第49話:深淵
「この扉、先ほどの『何か』が閉めた際に、内部からロックがかかったようだ。通常の手順では開かんな」
バルガスが扉を調べ、忌々しげに言う。
「エリシア君、何か手はあるか?」
リゼットがエリシアに尋ねる。
「このロック機構……さっきノアが開けてくれたC区画の入り口の扉と構造が似てる!」
エリシアが解析ツールを扉にかざし、声を上げた。
「ノア、ごめん、消耗してるのは分かってる。でも、スキルを『使う』んじゃなくて、ただ『感じる』だけでいいんだ。このロック機構から、何か…他とは違う『気配』とか、エネルギーの流れの『違和感』みたいなものを感じないかな?」
俺は頷く。スキルを直接行使するほどの力は残っていない。だが、この研ぎ澄まされた『感知』能力なら……。
俺は扉に右手を触れ、意識を集中する。ロック機構の複雑なエネルギーの流れ、その中の微細な『ノイズ』、そして……一点だけ、他とは明らかに異なる『情報の流れ』を感じ取った。
「……扉の、右上の紋章……そこだけ、エネルギーの流れが……逆? いや、すごく細くて、不安定です……。もしかしたら、そこが……」
俺が感知した情報を伝えると、エリシアはすぐに該当する紋様を見つけ出した。
「これね! なるほど、緊急時の手動オーバーライド機構かもしれない! フィンさん、あなたの道具で、ここを慎重に……!」
エリシアの指示を受け、フィンさんが特殊な工具を取り出し、俺が示した紋章の箇所にそれを差し込み、慎重に操作する。
カチリ、という小さな音と共に、重厚な金属扉のロックが外れた。
「よし、開いたぞ! 行くぞ!」
バルガスを先頭に、俺たちは再び薄暗いC区画の通路へと足を踏み出した。研究室での出来事が、まるで悪夢だったかのように感じられる。だが、バルガスさんが持つ袋の中で不吉な光を放つエーテル結晶の欠片が、それが現実だったことを物語っていた。
C区画の深部は、入り口付近よりもさらにバグの汚染が進行していた。
壁や床は、まるで生きているかのように不気味に脈打ち、そこかしこから黒い粘液のようなものが染み出している。通路の構造も歪み、まっすぐな道はほとんどない。空気中には、常に不快なノイズ音と、甘ったるいような、それでいて腐臭にも似た異様な匂いが漂っていた。
「ここは……ひどいな。精神汚染にも気をつけろ」
リゼットが警告を発する。クララさんは、俺たち全員に再び精神保護の加護をかけ直してくれた。
俺は、エリシアに肩を支えられながら、必死に感知能力を働かせる。この階層の異常な波動は、B区画よりもさらに濃密で、空間情報そのものが常に不安定に揺らいでいる。正確な道筋を見つけ出すのは困難を極めた。
「……こっち……です。床が……消えかかって……気をつけて……」
「右の壁から……何か、視線のようなものを感じます……!」
俺の断片的な警告を頼りに、フィンさんが先行し、バルガスさんとダリウスさんが左右を固め、エリシアが俺をサポートしながら進む。
時折、壁の染みから黒い影のようなものが伸びてきたり、床の粘液の中から無数の小さな蟲のようなものが這い出してきたりしたが、それらはダリウスさんやフィンさんが冷静に処理していった。だが、彼らの表情にも、徐々に疲労の色が濃くなっていくのが分かる。
(この階層……エリシアさんが読んだ記録にあった『レベルC……封鎖……』って、こういうことだったのか……?)
かつて封鎖されたほどの汚染区域。そのさらに下には、元凶かもしれない迷宮のコアが眠っている。俺たちが進む道は、さらに過酷なものになるだろう。
どれくらい進んだだろうか。
入り組んだ通路を抜け、俺たちはひときわ大きな、ドーム状の空間の入り口らしき場所にたどり着いた。そこは、これまでの通路とは違い、異常なまでの静寂に包まれている。だが、その静寂こそが、かえって不気味だった。
そして、その空間の奥から、俺の感知能力が、これまでのどんなものよりも強大で、そして禍々しい『何か』の気配を捉えていた。それは、単なるエネルギーの奔流ではない。明確な『意志』のようなものを感じる、おぞましいプレッシャー。
「……この先に……います……!」
俺は、声を震わせながら言った。
「D-7区画……あるいは、その下の『コア』に繋がる場所……。そして、そこに……とてつもなく、危険な『何か』が……!」
エリシアも、解析ツールを構えながら息を呑む。
「間違いない……! これまでの異常反応とは規模が違う……! あれが、この異常の源流……!」
リゼットとバルガスも、その気配に気づいたのだろう。表情を硬くし、武器を構え直す。
俺たちの目の前には、下層へと続く、暗く巨大な縦穴のようなものが口を開けていた。そして、その底知れない闇の奥から、俺たちが探し求めていた異常の核心が、静かに手招きしているかのようだった。




