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ep.77

めっきりと涼しくなった。

私は変わり映えのしない帰路を歩きながら、徐々に冷えてきた手に息を吐きかける。

少し前までは夏の終わりを惜しんでいたコオロギの鳴き声も、今となっては、過ごしやすい秋の訪れを歓声で迎えているような気がした。

橙に焼ける空には綺麗なうろこ雲が並んでいる。それを見て、そういえばここ一年は頭痛に悩まされなかったことを思い出した。いつからか、私をあれほど苦しめた片頭痛はなりを潜めていたらしい。最後になったのはいつだっただろうかと思い出そうとして、やめた。少しだけ、苦しかったから。

必要な用事があったので、私は本来の帰路を逸れて、大通りを歩く。

主要といって差し支えない道なので、時間帯も相まってか、当然人も多くいる。今日は休日前だからか、それら音の過半数が明るく色づいていた。ほんの一瞬ちらついてしまった感情を、強く抑え込む。そんなことをしていると、少し泣きたくなってしまう。すれ違う人の幸せそうな笑顔をみると、顔が引きつるような気がする。何故この風景でこんな思いをしなければいけないのかと、誰でもない何かに問いたくなる。失った輪郭が、町の人たちの幸福な音と乖離して目に染みる。明瞭に、無いのだと、分かる。

目を伏せて歩いた先に、ようやく目的の建物が見えた。

逸る気持ちを宥めながらドアを開けると、すっかり顔を憶えられてしまった受付さんと目が合う。


「こんにちわ。イレギュラー様」

「こんにちわ」


妙にしっくりと来る称号は王から直々に頂いたものだ。イレギュラーと、そう呼ばれる度に皮肉られている心地がして、むしろ腑に落ちる。

かなり若く、まだ幼さの残る顔立ちの受付さんは、私がここに通い始めるほんの少し前からここで働くことになったらしく、最初の方の不安に満ち満ちていておどおどした雰囲気を知っている身からすると、今のさわやかに挨拶してくる彼女は幾らか環境にも慣れたようで少しばかり安心する。

この頃は、以前の受付さんの様な、心に余裕のない、不安定で、壊れてしまいそうな人ばかりが目に付くようになってきた。そういう人たちは何処か怯えているように見えるし、申し訳なさそうに生きている。傷つくのに恐怖している。私は、それを見るたび胸が痛いぐらいに共感してしまって、にわかに『私はあなたを傷つけないよう精一杯にします』だなんて言いたくなってしまう。それでも、きっと私は知らず知らずのうちに誰かを傷つけるのだろう。何気ない言葉で、誰かを傷つけるのだろう。そして、そんな事実が、私を再び締め上げるのだろう。


「今日もラズさんのお見舞いで...」

「はーい。大丈夫ですよ。えぇっとカードが...あれ、準備してたのにな...」


いつものように要件を伝えると、受付さんは書類に塗れた周囲をぐるりと見た後、机の下をがさがさと漁って首にかける紐のついたカードを取り出した。

「ありがとうございます」とカードを受け取ると、微笑みと会釈を返される。私はカードを首に掛けて、紐から髪を出しながら、すっかり覚えてしまった部屋までまっすぐ歩いていき、静まり返った部屋のドアを念のためノックした。勿論、返答が帰ってくるはずもなく、ざわざわとした小さな失望を飲み込みながらドアを開ける。

ベットに横たわるラズさんの姿を見て、普段は考えないようにしている思い出の数々が頭の中に走馬灯のように吹き荒れる。何度繰り返そうとこの現象は起こるし、何度繰り返そうとこの感覚には慣れない。

ないと分かっていても、どこかで期待してしまっている自分がいるらしく、生を全くと言って良いほど感じられない姿に、石を飲んだかのような閉塞感を憶える。いつもの様に握ったラズさんの手は、寒い冬を先取りしていた。もうあと少しであの日から一年が経とうとしているのだという現実が私に重くのしかかる。

長い日々だ。

師匠と出会ってから、私は一年で大きく変わったのだろう。環境も内面も大きく変わり、その日々は忘れがたい成長の足跡として私の記憶にありありと残り続けている。

しかし、この一年ときたらどうだろうか。私の心は何一つとして成長する事のないまま、体だけは大きくなっていく。情緒をあの日に置き去りにしたまま、殻だけが変わっていく。それが一年。それだけの日々だ。

私はため息をつこうと息を吸って、思い直して止めた。

代わりという訳でもないが、私は目的を果たすべく魔力を集め始める。ある少女に言われた言葉を思い出して、自分に何度も言い聞かせながら万が一にも間違わない様、丁寧に起動する。


「マギア」


途端、ラズさんの体が炎に包まれる。

しかし、触れてみても熱くはないし周りの物を燃やす事もない。これは、ラズさんの氷だけを解かす魔法だ。

しばらくして、轟々と燃え盛っていた炎がふっと消える。予めどの程度までマギアを使うか決めておかないと、いつまでもいつまでも燃やし続けてしまう未来が容易に想像できるので、一日に使うのは五分だけと決めている。

火が消えると、病室は何事もなかったかのように元に戻った。

空気が焦げることもなければ物が焼けることもない。ラズさんに何か変化が起こることも、ない。

白けたような現実だけが広がっていて、そんな様子が私の右目には無機質に映って仕方がなかった。なんの匂いもしないこの部屋に、時が流れているのかさえ疑問に思う。空気は動いているのだろうか。状況は動いているのだろうか。あなたは動いているのだろうか。

さらりと白皙の頬を撫でる。

昔は触れるだけで溢れんばかりに幸せだった。空っぽな心を再確認してしまうだけの今と比べると、どこまでも眩しくて私は眉を寄せる。

眩暈がしてきて私はラズさんから目を逸らし、顔を俯けた。苦しくて、苦しくて、息をするのも忘れてしまうようになったのはここ数日の話じゃない。最初の頃は朝から晩までここにいる事もざらにあったが、今はそうさせまいとする周囲の人達の協力と、この胸の閉塞感が相まって、あまり長くは居られなくなっている。良い事なのか悪い事なのかは分からない。周りに言わせれば少なくとも人間らしい生活するようになった現在の方が余程マシらしいが、私としてはラズさんとの思い出に縛り付けられて、挙句人として何かを欠いたとしてもそれは本望だ。何より、そうして縛り付けられでもしなければ、私にとってのラズさんは過去になってしまうし、悲しみの象徴にだってなるだろう。事実、今の私は病室に来てラズさんを治療するこの時間が辛くてたまらない。ならばいっそ、思考停止だとしても構わないから、醒めない夢のような生ぬるい絶望の中で、静かに終わっていきたかった。


「マリエルちゃん」


背後から声を掛けられ、私は顔をそちらに向ける。

いつの間にか開かれた扉には、労わる様に笑うガブエラさんの姿があった。


「大丈夫かい?」

「...はい。何ともないです」

「ん。そっか」


振り向いた時に顔に当たった風の感触で初めて、私はまためそめそと泣いていた事が分かった。多分跡もくっきり残っている事だろうから、ガブエラさんが気づかない筈がない。

けれど、私がそれを誤魔化せば、ガブエラさんは一層酷い顔をしながらも食い下がってくることはなかった。ガブエラさんだって疲れているだろうに、こんな顔をするぐらいには私を心配してくれているらしい。今の私はどう取り繕っても哀愁が漏れ出ているらしく、知り合いという知り合いが皆気を遣って、施してくれるのが何よりも申し訳なかった。私のような人間は放っておいて、思い思いの楽しい日々を送って欲しいのに、優しすぎる彼らは私に構いたがるのだ。それを突っぱねる事だってできるのに、だらだらと善意につけこんで日々を浪費する私が、気味が悪くて大嫌いだ。

私が涙の跡を拭っていると、ガブエラさんはベットから少し離れた机とセットになっている椅子に腰かけた。


「進捗はどう?」

「いつも通りです。何かが変わってるようには思えません」

「そっか...」


一見無駄でしかないこの行為をかれこれ一年も続けているのは、ひとえにセラフの言葉と約束があってこそだ。しかし、ラズさんが治るという言葉を信じられなくなってからもうしばらく経っている。今は寸前の所で理性を保っているが、この先何年と同じ状況が続いたとしたら、私は耐えられずにラズさんと心中してしまうかもしれない。その未来になんの忌避感も感じられなくなったのもまた、思い出せない程前の話だ。

重々しい沈黙に耳の筋肉が張るような感覚をおぼえていると、ガブエラさんが話題を切り替える様に少し明るい声で話し始める。


「そうだ。極北でまた新しく見つかったらしくてさ、それの実態調査に難航してるみたいだから、空いてるときにちょっと顔出してみない?」

「分かりました。丁度明日は休日ですし、向かいます」

「うん。助かるよ」


極北というのは旧オルゼルド家の場所やそれそのものの通称で、以北地域のなかでも更に北に位置していたことからそう呼ばれるようになった。同時に、殊更以南地域の人間を卑下する行為や考え方もそのように呼ばれるようになり、いくつかの誤解が解けた今、以北地域と以南地域の壁は薄くなりつつある。

極北ではこちらより遥かに魔法の研究が進んでいたらしく、昨今の以北地域は、私が魔法で自害しようと試しているうちに半壊させてしまった建物のがれきを撤去しながら、掘り出されたものを地道に解析して魔法の研究をしている。といっても一筋縄ではいかないようで、今回のように調査に難航することもしばしばあり、その都度私が顔を出して研究をする、という流れが出来上がっていた。


「...あぁ、それと、この前言ってた本の事なんだけど...」

「魔導書ですか?」

「そうそう。研究が終わってさ。...ざっくり言うと、魔法を記憶させて他人にも使えるようにする代物らしい」

「なるほど」


一つ、引っかかっていた疑問が解けた。つまりは消去の火の実行犯の問題である。

消去の火の被害は各地で起こっていたし、なんなら同時に複数の場所で起こる事もあった。老人との戦闘で消去の火が炎の概念魔法である事は分かったが、ここで、何故概念魔法である消去の火を複数の人間が使用できたのか、とう疑問が挙がる。蓋を開けてみればなんてことはない、ただそういう道具があった、というだけのことらしい。

会話が途切れた少しの間隙にカラスの鳴き声が窓から聞こえてくる。外を見やれば、空はすっかり紫に染まっていた。暗くなりきってしまうまでそれほど時間は要さないだろう。


「暗くなったら危ないし、今日の所はもう帰りな?あの娘も家で待ってるんじゃない?」

「そうですね。お暇することにします」


同じように窓を見ていたガブエラさんが椅子から立ち上がり、ぐいっと伸びをしながら言う。

私も同じように席を立って、ローブのボタンを閉め、帰る支度をした。ガブエラさんにすれ違う直前「失礼します」と言って会釈すると、ガブエラさんは眉を八の字にしながら「うん。また」と力なく笑った。




病院を後にして、真っ直ぐに家へと帰ると、玄関の戸を開けた所で「おかえりーー」と声が聞こえる。時間的にもいつも来る頃合いだし、中の電気が付いていたので特に驚きはなかった。

リビングに入ると、机に座っていたらしい茶色の髪が翻り、同色の瞳に微笑まれる。


「ただいま」

「ちょっと遅かったね。ずっとギフテッド様の所居たの?」

「いえ、討伐依頼が来ていたので。その帰りに病院に寄りました」

「そっかそっか。ご飯作ったけど食べる?」

「いただきます」

「ん。じゃあ座ってて?」

「はい」


ふわりと舞ったバラの香りは出会った時からずっと変わらない。私の頭の中ではバラとフェリアはすっかり等号で結ばれてしまっている。

この一年で私の調子にも慣れたのか、フェリアは殊更明るく振る舞う訳でも、心配し過ぎるわけでもなく、あくまで自然体で接してくれる。それが今の私には有難かった。

商人特有の情報網で事の経緯を入手したフェリアは、本人曰くそれが耳に入った瞬間にうちまで飛んできてくれたらしい。その日は確か私が目覚めてから二日目で、一連の出来事の後、久しぶりに家に帰ってから初めて迎えた日だった。朝ご飯を作る相手が居ない。起きて、話したい人もいない。顔を見たい人も、声を聴きたい人も居ない。その絶望から起きる理由が見つからず、涙をひたすら流して横たわっていた時に、家に来てくれたのがフェリアだった。

料理を作ろうとした時、今までの思い出がフラッシュバッグしてしまい、包丁を握ったまま蹲ってしまってから、ご飯はフェリアが作ってくれるようになった。

夜中、ラズさんの夢を見てうなされているのを見られてから、ほとんど毎日一緒に寝てくれるようになった。

何故、と聞いたことがある。

フェリアはなんでもないように『マリエルはさ、もしギフテッド様が今のマリエルみたいになったらどうする?』と聞いてきた。

『できる限りのことをします』

『...私はマリエルみたいに何でもできるわけじゃない。......料理だって人並みだし、誰かが困っていても適格にアドバイスできるような賢さもない。だからさ、せめて一緒に居たいなって。他の人だったら鼻で笑うような事かも知れないけど、私にはこれが精一杯なんだ』

『そんなこと『そう。マリエルはそれを足蹴にしない優しさがあって、私はそれに何度も何度も救われてきたんだよ。マリエルにとってギフテッド様がそうある様に、私にとってマリエルは一番なの』


「マリエル?」

「...あ、ごめんなさい。なんですか?」

「......もー、また酷い顔して...ちゃんと水分摂らないとダメだからね?」


すぐ傍まで来ていたフェリアは私の頬を拭いながら言う。どうやら思い出すうちにまた泣いてしまったらしい。

私の涙を拭い取ったフェリアは、満足したようにふんと鼻を鳴らして私の頭を撫でる。それから、優しく子供に言い聞かせるような声音で「ご飯食べよう?」と囁いた。




フェリアの作ってくれたシチューを食べ終え、これまたフェリアが準備してくれていたお風呂に入った私は、討伐依頼の疲れもあってか、かなりの眠気に襲われていて、ソファの上でうつらうつらと舟を漕いでいた。

私の後に入っているフェリアが風魔法で髪を乾かしている音が聞こえてきて、この広い空間に独りぼっちじゃない事を認識し、少し安心する。

その調子でしばらくはふわふわと夢の境界を行き来していたのだが、季節柄もあってか寒気を感じて、私はふるりと体を震わせた。すると、まるで見計らったかの様にばさりと肩からブランケットが掛けられる。


「こら。もう寒くなって来たんだから温かくしないと。髪も乾いてないし」

「......だって...フェリア、体温高いんですもん。一緒に寝るならこれくらいが丁度良くて」

「髪濡れっぱな理由にはなってないー」


背後からこつんと軽く頭を小突かれるのと同時に、心地よい温度の温風が髪に当たるのを感じる。ラズさんが居た時は今よりもずっとしっかりしていたから、私には人に髪を乾かしてもらうなんていう経験は殆ど無かった。それが逆に功を奏して、過去の事を思い出さずに人のぬくもりを感じられる習慣になっている。フェリアには迷惑をかけてしまって申し訳ないが、疲れていたり気分が特段落ち込んでいたりすると、時折こうして甘えたくなってしまうのだ。

いつの間にかすっかりと乾いている髪を他人事のように意識しながら、いよいよ抗いがたくなってきた睡魔に飲まれかけていると、フェリアがそれを見かねた様に「ほら、行くよ」と手を引いてくれる。ふらふらになりながらも付いていき、ベットの奥に寝ころんだフェリアの懐に潜り込んで二人一緒に布団をかぶる。こうして、まるで一つになったかのように包まれている時だけは些かの安心感が膿んだ傷口の痛みを和らげてくれるようだった。一人で寝ている時は必ず見る悪夢が、こうしていると、たまにしか現れなくなる。こうしている時だけ、家の前を通った人の数を数えずとも朝が来る。

私は瀬戸際で抗っていた意識を手放して、人肌の沼に飛び込んだ。遥か遠い場所から降って来た「おやすみ」という美しい音を抱きしめて。

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