ep.34
「いやぁー、今日は混んでててねぇ...。大きめの部屋一つなら開いてるんだけどどうだい?」
「あー、や、それなら―
「大丈夫です女将さん!それでお願いします」
「なら良かった。どこも混んでたでしょう?なんでもすぐそこの森林地帯で魔獣の群れが出たとか何とかで避難した人がごった返してるんだよ」
「な、なるほど」
丘からしばらく歩くとそこそこ大きな町が見えたのでそこで一泊しようと宿を探したのだが、今日はどこも部屋が余ってないらしく私たちは暫くとぼとぼと宿を回った。
五件目で漸く部屋が開いていたので、断ろうとしたラズさんを黙らせ、了承を伝えると女将さんが何故これほど宿が混んでいるのか教えてくれた。
森の魔獣は今しがた隣のギフテッド様が掃討したわけだが、事はそう簡単なものではなく、氾濫しそうになった川から避難するのと同じように危険があった時点で民衆は避難を開始したのだろう。
実際何かの問題でラズさんの到着が遅れていれば、近くの町など簡単に踏みつぶされてしまうだろうし前もって行動することは正しい判断だと言える。
そのためこの宿が取れない状況も最終的に一部屋しか取れなかった現状も致し方ない事と言えるのだが、隣のラズさんは苦虫を口いっぱいに頬張って味わったような顔をしている。
ラズさんからしたら内心穏やかではないのだろう。強引に了承してしまった手前表には出さないが私も同じ気持ちである。
「ご飯はどうしましょう?朝は出すとして、今夜はまだ?」
「はい。夕食も頂けると嬉しいです」
「分かったわ。時間になったらお部屋に持っていくわね」
「お願いします」
「じゃあこれ部屋の鍵ね。ゆっくりしていって!」
「有難うございます。...師匠、行きましょう?」
「あ、あぁ」
部屋に入ると大き目という名に恥じない広々とした空間が私たちを迎えた。
一つ懸念があるとすれば、それも大き目ではあるもののベットが一つなことだろうか。
「なぁ、やっぱ俺別の宿探してこようと思うんだけど」
「......まぁ、そうなっちゃいますよね。...しかたないですもんね」
「......酷い顔すんなよ」
あぁ、いけないな。
ラズさんがここで他の宿を探しに行くのなんて分かっていたのに。きっとラズさんの線引きとしてこれは許されない事なのだということも分かっていたのに。
ラズさんにとって一番避けたいことは私の寝床が確保できない事であり、ここでラズさんに付いていくなどと言えばそれが現実味を帯びてくる。私もそこまで不出来ではないからそれはしなかった。
けれど、ドアの前で弱ったように立っているラズさんを見るに、離れたくないという事が顔にありありと現れてしまっているのだろう。
なんせ膨大な魔力にあてられたものだから、私は先ほどから小さな震えが止まらなかった。宿泊や観光に心躍らせたのも、そのお腹がひっくり返りそうな感覚から逃げるためというのが大きい。
良い子でいたいと思うと同時に、その根本にあるラズさんへの信頼が自分の感情を全て隠してしまうことを許さなかった。
「いや、ごめんなさい。なんでもないんです」
「......俺が居たほうが良い?」
「良いも何も、むしろ一緒にいてほしいです。私がお願いして師匠が頷いてくれるのなら幾らでもお願いしますよ」
「そうか...」
多分、ラズさんはラズさんで全く別の事を気にしているのだろう。そして、それが分からないわけじゃない。だから、私はラズさんの引いてくれた線を跨がないように身を引くべきなのだが、先ほどの衝撃も相まって、それが全くうまくいかなかった。
私はなにも、平時からこうではない。
もちろん冷静なときはこうではないのだが、それに加えて、最近のラズさんは時折距離を感じるというか、ふとした時に感情をすっぽりと覆い隠してしまう事が多々あって、恐らくその寂しさから、こんな論理もへったくれもない感情を抱いてしまっている側面がある。
それが何に基づいて行われているのか私には知る由もなかったが、”ここまで”と境界線を引かれているようで寂しかった。それを認識するたび、心の中で言い知れない無力感というか、またこれか、と距離を感じるのだ。
その心境を知ってか知らずか、ラズさんは私の馬鹿げたおねだりを一蹴しようとはしなかった。
だからこそ、この与えられた時間で私から身を引くべきだというのは嫌という程分かったが、息が詰まって、喉が詰まって、いや、そうと思い込むほどに叫ぶ心が何より作用して、ただの一つだって私の口から言葉が出ることは無かった。
「あー、今日は疲れたしな。それに、空いてないもんは仕方ないな」
「...うぅっ......」
耐えかねる沈黙を破ったラズさんは何より優しく甘い音で、私のわがままを許容した。
その優しさが自分の身勝手さをより強調させ、自分のやるべきだったことをできずにラズさんに甘えてしまったことが何より情けなくて、気づけば一粒、また一粒と涙が頬を伝っていた。
てっきりラズさんは私が泣き出してしまえば困り果てて、慌てると思っていたが、意外にもラズさんは何も言わず隣にきて背中を擦るだけだった。
こちらに来るラズさんの足音は、まるきり困ったという音だったが、その感情の矢印はこの現状ではなく別の何かに向けられているようだった。
目が醒めるのとほぼ同時に私はベットの上を転げまわりたい衝動に駆られた。これだけ広々としたベットを占有するなんてことは今後ないだろうし、やってみたっていい。というのも、目が覚めると隣にいたはずのラズさんは窓の近くにある椅子に座って眠っていて、ベットには私一人だったのだ。
昨日、ラズさんに甘えてしまった結果、夕食を取った私たちは同じベッドで寝ることになったはずだが、ラズさんの倫理観がそれを許さなかったらしい。
勿論、私としてはこれに対して不満などあるはずもなく、半ば強要してしまった事への押しつぶされそうな罪悪感と、私たち二人が納得できるように立ち回ってくれたラズさんへの感謝しかない。
つまるところ、私はあの一瞬だけでも添い寝してくれたこの多幸感と素晴らしい判断に感謝しつつ、わがままを言ってしまった責をどこかで返す必要があるという事だ。
まだ早朝ではあるものの、季節柄少しだけ蒸し暑い部屋の硬い椅子で、縮こまるように寝ているラズさんに目を向ける。
この人には貰ってばかりだ。
命を救ってもらって、生きる場所と理由をもらって、技術をもらって、楽しい日々をもらって。
凄く前からうすうす感じていたが、恐らく私は何を差し出しても、それこそ命を救うなんてことが起きない限り、この恩を返しきることはできないのだろう。
頭ではそうと分かっているのに、どうしてか私の体はわがままになっていくばかり。
「師匠...どうすればいいんでしょうね」
ぼそりと呟くと、わずかに意識が浮上してきたのか長いまつげが細かく痙攣し、うっすらと瞼が持ち上がった。
「...でし?朝か...」
「いえ、まだ早いのでもう少し寝ててもいいですよ」
「ん...」
ふにゃふにゃと呂律の周り切らない様子はいつものだらしないながらに威厳のある姿とは似ても似つかない。
抱きしめたいし、少し硬めの髪を撫でてみたい。だが、私は倫理観の網をぴんと張ってその思いをはねのけた。
冷え切った夜が理由のない孤独を想起させるのがごくごく自然であるように、蒸し暑い朝というのは思考が飽和して感受性が振り切れる。
このままいたら思考の渦に絡めとられそうだったので私は切り替えるようにばっと立ち上がり、軽く身支度して外の空気を吸うことにした。
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