛リアリティショーに参加する物語  作者: もしものべりすと


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第十三章「内偵(愛する者を洗う)」

内偵を始めてしまった。


内偵というのは、相手に気取られず、密かに探る捜査のことだ。相手が誰かは、関係ない。被疑者だろうが、参考人だろうが、洗うと決めたら、洗う。それが刑事だ。


俺が洗い始めた相手は、一ノ瀬澪だった。愛していると、認めかけた女を。


きっかけは、あの借用書だった。番号が、闇バイトの線と、つながっていた。刑事の頭は、その事実を放っておけなかった。澪は事件と、つながっている。彼女の弟が、闇バイトに手を出し、氷室がそれを握って澪を脅している。ここまでは、心証で組み上がった。あとは、裏を取るだけだ。


そう考える自分を俺は止められなかった。


昼間、俺は澪の行動を記録した。誰と話したか。いつ、スマホを気にしたか。表情のわずかな変化。刑事の目で、彼女を被疑者として見た。テラスの夜、信じてみたいと思った、あの気持ちに、蓋をして。


夜、私物の手帳に、俺はそれを書き込んだ。澪の行動。時刻。番号の一致。裏を取るための材料。書きながら、ペンが、ときどき、止まった。


これは、捜査だ。俺はそう、自分に言い聞かせた。彼女を守るためだ。事件の全体像を掴めば、澪を氷室から、救い出せる。だから、洗うんだ。彼女のためだ。


だが、手帳のページをふとめくり返したとき、俺は自分の字にぞっとした。


つい先週まで、そこには、こう書いてあった。『一ノ瀬澪、笑うとき、右の口角が少し先に上がる。花の名前をたくさん知っている』。恋する男の記録だった。丁寧で優しい字だった。


そして、今日のページには、こう書いてあった。『澪、十四時、氷室と接触。番号の照合、要。弟の所在、要確認』。被疑者を洗う、刑事の記録だった。冷たく、乾いた字だった。


同じ手帳の同じ女のことを俺は一週間で、恋する相手から、洗う対象へと、書き換えていた。


俺はそのページを長いこと、見つめていた。指が、冷たくなっていた。この手帳は、俺の心の形だった。裏の取れた事実しか書かない。曖昧なものは残さない。二年前、人を壊してから、俺が自分に課した、たった一つの規律。その規律に従って、俺は今、澪を事実の対象として切り分けていた。感情ではなく、証拠として。人ではなく、事件として。


これが、俺のやり方だった。二年間、これで身を守ってきた。人を洗い、裏を取り、事実だけを積み上げる。そうすれば、間違えない。そうすれば、誰も壊れない。──そのはずだった。


だが、澪を洗いながら、俺は初めて、この規律のいちばん醜い部分に気づいた。人を洗うということは、その人を信じないと決めることだ。信じないと決めた相手のことは、どれだけ丁寧に記録しても、それは、愛ではない。監視だ。俺は澪を愛しながら、監視していた。この二つは、両立しない。両立させようとして、俺はどこかが、壊れかけていた。



「相馬さん」


洗面所の鏡の前で、加賀美が俺の背後に立った。


いつもの可愛い声ではなかった。素の顔で彼女は俺を見ていた。この計算高い女は、この箱の中で、誰よりも、人の動きに目ざとい。


「あんたさ、澪ちゃんのこと、探ってるでしょ」


俺は手を止めた。


「なんの話だ」


「とぼけないで。あたし、そういうの分かるの。あんた、澪ちゃんを見る目が、変わった。前は、恋する目だった。今は──」


加賀美は少し、間を置いた。


「今は、氷室が人を見るときの目と、同じ」


背筋が、冷えた。


「あんた、あの子を疑ってるんでしょ。好きなくせに。──それ、氷室のやり口と、どこが違うの?」


言葉が、出なかった。


加賀美は鏡越しに俺を見ていた。にやにやも、あざとさも、消えていた。そこにいたのは、意外なほど、まっすぐな目をした女だった。


「あたしはさ、計算で動く女だよ。人を利用する。それ、自覚してる。だからね、同じ匂いのする人間は、分かるの。──今のあんた、あたしと、同じ匂いがする。好きな相手すら、利用しようとしてる匂い」


「俺は、澪を守ろうとしてる」


「守るために、疑うの? 守るために、裏を取るの? ──それ、守るって言わないよ、刑事さん」


俺は返す言葉を持たなかった。


加賀美はそれだけ言うと、いつもの可愛い声に戻って、「なんてね」と笑い、洗面所を出ていった。だが、その言葉は、俺の胸に深く突き刺さったままだった。


守るために疑う。守るために裏を取る。──それは、守ることなのか。それとも、二年前と、同じ過ちの繰り返しなのか。



その日の夜、俺は氷室に呼び止められた。


「相馬さん。ちょっと、いいっすか」


庭の隅。いつものカメラの死角。氷室はそこに俺を誘った。まるで、二人だけの密談の場所へ、招くように。


「あんた、最近、忙しそうっすね。いろいろ、洗ってるみたいで」


氷室は笑っていた。俺が動いていることを完全に把握していた。


「なんの話だ」


「とぼけなくていいっすよ。俺たち、同じ穴の狢でしょ」


氷室は俺に顔を近づけた。声を落とした。あの夜の電話の低い声だった。


「相馬さん。俺、最初に会ったとき、言ったよね。あんたと俺、似てるって。あのとき、あんたは、否定した。──でも、今なら、分かるでしょ」


俺は動かなかった。


「あんた、好きな女すら、洗ってるらしいじゃないっすか。裏を取らなきゃ、信じられない。証拠がなきゃ、隣に置けない。──俺と、同じっすよ。俺は人を金に換える。あんたは、人を証拠に換える。やってること、根っこは、一緒だ」


氷室の目が、闇の中で光った。


「あんたと俺、同じ目をしてる。人をそのままじゃ、信じられない目だ」


俺はその言葉に殴られたように動けなかった。


反論したかった。俺はお前とは違う、と。だが、口を開けなかった。今日、俺は愛する女を被疑者として洗った。氷室が澪を金に換えようとしているように、俺も澪を事件の手がかりに換えようとしていた。


方向は、逆だった。氷室は澪を利用しようとし、俺は澪を守ろうとしている。だが、やっていることは──人をそのまま信じずに何かに換算する、という一点で同じだった。


氷室は俺の沈黙を見て満足そうに笑った。


「ま、せいぜい、頑張ってください。──あんたが、あの子を疑ってくれてるうちは、俺は安全だからね」


そう言って氷室は去っていった。


俺は庭の隅に、一人、残された。頭上のカメラの赤い光が、俺を見下ろしている。


俺はいつのまにか、追う側から、追われる側の共犯者になりかけていた。氷室がいちばん助かるのは、俺が澪を疑い続けることだった。俺はその手のひらの上で踊らされていた。


そして、いちばん恐ろしいのは、それが、分かっていても、俺の中の刑事が、澪を洗う手を止められないことだった。


夜、寝室に戻っても、俺は眠れなかった。天井を見上げながら、加賀美の言葉と、氷室の言葉が、頭の中で交互に鳴った。守るために疑うのは、守るとは言わない。あんたと俺は、同じ目をしている。二人とも、まったく別の場所から、同じ一点を突いてきた。俺が澪を信じきれずにいる、その一点を。


信じたかった。テラスの夜、確かにそう思った。裏を取らずに、この女を信じてみたい、と。だが、翌日にはもう、俺の手は、彼女を洗っていた。心では信じたいと思いながら、身体は、疑うほうへ動く。二年間の習慣は、一夜の決意より、ずっと重かった。


これが、俺の欠点だった。この箱に、氷室という悪党がいる。だが、俺にとっての本当の敵は、氷室ではなかった。信じたい相手すら、疑わずにいられない、俺自身のこの癖だった。氷室は外にいる。だが、俺をいちばん深く蝕んでいく敵は、俺の中にいた。


俺は目を閉じた。まぶたの裏に、テラスで上着を返してきた、澪のあの少し寂しそうな笑顔が、浮かんだ。その笑顔を俺は明日もまた、洗うのだろう。分かっていた。分かっていて止められなかった。

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