ep.29
魔法を学ぶ必要性を再確認したあの日から、私はひたすら勉強漬けの日々を送っていた。
まず最初の三日で参考書を十周した。十周と言ってもあくまで読み物として目を通すのを十回行っただけだが、量が量なので三日もかかってしまった。
軽く目を通し、何度も反復することで、参考書のざっくりとした内容と、どこに何が書かれているかを把握した私は、それからさらに三日かけて精読をした。必要に応じてノートにまとめたり、線を引いたりして、抜けがないように徹底的に覚えていく。
こうしてみるとよくわかるが、魔法において覚えているかどうかというのは基本中の基本らしい。
覚える量が莫大なのにも関わらず、それら全てを覚えていることが前提で、反射的にアウトプット出来てようやくスタートラインと言った具合だ。なのでひたすら丁寧に、漏れがないように隅から隅まで覚えていった。
そんなこんなで今日は一週間の末日、週に一回の休日である。
「おい、弟子」
「...はい?」
いくら勉強漬けの日々といっても、ラズさんのお世話は欠かしていない。
と言っても、毎日作ると負担が大きかったので、ラズさんに許可を取って作り置きをさせてもらっている。
ちなみに、作り置きしたのは”わいばーん”関連の肉料理だ。ここにきて役に立つとは。
今日も、いつもと変りなく朝ご飯の付け合わせを作り、勉強の続きをするために部屋に戻ろうとすると、ラズさんに「待て」と手首を掴まれた。
「お前、ちょっと頑張りすぎ」
そういったラズさんの目は本気そのもの。声も心配と不安がごちゃまぜになったような音で、全身を使って『心配してます!』と表現している。
あー...ついいつもと同じテンションでやってしまったけど、初めて見る人間からすれば確かにちょっと異常かもしれない。
「あのー、心配してくれるのは有難いんですけど、私、熱中するといつもこ―
「関係ない。俺の目が黒いうちは見過ごさない」
私の言い訳(というか何かに熱中すると寝食が最低限で済むようになるのは本当なのだが)はラズさんに顎を引かれて口が閉じてしまって叶わなかった。
先ほどとは一転して、今度は、それ以外を全く認めない、というような、言ってしまえば高圧的な声で凄んでくる。
この様子だと、説得は無理そうだ。
私が『降参です』というように両手を上げても、ラズさんが纏う空気は依然として高圧的なものである。
「正直、もっと早く止めなかった俺も悪いとは思ってる。が、それはそれとしてだ、...こういっちゃなんだが頑張りすぎだ。俺はお前に重圧をかけたくて弟子にしたわけじゃない」
ラズさんの言葉にハッとした。
私が無理に魔法を詰め込んでいるのは、ラズさんからしてみれば、『無茶をかけたかもしれない』『重圧だったかもしれない』と考えるには十分な事柄だろう。
声に隠された不安や罪悪感の正体はこれだった訳だ。
「あの、...ごめんなさい。...その、私としては覚えられることは早く覚えてしまいたかっただけと言いますか...重圧を感じて、とか、そんなのではなくて...えっと、」
どうにかラズさんがそうさせているのではない事を伝えようとしても、どうにもうまくいかずに、それでも必死に伝えると、ラズさんはどこか安心したように「そっか」と一言零した。
何とか伝わってくれた安堵と、本当に正しく伝わっているかという不安に板挟みになってラズさんの顔を伺うと、視線に気づいたラズさんは困った様にはにかんで「ごめん、怖かったよな」と頭を撫でた。
事実、軽いパニックだったのだが、ラズさんから見ると、怯えていたように見えたのか、撫でる手は壊れ物を扱うかのように優しかった。
途端に緩んでいく頬を今回ばかりは少し引き締めて、「あの、お話しましょう?最近勉強ばかりでしたし...」と弁解の機会作りの意味も込めて言うと、ラズさんは「ココア入れてくるから先に座ってて」とスタスタと台所に消えていった。
ココアを注いで、隣にどかっと座ったラズさんに、何かに熱中すると本当に寝食が最低限で大丈夫になる事、家族は慣れてしまっていたのでこの特性がおかしな事というのを忘れていた事、ラズさんの事は全く負担には思っておらずむしろやる気の源である事を話した。
ラズさんは私が話し終えるまで黙って聞いていたが、話終わると神妙な面持ちで口を開く。
ラズさんが言った事をまとめると、一般に体を壊すような無茶はしない事、一般と違う体質がある場合先に言っておく事、魔法を学ぶことについては年単位で考えて、焦ったり急いだりしない事、の三つだ。
「体は大切にしてくれ、本当に、...本当に心配だった...」
噛み締めるように呟かれた言葉はあまりに真っ直ぐで、いつもは素直じゃないラズさんにここまで言わせてしまったという罪悪感と、恥ずかしい様な、むず痒いような、何とも言えないいたたまれなさを感じる。
しかし、...そんな感情も悪くなかった。
なんだか凄く大切にされているような気がして、体の中心がぽかぽかする。
そういえばセロトニンの分泌が云々でラズさんと接触しろと言われていたが、勉強に夢中でそれどころではなかった。
―今日ぐらいは甘え切っても許してくれるだろうか。
そんな考えが頭をよぎった瞬間、ぽふ、と頭の上に手が置かれた。
そのまま優しく髪を梳くラズさんはとても満足げな顔をしている。
好きでやったことではあるが、六日も勉強尽くしだった訳だから、ご褒美も必要だろうと自分に言い訳して、私はラズさんの腕に凭れた。
いつもであれば、ここでたじろぐか苦言の一つでも頂戴しているところだが、ラズさんはどこまでも安心したような、慈しむ様な顔をしている。
正直、いたたまれなかった。頭を撫でてもらって、もたれかかる事も許してもらって幸せなはずなのに、どこか恥ずかしくて、逃げ出してしまいたいような衝動に駆られる。
「...あの......」
「うん?」
「い、いえ...なんでも、ないです......」
触って欲しいのに恥ずかしい、甘えたいのに逃げ出したい。
相反する二つの感情は、ラズさんが撫でる手を止めるまで渦巻いていた。
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