ep.75
「ん......」
頬に冷たい物が当たる感覚がして、私はゆっくりと瞼を持ち上げた。
開けた視界には目一杯の快晴が広がっていて、ぱちりと開けた瞳から容赦なく入ってくる陽光に、私は思わず目を眇める。
徐々に明瞭になっていく意識の中、ざざぁ、という音が耳を澄ますまでもなく聞こえてきた。と思った頃には再度、私の体に水が触れ、そして引いていく。どうやら私は波打ち際で寝そべっているらしい。
要領を得ないまま、私は体を起こして浜に沿って歩く。
不思議と髪や体は濡れていない。歩いても歩いても疲れない。
幾らか歩いただろうか。気づけば、一歩、一歩と踏み出すごとに、少しづつ記憶が戻ってくるようになった。
さくり、と砂を踏みしめて、私はオルゼルド家と戦ったのだと思い出す。
さくり、とまた砂を踏みしめて、私はラズさんを失ったのだと思い出す。
さくり。
私は思い出す。
「師匠...探さなきゃ」
セラフの話によれば、卓越した魔法の実力を持つ人間は死後、魔界に入る事になるらしい。事前にセラフから私が魔界入りをする事は伝えられていたが、実際に窓から身を投げた後にもこうして意識があるというのは不思議な感覚だ。こうして私が魔界に入る事ができたのだから、ラズさんもすでに魔界にいるのだろう。
しかし、如何せん魔界の規格というのが分からない。
そもそも物理的な距離が存在するのかどうかすら曖昧な空間だ。現に、私はかれこれ体感で十分以上は歩いているが、辺りの景色が変化したりなんてことはなく、見えるのは無限に続く沿岸と地平線だけだ。
不安はある。生命として存在しえない無限というものに抱く不安は決意一つで覆るようなものでは到底ない。
しかしやり遂げて見せる。私はラズさんにもう一度逢うのだ。
「残念ながら、そうはならないよ」
「......え...?」
突如、それまで一切変化のなかった浜辺に、ポツン、と少女が立っていた。
少女は潮風に銀髪をたなびかせ、いつの間にかそこにあった椅子に座って、青色の目で私を真っ直ぐに見た。
「セラフ...」
「はぁ...言いたいことは多々あるけど...」
優美な白い椅子の前にはいつかと同じようにティーセットともう一つの椅子があり、セラフは深々とため息をついたかと思えば、眉だけ上げる様にしてこちらを見て、座るように促す。
お互いに向き合って顔を合わせると、セラフはおもむろに右手を振り、それに連動して私のおでこがびすっと弾かれた。
「縁起でもない事をするものじゃないよ。全く」
「...えっと...?」
おでこを擦りながら伺うようにセラフを覗き見る私に、セラフは「はぁ」とため息を一つ。
「君はきっと後悔する事になる。だから本当はダメなんだけど...助けたよ。君が着地する瞬間、ゲートが間に合ったからね」
「え...」
虚を突かれた私が情報を整理しきる前にセラフは話し始める。
「まずは聞いてほしい。君の計画じゃ、どうせ時間は無限にあるんでしょ?」
予想外の事に驚きつつ、死ねなかったのなら戻ってもう一度死ねば良い、と考えていた私は、セラフの言う通り、時間に拘りなんてなかった。そもそも魔界の中から一人の人間を探す時点で果てしない道のりになる事は知れている。
私は期待を抱かないよう慎重に注意しながら、セラフに続きを促す様に首を縦に振る。
「...ありがとう。じゃあ...まずは君の思惑からかな。」
「私の?」
「そ。さっきも言ったけど、君が思う様にはならないよ。...残念かどうかは......まぁ、頑張り次第ってとこかな」
思い切り頭に疑問符を浮かべる私に、セラフはまた一つため息をついて、海を見渡しながら言う。
「君は君の師匠が魔界に来ていると確信して身を投げた。そうでしょ?」
「はい」
どちらにせよ向こうに留まるつもりは無かったが、強いて言うならこちらでの過ごし方が、どうにかして意識を永久に失う方法を考えるのか、ラズさんを探す旅に出るのかという違いはある。
「...そうだなぁ...まぁ手短にいこうか。ボクたちが魔界に入る事が出来るのは、簡単に言えばそういう輪廻の下生まれたから、なんだ」
「輪廻?」
「そう。あぁ勘違いしないでね。これは単に生まれ持ったものって訳じゃない。君が生まれるずっとずっと前から君の輪廻っていうのは決まってるんだよ。運命?の方が分かりやすい?」
「運命...ですか」
確かに輪廻よりは運命と言われた方が感覚的に分かりやすい。つまり、私には私が生まれる前から、特異魔法を会得して、ラズさんに師事し、魔法の研鑽を積む、という予定が存在していた訳だ。
「なるほど...それで?」
「ボクたち...魔者っていうんだけど、魔者の輪廻があるのと同じように、ギフテッドにはギフテッドの輪廻があるんだ。...って、あぁそんな顔しないで!話は最後まで聞くもんだよ」
私たち魔者には魔者の輪廻があって、ギフテッドにはギフテッドの輪廻がある。つまりは、『死後魔界に入る』という輪廻にギフテッドであるラズさんは含まれないと、そういう事なんだろうか。
今までは何処か呆れた様に構えていたセラフは、私の顔をちらっと見るなり途端に焦りだして、座っていた椅子を立った勢いで後ろに倒してしまいながらも慌てて私のもとに来た。すぐ傍まで来て、私の頭を抱え込むようにして抱きしめたセラフは、優しい声音で「大丈夫」と言いながら髪を梳くように撫でる。
「君にとって一番良い未来があるんだ。可能性は高いとは言えないけど、君ならやり遂げられる」
「...信じられません」
「うん。信じなくていいよ。可能性が低いっていうのも本当だしね。だから、今から私が言う事をよく聞いて。自分自身で判断してほしい。それと、少しでも確率を上げるために」
宥める様に言ったセラフは、私がこくりと腕の中で頷くと私と視線を真っ直ぐに合わせてにこりと笑った。
セラフはこれまたいつの間にか現れていたらしいすぐ隣の椅子に腰かけて、私の右手を取りながら続ける。
「ギフテッドの彼はまだ死んでないんだ」
嘘だ。
ここにきてそんな事実は信じられない。あの後一時間ほど歩き回って見つけた、十番目だか、十一番目だかの部屋に安置されていたラズさんは、すっかり冷たくなっていて脈も全く無かった。特異魔法も試したが、それすら一切効果がなかった。自分で相殺したときにも感じていたが、あの魔法はすぐに相殺しないと手遅れになる。自分に余地が残されている内に抵抗しないと、全て飲み込まれて思考できなくなってしまうのだ。
頭では現実を受け入れていたが、誰よりもその事実から目を遠ざけたいはずの私が、そう判断する以外になかったのだ。あり得ない。
黙りこくる私を見て、セラフは繋いだ手をきゅっと握る。
「まずは...そうだね、セギリアの説明をしようか」
一呼吸置き、続ける。
「セギリア。氷の概念魔法だ。絶対性は”停止の強制”。停止に制限は無い。制限を掛けるべき対象、例えば時間だったり手段すらも停止させるからね。厄介なのは発動時の挙動だ。発動した瞬間からその絶対性が反映されるから、必中と言っていい。五つあるなかでも最強の概念魔法で、他と違ってボクが使っていた魔法と全く同じものだ」
「じゃあ...」
「思い出して。君はそれを相殺できただろう?何で相殺した?」
「......特異魔法です」
「そう。君の魔法なら、ボクの魔法も相殺できるってわけ」
それならば、やはりラズさんは助からない。ラズさんが如何に優秀な魔法使いといえども、特異魔法を使えるわけでは決してないからだ。
「それじゃ、もっと思い出そうか。...君は彼と魔力を共有することによって特異魔法のデメリットを打ち消していた。この原理を考えたことは?」
「...あまり」
「君の魔法であれ私の魔法であれ、どっちにしたって魔力は消費しないといけないんだよ。君は外部の魔力は操れるから魔法自体は使えるけど、内部に魔力を持たないから、その代償を自分の身一つで受けなきゃいけない。だから危険だった。けれど、君のお師匠さんは君と縁があったからね。彼の魔力は君に馴染み、君はそれを使う事によって代償を肩代わりしてきたわけだ」
私とラズさんの間に合った縁とはなんなのか、気になりはしたが話の腰を折ってしまいそうなのでここは沈黙を選び、こくりと頷く
「でもさ、おかしいと思わない?なんで魔力の無い人間が、外部の魔力を操れるの?」
「...ま、まぁ、言われてみれば」
「正しく表現するなら”対魔力干渉力”になるのかな?まぁ、ここでは便宜的にそれを”特異魔力”って呼ぼうか。それは確かに君の中にあって、他の人間の魔力と同じように流れてる」
「...なるほど」
「君の側から立って見れば、君と彼の関係は医者と病人、ないし良薬と病人だったのかもしれないけど、その実、君たちの魔力と特異魔力は循環してたから相互的な作用があったんだ」
「......あの...もしかして」
一つの限りなく薄い希望がちらつく。
ほんの僅かで頼りない光だというのに、それを吹き消されてしまえばもう二度と立ち上がれないと錯覚するほどに、今の私には眩しかった。
「そう。彼にも幾らか特異魔力が流れてるって事」
「...でも、師匠は...、死ん、でました。この目でちゃんと確認したんです」
「まぁ、今に限って言えば限りなく死んでいるといって差し支えない状況だとは思うよ。ただ肝心なのはそこじゃない」
徐々に体に温度が戻ってくるのを感じながら、セラフの言葉を待つ。
「彼が相殺できたのは一部分だ。手っ取り早くいえば”永劫”の絶対性。彼は完全に止まってしまった自分の時間軸に幅を与えて、凍る期間を設定したんだよ」
「じゃ、じゃあ、それまで待てば、師匠は...?」
「いや、流石に放置するには永すぎる。短縮までは気を回せなかったんだろうね。というか永劫の絶対性を相殺しただけでも考えられない快挙だよ。君から循環してた特異魔力なんて微々たるものだったっていうのに」
セラフは声にほんのりと喜色を乗せて話す。心なしか不思議な青い瞳も踊っているように思える。
「で、ここからが君次第で変わる領域なんだけど」
セラフはそこで言葉を区切り、繋いでいあ右手の甲をさらりとなでる。
「彼が永劫を相殺してくれたお陰で君の特異魔法で彼を治療できるようになったんだよね」
「本当ですか!?」
今ばかりはたらたらと頭の中で思考する余裕なんてものは吹き飛んで、半ば反射的に身を乗り出して聞いてしまう。これに縋ってしまったら、これが叶わなければ、自分がどうなってしまうのかなんて分かり切っているのに、それでも飛びついてしまう。これは、私にとっての光そのものだから。
「うん。ホントだよ」
他の全てより先に、私は涙を流していた。
重力に沿って零れた雫を後から追いかける様に安堵が体に満ち満ちていく。気づけば顔中ぐしゃぐしゃになっていて、こらえきれない嗚咽がさざ波の音に掻き消されることなく辺りに響いた。
「良かった......!」
絞り出すように言えば、セラフはどこまでも優しく笑って私の頭を撫でる。
「...うん。良かったね」
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