ep.35
2025年も最終週ということで、これまでの平日20時、休日8時に加えて、12月31日まで毎日12時に投稿しようと思います。年末楽しみましょう(*'▽')
宿を出てからラズさんと話し合った結果、私たちは近くにある海に向かうことになった。というのも、以南地域には海に面する場所が一切なく、幼少期に海を写真で見た時からずっとこの目で見てみたかったので、周辺の地図で海があることを確認した私がラズさんに提案したのだ。
地図を見ながら海がある方角へ歩くこと約半刻。坂道を登り切った瞬間、目の前が弾けたように光が指して、私は反射的に目を背けた。少しして、ようやく光が収まってきて、元に戻った視界で前を見ると、眼前には地平線まで続く大きな大きな湖。所謂ところの海が広がっていた。
「ししょー!ししょー!海です!!キラキラです!!」
「分かった分かった。分かったから落ち着け。引っ張んな」
写真で見た海はそれこそただひたすらに大きいだけの湖という印象を拭えなかったが、実際に見てみると正しくそれが紙上の知識だったことが分かる。
横幅は視界に全く収まらず、奥行きは地平線のその奥の奥まで続いているのだろうと感覚で分かる。
水面は陽光を乱反射してキラキラと煌めき、只の一瞬だって同じ様相に戻ることは無く、暴力的な空間の化身であるはずのそれは、その一過性をもって普段何気なく消費する時間というものをありありと感じさせた。
バラバラに割れてしまったガラス片が光を反射する様を綺麗とは思いつつ同量の危機感を感じるように、眼前の流動的なガラス片は神秘的な美しさと、それこそ表面張力で保たれているかのような不安定な危険を孕んでいるように思える。
ざざあ、と波が押し寄せ、引いていく音は周波こそ私を落ち着かせるものだったが、その実お腹の底から震えてしまいそうになるような抗いがたい不安感を想起させた。
眼や耳から受け取る情報としての全ては海を美しいと言ってやまないが、それ以外の所謂第六感のような部分が五感の評価を押さえつけている。
最終的には綺麗だと思う心と危機感を感じる心で丁度半々という具合だったが、生来の好奇心が作用したのか、いつも当たり前に行う面倒な思考を全て踏み越えてしまう程、私は高揚していた。
浜辺につながる下りの階段を一つ飛ばしで駆け下りてラズさんの静止も半分に波打ち際まで駆け寄ると、そこで初めて磯の香りという物を認識した。
胸を軽く反って肺一杯に吸い込むと独特ながらも癖になるような特有の香りが安易な悩みを分解してくれた。
海は良いかもしれない。
ここにあるすべての要素が今を生きる人間を許容してくれるような気がした。何もないからこそ、どんな感情だろうと、悩みだろうと、受け入れてくれる余白がある。
どうやら波打ち際でさえもその時々によって大きくあり様を変えるらしく、先ほどは波が届いていなかった所に立っていたのだが脛の中ほどの高さの波が来て靴の中までぐっしょりと濡れてしまった。
洗えばいいけど帰りはちょっと嫌だなー、なんてのんきに考えていると波の動きに同期して前方にぐいと引っ張られた。
堪らずバランスを崩し、ずぶ濡れになるのを覚悟した瞬間、お腹のあたりに腕が差し込まれてそのまま吊り上げられる。
「ぐぇっ」
「お前なぁ!海ってのは危ないんだぞ!そのまま波に持ってかれる事もあるんだからな!」
どうやらラズさんは私が危ないと見るや走ってきたようで肩で息をしている。
片腕で私を吊ったまま「分かったのかこの馬鹿弟子ぃ」と上下にゆさゆさと揺らしてくるので「すみません!わかりました!わかったので下ろしてくださいー!」と懇願するとふんと鼻を鳴らして開放してくれた。
「いやぁ、危なかったです。私金槌ですし」
「え、お前泳げないの?」
「もうこれぽっちもダメですね。幾らか練習したんですけど、むしろ何で水に浮けるのかわからないぐらいです」
「マジかよ...出来ない事あんだ...」
お腹を擦りながら何でもないように言うと、ラズさんは心底驚いたような顔をした。
前々から出来ない事は普通にあると言っていたはずだが真剣に捉えていなかったようだ。というか何でもできる人間の方が圧倒的に珍しいのだからその他大勢だという事にそこまで理解に苦しむ理由が分からないのだが。
いつもの事だと思って聞き流していると、ラズさんが「いや、本当に泳げないか怪しいぞ...案外ちゃんと教えたらスルッとできるかもしれないし、いやまて、比較対象がおかしい可能性も捨てきれないか...?」などとぼそぼそ言っている。
毎度毎度やっていることだが、戒めの意味も込めてラズさんの小指をぎゅっと引っ張ると痛みと供にこちらの世界に帰ってきたようだ。
「再三言ってますけど、私できないこと沢山ありますからね!逆になんでそんなカンペキ人間だと思い込んでるんです?そんな要素ありましたか?」
「あー」
さくさくと細かい砂を踏みしめながら、私たちは海岸に沿って歩いた。
ラズさんは記憶をたどるように少し上を向いて思案した後、ゆっくりと口を開いた。
「お前は最初からめちゃめちゃ礼儀正しかったから多分育ちは良いんだろうなってのは思ってたんだけど、堅苦しいだけじゃないからさ。その、引き際って言うのかな。ここまでは冗談、みたいな見極めがしっかりしてて、そういうのって色んな事経験して、人とちゃんと喋ってこないと出来ない事だと思うんだよな。んで実際出来ない事はあるにはあるけど本当に少ないじゃん?だから基本的に能力は高いし、自分が興味を持ったものは自分でしっかり考えてかつ他の人の意見も聞いて向上させることができる人間なのかなって」
「え、えと...あ、ありがとうございます...?」
まさかそんな真正面から褒めちぎられるとは思っておらず、不意打ちにたちまち顔が熱くなった。
そのまま何とも言えない空気を引き連れて、さくさく、さくさくと歩く。
顔に上った羞恥が海風によってしっかりと冷まされたのを確認して、道路につながる階段で少し休むことを提案すると、もとより運動をしないタイプのラズさんは二つ返事で了承してくれた。
大通りと浜辺を繋ぐ石造りの階段に座る事五分、飲み物を買いに行ってくれたラズさんが戻ってきて、冷たいココアを渡してくれた。
こくりと一口飲むと、家で作るような甘味の強いものではなく、程よくカカオの苦みが残されているものだった。風が冷たいとはいえやや暑い気候の中ではこちらの方が後味がすっきりしていいかもしれない。
ラズさんが飲んでいる物が気になってそちらを見ると、薄く濁った透明な飲み物を持っている。
ラズさんは根っからの甘党、というか味のしないものに価値を感じないそうで水は飲まない。薄く濁っていることからも何らかの味がついているとは思うのだが果たして何を買ったのだろうか。
じっとラズさんの飲み物を見つめていたのがバレたらしく、ラズさんが「ん」とこちらにカップを向けてくる。
恐らく飲みたくて見ていたのだと思われたのだろう。実際はそうではないものの飲んでみれば味が分かるので有難くいただくことにして、私はストローにかみついた。
ちゅうと少し飲んでみると、さっぱりとした風味とぱちぱちとした感触が口に広がる。恐らく味は柑橘系の物だろうが、このしゅわしゅわは何だろうか。
「ライムのソーダだとよ。結構美味くない?」
「美味しいです。美味しいですけどこのしゅわしゅわは何です?」
「あぁ、それは炭酸だな。飲めるなら良かったわ。苦手な人もいるから」
「さっぱりしていいですね。割と好きです」
「じゃあ酒も飲めるな」
「お酒かぁ、大人になったら飲んでみたいんですよねぇ」
家族が、特に母がお酒をよく飲む人だったのだが、それはそれは美味しそうに飲むものだから少しばかり憧れがある。
「あと一年ちょいか」
「えぇっと...十五歳でお酒が飲めるようになるんですね?」
「あぁそっかそっか。そのあたりも知らないよな。こっちだと十五歳で成人だぞ。色々できるようになるけど、色々面倒になる」
「そうなんですね」
「まぁ、十五になったら良い酒買ってやるよ」
「いいんですか!」
ラズさんは何気なく言ったのだろうが、どうしても裏を読みたくなる性質の私としては、”その時まで一緒にいてくれる”という意味でとってしまう。直したい悪癖だと確信してからかれこれ三年ほどが経つ。
ただ、実際ラズさんの魔法を見ると、まだまだと言うわざるを得ない。目標をラズさんに据えるのならば道は長そうだ。しかし、ギフテッドでもなんでもない普通の人間があれほどの魔法使いになれるのだろうか。
というか魔法使いとしてどのタイミングでラズさんとの関係が切れてしまうのかが不明瞭なので何とも言えない。
ラズさん曰く、それらしい成果があれば魔法院から昇級試験の手紙が届くらしいが、今はもっぱら特訓の期間なのでそれがいつになるかもわからない。
弟子から卒業した後もラズさんは面倒見てくれるだろうか。
負担にはなりたくない反面、少しでいいからラズさんの人生にお邪魔したいなんて邪な考えが頭をよぎった。
「あの、師匠」
「んー?」
「......弟子を卒業しても一緒にいてくれるんですか?」
やっぱり不確定な情報が多すぎて考えても分からない事を悟った私は思い切って本人に聞いてしまうことにした。
自分でも笑ってしまう程に弱弱しく呟かれた言葉は、なんとか届いてくれたようで、ラズさんは虚を突かれたように目を開いた後、優しく微笑んだ。
「そこら辺の話あんましてなかったな。この際だからちゃんと話すけど」
と前置きしたラズさんはソーダを一口飲んでちらりとこちらを横目に見た後、海を見ながら話し始めた。
「成人するまでは俺んとこで預かっておこうと思ってる。そりゃ嫌になったなら出ていくんでも構わないけど、そうなったとしても家と生活費は俺が出す。っていうのも、お前をこっちに連れて来たのは俺だからな。事情があるとはいえ、半分攫ってきたんだから俺には義務がある。成人してからは、まぁ、好きにしてくれて構わないぞ。ちゃんと魔法使いとして独立できてその意思があるなら、自活するんでもいいし、居たいなら居ればいい」
そこまで一息で言い切ったラズさんはもう一度ストローを咥え「そこはお前に任せる」と投げやりな様に言った。
「迷惑じゃないんですか」
「ん?」
「私がずっと家にいて邪魔じゃないんですか?」
ラズさんはそんなことを思わないと分かっていても、ほんの少しの不安と渇望が言葉を棘のあるものにしてしまった。
この矛先はラズさんに向いているのではない。ラズさんが手を伸ばせば守れるような場所から私向きに生えた卑怯な自虐だ。
ラズさんはちらりとこちらを伺った。
「邪魔も何も。家事してもらってるし」
「そ、そうですか」
「何が不安なのか俺にはわかんないけど、俺がお前をどうこうする事は誓ってない。大丈夫だからそんな泣きそうな顔すんな」
「......はい」
どうやら私は酷い顔をしていたらしく、ほっぺを指の背でふにふにと撫でられた。
言葉として聞くことで漸く、最近私の心中のほとんどを占めていたラズさんへの不安感が無くなった。
余裕ができれば後は私お得意の楽観視である。
ラズさんは居ても良いと言ってくれたが、それでは私が納得できない。”あのギフテッド”の隣にいても不自然じゃないような人間になろう。
そのために目下の目標はやはり魔法だ。前にも言っていたようにラズさんは同程度の魔法使いに飢えている。
かなり難しい道のりである事は火を見るより明らかだが、やる他ないだろう。
ラズさんと肩を並べられたら、私の気持ちを伝えてもいいだろうか。
守られるだけの存在でなくなったら、私の気持ちを伝えてもいいだろうか。
いや、
それ以前に、私が伝えたくてたまらないこの気持ちは何なのだろうか。
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