ep.78
冬季特有の濁りのない空気が、廊下を歩く私の足音を明瞭に響かせていくのを聴きながら、悪戯に襲う睡魔に欠伸をひとつ零した時だった。
「それじゃあ...息子は......」
絞り出したような声だった。
夜もかなり更けこんできた病院の廊下だ。この声がどういった状況から発せられているのかは粗方予想が付く。夜勤常習犯のガブエラさん曰く、このような悲痛な叫びは悲しいほどに極々ありふれているらしい。
とはいうものの、今日ほど深夜まで残った事が無かったのもあってか、このような状況に出くわすのは初めての経験だった。
今日は医療現場、とりわけ魔獣と戦う最前線の補助を行う応急隊への転用が期待されている『結界魔法』の研究データをガブエラさんの下に提出しに来たのだが、思いのほか解析に時間がかかってしまい、先程時計を見た時にはもうあと少しで日付が変わるといった具合だったので、今は今日が始まってからしばらく経ってしまっているはずだ。極北の魔法を解析して纏めるだけなのだが、今日はかなり時間がかかってしまった。
悲痛なすすり泣きを背後にして廊下を右に曲がり、少し歩いたところで目的の部屋に着いた。二回ノックすると「はーい」という柔和でいて事務的な声が返ってくる。
「こんばんわ。お疲れ様です」
「え?マリエルちゃん?」
部屋の机で頬杖を付き、何かのファイルに目を通していたガブエラさんは、私が声をかけると、初めてこちらを見て、目を見開いた。
「どうしたの?こんな時間に」
「結界魔法の解析が終わったので...」
私がここに来た要件を伝えると、ガブエラさんは全く要領を得ないと言うように呆けた顔をした。
それから少しの間どことなく気まずい沈黙が私たちの間を流れる。
ようやく動き出したガブエラさんは、思い出したかのようにハッとしたかと思えば、こめかみに手を置いて僅かに唸った。
「...いやぁ、まずはありがとうなんだけどね?何もこんな夜遅くにわざわざ来なくても良かったのに」
「えっと...ごめんなさい。迷惑でしたか?」
「そうじゃないよ。...まだ歳若い淑女が夜遅くに出歩くのはどうなんだいと説いてるだけ」
「あー...」
私としては、やむを得ない事情により遅くなってしまったものの、ただそれだけの事として認識していたのだが、確かにまだ成人もしていない子供が夜更けに出歩くのは宜しくないだろう。いくら自衛できるとはいえ、公序良俗を考えれば自粛すべきだ。
「確かに...」
「...ちょっと待ってて」
ドアの前で小さくなっている私を見兼ねたのか、ガブエラさんは席から立って元々座っていた席の向かいのソファを指し、私に座るよう促した。それから簡易キッチンに向かい、何やら準備をし始める。
ボコボコと湯の湧く音と、私でもわかるほどのココアの香りがした所で、わざわざ飲み物を入れてくれたのだと遅れて気づいた。おずおずとカップを受け取ると、ガブエラさんが机の上に置かれた紙束に視線を向ける。
「それが?」
「あ、はい」
紙の束は私が待ってきた解析資料だ。内容が多く、口頭で説明するには複雑なものだったので今回は書類にしてまとめることにした。
私が渡すまでもなく書類はガブエラさんが取ってしまったので、ならばお構いなく、とマグカップを口に付けた所で、カブエラさんが『見ても?』というように視線を投げてくる。勿論、そのために夜なべして作った資料なのでこくりと頷くと、ガブエラさんはペラペラと資料をめくり出す。
あるページで、その顔が露骨に曇ったのが視界の端に映った。おそらくはあそこだろうと、分かってしまう程度には見るに堪えない情報が今回の調べで分かってしまったのだ。
「対価......ねぇ...」
ガブエラさんがぽつりと呟いたことで、私の勘は当たっていたことが明らかになる。
―対価
魔法の発動には例外なく対価が求められる。通常、その対価は使用者本人の魔力によって補われ、私のような例外を除けばその法則は絶対だ。
無論、結界魔法も例に漏れず対価を必要とするのだが、今回の調べで問題になったのは、どうやらその対象が魔力と使用者に留まらないという点だった。
つまるところ、魔力を持たない私が自らの身を切って魔法を使っていたのと同じ原理で、この魔法の対価には命そのものが適応できるのだ。魔力を持たない人間ならばその生命エネルギーを、魔力を持つ人間ならそれに加えて魔力を設定することができて、この魔法の特性上、それは使用者に留まらず他人にも適応することができてしまう。
ずっと疑問に思っていたのだ。
何故ラズさんはジャッジメントを使わなかったのか。
答えは簡単で、使わなかったのではなく使ったうえで相殺されてしまったのだ。
地下で見たあの光景は、正にその代償が蓄積されていた場所だったという訳なのだろう。
「なるほどねぇ...」
「......どうやら、有用ではありますが、大っぴらにしていい様な物でもないようです」
「そうだね」
「用途に気を付けないと確実に悲劇を生みますし、その転用で得られる利益を考えれば悪用しようとする輩は確実に出ます。かといって極々秘密裏に運用するには勿体ない...」
「うーーん.........どうしよっか、コレ」
問いかけに返す言葉が見つからず、私とガブエラさんは揃って首を捻った。
暫しの沈黙の後、そういえば、と先例を思い出し口を開く。
「師匠の防御魔法と同じような運用はダメなんでしょうか?それに対抗できる魔法が出来れば公表する、みたいな」
「うーーん...」
「...あ、それだと勿体ないって話がそのままですね...」
中々いい案だとい思ったのだが、よく考えればラズさんの防御魔法でそれが腐りきらなかったのは、防御魔法が求められるような危険な場所にはその唯一の使い手であるラズさんが出向いていたから、というのが大きいだろう。
今回流用したい場所は医療現場なので、そこにもラズさん程並外れた人材が居ればいいのだが...
「......いや、それがいいね」
「え?」
「一人、僕の知り合いでとんでもない奴がいるんだよ。...治癒魔法って聞いたことある?」
「治癒魔法!?」
ガブエラさんが発した単語に、思わず大きな声が出てしまった。
魔法で人や動物を治療するという試みは、何度も何度も試したうえで、諦めざるを得なかった。なにせ、恐らくは現在分かっていないような人体の知識までを全て網羅していないと正しく機能しないからだ。
翼のもげてしまった鳥をどうにか治してあげたくて、それこそ以北地域に来てすぐのころの様に猛勉強したのだが、結局魔法を使って治したはずの翼は一時間と経たずに分離してしまった。
これはあくまで推測だが、完璧に修繕しないかぎり、元々あった部分と魔法で治した部分が拒絶反応を起こしてしまうのだろう。そして、それを完璧にするには今の学問ではあまりに足らない。
「そう。治癒魔法。体の三割が残っていれば時間はかかるけど元に戻せるらしいよ。本人曰く」
「えぇ......それ、本当なんですか...?」
「あぁ、実証は幾度となくされてるから安心して。ラズもかなりお世話になってるし、かくいうマリエルちゃんも...ってこれはダメなんだったかな」
「え...なんですか。もしかして何処かで...?」
「いやいや、忘れて忘れて。本人の意向でさ」
「......わかりました」
やはり気になりはするものの、ここでガブエラさんに強く聞いた所で何にもならない訳だし、なにより、お互い深夜まで働いていたわけで、そんな不毛な争いをするほどの体力は余っていなかった。
ほんのりと気まずい空気を誤魔化す様に、二人揃ってココアを飲み、ガブエラさんが話を畳むように「まぁ」と続ける。
「つまり、その人にさえ教えておけば大抵の切迫した医療現場には居るから大丈夫かなぁと思うよ。些か勿体ないけど、そこはまぁ仕方がない」
「そうですね。...えっと、じゃあその人にはガブエラさんからお話してもらう感じですかね」
「そーだねー...うん。そうだね。僕から話しとくよ。後、そろそろ腹くくれとも」
「い、いえ...別に無理していただかなくとも...お礼を言いたいだけなので...」
「それが大事なんでしょうが。感謝を受け取るってのは施した側の義務だからね」
ガブエラさんはキュッと目を眇めて言った。
感謝を受け取る義務、といわれても、施した回数が圧倒的に少ないせいかあまりピンとこない。
何とも言えず口を噤む私を見て、ガブエラさんはふっと笑ったかと思えば、ぐるりと頭を回して壁にかかった時計を見やった。
針は未明の刻に差し掛かろうとしている。
「夜も遅いから送るよ。悪いんだけど、書類だけ仕舞ってくるからちょっとだけ待ってて?」
「あ、すみません。ありがとうございます」
「いーえ。ラズに叱られるのは御免だからね」
ガブエラさんは悪戯っぽくウインクして、さっさと部屋を出て行ってしまった。
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