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第39話:緊急事態

リゼット調査官の有無を言わせぬ命令に、俺たちは反論する間もなかった。

周囲では、ギルド職員や冒険者たちが警報と拡声器の指示に従い、避難口へと殺到している。天井からは土埃が舞い落ち、床の亀裂はさらに広がっているようだった。まさに混乱の極みだ。


「バルガス!」

リゼットは、背後に控えていた屈強な戦士――バルガスに鋭く指示を飛ばす。

「あなたはこの場の指揮を取り、避難誘導を完了させなさい! それと、この倉庫区画への立ち入りを禁止! 何人たりとも近づけてはならない!」


「はっ! 承知!」

バルガスは力強く頷くと、すぐさま周囲の職員に指示を出し始めた。

その声はよく通り、混乱した場にわずかな秩序を取り戻していく。


「あなたたちは私についてきなさい」

リゼットは俺とエリシアにそう言うと、避難する人々の流れに逆らうように、倉庫の奥、地下へと続くと思われる通路へと迷いなく歩き出した。


俺とエリシアは、顔を見合わせ、緊張しながらも彼女の後に続くしかない。

ユレクは、バルガスの指示に従い、他の職員と共に避難誘導にあたっているようだった。


リゼットが選んだ通路は、メインの通路とは異なり、人通りが少なく、より頑丈な造りをしているように見えた。おそらく、緊急時用の通路か、あるいはギルドの重要区画へと繋がる道なのだろう。


それでも、断続的に襲ってくる振動と、壁の向こうから響いてくる不気味なノイズ音は、地下で発生している異常事態が深刻であることを物語っていた。通路の照明も、時折チカチカと不安定に明滅している。


「さて……」

早足で通路を進みながら、リゼットが口を開いた。その視線は前方を向いたままだ。

「研究者エリシア君。君の専門は古代技術だったね。このような空間異常、あるいは高エネルギー反応の暴走について、何か知見はあるかな?」


「……古代遺跡の中では、類似の現象が記録されているケースもあります」

エリシアは、息を切らしながらも冷静に答える。


「高密度のエネルギー体や、未知の原理で稼働する古代装置が不安定化した場合、周囲の空間情報に干渉し、歪みを引き起こすことがある、と……。ですが、今回の現象がそれと同一かは……」

彼女は言葉を濁す。『バグ』という核心には触れない。


「ふむ……。では、ノア君」

リゼットの視線が、今度は俺に向けられた。


「君のその『便利な』スキルは、今の状況で何かを『感じて』いるかね? 地下の保管庫の方角から、具体的に何を感じる?」


彼女の質問は、単なる好奇心ではない。俺の能力を試し、利用しようとしているのが明らかだった。俺はエリシアと一瞬だけ視線を交わす。エリシアは、わずかに頷き、「正直に、でも慎重に」と目で訴えているようだった。


俺は、意識を地下保管庫のある方向へと集中させる。スキルを意図的に使うのではない。ただ、あの時感じた『感知』能力に意識を向ける。


「……それは……」

俺は、感じたままを言葉にしようと努める。


「……まるで、黒い絵の具が水に広がっていくような……空間そのものが、じわじわと『間違ったもの』に書き換えられていくような……そんな感じです。ノイズのようなものも……どんどん強くなっています……。中心は、やっぱり、地下の……」

うまく言葉にできない。だが、これが俺の感じている現実だった。


「空間が書き換えられる……ノイズ……」

リゼットは小さく呟き、何かを考え込んでいるようだった。


やがて、俺たちは通路の突き当たり、地下へと続くと思われる頑丈な昇降機の前にたどり着いた。

その周辺には、既に武装したギルドの上級冒険者らしき人々が数名待機しており、昇降機へと続く通路には、青白い光を放つ魔法障壁のようなものが何重にも展開されていた。


しかし、その障壁は、まるで風に煽られる炎のように、激しく揺らぎ、所々でバチバチと火花を散らしている。地下から溢れ出してくる異常なエネルギーの影響を受けているのだろう。


「リゼット調査官!」

待機していた冒険者の一人が、リゼットに駆け寄り、険しい表情で報告する。


「地下からの空間歪曲が拡大しています! 設置した障壁も不安定で、いつまで持つか……! D-7区画内部の状況は、計測不能です!」


「やはり、か……」

リゼットは眉間の皺を深くする。状況は、彼女の予想以上に悪いのかもしれない。


彼女は、揺らめく障壁の向こう、地下へと続く暗い通路を睨みつけ、そして、俺たちに向き直った。その怜悧な瞳が、俺とエリシアを捉える。


「……どうやら、君たちの『特異な視点』は、思ったよりも早く必要になりそうだね」

彼女の声には、わずかな焦りと、そして有無を言わせぬ決意が込められていた。


「ノア君、君が感じている『中心』はどこだ? そしてエリシア君、その『空間が書き換えられる』という現象について、古代技術の見地から何か推測できることは?」


俺たちは、ギルドの緊急事態の最前線で、その知識と、未知の力を問われることになったのだ。

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