第百五十話 勇者の迷宮その2
「ギガガギゲンギョグガ……」
知らない天井だ……と言おうとしたらこのザマである。
思えばこちらの世界での18年間、一人きりで寝起きしたのは今回が初めてではなかっただろうか?
屋敷では家族が、修業中はロゼが、旅の間はロックたちが一緒だったがゆえに、この恥ずかしい独り言はついぞ言わずじまいであった。
だがこの場には俺の他には誰もいない。
ならば言っても構わないだろうと呟いてみたらこの有様である。
結局寝ている間も、俺はモンスターに襲われなかった。
魔王も大魔王もやって来てはいないようだ。
もっとも寝込みを襲われてしまったならば、こうして目が覚めることもなかったのだろうが。
痛む体を床から引き起こし、俺はグッと背伸びをする。
迷宮の床は壁や天井と同じく石造りだ。こんな場所で寝ていればそりゃあ体も痛むはずである。
階段には絨毯が立てかけてあったのだから、1つくらい借りても良かったのだろうが、正直昨日はそんなことまで頭が回らなかった。
なにしろ死ぬ寸前だったのだ。
いや、今も大して変わりはないのか。
次の瞬間、階段からモンスターや魔王がやって来たら、そこで俺の人生は終了してしまうのだから。
「ガ~」
は~、と溜息をつくこともままならない。
いい加減この状態もうざったいな。
とっととエクスポーションを使って喉を治せばそれで済む話ではあるが、現状俺しか生存者がいない状況では誰に聞かせるわけでもない俺の声など優先順位は限りなく低いのだ。
「ガアアアァァァ!!」
その瞬間。
そう、まさにそう思った瞬間に、突然昨日の出来事が一気に頭の中で再生され、俺は絶叫を上げることとなった。
「アアアアァァァ!」
キングの砲撃を受けてバラバラになって消えていったゲンとヨミ。
エースの一撃で地中深くに消えていったアナたち。
俺の言葉を信じて死んでいった多くの兵士たち。
ロックたちとの別れ。
3人もの勇者の死。
そしてジェイクを始めとした仲間の死。
自分を助けるために最後まで奮闘してくれた老師やゼロやヨン。
そして最後の瞬間、熊の魔王と相打ちとなり死んだ父さん。
それらの出来事が寝て落ち着いた頭の中に一気に蘇り、俺は絶叫を迸らせる。
思えば昨日は次から次へと押し寄せるありえない状況に対応するのに必死で、叫び声すら上げられなかった。
だが、今現在、俺は迷宮の中の、ある意味安全地帯にいるのだ。
昨日受けた衝撃がまとめて脳内に再生され、俺はそれに耐えきれなかった。
「アアアアァァァ! ガアァ、ガガァァ!!」
泣いて叫んでを繰り返し、硬い床に倒れ込んで七転八倒。
結局この絶叫は声が枯れて叫ぶことができなくなるまで続くこととなった。
「ガフォゥ、ガヒョゥ、ガフォゥ、ガヒョゥ」
無様に床に這いつくばり、涙とよだれが混ざり合った汚い水たまりを見て、俺はようやく正気を取り戻す。
アイテムボックスの中から水瓶を取り出し、柄杓で水を汲み一口飲み干す。
潰された喉で叫び続けたからだろうか? ぬるいはずの水をやけに旨く感じてしまい、こんな状況下でも水を求める人体の神秘に俺の思考は明後日の方向へと飛びかけた。
しかしせっかく助かった命を無駄にするわけにはいかない。
俺は現状の打破を試み、頭をフル回転させる。
いや、させようとしたのだが、その瞬間、空腹を感じていることに気づき、まずは朝食を食べようと、アイテムボックスの中から食料を取り出したのだった。
まずは泣くこと、次に飯を食うこと。
これは俺の母親から教わった、心が追いつめられた時の対処法だ。
こちらの世界の母さんではない。これは前世の母親、すなわち地球時代の母親から教わった教えである。
かつての前世で思い悩み、心が追い詰められた俺に母親が言ってくれたこの言葉が、俺の命を救ってくれたことを俺はこちらの世界に来てからも覚えていたのだ。
だから食べる、まずはとにかく飯を食べるのだ。
空腹だと気持ちは落ち込むが、満腹で落ち込むことは難しい。
当たり前といえば当たり前の話であるが、中々実践することができないことでもある。
もうどうせモンスターは来ないだろうと決めつけた俺は、昨日は食べなかった鍋に入ったスープを取り出し、火をつけて温めてから食べる。
ちなみに迷宮の中で火を使っても、煙はいつの間にか消えてしまう。
空気も入れ替わるため一酸化炭素中毒の危険はない。
これが地上の穴の中とか洞窟の中とかだと普通に致命的な行為なのだが、迷宮の中はなぜか安全なのだ。
恐らくアイテムや死体を回収する迷宮のシステムが煙や空気にも作用しているのだろうと言われているが正確なところは分かっていない。
まぁ駄目だとしてもやったかもしれないが。
正直俺は自覚できるほどに自暴自棄になっていたのだ。
だが結局死ぬこともなく、無事に腹も膨れたので、俺は次を考える余裕を得ることができた。
次、次って何だよ。
この状況で次もへったくれもないだろう。
まず思い当たるのはロックたちとの合流だ。
土の勇者の供としては当然の発想なのだが、これは現状不可能だろう。
なにしろロックたちと合流を果たすためには、一度外に出て、モンスターと魔王の包囲網を突破し、あの氷河にもう一度穴を開けて、追っ手を振り切って逃げなければならないのだから。
考えるまでもなく絶対に不可能な案件だ。
手持ちの薬は使い切り、手の内は全て読まれた状態で、たった一人で奴らを相手に戦い抜けるわけがない。
では、地上からは諦めるとして、地下からはどうだろうか?
幸いここは迷宮だ。迷宮はクリアすることさえできれば、クリア特典として好きな場所への帰還を果たすことができる。
ならば迷宮をクリアして、クリア特典でタートルの町を選べば帰還することはできるのだろう。
たった一人で迷宮の攻略が出来るのならばだが。
……
…………
………………いや、可能か?
大魔王たちが襲いかかってくる直前、俺はスキルの更新を行い、迷宮攻略に適したスキルばかりを手に入れていたではないか。
『迷宮商人』『迷宮罠師』『探索者』の3つがそれに該当する。
以下はその詳細だ。
スキル『迷宮商人』
レベルを最大値まで上げると、迷宮の中で品物の仕入れを行うことが可能となります。なお仕入れを行う場所の深さにより仕入れ値は変動します。
スキル『迷宮罠師』
レベルを最大値まで上げると、迷宮内であればどこであっても罠の設置が可能となります。また、迷宮内に限り全ての罠を見破ることができるようになります。
スキル『探索者』
レベルを最大値まで上げることによりダンジョン内でオートマッピングが発動します。ただしダンジョン以外の地下道や洞窟では発動しません
……凄いな、何だこの迷宮攻略に特化した能力は。
商品の仕入れが可能で、罠を設置できる上に見破れて、オートマッピングが発動って、迷宮の中に住めそうな勢いだぞ。
探索者を通り越して、まるでダンジョンマスターのような有様じゃないか。
そんなことをする気は微塵もないけれどもさ。
これは……考えるまでもなく一択じゃないのか?
現状、俺の手札・実力では、地上で生き残ることは不可能だ。
地上に戻れば死は免れない。
だが、迷宮の中ならば生還の可能性は僅かにだが残っている。
それに、ひょっとしたらだが迷宮内には、俺以外の生存者がいる可能性も否定できない
戦勝式など眼中にもなく、ひたすら迷宮にアタックしていた探索者とか、そもそも戦勝式が行われていたことにすら気づかずに潜っていたうっかりさんとか、町の外ではなく迷宮の中に逃げ込んだ町の住人とかがいるかもしれないではないか。
……自分で言っておいて何だが、可能性低そうだなぁ~。
だがゼロではない。
人は希望がありさえすれば、前へと進むことができる。
地上に戻ることは死ぬことと同義だ。生きるためには迷宮へと潜るしかない!
覚悟は決まった! 俺は迷宮を攻略するぞ○ョジョ~!!
……落ち着け俺、相手は迷宮だ。
興奮して突貫などしたら、一瞬で罠にハマってあの世行きという事態も十二分に考えられる。
攻略する覚悟は決まったのだ。ならば後は冷静に、着実に、じっくりと対処するだけ。
ミスターの言葉を、教えを思い出せ。罠の迷宮で散々苦労した経験はもはやトラウマものだ。忘れられるわけもなく、俺の血肉と化しているだろう?
俺はバリケードを回収し、ついでに絨毯も接収して勇者の迷宮の中へ続く扉へと向かっていく。
ちなみに俺は今、ボロボロのマントを羽織り、つばの広い帽子を着用していた。
これは階段に立てかけられていた絨毯の影に落ちていたものだ。
それを見た瞬間、俺は『銀○鉄道999の○郎っぽい!』とか思ってしまい、コスプレ気分で着用することにしたのである。
俺は一人、不可能へと立ち向かう旅人の心意気で迷宮の扉を開け放つ。
だが俺は、扉の向こうに広がっていた光景に度肝を抜かれ、直前の誓いなど忘れて駆け出していったのだった。
勇者の迷宮
ここは朱雀の国の首都バードの地下に広がる大迷宮であると同時に、世界屈指の攻略難度の高さで知られている、世界最大の迷宮だ。
俺は物心ついた頃から幾度となく読み聞かされてきた英雄譚に出てくるこの迷宮にいつの日か潜ることを夢見ていた。
スキル授与の儀式において『一般人』を授けられた後は諦めたものであったが、勇者の供として復帰してからはいつの日か挑戦してやろうと密かに野望の火を燻らせてきたのだ。
扉を開いた先に広がっていた迷宮の光景は、そんな俺の期待を上回る代物であった。
これまで潜ってきた迷宮は、なんだかんだ言いながらも基本的に『整備された洞窟』もしくは『前世の地下街に近い代物』でしかなかった。
地下に広がっている迷宮であるのだからそれは仕方がないのかもしれないが、実際に潜ってみれば、狭いし、罠はあるし、モンスターは出るしで、空想の世界で漠然と夢見ていたダンジョン探索とはまた違うリアルな現実に直面してしまっていたのだ。
だがこの目の前に広がる景色はどうだろう。
左右にはこれまでと同じく通路と壁が広がっており、曲がり角の先は杳として伺いしれない。
しかしその通路には全て、見事な彫刻が彫り込まれ、壁画が描かれている。
そして正面、入り口の扉を開いた正面には広々とした空間が広がっており、端まで寄って覗いてみれば、そこには底が見えないほどの巨大な吹き抜けが存在していた。
下りてきた階段の長さの分、天井はとにかく高さがある。
その逆に下を覗けば、底が見えない程の深さに戦慄する。
迷宮の中が仄かに明るいのはこれまでの迷宮と同じだ。
だが、ここは壁が発光しているのとは別に、吹き抜けの中心に光の柱とでも呼ぶべき謎の建築物が存在し、それが光り輝くことで吹き抜けを中心として光が360度広がっているのである。
まるで迷宮の中心に細長い太陽が君臨しているかのようだ。
それとも巨大な蛍光灯と表現すべきだろうか。
通路の端から周囲を見渡せば、同じような欄干付きの展望台のある巨大なビル群をいくつもいくつも見ることができた。
そう、目の前に広がる光景は、巨大な光の柱を中心に無数のビルが立ち並んでいる光景だったのだ。
上は地上であるために、天井は当然閉じている。
その光景はまるで無数のビルで地上を支えているかのようだ。
後ろを振り返れば、俺が出てきた建物もまた、その天井は地上に接着していた。
なるほど、この幾つあるかも分からない地上を支えているビル群は全て地上にある迷宮の入口と繋がっているというわけか。
隣り合うビルは離れている箇所もあれば、繋がっている箇所もある。
恐らく繋がっている箇所からは隣のビルに移れるのだろう。
俺は下に落下しないように注意深く欄干を握りしめ、ビルの下の部分を覗き込んだ。
ビルは下へ行けば行くほど接続箇所が増えている。
ある程度まで降りると、もはや独立したビルではなく、1つの構造物としか見えない箇所もあった。
そしてビルの至る場所からはテラスのように欄干付きの展望台が突き出ている。
あそこから光を取り込んでいるのか、それとも空を飛べるモンスターたちの移動経路になっているのか。
とにもかくにも、世界的に有名な勇者の迷宮は、これまで潜ってきた迷宮とは一線を画すほどに壮大かつ広大であった。
地下であるにもかかわらず地上の建築物よりも優れた建築技術が用いられた壁や床、吹き抜けになっている箇所から見える絶景はまさに超古代文明の遺産といったところ。
目の前に広がる壮大な景色は、俺の置かれた状況の絶望さ加減を一瞬忘れさせてくれるほどの威力を持っていた。
ドゴッ!
だが、あまりにも素晴らしすぎる光景に見とれていたのが悪かったのだろう、欄干から身を乗り出すようにして景色に見入っていた俺は突然背後から奇襲攻撃を受けてしまう。
それはなぜか床から俺のケツに向かって加えられたものであり、身を乗り出していた俺の体は一瞬にして浮き上がり、危うく吹き抜けに落ちそうになる。
「グゴゴッ!」
うおおっ! ……と、叫びながら俺は、握りしめていた欄干を必死に手放さないようにする。
幸いなことに喰らった衝撃はそれほどでもなかったようで、体は浮いたが、落ちるまでには至らなかった。
俺は欄干を必死に握りしめたまま、首だけをひねってうしろを振り向く。
そこには俺に体当たりを食らわせた犯人、真っ黒いスライムがいたのであった。




