第百五十一話 勇者の迷宮その3
スライム。
それは、ありとあらゆるファンタジー作品に出てくる有名なモンスターだ。
不定形の軟体生物であり、ぷよぷよと揺れる体を持っている。
目も口も耳もなく、見た目は透明な動くまんじゅうと言ったところか。
作品にもよるが、愛くるしい見た目を重宝されてマスコットキャラになったり、軟体生物という特徴を生かして頼れる仲間になったり、物理攻撃が効かない強敵として主人公たちの前に立ちはだかったりしている。
なお、この世界のスライムは、いわゆる雑魚キャラ扱いだ。
新兵や新人探索者などの素人に毛が生えた者たちの初めての戦いの相手に相応しいとされており、目に付けば倒される程度の存在でしかない。
ちなみに俺もスライムは何匹も倒している。
町に住んでいる間や冒険の際に幾度となく目についたこいつらを俺は逃がすことなく倒し続けてきた。
だが、そんな俺であっても、こんな黒いスライムは見たことも聞いたこともない。
色付きのスライムは確かにいるが、黒いのは初めてだ。
勇者の迷宮にだけ発生する固有種なのだろうか?
俺は危うく吹き抜けに落とされそうになった相手なので、慎重に相手の様子をうかがっていた。
しかしスライムはピョンピョンと飛び跳ねながら、通路の向こう側へと消えていく。
そしてしばらくすると、通路の曲がり角から顔を出し(正確には顔がないので体の一部を出し)俺の様子を覗き込んでくる。
その姿を見て俺は悟った。これは明らかに誘われていると。
これは驚いたな、この迷宮のモンスターは人間を誘う知能を持っているのか。
俺は迷ったが、この誘いに乗ることにした。
俺はこの迷宮に関しては全くの素人だ。
ならば迷宮の中で最初に出会ったモンスターに付いていってみるのもまた一興だろう。
何と言っても相手は所詮スライムなのだから、万が一戦闘になったとしても力づくで何とかなるはずだ。
後から考えると、この時の俺は正気を疑うほどに無謀な判断を下していた。
つい先程、慎重に行こうと決心したのは一体何だったのだろう。
どうやら俺は思っていた以上に自暴自棄になっていたようだ。
だがこの馬鹿な判断は、結果的には正解だった。
なにしろこのスライムに付いていかなければ、あんな結果にはならなかったのだから。
勇者の迷宮の中を俺は先へ先へと進んでいく。
いや、本当に先なのかどうかは分からない。内部の構造など分かっていないのだから、この先に進むことが正解なのかどうかなんて今日はじめて迷宮に入った素人に判断しろという方が無理というものだ。
俺の進む先にはスライムがピョンピョンと飛び跳ねている。
奴は一定の距離を保って俺を先導し、曲がり角を曲がった時には、曲がった後でおずおずと俺の様子をうかがうために顔を見せにきていた。
その様子はえらくかわいいが、相手がモンスターであることを忘れてはいけない。
そもそもこの世界の住人にスライムをかわいいと感じる感性などない。
これは俺の前世の記憶が原因だ。スライムは仲間になるもの、そしてぷよぷよしていてかわいいものという感覚が刷り込まれているからこんなことを思うのだろう。
スライムはピョンピョンと進んでいく。
俺はそれをズンズンと追尾していく。
途中でモンスターに出会うこともなく、俺はスライムの後を追って階段を下りていった。
本来ならここで気づいても良かったのだ、このスライムが普通ではないということに。
迷宮に発生するモンスターは基本的に発生した階層から移動することはない。
そうでなければ階段が安全地帯になることはないのだから。
しかしこの時の俺はそれに気づかず、結局丸々一時間ほど掛けてスライムの後を追跡してしまった。
そしてとある広い部屋の中に入った瞬間、突然視界が黒く塗りつぶされてしまう。
「ギガガ!」
来たか! ……と俺は口にし、臨戦態勢をとる。
やはり相手はモンスター、俺を狩場に誘導し襲いかかる手筈を整えていたのだ。
この暗闇には見覚えがある。アナやエルが使っていた視界奪う闇魔法、ダークスモークの暗闇と同じものだ。
現状、スキルの更新をした者以外は魔法を使うことができず、朱雀の国に該当者は、ほとんど存在しないはず。
まず間違いなくモンスターが使ってきたと考えて間違いなかろう。
だが俺のステータスは勇者に次ぐほどのものであり、なおかつこんな浅い階層のモンスターでは俺を倒すことはできない。
俺は余裕を持って敵の襲撃を待ち構えた。
そんな俺に向かって、闇の奥から殺意が迫る。
暗闇の中、俺が相対したのは、まるで影のように形を変えて迫りくる複数の漆黒の刃であった。
だがその攻撃は届かない。
殺意がダダ漏れで狙いが分かりやすい上に、攻撃の速度が遅いため、回避にするのは容易だったのだ。
そして回避した先で俺はスライムたちの体当たりを受けた。
そう、スライム『たち』である。奴らはいつの間にやら数を増やし、徒党を組んで俺に襲いかかってきたのだ。
迫る漆黒の刃と、回避した先で待ち受けるスライムの体当たり。
どちらか一つだけならば問題にもならない相手であったが、両者を組み合わせるだけで、それは中々の攻撃へと変化していた。
スライムの攻撃力は大したことはない。
先程奇襲を受けた時だって少し体が浮く程度の衝撃だったのだ、闇に紛れて襲いかかってきたところで、せいぜいが俺の体勢を崩す程度のことしかできない。
しかし体勢が崩れたところを狙い撃ちにしてくる漆黒の刃は厄介だ。
攻撃速度は遅くとも相手は刃物なのである。
切断力にどれだけの威力があるのかも分からない現状、そう簡単に攻撃をくらうこともできない。
だから俺は先にこちらの体勢を崩そうとしてくるスライムたちを排除しようと考え、突っ込んできた2匹のスライムを素手で掴み取り刃が向かってくる方角へと向けて思い切り投げつけた。
1匹目は外したようだが、2匹目は何かに当たる音が響く。
それからしばらく攻撃は止んだ。
なるほど、スライムは2匹で、襲撃者は1匹だけか……
暗闇の中、風景と同化するような黒いスライムに襲われたので数が把握できていなかったが、どうやら俺は敵戦力を過大評価していたらしい。
スライムの体当たりが無くなったことから俺は相手の戦力を正確に把握し、相手の出方を待つ。
「ゴグギガ、ガガッゲゴガギゴガ!?」
どうした、かかってこないのか!? と、俺は謎の襲撃者に向けて怒声を放つ。
思えば喉が潰れているこの状態は、戦闘時には威嚇として使えるので都合が良い。
だが待ち構えていたにも関わらず、俺は相手の奇襲を察知することができなかった。
相手の気配は突然俺の背後に現れたのだ。
気づいた瞬間には、俺は背中を斬られていた。
致命傷にはならなかったが、相手の気配を掴めなかったことに俺は衝撃を受けた。
「ゴゴガァ!」
どこだぁ! と叫びながら闇雲に腕を振り回すが、相手には当たらない。
そして相手はそのスキを突いて、何度も何度も背中を斬り裂いてくる。
どうやら相手は背後から攻めるのが好きな暗殺者気質であるようだ。
暗闇の中で奇襲してきたことといい、どうやらまともに戦うつもりはないらしい。
だから俺はその相手の習性を逆手に取ることにした。
叫び声を上げながら、闇雲に腕を振り回し、錯乱したように見せかける。
そんな俺の背中を敵は容赦なく攻撃していく。
だがその攻撃は致命傷には至らない。相手の攻撃力よりも俺の防御力の方が高いからだ。
そして何度か切られているうちに、俺は相手の攻撃するタイミングを計ることができるようになっていた。
そしてもう何度目かの攻撃か忘れた頃に、俺は突然背後へと跳躍し、俺を襲う相手を背後へと弾き飛ばすことに成功したのだ。
「がうっ!」
手応えあり! どうやら敵は俺の体当たりを避けそこなったらしく、ダメージを受けたことが音で分かった。
俺は敵を吹き飛ばした方向へと手探りで向かっていく。
真っ暗闇であるために、方向が合っているのかは賭けだったが、先程投げ飛ばしたスライムたちが足止めに現れたことで、相手の存在を確信した俺は足を早めた。
そして遂に、薄っすらと壁を背にして床に倒れている相手を発見する。
その頃になるとようやく俺も暗闇に目が慣れてきて、相手の姿がシルエットだけではあるが見えるようになっていた。
敵はどうやら人型のモンスターであるようだ。
俺は相手へと高速で突っ込んでいく。
敵は咄嗟に体を起こして逃げようとする。だが俺は相手の翻った長い毛を掴み取り、無理やり引っ張って体をこちらへと引き込んだ。
「ヒッ!」
「ギガグゴゴゴッゲンゴガ!」
逃がすと思ってんのか! 相手の悲鳴と、俺の気合が交差する。
俺は相手の顔面を鷲掴みにして、逃げられないように相手の体を持ち上げた。
スライムたちが必死になって俺に体当たりをしてくるが、俺の腕の力を弱めることはできない。
敵はその状態でも諦めるつもりがないのか、左手に持った剣を俺に向かって振りかぶった。
ボキィ!
カラン
俺はそんな相手の腕を殴りつけ、骨をへし折ってしまう。
手からこぼれ落ちた剣が、床に転がって乾いた音を立てる。
「んー! んー!!」
顔面を掴んだ俺の手は相手の口もふさいでいるために、悲鳴が聞こえることもない。
俺は一旦相手の体を地面へと下ろし、そして相手の膝を足で思い切り踏み抜いた。
ボキボキィ!
「んー!! んんー!!」
これで敵は逃げることができない。
俺は腕を振りかぶり、敵を硬い床へと叩きつけた。
両膝と左手を破壊された相手は、無様に床に這いつくばっている。
俺は散々斬られた恨みを晴らそうと、落ちている剣を拾い上げ、トドメを刺そうと試みた。
バチィ!
だが俺の手は剣に拒絶されてしまう。
俺が剣を手にしようとした瞬間、剣から不可視の衝撃が発せられて、剣を手にすることができなかったのだ。
これはひょっとして魔剣の類だったのか? と考えた俺は、相手の剣を使うことを諦めて、アイテムボックスから自分の剣を取り出してゆっくりと振りかぶる。
その時に聞こえてきたのである、襲撃者の最後の言葉が。
「ごめんなさい、ナイト。ロゼ……エル……、いつの日かもう一度3人で……」
その声を聞いた瞬間、俺はとんでもない過ちを犯す寸前だったということに気がついた。
俺はアイテムボックスの中からエクスポーションを取り出し、迷うことなく飲み干して潰れた喉を再生させる。
そして話しかけたのだ、床に倒れて今にも死にそうな、というか、俺がこの手で殺しかけた、俺の婚約者である闇の勇者へと。
「アナ? お前アナなのか!?」
「えっ? ナイト? ……なんでナイトがここに?」
俺が戦っていた相手は、なんと死んだはずのアナであった。
俺はアイテムボックスから残り少なくなったハイポーションを取り出しながら、大事な人を殺しそうになったことに体を震わすはめになったのである。
お知らせ
2018年8月30日(木)に「勇者の隣の一般人」第2巻が発売します。
なろう投稿版とは違う、書籍版オリジナル展開となっております。
皆様、ぜひともお買い上げいただき、読み比べていただけるとありがたいです。




