ep.36
西の街から帰ってきた私は、帰り支度もそこそこにフェリアの家に来ていた。西区で買ったお土産を渡すためだ。
ここには何度か訪れているが、さすが商会長と言ったところで敷地が本当に広く、毎度少々気後れしている感は否めない。
何か月か過ごして分かったことだが、ラズ邸はラズさんの収入に比べるとあまり大きくない。あの規模の家で見劣りしてしまうのはハッキリ言って意味が分からないが先日の魔獣騒動を見れば大半の人間は納得するだろう。
あれは確実に国の脅威だった。
何故急にあれほどの魔獣が、それも一か所に集まったのか分からないが、数えきれないほどの魔獣が一つの意思を持ったようにずるずると這う姿は魔力検知越しでも十分すぎるほど私を畏怖させた。
津波や台風と同じようなもので、あの現象は天災と言って差し支えないものだろう。
それを一撃で根絶やしにしてしまうのだから国からすればいくら払っても足りないぐらいかもしれない。
とにかく、ラズさんの収入は国の危機を何気なく救う人に与えられる金額で、ラズ邸はそれと比べれば小さいのだ。
しかし比較対象がおかしいだけであってラズ邸はかなり大きい。
が、眼前のトルウェルノ邸はそれより一回りほど大きいのだ。
ラズ邸は家屋の面積より庭の方が広いので全体で言えば同じくらいかもしれないが大きいことに変わりない。
以前トルウェルノさんは『そこそこ大きい商会』なんて言っていたけれど、諸々の規模を考えると、到底そんな言葉で表現できるような商会ではないのは間違いない。
それにほぼ自分の家同然に出入りしているものと、友人の家とでは話が変わってくるのだ。
正直怖い。この門の前で待たされている時間が居た堪れない。
何とかなるまいか、と恐らくどうしようもない事を考えていると、こっこっこ、と靴が石畳を駆ける音が聞こえてきて、私は俯いていたらしい顔を上げた。
「マリエル!」
「こんにちは、フェリア」
待ってましたと言わんばかりに瞳を弾ませながらこちらに駆け寄って来たのは言わずもがなフェリアである。
何回か会って、魔法の練習をしたりカフェに行ったりするうちに私にも慣れてきたようで、最初の内気さはどこへやら、今は隠すことなくその美貌を歓喜で染め上げている。
今日も可愛いなぁ、なんて思いながらぼーっと見ていると、しばみ色の瞳が怪訝そうにこちらをのぞき込んできた。
「マリエル?」
「あぁ、いや何でもないです。今日は髪あげてるんですね。似合ってます」
「え、ほ、ほんと?」
別に正面から『見惚れていました』と言っても何ら問題はないのだろうが、あまり安易に褒めすぎるといつか真剣に捉えられなくなってしまうのでぐっと飲みこんだ。
その代わりと言っては何だが、あまり見ない髪型を褒めると、恥ずかしそうに頬を赤らめながらも眉を下げて困った様に笑った。
手を後ろに組んで靴の先で地面をとんとんと小突く姿を見ると、これが可愛い女の子のお手本なんだとはっきりわかる。
暫くは愛らしい少女を眺めてほんわかしていたがそういえば目的があってここに来た事を思い出し、慌てて手に持っていた紙袋を差し出した。
「これ、先日師匠と一緒に西の方に行ったんですが、そのお土産です」
「え!お土産?わざわざありがとう」
「いえ、大したものではないんですが...」
フェリアがごそごそと紙袋から中身を取り出す。
出てきたのはフェリアの髪よりも少しだけ濃い焦げ茶のネックレスだ。
海岸で買ったものらしくモチーフは魚で、中でも可愛かったイルカの物を買ってきた。
あれ、イルカは魚じゃないんだっけ?まあいいか。
「か、かわいい...」
「ふふっ。気に入ってくれたなら良かったです」
箱の中に入ったそれを天高く上げ、瞳をキラキラと輝かせて喜ぶ様は絵画にでもするべき画だったがその場限りの一人占めというのも悪くない。
無いとは思うがちょっと引かれたら悲しいなぁ、なんて杞憂を抱きつつ、私はポケットに入れておいたものを手に掛けて、ぐいっと陽光の下にさらした。
「それだけでもよかったんですけど、折角ならと思いまして―」
「え!お揃い!?お揃いだ!」
やはり杞憂は杞憂らしく、私が同じ色違いの物を見せるとぎゅんと近づくなりネックレスを掛けているほうの手を握って上下にぶんぶんと振った。
ここまで良い反応をしてくれると買った甲斐があったとしみじみ思う。
いやぁ、可愛いなぁ。
「マリエルありがとう。折角だしうちで何か食べていきなよ。確かケーキがあったはず...」
「ケーキ!」
何度かフェリアのお家に入ることがあり、出された紅茶や茶菓子、ケーキを食べて思ったが、さすが商人といったところでそのどれもが抜群に美味しい。
ラズさんの持ってくる美味しいものは値段を一切考慮せずに『美味いものは美味い』と言わんばかりのある種雑多な雰囲気があるが、フェリアのお家で頂くものは高級品の中から更にしっかりと見極められたような丁寧で上品な雰囲気がある。
最早恒例行事になりつつあるが、食べ物に釣られた形の私の手をフェリアはぎゅっと握って「行こっか」と中に引き入れた。
「お帰りなさいませ。お嬢様」
「いつもお疲れ様です」
スキップしそうなほど上機嫌なフェリアに手を引かれてお宅の中にお邪魔すると、メイドさん達が恭しく腰を折って”お嬢様”の帰還を迎えた。
何度来てもこの光景には慣れられそうにない。私はこれを見るたびフェリアが正真正銘のお嬢様である事を意識する。
「マリエル様、本日もお越しくださって有難うございます。御用があれば何なりとお申し付けくださいませ」
「お邪魔します。...あのー、私にはもう少し砕けた対応で構わないんですが...」
「お嬢様のご友人に粗雑な対応を行うわけにはいきませんので」
「は、はあ」
メイドさんは顔を上げたのち、また同じようにして腰を折り、私に対しても同じような対応をする。
正直私はお嬢様育ちとはほぼ対極のような育ちをしているし、何なら以南地域出身なので畏まられると非常に落ち着かない。
何度かそれとなく砕けた対応をするように代診してみたのだが、毎度返ってくる答えは決意の固まった否一択だった。
これはもう無理だと諦めつつも割り切れないでいる私を何故だか微笑ましそうな目で見ていたフェリアは「ついてきて」と私の手を引いて歩き始めた。
「わぁ...!」
通されたのはリビングだ。
トルウェルノさんやティアさんは仕事に行っているらしく姿は見えない。
ちなみにトルウェルノさんの奥さん、つまりフェリアの祖母に当たる人はもうすでに死去してしまったらしい。フェリアのお父さんは仕事の都合で今は別の国に行っていてフェリアでさえあまり顔を見ないとの事。
そのためこの家に日常的に住んでいるのはトルウェルノさんとティアさん、フェリアと住み込みのメイドさん達だけなのだ。
私を案内するやいなやメイドさん達の提案を丁寧に遠慮し自らケーキを取りに行ったフェリアは、私の前にケーキを置くと満足げにふふんと鼻を鳴らした。
「いつものケーキ屋さんの新作なんだけどね?いつも買ってくれるからって正式に商品として出す前にくれたらしいの」
「なんと太っ腹な...」
いつものケーキ屋さんというのはフェリアの家で良くしてる場所の事で、この前一緒に店舗に行って食べたことがあったのだがそれはもう美味しかった。
フェリアの家でケーキと言えばそのお店のものが当たり前に出てくる程、フーディス家の舌をめろめろにしているのだ。
どうやら日頃の感謝として渡されたものらしく、製品化は未だらしいが美しくテンパリングされたチョコレートの表面を見るにそれも時間の問題だろう。
切り分けられたケーキの断面を見ると、スポンジの層と生チョコの層が幾重にも重なっていて、ところどころにナッツらしきものが散りばめられていた。
チョコのケーキに何かアレンジをするとなると大体はベリーかナッツの二つが考えられるが、個人的にはナッツの方が好みだ。
というのもチョコレートケーキに求めるアクセントとして、酸味よりも香ばしさの方が個人的に好きなのだ。
たれそうになる涎を何とか誤魔化していると、後ろからメイドさんたちが音もなく近づいてきて、私とフェリアに紅茶を持ってきてくれた。
この紅茶も確か例のケーキ屋さんで購入している物らしく、紅茶よりコーヒー派の私がぐらりとその天秤を揺らすほどには美味しい。
二人そろってお礼を言うと妙齢のメイドさんはぺこりと腰を折った後、失礼します、とこれまた音もなく部屋を出て行った。
「食べよっか」
「い、いただきます」
溢れる期待が転じて軽く緊張している私を尻目にフェリアはさっさと一口切り分けて口に運んでいる。
私もそれに倣って、おずおずと切り分け、口に運んだ。
まず舌に触れたねっとりとした生チョコはそれらしく濃厚で、口いっぱいにチョコの風味が広がる。
そこから歯を立てると、カリカリと香ばしくローストされたナッツがチョコレートにアクセントをつけてくどくなってしまうことを防いでいた。
期待違わぬ美味に目を閉じてしみじみと咀嚼していると、隣から「ん?」という声が聞こえた。
「どうしたんです?」
「これ、ちょっとお酒入ってるかも。多分ほんとに少しだけだから子供でも食べられるやつだろうけど」
「え、全然気づきませんでした」
自分の味覚は特筆していいわけではないもののそこそこ信頼できるものだと自負していたので、フェリアがお酒に気づいたことに驚いて言及すると、少し照れくさそうに頬を染めてフェリアは言う。
「私、人よりちょっと味覚が良いんだよね。料理に入ってる調味料とか大体当てられるの」
「えぇ!何ですかそれ、凄い!欲しい!」
もじもじと恥ずかし気に綴られた事実は、私にとってひたすら羨ましいもので、つい「欲しい!」と口が滑ってしまった。
料理をしているとその能力は喉から手が出るほど欲しいものだ。
フェリアは困った様に眉を下げながら、「だめ、私が唯一人に誇れるものなんだから」とはにかんだ。
彼女は鏡を見たことが無いらしい。
その見目を以てしてもそれを言わせるのは謙遜であって欲しかったが、私の耳が判断するに本当に心の底からそう思っているようだ。
「唯一なんてとんでもないです。必要なら日が暮れるまでフェリアのいい所を列挙しますけど」
「い、いやそれは恥ずかしいかな」
「恥ずかしいぐらいで自己肯定感が上がるのならぼろ儲けですよ。フェリア、冗談で言ってるならまだしも心の底から言うんですもの」
「だ、だって事実そうじゃない」
フェリアの自己肯定感が低いのは何も本人の考え方が悪いわけではない。
というよりやむおえない事情により、考え方が変わってしまったと言ったところか。
これはトルウェルノさんから聞いたことだが、フェリアは幼少期にいじめにあってしまったらしい。その時の心の傷が癒え切っておらず、今もフェリアは他人と距離を置いているし中々自分を肯定できずにいるのだ。
それを聞いた時はフェリアを虐めたクソガキに対する憤りが火山の如く噴き出したのだが、その反面私の役割は頭の弱い有象無象に憤る事ではなく、可憐で繊細な少女の自信を取り戻す手助けをする事だと認識した。
私が褒め殺しの刑をちらつかせると、参った様に相好を崩すもののやはり心の底から改善しているわけではないようで、しょうがないという諦念が見て取れる。
ここで本当に褒めちぎってしまうのも一つの手だが、自己肯定感と言うのはそうして上がるものではないだろう。
後付けで周りからその人の長所を言ってしまうのは本質的な解決にはならないし、最悪の場合、他人からの評価に依存してしまうこともある。
自己肯定とはその文字が表す通り、自分で自分の良さを認識し肯定することなのだ。
その肝はもっぱら”自分自身で”という事に詰まっている。
とは言う物の、どこまでも自信のない友人に少々呆れてため息を一つ付くと、フェリアは委縮したように肩を縮めた。
「フェリア」
「...なに?」
「フェリアが自分を何故そんな風に言うのか分かりませんが、私は少し悲しいのです。私の友人は素敵な、素敵な人です。良い所がたくさんあるんです。それが何よりその人自身に認められないというのは悲しいです」
「マリエル...」
フェリアはうっすらと目に涙を浮かべている。
いじめがあった時から人と関わる事に消極的だったという事は、このようにフェリアと向き合う人間は家族しかいなかったのだろう。
初めて同年代の友人と向き合ったフェリアは瞳を揺らし、彼女の中で長らく停滞していた歯車を回さんとしている。
「押し付けるつもりはありません。私は私のやり方でフェリアがとっても良い子で、私の素晴らしい友人であることをフェリアに紹介する予定です。焦らずともよいのです」
「うぅ...まりえるぅ...」
「わっ」
ここで焦ってしまう事はあまり好ましくない。
本人のペースでゆっくりやるのが一番、と不安感を取り払うように微笑んで見せると、ついに涙腺を決壊させてしまったフェリアが胸に飛び込んできた。
それと同時にふわりと可憐なバラの香りが鼻を擽る。
胸で堪える様に涙を流すフェリアの頭を丁度ラズさんがそうしてくれるように撫でると、涙腺と同様に心の堤防も決壊したらしく、抑えられていない自然な涙声が広々とした部屋に響いた。
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