第百五十四話 クーデター
Side:ライ
周囲の景色が凄まじい勢いで後ろへと流れていく。
そこには煙を上げる活火山も、道を埋め尽くす避難民の姿も見当たらない。
僕たちは現在、騎士団に護衛されながら、玄武の国の街道を突き進んでいた。
やっとの思いで果たした祖国への帰還。
だが、僕たちの胸のうちには絶望と焦りの感情が渦を巻いている。
絶望はもちろん、復活した大魔王に対する対応策が何ひとつ存在しないため。
そして焦っている理由は、帰国早々国内でクーデターが発生していたという話を聞かされたためだ。
南バードの町を出発してから玄武の国へと到着するまでに、僕らは一月もの時間を掛けてしまった。
戦勝式に出席するために朱雀の国を旅した時と同じ日数ではあるが、はっきり言ってこれは掛かり過ぎだ。
バード脱出時のように速度重視で馬車を走らせれば、一週間程度で国境に辿り着けたというのに。
だが、一刻も早く国に帰りたいという僕たちの願いは、朱雀の国の国民たちの手によって阻止されてしまった。
彼等は大魔王の脅威から助かりたい一身で、ロック王子の下へと殺到してきたのだ。
もちろん『勇者』を失くした今の王子では、彼らを守ることなど出来はしない。
しかし、勇者としての力を失っても、王子は『英雄』なのである。
それもただの英雄ではない。つい先日まで勇者として力弱き者たちを助け続け、『勇者』を失くした状態であっても最後の最後まで大魔王に抗い、倒せはしなかったものの行動不能に陥らせるほどの大怪我を負わせた真の英雄なのだ。
もちろんこれは、避難民たちの勝手な想像である。
南バードの領主を始めとして、ある程度冷静な人たちは王子の力の消失と兄さんの功績を受け入れることが可能だった。
しかし大多数の避難民たちは、その現実を受け入れることを拒んだのである。
危機的状況の最中、一般市民は彼等を助けてくれる英雄の登場を求めた。
人間とは、自らが信じたいものを信じようとする生き物だ。
王子の英雄化は、彼等の精神の安定のために必要なことだったのだろう。
結果として王子は、この大陸で唯一大魔王に対抗できる存在として、その地位を確立してしまったのだ。
地平線の彼方まで延々と続く人の群れ。
王子に助けを求めて押し寄せてきた朱雀の国の国民たちが作り上げたあの光景を思い出すと、今でも震えが止まらない。
ステータスが激減し、体をまともに動かせない王子は、彼らを放って逃げ出すこともできなかった。
結果として、王子は彼等の求めに応じて避難民たちをまとめる羽目になり、共に国からの脱出を行うことになったのである。
結局僕たちは、懐かしきヨコカワの町に到着するまで、彼等から開放されることはなかった。
「ここまで来れば後はピストン輸送で避難民を玄武の国へと移動させるだけ」
「むしろ王子には先行して国に帰ってもらい、避難民の受け入れ準備を行ってもらいたい」
そんな風に話がまとまったおかげで、僕たちは避難民の統率という重責から解放されることになったのである。
ここまで僕たちと共に旅をしてきたエンとチュウとキン、3人の朱雀の国の兵士たちとはここでお別れすることとなった。
彼等は朱雀の国の兵士として、そしてあの惨劇の場を生き抜いた者として、避難民たちの国外脱出を最後まで見届けたいと申し出たのである。
僕たちは彼らの意思を尊重した。
僕たちにとって生まれた国へと帰ることが喜びであるように、彼らにとって生まれた国を捨てることは悲しみなのだ。
氷河は今も増殖を続け、既に3つの町と10を超える村を覆い、一向に勢力が衰える気配がないらしい。
このまま氷河が拡大を続ければ遠からず朱雀の国は滅びるだろう。
彼等はその前に全ての国民を国外に逃がすのだと、強い決意でこの町に残ることを決めたのだ。
船に乗る前の晩、僕たちはヨコカワの町の町長が用意してくれた宿の中でささやかな宴会を行った。
それはここまで共に旅をしてきた仲間との別れの宴であり、そして朱雀の国で亡くなった者たちへの追悼の宴でもあった。
明けて翌朝、朝一番の船に乗り、僕たちは長く苦しいものとなった朱雀の国での旅を終え、玄武の国へと帰っていく。
僕たちは川を渡った玄武の国側の町、カワヨコの町で彼らの到着を待つ予定となっていた。
あの町でテルゾウさんと戦うために、3人の勇者とそのパーティーメンバーが喧々諤々の議論を行っていたのがはるか昔のことのようだ。
あの時の仲間は大半が死んでしまった。
生き残っているのは、この船に乗っている5人しかいない。
長い逃亡生活のおかげですっかりくたびれてしまったハヤテとデンデ。
バード脱出時はあれだけ騒いでいた2人は、もはや口を開く気力もないようだ。
英雄として祭り上げられたロック王子は早くも放心状態である。
重責から解放されたその横顔には、かつての精悍な若者の面影は見当たらない。
シャインはかつての英雄の娘にして、そして現英雄の恋人として一気に扱いが変わってしまった。
旅の間に必死に王子を支え続けた彼女は、いつの間にやら英雄の恋人として立ち位置を確立していたのだ。
そして僕は事実上のナンバー2、王子の側近として周囲に頼られる羽目になっていた。
なにしろ勇者の供、唯一の生き残りだ。玄武の国の兵士は全滅してしまったのだから、僕が対応するしかなかったのである。
実際にはまだ成人にもなっておらず、勇者の供としては未熟も良いところなのだが、周囲はそんなことを考慮してはくれなかった。
5人が5人共、大変な苦労をしてここまで辿り着いたのだ。
中でも無数の避難民たちの期待を一身に背負うはめになった王子は、精も根も尽き果てていた。
国はおろか、そこに住む国民全員の命を預かってきたのだ。
その重圧はやはり相当なものだったのだろう。
国に帰ったところで『勇者』を失くした現実は変えられない。
大魔王の脅威も、迫りくる氷河という大問題も依然として残ったままだ。
だけど、それでも、国に帰りさえすれば、頼れる大人たちが王子を助けてくれるだろう。
玄武の国は3将軍制だ。その更に上には将軍たちを束ねる大将軍と呼ばれる猛者も存在している。
つまり父さんと互角の実力を持つ将軍が2人と、父さんを超える大将軍がまだ国内には残っているのだ。
それになにより、タートルの町に帰れば国王陛下が王子を助けてくれるだろう。
陛下は、王子のお父上であり、頼りになるお方だ。
きっと陛下は、王子の心の傷を和らげ共に問題に立ち向かってくれるだろう。
そして僕も、ようやくこの重責から開放されることとなる。
南バードの町を出てからここまでの旅の間、未熟極まりなかった僕は周囲に迷惑を掛け続け、結果として王子の負担を増やしてしまうことも少なくなかった。
そもそも僕は兄さんとは違うのだ。
組織のナンバー2の立場なんて、僕には分不相応だったのである。
だが、国に戻れば僕の役目は終了だ。
大魔王が復活し、国が滅びる瀬戸際だなんて僕の手に負える案件ではない。
後は頼りになる大人に任せて、本来の任務であるロック王子の護衛に戻ろう。
そう思っていた。
誰もがそう思っていた。
この船に乗っている全員が、寸分違わずそう思っていたのだ。
しかし僕らの試練はまだ続く。
運命は僕たちに平穏など与えてはくれなかったのである。
「ロック王子に申し上げます! およそ40日前に亀岩城にて王弟殿下によるクーデターが発生! 大将軍及び国に残っていた将軍2名は殺害され、国王陛下及び国の重鎮たちは捕らえられ、安否は不明となっております!
首都タートルは王弟殿下の手に落ち、モンスターがはびこる魔都と化しました! 生き残った者たちはカメヨコ村へと落ち延び、レジスタンスを結成し、首都奪還の準備を行っております!
王子一行も大至急彼らと合流し、一刻も早く国をお救いくださいませ!」
船着き場で僕らを待ち受けていたのは、暖かな歓迎ではなく身も凍るような悪夢だった。
呆然とする僕らに向かって待ち構えていた兵士たちは必死に現状を訴えてくる。
だが、僕らの受けたショックは殊の外大きく、内容が全く頭に入ってこない。
ガタン! という音がしたので横を向くと、王子が桟橋の上で座り込んでいるではないか。
「立たせなければ」と思い、差し出した手が震えていることに気づいた僕は、自分が動揺していることを、ようやく自覚したのであった。
何? 何これ、どういうこと?
クーデターが起きた? 王弟殿下ってあの無能な上に役立たずで有名な?
どうやって成功させたわけ? なんで死んでいるんだよ将軍たち。
国王陛下の安否が不明? 町にモンスターがはびこっているってどういうこと? レジスタンスってなんだよ。カメヨコ村? 城も町も落ちただって?
国を救えって? 無理ですよ。
今まさに国を救えなくて逃げてきたばかりだというのに。
気がつけば僕たちは街道をひた走る馬車の中にいた。
ここに至るまでの記憶がない。恐らく呆然としたままの僕たちにいつまでたっても動きがないので、兵士たちが無理やり馬車に乗せて連れ出したのではなかろうか。
誘拐じゃないか、これは誘拐だろう。
何してくれてんだ、一体何だよ、本当に何なんだこれは。
勇者の旅にはトラブルが付きものだと分かってはいたけれど、限度ってものがあるだろう。
こちらの意思とは無関係に事件が起きて、それは致命的で解決もできず、必死に頑張って何とかなったと思ったら、次々に別の問題が襲いかかってくる。
どうしようもないじゃないか。
こんなの一体どうしろっていうんだよ。
王子は俯いてしまって、その表情は伺いしれない。
だけど恐らく僕と大差ない顔をしているはずだ。
こんな状況で落ちた首都を奪還しろって? 無理に決まっているだろそんなこと。
もはや叫ぶ気力すら湧いてこない。
僕らはされるがままに騎士団に拉致され、一路カメヨコ村へと運ばれていくのであった。
そして玄武の国に到着してから僅か一週間後、僕たちはカメヨコ村へと辿り着いた。
バードから脱出した時と同じだ。速度重視の移動ならこんなものなのだろう。
道中、僕たちを運んできた騎士たちから、おおよその事情は聞かされている。
ちょうど僕たちが戦勝式に参列していた頃のこと、突如として城の謁見の間に王弟殿下が現れたのだという。
その場で王弟殿下は兄である国王陛下を声高に非難し、退位を求めて自らが王になることを宣言したのだそうだ。
もちろんそんな戯言に耳を貸す者はいなかった。
いつもなら部屋の中で酔っ払い、享楽に耽っている王弟殿下が悪酔いしたのだと判断した陛下は王弟殿下の確保を兵士に命じ、部屋へ連れ戻させようとしたのだという。
しかしその時、王弟殿下は何かを飲み込み、その直後彼はモンスターへと変貌してしまう。
あっという間に兵士を蹴散らし、居合わせた将軍たちを殺害し、国王陛下及び謁見の間に集っていたこの国の重鎮たちを制圧してしまった王弟殿下。
城に勤めている兵士たちが異変に気づいて殺到するが歯が立たず、彼等は外部に応援を要請した。
だが、この時町でも異変が起こっており、結局応援は来なかったのだそうだ。
王弟殿下が城中を制圧するのと時を同じくして、町の外にモンスターの大群が現れ、町を守る外壁が破られてしまったのだという。
そして町の中に大量のモンスターが流入してきたのだそうだ。
戦勝式の時と同じような状況ではあるが、タートル町には実力者も多く、この時点では被害は最小限に食い止められていたらしい。
だが獅子奮迅の働きをする彼らの背後から、「城が乗っ取られた」と叫びながら逃げ出してきた者たちが殺到してきたことで、町の中でパニックが発生し、ギリギリで保たれていたバランスは決壊してしまった。
町の役場の者たちは、兄さんが作成していたという緊急時脱出マニュアルに従い、町の放棄を決定。
兵士や実力者たちが防衛している間に速やかに町からの退去を行い、カメヨコ村へと町の住民全てが逃げ出したのだという。
そして町に住んでいた住民のほとんどは、カメヨコ村から更に先へと進み、他の町へと分散。
戦う意志のある者たちは、カメヨコ村に留まり、レジスタンスを結成し、町の奪還の機会を狙っているのだそうだ。
ちなみにこの話が僕たちにまで届けられなかったのは、先に僕たちの話が玄武の国へと届けられたからだという。
どちらも国の首都が落とされるという危機的状況。
しかしこちらはまだ人的被害が少なく、首謀者が王弟殿下ということで、『大魔王よりはまし』、『王子が帰ってくるまで心労を増やす必要はない』という理由で、あえて伝えていなかったのだという。
兵士から聞かされていたそんな話を頭に思い浮かべていた僕は、カメヨコ村へ到着したという報告を聞き、馬車から地面へと降り立った。
馬車から下りた僕たちの目には信じられない光景が飛び込んでくる。
水が流れる堀、張り巡らされた柵とそこから飛び出しているいくつもの鋭い穂先。
四方に設置された物見台の上には見張りが常駐し、村の中も外も多くの兵士たちが緊張感を持って巡回している姿が目に入った。
そこにはかつて目にした、のどかなカメヨコ村の風景はどこにもない。
まるで火の魔王との戦いで目にした魔王軍のアジトのような光景だ。
もっともこちらのほうがより洗練されている印象だが。
「ロック王子だ」「ロック王子よ!」「王子!」「王子殿下!!」「ロック様!」「王子が帰ってきたああぁ!!」
「「ウオオオォォォーー!!」」
砦化されたカメヨコ村に王子を称える絶叫が響き渡る。
それは待ち望んでいた英雄の帰還。
同時に、新たな戦いを告げる開戦の合図のようでもあった。
フラリと倒れかかった王子の体を支えながら、僕たちは村の中へと入っていく。
朱雀の国の首都から逃げ出してきた僕たちは、玄武の国の首都を奪還するための戦いを開始するのだった。
いよいよ今週の木曜日、8/30日に2巻が発売されます。
双葉社様から見本誌が届けられましたが、大変素晴らしい出来になっております。
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